国王陛下の憂鬱
大変長らくお待たせいたしました。
新章は、これまでの登場人物達の親がメインとなり、各話ごとに視点が変わります。
私は、真央国国王ジラン・エパミール・セントラル。セントラル王朝の十一代目君主である。
我が国は大陸の中心に位置し、東西にある国々との交易や高い技術力が売りであり、安定した国力を誇っている。
ここ最近は大陸全土で大きな動乱も無く、各国の歩み寄りや技術革新なども順調に行われている。つまるところ、国同士が心中で思うところはあれど、平穏な世であるということだ。
そんな、平和を維持している我が国の目下の課題は、私の後継者──つまりは王太子の選定である。
私には王妃と三人の側妃がおり、それぞれが一子ずつ出産し、三男一女に恵まれている。
妃達は私の寵愛を得ようと競うことはあれど、示し合わせたように子供達の前では醜い部分を見せないようにしてくれていた。
それ故に、兄妹の仲はとても良く、「将来は力を合わせて国を守ろう」と誓い合い、努力する姿が実に微笑ましかったのを覚えている。
だが、残念ながら現実は甘くはない。
後継者問題をややこしくしていたのは、第一王子のセイリオスと、第二王子のシュザの母親の身分だった。
セイリオスの母親は第一側妃、シュザの母親は王妃。
王室典範によって王妃の子と側妃の子の継承権は差がつけられている。伝統を重んじる貴族達はそれに倣い、「長男であるセイリオスではなく王妃の子であるシュザを王太子に」と望む声が大きかった。
それに抵抗を見せているのは、セイリオスの母親である第一側妃の実家であるハルシオン侯爵家だ。
ハルシオン侯爵は、セイリオスの能力が秀でていることや、私の長男であることを理由に彼の立太子を熱心に進言してきている。侯爵家は歴史ある名家であり、王妃の実家であるランドセン公爵家にも劣らない。実際、彼に賛同する者も少なからずいた。
だからといって、よほどの理由もなく継承権を覆すわけにはいかない。大きな理由もなくそうした特例を行使することは時として、争いの火種になりかねないからだ。
その点、自由な立場にいられるのは第三王子のビャーコフと第一王女のクロームだ。
ビャーコフの母親は子爵令嬢で、側妃の中でも身分が低く、王太子として望む声はほぼ無い。幼い頃は母方の出自を理由にずいぶんと苦労をかけてしまったが、今は武官達から軍人としての才能を評価されて騎士を志している。学園では彼を支えてくれる側近候補を見つけることができたようで、彼については安心している。
クロームは唯一の王女ということもあり、王位継承よりも国内の有力貴族や他国の王族との婚姻を望まれている。第二側妃の実家は外交方面に影響力が強いので、きっと彼女の手助けにはなるだろう。
セイリオスもシュザも野心家ではない。積極的に動かないのは、兄弟で争うことを好まないというだけでなく、弟妹に火の粉が降りかからないようにしたいだけだ。
正式には決まってはいないが、私はシュザを王太子にしようと考えていた。公の場で言わないのは、シュザが未成年だったからだ。
シュザが成人し、王族として成長した姿を見せるようになったら、彼を正式に王太子の座に就けるつもりだった。
マーズレン公爵家の長女・アイリーン嬢との婚約も、その布石であった。
マーズレン公爵は私の従兄弟で、信頼できる旧友だ。公爵夫人が南星国の王女ということもあり、その娘ならば血統も身分も王妃候補として申し分なかった。
更に彼女は物心ついた時からの才媛として名高く、今は亡き王太后──母上にもたいそう気に入られていた。
当時、相当な発言権を持っていた母上が、彼女と王子の結婚を強く望んだことが決定打となり、両者の婚約は速やかに整えられた。
マーズレン公爵家の後ろ盾と、アイリーン嬢のような優秀な伴侶があれば、第二王子と言えども王妃の息子。問題なく王位を継げるであろう。
セイリオスも私の望みに気付いていたのか、ハルシオン家を言い含めつつ、臣籍降下の準備を密かに進めていた。
同世代の伯爵令嬢と婚約したのは、令嬢本人を気に入ったのもあるが、国内有数の経済力を持つ一方で権力欲の少ない伯爵家と縁組みすることで、後継者争いを長引かせないようにするためでもあった。
このまま行けば、何事も上手くいくはずだった。
――そんな私達の計画が、シュザが王立学園で一人の少女と出会ったことで狂い始めていたことを、もっと早く気づくことができていれば。あのようなことにはならなかっただろうに……。
「どうすればこのような状況になる?」
厳しい声で問う私に対し、目の前にいるシュザは固い表情を浮かべながらも怯んだ様子を見せない。
「父上。繰り返しお伝えしますが、私の真意は王家の威信を守ること、ただそれだけなのです」
「ほぉ。王命による婚約を勝手に破棄することで、どのような威信が守られるのだ」
ここは私の執務室だ。本来ならば秘書官や侍従が側に仕え、宰相を始めとした文官達が出入りしているのだが、今は座っている私と机越しに対面しているシュザがいるのみである。
他の者は出払わせた。どうしても、二人で最初に話さなくてはならないと思ったからだ。
「アイリーンとマーズレン公爵家は、王家を私物化し、国を影から乗っ取ろうと企んでいます。日頃から王家を軽んじる言動をしていたのが何よりの証拠。おばあ様の遺言とは言え、そのような不届き者を王族に加えるなどあり得ません」
平然と言い放つシュザ。その目は異様に冷たく、アイリーン嬢への嫌悪しか宿していない。
その姿は、幼少期は勝ち気でやんちゃしていたものの、成長するにつれて温厚になっていたはずの第二王子ではなかった。
シュザが、学園で出会った男爵令嬢に夢中になっていることは知っていた。そのせいで、ただでさえ義務的な付き合いしかなかった婚約者との仲が悪化していることも。
「学園」という環境は家とも社交界とも違う空間だ。若い貴族の子女をそれまでと違う環境に置くことで精神を鍛えたり幅広い人脈を育んだりする狙いで百年ほど前に創立された。一方、年若い男女の出会いの場でもあり、火遊びをする者も少なくなかった。
──まさか、自分の息子までとは思わなかったが。
件の令嬢はパリエット男爵家の庶子で、元々は孤児院で育ったという。正直、素性だけならば王族の側にいるだけでも批判を受けかねない身だろう。人はその地位に誇りを持つが故に、自分より劣る者が上位の者と親しくすることを快く思わないからだ。
だが、彼女は実に優秀で、そして美しい少女だった。シュザや側近候補達はもちろん、学園で多くの学生を魅了し、学園のサロン制を利用して支持者を増やしていった。その手腕は見事だと言えよう――学生としては。
報告を聞く限りでは、シュザが言うような善意と慈悲だけの存在とは思えない。強い自己愛と優越感を根底に持ち、それを満たすためにまい進する種類の人間だ。もっとも、ある意味では良い評判しか聞かない人間に比べれば人間らしいとも言えるが。
彼女の件については、既に実家であるパリエット男爵家や出身の孤児院も含めて調査をするよう指示を出している。一介の女子学生に、これほどの大事を成せるとは思えなかった。第三者の思惑があったのならば、それを阻止する必要性も出てくるだろう。
「報告は聞いた。アイリーン嬢達の発言がお前を怒らせたのは分かっている。だがな、そもそもお前達が、婚約者以外の令嬢と親しくしていたのが原因ではないのか? 件の証拠とやらも男爵令嬢が持ってきたのだろう。お前達の婚約破棄で利益を得そうな人間の証言があてになるのか」
「ご心配には及びません。メアリー……嬢とは、未だ友人関係にしかありません。アイリーンにも男性の友人は大勢いますから、お互い様でしょう。証拠でしたら、件の音声を記録した法術具を正式に鑑定していただいて構いません。それに、彼女達はこれまでも一方的に権力を濫用してきました。そちらは証拠がありますし、多くの学生がそれを証言してくれるでしょう」
シュザはあくまでも、男爵令嬢は「異性の友人」と主張するつもりのようだ。ただし、これから先も「友人」扱いのままとは限らないと暗に匂わす発言だが。
「友人か。その割にはずいぶん親しげだったと聞くが……まあ、男爵令嬢の件は今は置いておこう。それで、これからどうするつもりだ? お前の後ろ盾となるはずだったマーズレン公爵家を敵に回したのだぞ。言っておくが私は、「公爵家に反意あり」などという戯言を信じるつもりは無いからな」
「戯言ではございません! 彼らは、最初から私を後見する気などありませんでした。お祖母様のご意向だったから、表面上は従っていただけです。私がメアリーと出会う前から、陰で私を侮辱し、私と婚約したアイリーンを同情していたことを父上はご存知なかったでしょう」
あえて公爵家と強調することで、シュザの反応を伺うも、あまり効果は無いようであった。シュザには、王位継承のためにマーズレン公爵家との縁組は重要だと言い聞かせていたから、さすがに事の深刻さは理解していると思っていたのだが……。
だが、公爵家からの圧力がそこまで強く感じられるものだとは思わなかった。公爵の子煩悩は昔から知っていたから、シュザへ向ける厳しい視線は、てっきり愛娘を取られることへの不服が原因だとばかり……。
「父上、いくら王家に近い血を持つ公爵家とて臣下であることに変わりございません。度を越した行いは正し、王家の威信を守り抜くのです。今の私には迷いなどありません。真央のため、民のため、私を見下したことを必ずや後悔させてみせましょう!」
意気込むシュザと視線を交えていると、通信用法術具を通して、侍従長が王妃の来訪を告げてきた。
『シュザ様の件で、どうしてもお話したい、とのことでございます』
訝しいと思いつつ、王妃の入室を許可する。
彼女はこの国最高位の女性に相応しい威厳をもった態度で現れた。自分を慈しんで育ててくれた母親の登場に、シュザはあからさまに安堵の表情を見せる。
「お取り込み中、失礼いたします。陛下、私も此度の件に関しまして申し上げたいことがございます」
「分かった。そなたはここに座るが良い」
私が王妃に、近くに置いてある椅子を指さすが、王妃は首を横に振って臣下の礼をとった。
「母上、母上もアイリーンとの婚約破棄を……」
「シュザ。私は陛下とお話しております。控えていなさい」
言いすがろうとする息子を窘めつつ、王妃は私に視線を合わせた。
「陛下。此度はご迷惑をおかけして、誠に申し訳ございません。咎めは、この子を母として諌められなかった私にございます」
「母上……?!」
「この子は若さ故に事を急いてしまったようです。行うべき手順を怠り、陛下のお許しを得ずに王族として勝手な宣言をしたことは咎められるべきでしょう……ですが」
そこでいったん言葉を区切った王妃は、より強い決意の目で私を見た。
「私にはもう一つ責任があります。シュザがこれほどまでに悩み苦しんでいるにも関わらず、このような事態になるまで気付けなかったことです。マーズレン公爵家の後見が、第二王子であるシュザの王位継承に必要だと思い、彼らの言葉を受けとめるよう言い聞かせてきました。私の方でも確認いたしましたが、シュザが王太子として相応しくない、『アイリーン嬢と結婚して』王位に就くべきはセイリオスであると……陛下の意向に反する意図を率先して広めていたのは、他ならぬ彼らだったのです。そうした家族の姿を見てきたアイリーン嬢は、妃としてもっとも重要な要素である、夫となる王子との信頼関係を軽んじてしまったのでしょう。能力的には優秀なのは事実ですが、根本的な資質に問題があると分かった者を王子妃に据え置くのはいかがなものでしょうか」
確かに、王妃も側室も『王に仕える』立場であることは違いない。王妃に求めるのは王と協力し、女性ならではの配慮で王を支えることなのだ。自己主張が強いことは悪ではないが、それができぬ妃が王の信頼や愛情を受けたという話は聞いたことが無い。
そして、二人の話が本当ならば実家の公爵家にも問題がある。私がシュザを王太子にしたいということは非公式とはいえ伝えてあったのに、それに反する動きをするなど、敵対者に知られれば本人達にその気が無くとも反逆行為にでっち上げられてもおかしくはない。それすらも分からなくなったとは思えないが、いくら娘可愛さとはいえ軽率ではないか。
だからといって、一方的に婚約破棄をするのは体裁的にも心情的にも問題になる。それが分からぬ王妃ではない……はずだ。
「まさか、そなたまで婚約破棄を認めると言うのか?」
「私は陛下の治世とご威光をお守りしたいだけでございます。そのために、決断すべき時なのです」
何を、と聞くことはできなかった。
王妃がマーズレン公爵家を……否、マーズレン公爵夫人を苦手にしていることは知っていた。王太子妃だった頃、異国より嫁いできた彼女に社交界の頂点の座を奪われ、誇りを傷つけられたと密かに泣いていたことも気付いていた。知らぬふりをしていた方が彼女のためだと思い、あえて話題に出さないできたことが裏目に出てしまったのだろうか。
二人に悟られぬよう表情を取り繕いながらも、内心では頭を抱えたい気分だった。
自分にも他人にも厳しい性格故に誤解されやすいが、確固たる信念と愛国心を持っている立派な男だ。彼無くしてはなし得なかった政策はいくつもあり、敵の数よりも多い味方達との人脈も決して侮れない。
何よりも彼は長年の良き同志で、近縁者としても旧友としても、ずっと力を貸してくれた。
例えシュザの言うことが事実であろうと、そのような男を、このような形で失いたくはない。
だが──それは目の前にいる妻子とて同じこと。それはマーズレン公爵も同意してくれるはずだ。彼と愛娘の名誉を守ること。それが、立場ある我が身でできる、唯一の償いだ。
下手に出すぎれば、王家が臣下である公爵家に決定的な負い目を作ることになる。それは時間を経て、この国の大きな歪みとなるであろう。たった一度の過ちの代償としては、はるかに大きすぎる。
何より当事者達は学生の身。双方ともにやり直す機会を与えれば、取り返しはつくだろう。
(こうなれば痛み分けの結果にするしかない。半分の願いを叶え、もう半分の願いは諦めてもらおう。マーズレン公爵も……シュザと王妃にも)
「この問題については、私が公爵と話をする。シュザ及び側近候補達については、独断専行により王宮に混乱を招いた責を問い、しばらくは王子宮及び各家にて謹慎を申しつける。今後の当事者達の処遇については、追って沙汰を下す」
「ですが……」
「これ以上、お前達とここで議論するつもりはない。シュザ、王妃も言っていたであろう。正当な手順を踏まないで進めることは、無用な混乱を招く。お前にはその責任をとる義務がある。そのことを、肝に銘じておけ」
まだ何か言いたげな二人を下がらせると、シュザと共にアイリーン嬢を断罪した子息らの親を集めるよう侍従長に指示を出す。
マーズレン公爵やアイリーン嬢の派閥の令嬢達の親と話し合う前に、まずは彼らと意見を一致させておく必要がある。
公爵とも当事者の親同士として話し合いがしたいが、仲の悪さを考えると妻達は同席させない方が良いだろう。
これは当代セントラル王としてやるべきことだ。
──次代には決して繋げてはならない。新しい王に、我が代で起きた問題で苦労させる訳にはいかぬ。
私は手元の資料に目を通し始めた。王家の権威を保ちつつ、次代に遺恨を根付かせないようにするために。
ようやく国王視点で、真央国の宮廷事情を伝えられました。
平和な時代が続いていたからこそ、良く言えば平和主義、悪く言えば日和見主義な国王様でも統治していけていました。その後どうなったかは皆様ご存じのとおりですが。
今年度は更新頻度を上げる予定です。気長にお付き合いくださると幸いです。