公爵の苦悩と奔走の日々
今回は悪役令嬢の父親・マーズレン公爵視点となります。公爵は一応、理性ある親馬鹿です。アイリーンが久々に登場します。
我がマーズレン公爵家は歴史こそ比較的新しいものの、代々大臣クラスの役職と真央国南部に広大な領地を与えられた王族傍流の一門だ。
それ故に王都に構える屋敷も並大抵の規模ではなく、一等地の屋敷町と呼ばれる区域でも一際豪勢な造りとなっている。
女主人たる妻の趣向で品性ある良質な調度品が誂えられ、部屋の隅々まで端正な意匠が施された家屋。
季節ごとに色調の整った花々が植えられた庭。
小規模の集まりや身内のパーティー用に建てられた東屋。
そんな自慢の屋敷には数十人もの使用人が常駐し、明るく賑やかな雰囲気となっていた。だが、ここ最近の屋敷の空気はどこかおかしい。賑やかさは鳴りを潜め、家人はおろか、使用人達でさえ暗い表情をしてひそひそ話を各所で繰り広げている。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「ああ。アイラ達はどうしている?」
「奥様は南星国大使との会談を終えられて、先ほどお戻りに。若様方はそれぞれの職場に詰めておられます。お嬢様は……」
普段ならばスラスラと問いかけに答えてくれる執事が言いよどむ。珍しい彼の姿にため息を隠せない。理由が分かっているので尚更だ。
「先にアイラと話したい。部屋に呼んでくれ」
「承知しました」
妻のアイラは南星国王家の出身であり、気品ある美しさとセンスの良さから社交界でも「華」と称されるほどの評価を受けている。
そんな彼女の影響力や人脈は決して侮れるようなものではない。彼女には私と並行して、社交界での情報収集や南星国の外交ルートを通した根回しを任せている。国のことを思うなら、妻の実家とは言え他国の力を借りるなど良い手ではないが、そう言っていられない。
何せ、マーズレン公爵家はこの上ない危機に晒されている。それも、こちらから見れば理不尽同然の理由で。
事の始まりは、今は亡き王太后陛下が、『アイリーンを王子の妻に』と望まれたことだった。血筋順ならば王に相応しい立場だったにもかかわらず臣籍降下した父への配慮だったと云うが、恐らくそれは表向きの理由で、王太后陛下の本音は公爵家を国に縛り付けておきたいというものだろう。
確かに、父は民への深い愛情は持ち合わせていたが、国そのものへの執着はほとんど無い御方だった。それは、『国』の安定を何より重んじる真央国の貴族社会にとって異端に近い考え方だ。
そんな父だったが能力面は非常に優秀で、手放すのを惜しんだ当代の王が、早々に結婚させて臣籍降下させたという。王太后もその意図を理解していたのだろう。父の血と考えを受け継ぐ我々をこの国に残すには“縛り”が必要だと。
その考えはある意味間違っていない。何故なら、私も父の考えには少なからず賛同していたからだ。
この国では、子供達に忠誠心や愛国心ありきの教育を施している。それ自体は、国を守る人材を育成するためには正しい。だが、私からしてみれば、彼らの言う“忠義”がどうも空虚なモノに思えてしまうのだ。
上層部や騎士団の人間が聞いたら侮辱されたと受け取るかもしれないが、忠誠とは他者に植え付けられるものではなく、自分で育むものだ。領地と民を直に見て、話を聞き、実際に体験することで、初めて己が守るべきものを理解できるのだ。他の貴族との間に色々と認識の溝ができかけたこともあったが、私はそういう育て方をされたことを感謝している。
だからこそ、子供達にも同じ教育を施した。特に末娘のアイリーンの意欲や素養は目覚ましく、常に努力する姿勢を忘れない彼女なら、王族としてもやっていけるのでは……との欲目もあった。
だが、幼いアイリーンはこの婚約を嫌がった。始めは幼い子供故の反抗期かとも思ったが、母親や乳母は「違う」と断言した。
『あの子は婚約することが嫌なのではありません。婚約の話そのものを恐れているのです。理由はまだ聞けていませんが、あの目は何かを知っているようでした……。あの子が話してくれるまで、婚約を待っていただくことはできませんか?』
心配気味なアイラの気持ちは分からないでもない。だが、王命に本来保留など有り得ない。内々の打診があった時点で半ば決定事項。公の場で断るという行為を臣下にさせないための事前準備でしかないのだ。
嫌がるアイリーンを説得し、何とか聞き出した理由。それは、にわかには信じられないようなものだった。
『お父さま。王子さまは私ではなく、別の女の子と結婚します。私は北に追放されて、マーズレン家は没落します』
最初は何を言っているのか分からなかった。
詳しく聞けば、シュザ王子がアイリーンと婚約したにも関わらず別の令嬢を見初めた挙げ句、それに憤ったアイリーンを逆に罪人として婚約破棄の責任を押しつけるというもの。「何の罪で」と問えば、「王子さまが好きになった女の子をいじめたからです」と涙ながらに答えた。
『アイリーン、物語の読みすぎではないのか。そんな突拍子も無いような話は、私も聞いたことがないぞ』
そう言って宥めようとしても、アイリーンは自らの意見を変えようとしなかった。
初めて見る娘の狼狽する姿に、困惑を隠しきれなかったのを今も覚えている。
アイリーンは、確かに早熟な子供だった。
読み書き計算はおろか、他の学問も令嬢としての教養も、一体どこで、何時覚えたのかと聞きたくなるくらいに幼い頃から習得していた。
何より驚いたのは思考の面だ。聞き分けが過ぎるほど良く、末っ子にもかかわらず兄達にも譲歩し……精神面だけなら、既に十代のものと変わらなかった。
そんな娘の言うことが、ただの夢物語だとは思えない。
婚約相手も気がかりであった。シュザ第二王子は正妃の息子ということもあり、王太子最有力候補。能力面でも異母兄と大差は無く、表面上は特に問題があると思えなかった。
だが、私は気付いてしまった──恐らくは妻や子供達も。
シュザ王子は利発そうに見える反面、その内側に強い自己愛と自信過剰な一面を持っていた。それを国王夫妻や周囲が気付けないのは、彼らがシュザ王子を受け入れ、「肯定」しているからだ。
両親が子を愛し、臣下が王族を敬うのは当然だ。だが、前者はともかく、後者は必ずしも「無条件」ではないことをシュザ王子は知らないのだろう。
彼は「自分が肯定されて当たり前の人間だ」と思い込んでいる。だから、自分の意に反する者を無意識に遠ざけるきらいがあった。それは行き過ぎれば、指導者として致命的になりかねない。しかも、肝心の国王夫妻はそれを気付いていなかったのだ――親は子を贔屓目で見てしまうものだから仕方がないと言えばそこまでだが、後継者の資質を見定めるのも王としての役目ではないかと呆れてしまったのも事実だ。
だからといって婚約を固辞できない政治的な理由もあった。当時、王妃の実家であるランドセン公爵家は全盛期を迎えており、我が領地を含めた幾つかの港町が抱えていた貿易問題を解決する政策の中心にいた。港に品物が流通せず、困窮していた町の人々の生活を守るために、ランドセン公爵の機嫌を損ねることは避けたかったのだ。
無論、娘の予言めいた言葉をそのまま報告できるはずがなく、私はアイリーンを説得するしかなかった。
この時ばかりは娘を庇いたい妻と言い合いにすらなったが、最終的にはアイリーンが納得し、家族が最大限支えるという条件でアイラも折れた。
こうして、アイリーンとシュザ王子の婚約は結ばれることになった。
我々は婚約を成功させるために、まずはシュザ王子の言葉に敢えて意見し、王子の思慮を深める所から始めた。
王族の言葉に意見することを厭う風潮がある国ではあるが、王家に次いで地位のある公爵家の者が、明らかな正論を突き付けてしまえば誰も強くは咎められることはない。
国王陛下にもさりげなく根回しを行い、シュザ王子が甘やかされ過ぎる状況を防いだ。立太子候補に名が挙げられていたセイリオス第一王子をわざと評価したのも、シュザ王子に危機感を持っていただくことで努力を怠らせないようにするためだ。
こちらの事情を知らぬ者達の一部には我々の行動に疑問を抱く者もいたが、シュザ王子に成果が見えてきたために表立って言う者はいなかった。
幼い頃は無茶な行動をとることが多かったシュザ王子も、次第に落ち着きを見せるようになっていた。元々才覚があるのは方だし、愛国心も王家への愛もある。その点は信用できたので、性格面の成長が進めば、当初の心配も杞憂になるはずだった。
アイリーンも淑女教育と並行して王族教育も施されるようになり、積極的に学園や社交界で人脈を築いていった。政治の勉強にも取り組み、長期休暇では領に戻って私の手伝いをすることもあった。
シュザ王子の側近候補の婚約者である令嬢達を派閥に組み込むことで同世代の令嬢達の間でも優位に立ち、他の派閥の令嬢達とも表立って敵対する素振りを見せず、彼女達から自分達の首位の存在として認められるようになった。
礼儀作法も教養も「完璧」と称されるほど素晴らしく、貴族としての誇りと尊厳を守りながらも優しく平等な一面を見せるアイリーン。
この時の彼女は実に輝いており、その姿は、若かりし頃の母親を見ているようだった。
それぞれを鍛えることには成功したが、肝心の両者の仲だけは少しも進展しなかった。
生来の気質か、我々の影響か、それともかつて抱いていた恐怖心か。アイリーンはシュザ王子と顔を合わせる度に小言(内容自体は正論だったが)を言っては遠ざけていた。アイリーンに少しだけでも抑えるよう言っても、首を横に振るばかり。
シュザ王子も娘の態度に不快感を覚えたのか、これ幸いとばかりに必要最低限の対応しかしなくなってしまった。苦言を呈そうにも、「アイリーン嬢が嫌がっている」と告げられればそれまでだ。
二人とも、能力的には何の問題も無く、仮面夫婦は政略結婚では珍しくなかったので、他に問題が無ければ強く言うことはできなかった。
――良き君主と妃にはなれても、良き夫婦になれるかは疑問だった。そして、それは思わぬ形で現実と化した。
何と、シュザ王子が平民出の男爵令嬢と親密になっているというのだ。それも、他の側近候補達と一緒に!
これまで築いてきたものが、瓦礫のように音を立てて崩れていく。シュザ王子は我々がどうこうする間もなく、元の自意識過剰な男に戻ってしまった。
国王や王妃に、苦言に近い諫言を奏上しても大ごとではないと取り合ってもらえず、王妃に至っては娘を気に入りだしたとも噂が(ごく限られた者達の間で)流れる始末。
アイリーンは平然を装っていたが、かなり動揺していたようだ。彼女の友人達もそれを察していたようで、自分達の婚約者を奪われた恨みも重なって、実家ぐるみで男爵令嬢を攻撃していた――効果は今一つだったが。
公爵家としても、何もしてこなかったわけではない。何かしらの意図があるのではと男爵令嬢を念入りに調査したが、成果は一向に上がらなかった。
そして、とうとうその日が来てしまった――。
『アイリーン様が、学園内でシュザ殿下に婚約破棄を申し渡されました……!』
部下から唐突になされた報告に、私は愕然とした。
アイリーンは学内のサロンで、友人達のシュザ王子への不平不満を受け入れていたと言う。それを悪意ある解釈によって「王家への不敬」に仕立てられたのだ。
後に証拠となる音声を聞くことができたが、アイリーンは他の令嬢達の言葉に肯いただけで、明確な発言はしていない。令嬢達の言葉とて、過激な所もあるが諸悪の根源はシュザ王子や己の婚約者達が不貞ととられかねない行為をしていたことだ(セイリオス王子の件はいだだけないとは思うが、それだけ彼女達も憤っていたのだろう)。
自分のことはすっかり棚に上げて娘を責め立てたシュザ王子には、憤りを通り越して最早失望しかない。だが、何時までも憤慨しているだけではいられなかった。
アイリーンはその場で即罪人として扱われはしなかった。しかし、本来なら緘口令が敷かれてもおかしくないのに、何故か一日足らずの間にアイリーンや我々公爵家に不利な形で王都の住人達に知れ渡っていた。
恐らく反マーズレン家の者達が一斉に動いた結果だろう。中心にいるのは、件の男爵令嬢だと容易に推測できる。当の子息達にそのような芸当はできまい、絶対に。
王家は言わずもがな、シュザ王子の側近候補達の親は皆、国王の忠臣と呼ばれる存在。公爵家との関係を悪化させ、王家の醜聞とも呼べる騒動を広めるような真似はしないだろう。
次点で怪しいのはパリエット男爵だが、最近は娘の言いなりになっているとの情報もある。娘のお陰で家の財政が潤い出したのだから無理も無い……とは部下の言だが、親としてそれはどうなのかと私は思う。
それ以外にも、あらゆる可能性が考えられたが、目下の課題はこの危機をどう乗りきるか。一つ間違えれば、マーズレン公爵家は最悪取り潰しにあいかねない。
私はすぐさま学園に向かい、応接室に連れてこられていたアイリーンを保護した。彼女は公爵令嬢の身分であり、いくら問題を起こそうとも下手な扱いができない、学園の苦肉の対応だったのだろう。
学園長の挨拶もそこそこで切り上げ、顔色の悪い娘を連れて帰る。アイリーンは終始無言のままだったが、屋敷に着いて母親や使用人らに迎えられると、か細い声で「ごめんなさい」と呟いた。
それ以来、彼女は部屋に引きこもっている。婚約破棄の未来が当たったショックか、家族に迷惑をかける結果になった罪悪感か。後者は気にしなくとも良いのだが、恐らく両方を感じているのだろう。
母親のアイラは悲劇の娘に親身に寄り添いつつも、己のできること、すべきことを忘れなかった。持ちうる人脈全てを使って娘と家の名誉回復に邁進してくれた。
息子達も我が子ながらタフだった。ここぞとばかりに嫌みを言ってくる者達など何処吹く風とばかりに受け流し、城での情報操作や反対派への妨害工作に勤しんでいる。
我が家の切り札になりそうなのは、シュザ王子の不貞行為と一方的な婚約破棄だ。特に後者は王家からの申し入れを提案した側の当人が破棄したのだ。下手をすれば王家の信頼にも関わってくるだろう。
だが、下手に感情的に騒げば他の貴族につけ入る隙を与えてしまう。これを機に、マーズレン家の力をそぎ落とそうとする動きが必ず出るはず。そんなことになれば、本当にこの国が政治バランスを崩す結果になってしまう。そのしわ寄せが行くのは民達であり、我々の努力は水の泡になってしまう。
悔しいが、婚約はこちらから“辞退”する形を取った方が良いだろう。どうやら国王は我が家との関係を改善よりも自分の子供の未来を優先させたようなので、こちらもそうさせてもらうことにした。
御前会議で婚約の辞退を奏上し、アイリーンについても一定の保障を確約させることができた。また、パリエット男爵令嬢についても探りを入れてみたが、分かったのは彼女を王妃にはしない――つまり、彼女を正妃にしようとする限り、シュザ王子の立太子は有り得ない――という国王の意思だけであった。
(王は我が子に機会を与えたいだけだろう。だが! あの色ボケ軍団にそんなものは焼け石に水だ。無意味に決まっている!)
事実、シュザ王子達は自分達の状況を今一つ理解できておらず、謹慎処分も意に介さず、男爵令嬢を無許可で連れて城内を我が物顔で闊歩する始末──。それを擁護するどころか助長させているのが王妃なのだから、まったく笑えない話だ。
シュザ王子が立太子する前提で人脈を作ってきた息子達には申し訳ないが、我々は中立派の姿勢を見せつつ第一王子であるセイリオス殿下を支持する他に生き残れそうもない。それでも、第一王子も少なからず今回の騒動に関わっているため、慎重にいかなくてはならないが。
万が一、シュザ王子が王位につけば、我々公爵家は良くても王宮から追いやられる可能性は高いのだから。
そこまで考えていると、妻のアイラが部屋に駆け込んできた。
他国の王族、それも異民族の出でありながら我が国の社交界を掌握する彼女の顔は珍しく不安と焦りで歪んでしまっている。
「あなた! 会議の結果は、どうなりました……?!」
「落ち着きなさい、アイラ。興奮していては話もできないぞ」
「あ……申し訳ありません。あの子のことが気になってしまいました」
「私も同じ気持ちだ。結論から言えば、双方共に直接の処罰は無い。ただし、各々の名誉回復は今後の努力次第というところだ」
「そうですか……」
アイラは複雑そうな表情だ。できることならシュザ王子側の徹底的な追及やアイリーンの名誉回復も望んでいるだろうが、下手に漏れ聞こえれば「王の決定に不満を持つのか」と逆に非難されてしまうため、口に出せないのだろう。
「それと今後のことについて、アイリーンに話したいことがある。一緒に来てくれるか」
「はい。私も相談がございますの。アイリーンも落ち着いてきていることですし、今ならきちんと話し合えると思います」
家族会議は公平に行うというのが我が家のルールなので、あえて情報交換は行わなかった。
アイリーンの部屋に向かおうとしたところへ、タイミングよくアイリーンの専属侍女が入室許可を求めてきた。
「失礼します。旦那様、奥様。お嬢様がお話したいことがあるので伺いたいとのことでした」
「分かった。私達も今から行こうとしていた所だ。本人には自室で待機するよう伝えておくように」
メイドは一礼すると、歩きとはいえ速足で戻っていく。アイリーンも心の整理がついたようで内心ホッとしていた我々は、少しゆっくり歩くことにした。
「お父様、お母様まで。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
状況が状況故に普段の華やかさは見られないものの、見苦しくない程度に身だしなみを整えている娘は親の贔屓目を差し引いても美しい。
憔悴していながらも目の前の私達を見据えている彼女なら、何を話しても大丈夫だと、そう思えてくる。
「構わん。お前も座りなさい。今後のことについて話がある」
アイリーンの部屋にあるテーブルを囲むように座る。
「結論から言うと、婚約はこちらからの辞退という形になった。お前に非が無いことは陛下が公言してくださったが、お前の名誉を完全に回復できるかは今後のお前の努力次第だ。それだけは心しておくように」
「私も噂を払拭できるよう、社交界で根回しをしてみますわ。南星国の大使にも協力していただいて、貴女の醜聞が国外に流出することは防いでもらえるようにしますからね」
「お父様、お母様、ありがとうございます」
「アイリーン。お前は何故このような事態になったと考えている?」
頭を下げるアイリーンに、私は問いかけることにした。
「私は、シュザ様と対話をすることができませんでした。私は自分のことばかり考えて、私が正しい行いさえしていれば、周囲から良く思われていれば、私は安全だと思っていました。あの時……パリエット男爵令嬢に言われるまで、シュザ様を一人の人間として意識していなかったことに、私は気付いていなかったのです」
「お前はシュザ王子を避けていたな。シュザ王子が何かしたのか? それとも、婚約する時に言っていたことをずっと引きずっていたのか?」
「……後者です。どれだけ好意を抱いても最後には裏切られると思ったら、深く付き合うことができませんでした」
「問題の発言だが、お前はセイリオス王子となら上手く付き合えると思ったのか?」
「セイリオス様のことは、確かにシュザ様より好意的に考えておりました。しかし、かの方の婚約者様を蔑ろにしようとは考えておりません。彼女達の提案を受けた時も、お二人のことが頭をよぎって……曖昧にはぐらかすしかありませんでした。下手に反論して皆様との繋がりを失いたくはなかったのです。ですが、あの時多少は気まずくなったとしても諌めるべきでした。そのせいで言質を取られる結果になり、彼女達にも迷惑をかけることになったと思っております」
彼女の心中を聞き、心から後悔し、かつ反省していることが分かって安心した。少なくとも、現実を見据え、自らの行いや立場上の問題点を認識できている。この状態なら、陛下からの提案を持ち掛けても大丈夫だろう。そう判断した私は、アイリーンにそれを告げる。
「アイリーン。実は、陛下から内々に打診があった……。お前、国外に嫁ぐ気はあるか?」
「あなたっ!」
「……確かに、領地はお兄様が継ぐと決まっている以上、私が居続けるわけにもまいりませんし、シュザ様との一件で国内での嫁ぎ先は絶望的ですもの。公爵令嬢ならば他国との婚姻は十分に望めます……ですが、シュザ王子との関係悪化を恐れて断られる場合もあるのでは? 王族と因縁ある者を妃に迎えるでしょうか」
「その点は私が陛下と共に交渉にあたることになるだろう。幸い、我が家は他国との繋がりも多い。いざとなったらそこを頼れば良い」
それでも迷っている娘に、アイラが口を開いた。
「不安なのですか、アイリーン」
母は、いつも子供達に慈愛深く接していた。いつもと変わらぬ笑みで、いつもと変わらぬ優しげな声で、娘に問いかける。
「他国へ嫁ぐことが――いいえ、嫁ぐこと自体が、どれほど不安なことか、私も知っているわ」
「お母様……」
「アイラ。私はね、祖国では出来損ないだったのよ」
突然の告白に、アイリーンは戸惑った表情を浮かべる。当然だ、己の母親がこの国の社交界での評価を知っているのだから。
「南星国の王族や血族と呼ばれる方々は、精霊術という能力を使えるのは、あなたも知っているわね」
南星国──もとい大陸三民族のことは平民すら知っている常識だ。だが妻が話そうとしているのは、国外にあまり知られていない裏事情だった。
「でも、私はそれが少しも発動できなかったの。血縁だから、必ずしも使えるというものではないのだけれど。私は早々と国外に出されることが決まっていたわ。精霊術は、血族としての血が濃いほど強くなるから、力の弱い者は他国との政略結婚の役割を与えられたり、逆に強すぎる力を持つ者に異国の血を取り入れて抑えたりすることもあるの」
「そんな……精霊術が使えない王族は国にいられないのですか?」
「少し違うわね。血族となった者は、国外に出られないのよ。だから彼らは政略結婚で他国に嫁ぐ選択肢を失ってしまうの――私の世代の王女達は、私以外は多少なりとも発動していたから、交易強化のために真央国に嫁げる王女は私しかいなかったのよ」
懐かしそうに話すアイラだが、その声色にはほんの少しの寂しさが混じっていた。綺麗ごとを言ってもアイリーンと同じように考える者は多かったし、嫁いでしばらくの頃は異民族の出自ということもあって奇異の目に晒されたこともあった。
良い思い出ばかりではなかったが故に、彼女は子供達に幼少期や嫁いだばかりの頃の多くを語ってこなかった。
「アイリーンも知っていると思うけど、南星国とこの国では文化も風習も違うから、行く前は不安しかなかったわ。あの頃は真央国を知る人も少なくて、人伝の噂話でしか話を聞いていなかった。何も分からない場所に行くのは不安だったし、嫌だなって本心では思っていた時期もあったわ。でも、ある方が教えてくださったの。真央の文化や歴史を、私にぜひ知ってほしいと仰って。お世辞にも上手な文章ではなかったけど、感情が込められていて、書かれている内容が目に浮かんできたわ。私もそうしてみたい、こんなことをしてみたいって思えるようになったの……もちろん、手紙の主と一緒にね」
アイリーンが私の方へ視線を向けてくる。……娘の勘は正しい。ある方とは、言わずもがな私のことだ。自分の婚約者となる姫君と少しでも距離を近づけたくて、せっせと手紙を出したまでは良いものの、何を書けば良いか分からなくてお国自慢になってしまったのは懐かしい記憶だ。
「それからは勉強の毎日だったわ。こちらの国のことを必死に覚えて、祖国の文化と混ぜ合わせてみたり、それを皆さんに紹介したりパーティーでお披露目してみたりしたのだけど、いつの間にかご婦人方が私を認めてくださってね。今の地位にいられるようになったのよ」
若干惚け話も含まれていたが、初めて聞く母親の過去に、アイリーンも何かを反芻しているようだった。
「だからね、アイリーン。今度は、一歩踏み出してみたらどうかしら。ここが、物語のように思えてしまうのなら、舞台の外に……別の土地に行ってみるのも、良いかもしれないわ」
「舞台の外……」
「確かに。国外に何か恐怖を感じるようなことはあるか?」
「いいえ、そのようなことはございません」
アイリーンも話している内に不安は和らいでいたようだ。最初の頃と比べると顔色も良い。
可愛い娘を外へ出すことは心苦しいが、国外へ出すことを恥じているわけではない。
「これだけは心得ておきなさい。我が国より身分制度が緩やかな国は多いが、マーズレン家の権威がまかり通るとは限らない。下手をすれば今回より悪い事態を招くこともあるので、十分気を付けるのだぞ」
だからこそ、忠告も忘れない。絶対にあってはならないが、万が一にも同じ過ちは繰り返さないようにするために。
しっかりと頷き返す娘を見て、私もようやく安心できたのだった。もっともそれは──
「だからね、アイリーン。貴女の遠縁にあたる方だけど、南星国の王弟殿下なんてどうかしら?」
──妻の爆弾発言で、すぐに吹っ飛んでしまったのだが。
「実はね、大使夫人から打診があったの。陛下の末弟にあたるテンマ様が未婚のままなのですって。王太子殿下もご成長なされたし、そろそろあの方が身を固められても大丈夫だからって」
「アイラ? ちょっと待ちなさい。王弟殿下はさすがに問題だろう。」
「そうですわ。お母様の母国は興味がありますが、血が濃くなりすぎるのも力関係が強くなりすぎるのも難色を示される方がいるのでは?」
「大丈夫よ。私と彼は血縁的には遠い方だし、年だって貴女の方が近いわ。それに……今後、南星国と真央国の仲は微妙なものになりかねないの。あちらはテンマ様の、私達はアイリーンのお相手探しをしなくてはならないから都合が良いし、両国の関係を守ることができれば貴女の功績としても十分でしょう?」
矢継ぎ早に根拠を述べていくアイラに、私達はぐうの音も出なかった。
「それに、あの国は私の故郷よ? 他の国に行かせるよりは色々と安心できるわ」
その言葉が決定打となり、結局その場は押しきられてしまった。
その後、帰宅してきた息子達からは(仕事だったので致し方ないが)家族会議に出席させなかったことには不満をいわれたが、アイリーンの国外での縁談については意外にもあっさりと了承された。
「仕方ないじゃないか。王子と敵対したなんて噂を聞いたら、国内の貴族は嫁になんて貰ってくれないよ」
「お前の才能をうちの領地で腐らせるのも癪だし、外で名を上げて王子を悔しがらせてやれ」
僕らものし上がってみせるから、そう言って妹に笑いかける兄達は実に頼もしかった。もちろん、彼らの強みはその優しさだけではないのだが。
その後、南星国からの根回しもあり、アイリーンの縁談はすぐに持ち上がった。もっとも、すぐ嫁がせるには課題が山積みで、結局は4年かかってしまった。
最後の調整をしていると、執事が意外な人物の来訪を告げた。
「お久しぶりでございます。マーズレン公」
「よく来てくれた。貴公が訪ねてくるとは意外だな──アレジオン辺境伯よ」
アレジオン辺境伯。西地方の守護を任じられた武門の一族の当主である。
彼は旧知の仲であり、彼の妻はかつてアイラと親しかった。辺境伯夫人が長男を出産してからというもの、夫人が社交付き合いを避けるようになったために疎遠になっていたが。
「それで、今日はどのような用件だ? 貴公のことだ、つまらぬ話ではないだろう」
「実は……折り入ってお願いしたいことがございます」
そう告げる辺境伯の顔はどこか疲れているように感じられた。滅多に感情を見せない彼にしては珍しいと内心訝しんだ時だった。
「我が娘ヒィナを、ご息女の護衛騎士に推挙したいのです。ご承認をお願い致します」
――あまりにも唐突な申し入れに、「何故」と返答するまで数秒かかってしまったのは、家族には絶対に内密である。
これにて、Side:大人達<宮廷編>終了です。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。もう暫く続く予定ですので、気長にお待ちくだされば幸いです。