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8.訪問

「お綺麗ですわ、お嬢様」

 私に自信を持たせる為に毎日ナタリーが掛けてくれる褒め言葉も、身びいきだと卑下することなく素直に受け止められるほど、痩せ衰えていた私の容姿は回復し、以前よりずっと良くなっていた。

 金色の髪は柔らかくうねりながらゆったりと流れ、艶やかに輝いている。血色の良くなった肌はきめ細かく滑らかで、流行の技巧を施したメイクは私の顔を愛らしく際立たせている。これまで痩せて無くなっていた胸の膨らみは女性らしさを主張していて、その身体を包むのは王都でも最新の型のドレスだ。

 オーレンが贈ってくれたのは夜会用のドレスだけれど、そのドレスを仕立ててくれた仕立て屋に、断られることを覚悟でお茶会など他家へ訪問する際に着るドレスを注文してみたところ、オーレン様と深いご関係の方ならと快く応じてくれた。今日はそのうちの一着を身に付けている。

 これまで、あまり家族に我儘を言ってこなかった私だけれど、オーレンに恥をかかせる訳にはいかない。手当たり次第にという訳にはいかないけれど、ドレスや装飾品など必要な物を必要なだけ厳選して、父に頼んで最新のものをある程度購入してもらった。そうでないと、オーレンが全て買い揃えて贈ってきそうな勢いで怖かったせいでもある。

 オーレンから届けられる食べ物には美容に良いとされるものがほとんどで、驚くほど肌が綺麗になった。胸が大きくなったのは、太ったことに加えて年齢的に成長の時期だったこともあったのだろうけれど、ひょっとしたらそれらの食材の効能もあるのかも知れない。

 ナタリーは、ランデル伯爵家の侍女と会ってメイクや体の手入れの技術を習得し、その成果を如何なく発揮してくれた。

 そして、今日、そのランデル伯爵夫人のお招きにより、私は初めてランデル伯爵家を訪問することになっている。


 これまで、ランデル伯爵夫人とは顔を合わせた時に挨拶をする程度で、ほとんど接触はない。ただ、私は彼女のように快活で目立つタイプの女性が苦手だった。何か嫌な思いをさせられたという訳ではない。自分とかけ離れた存在に対する畏怖のようなものだ。

 それに加えて、アルベルト様のお母様との記憶が、私を重苦しい気分にさせていた。

 リッツスタール侯爵夫人は穏やかな人だったけれど、時折厳しい視線や言葉を受けることがあり、その度に私は彼女の機嫌を損ねたのではないかとビクビクしていた。例え家同士の契約による縁談とはいえ、私は新しく家族となる人達と上手くやっていきたかった。私の言動一つでその関係が崩れはしないかと、常に緊張を強いられていた。

 けれど、私の努力は格上の侯爵家に媚びる為だったと受け止められていた。理解されていなかったという絶望は、婚約を破棄されたという恥辱よりも大きかったかも知れない。

 正直、ランデル伯爵夫人に会うのが怖い。例え、オーレンとの関係が偽装であったとしても、財産目当てだろうという目で見られるかと思うと恐ろしくて仕方がない。

「お嬢様、大丈夫ですか?」

 ナタリーの心配そうな顔を見上げながら、不安に揺れる心を必死で宥める。

 これから先、社交界に戻れば、これよりもずっと厳しい人々の目に晒される。どんな陰口を叩かれるか分かったものではない。

 それでも、オーレンの提案に乗って、社交界へ戻ることを決めたのは私だ。こんなことで挫けていてはいけない。

「大丈夫よ」

 具合が悪いのなら、先方に訪問中止の連絡を入れると言うナタリーを引き留めると、私は覚悟を決めて馬車に乗り込んだ。


 

「やあ、よく来たね。大丈夫? 疲れていない?」

 開いた馬車のドアの向こうで待ち構えていたオーレンが、手を差し伸べながらそう気遣ってくれる。

「ええ。久しぶりの外出で少し疲れていたけれど、あなたの顔を見たらそんなもの吹き飛んでしまったわ」

 オーレンに身を預けるようにしてニッコリと微笑む。

 勿論、本気でそんなことを思っている訳ではない。彼の後ろに控えているランデル伯爵家の使用人達の目に、私達が恋人同士のように映る為の演出だ。

 オーレンは微笑んで小さく頷く。合格の合図だ。

 何度も顔を合わせ、本音を交えて言葉を交わしているうちに、私はオーレンとすっかり打ち解けていた。それどころか、こうやって本物の恋人同士のように密着している距離感にもすっかり慣れてしまっている。

 その時、まるで息子から紹介されるまで待ちきれないとでもいうように、涼やかな声が投げかけられた。

「いらっしゃい、コーデリア嬢。きっと初めましてではないでしょうが、こうやって顔を合わせるのは初めてね。ようこそ、ランデル伯爵家へ」

 慌ててオーレンと距離を取り、淑女の礼をとる。

 オーレンの母フロイライン・ランデル伯爵夫人は、オーレンをそのまま妙齢の貴婦人にしたような御方だった。

 伯爵家でありながら国内でも有数の財力を持つランデル伯爵家の夫人であり、自らも社交界に多大なる影響力を持つ方であるのに、その表情は優しく大らかな雰囲気の女性だった。

「本日は、ご招待いただきありがとうございます」

「オーレンから話は聞いております。体調の方はいかが?」

「はい。オーレン様のお蔭で、もうすっかり回復いたしました」

「そう。それは何よりだわ。さ、どうぞ中へ」

 ランデル伯爵夫人は優美な所作で身を翻し、先を歩いて行く。

 今のところ、彼女から悪意は感じられない。ホッ、と一つ息を吐くと、オーレンが労わるようにそっと背を撫でてくれた。



 ランデル伯爵家の屋敷は、王宮ほど広くもなく華美ではなかったが、ハッと息を呑むほど美しかった。

 扉や階段の手摺り、床に至るまで艶めくほど磨き上げられ、各所にさり気なく置かれた美術品はどれも上品で、思わず見入ってしまいそうなものばかりだ。美に対する造詣と潤沢な資金があってこそ、この芸術的な屋敷は存在できるのだろう。

 通されたのは、我が家とは比べものにならないほど広くて豪華な食堂だった。長い食卓の上座に近い位置に、三人分の席が用意されている。ただ、当主が座るべき上座は空席だった。

「ごめんなさいね。夫のヴァリスは領地に戻っていて不在なの。でも、オーレンがようやく真剣に女性とお付き合いをしていると手紙を出したら、とても驚いていたわ。早くあなたとお会いしたいと返事に書かれていたわよ」

「まあ、そう言っていただいて光栄です。私も、早く伯爵様にお会いしてご挨拶したいですわ」

 にっこり笑って応じながら、ランデル家の執事が引いてくれた椅子に腰を下ろす。オーレンの隣、ランデル伯爵夫人とは向かい合う位置だ。

 さすがはランデル伯爵家。出てくる料理も我が家とは比べものにならないほど豪華で、余りの美味しさについ表情筋が緩んでしまう。

 ランデル伯爵夫人は終始穏やかな笑みを浮かべながら、答えやすい話題を振ってくれる。気が付けば、楽しいと思えるほど会話が弾んでいた。

 彼女が社交界に影響力を持つのは、きっとランデル伯爵家の財力だけではない。彼女自身の魅力がそうさせているのだと、そう感じた。


「オーレンはね。昔はこんな子ではなかったのよ」

 和やかな食事が終盤を迎え、蕩けそうなショコラケーキを前に、ランデル伯爵夫人は上目遣いに我が子を睨んだ。

「大人しくて素直で、とってもいい子だったのよ。それなのに、まさかこんな不真面目な大人になってしまうなんて」

「いきなり何ですか。彼女の前で愚痴なんて言わないでください」

 苦笑するオーレンに恨みがましい視線を送ると、ランデル伯爵夫人は縋るようにこちらへ身を乗り出してきた。

「でも、そうは見えないかも知れないけれど優しい子なの。ただ、あなたへの初恋を拗らせてしまっていただけなのよ」

 オーレンの初恋の相手が私であると思い込んでいるランデル伯爵夫人の熱の籠った視線を前に言葉が詰まる。

 彼女は、奔放に遊び回る息子を案じていた。そして、彼がそうなってしまった原因である初恋の相手と、紆余曲折を経て想いを通じ合わせたことを心の底から喜んでいる。

 それが、復讐の為の嘘だとも知らずに。

 湧き上がってきたのは、強烈な罪悪感だった。私は、純粋な母の子を思う心を踏みにじっている。

 何も言えずに固まっている私の前で、ランデル伯爵夫人は拗ねたように口を尖らせる。

「オーレン。あなたも、そんな理由があったのなら、どうして早くそう言ってくれなかったの。そうしたら、何らかの手立てを講じることもできたでしょうに」

「あなたのそれは冗談では済まないから怖いんですよ。息子の横恋慕を理由に、リッツスタール侯爵家と事を構えるつもりだったのですか?」

 オーレンの的確な突っ込みに、一瞬いたずらっ子のような表情を浮かべた彼の母親は、呆然としている私に微笑んだ。

「ともかく、私は息子とあなたの幸せを応援しますわ。だから、安心して頂戴ね、コーデリア」



「母がああ言ったからには、あなたについて流れている悪い噂は誤解だったことになるだろう」

 早咲きの春の花が咲き始めたランデル伯爵邸の庭を歩きながら、オーレンはにこやかに笑った。その笑顔は、先ほど見た彼の母親とよく似ていた。

「あなたは、あの二人の恋路を邪魔した悪役から、身勝手な恋によって破滅に追い込まれた被害者になる。そうなれば、社交界でのあなたの立場も随分と変わる」

「でも、そんなにうまくいくかしら……」

 そこにいてもいなくても変わらない、存在感のなかった私が、アルベルト様を失う怖さに必死に足掻いた挙句、ある時を境に周囲から悪意を投げかけられるようになった。その恐怖が、今も胸に刻み付けられている。

「大丈夫だよ」

 冷たくなった指先が、温かく大きな手で包まれる。その熱は、恐怖で竦んだ心までじんわりと和らげてくれるようだった。

「あなたは、私が守る」

 ……どうして?

 喉元まで出かかった言葉を、私は意図的に飲み込んだ。

 どうして、ここまでしてくれるの?

 あなたの恋人役に相応しい見掛けだけ取り繕えば十分ではないの? どうしてこんなに優しくしてくれるの?

 もしかして、本当にオーレンは……。

 またもそんな思いが脳裏を過って、オーレンの腕の中に包まれながらその温もりの中で自嘲する。

 そんなこと、あるはずがない。

 私が、本当にオーレンの初恋の人だったなんて、そんなことあるはずがない。

 そう厳しく言い聞かせる心の声の奥で、でもそうだったらいいのに、と小さく呟く己の心の声を、私は奥歯を噛み締めて聞こえない振りをした。


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