7.贈答
世間では、女性遍歴が激しく、遊び人のレッテルを貼られたオーレンの、結婚相手としての評価は低い。
けれど、裕福なランデル伯爵家の後継者という立場にいる彼は、本来結婚相手としては垂涎ものの存在なのだ。
彼は、一方的に婚約破棄され、悪評まで立った私の新たな嫁ぎ先としては願ってもない人物であり、それも父が私たちの交際を認めてくれた大きな要因となったのだと思う。
母は、社交界でも発言力の高いランデル伯爵夫人、つまりオーレンの母と親しくなれる機会ができたことを喜んでいた。彼女を味方につければ、社交界で悪評が立った私の名誉を挽回する足がかりになるだろうから。
それに、ランデル伯爵家と繋がりを持つことで、リッツスタール侯爵家との関係が拗れてしまった我が家が、窮地を脱するきっかけになるかも知れない。
元々、母が王妃様の話し相手として王宮に参上していたのも、少しでも父の助けになればという思惑もあってのことだ。両親はそうやってお互い助け合って、決して豊かでもなく強い権力を持っている訳でもない我が家を支え合い守ってきたのだ。
私も、できることならアルベルト様とそんな風に寄り添って生きたかった。
今はもう、決して叶えられることのない未来。それでもふと、そんな思いを抱いて生きてきた己を振り返ると、無残にもその夢を断たれた自分が哀れで泣きたい気分になる。
けれど、今はもう、絶望に沈んだりはしない。私には、彼らを見返すという目的があって、共にその道を進む同志がいるのだから。
それから数日して、休暇が取れたと早速オーレンが我が家を訪ねてきた。
朝からみぞれ交じりの雨が降っていた。先日の、この季節にしては奇跡的に穏やかで日差しが温かかった日とは違い、今日はとても庭を散策できるような天候ではない。
オーレンが訪ねてくる度に私を庭に連れ出すのは、何も愛しい人とのんびり散歩を楽しむという演出をしているだけではない。歩くことで私に体力を付けさせようという目的があるのだ。
「さすがに、もう季節的に散歩は難しいね。なら、代わりにダンスレッスンをしようか」
さすが、やると決めたらとことん突き詰める性格のオーレンだ。季節的に厳しいからといって、暖かくなるまでしばらく見合わせようなんて発想はない。
使用人達の手で応接室のソファが移動され、空間が確保されると、オーレンは私の手を取った。
通常からは考えられないほど密着した体勢で、彼の呟くカウントに合わせながら動き始めてすぐ、私の緊張感は最高潮に達した。
大体、これまで夜会でも最初の一曲だけ婚約者だったアルベルト様と踊った後はずっと壁の花だった私は、そもそも踊る機会が少なかった。だからとは言わないが、実はあまりダンスが得意ではない。
オーレンの身のこなしについて行けず、よろめいた拍子に床ではないものを踏んだ感触が靴裏から伝わってくる。
「あっ、ごめんなさい!」
「このくらい平気だよ。それより集中して」
動揺する私を後目に、オーレンはダンスを継続する。
さすがはオーレン。女性に足を踏まれたくらいで動揺なんてしないのね。
けれど、その後間を置かず、二度も彼の足を踏んでしまい、全身から冷や汗が噴き出した。さすがに三度目には、私を見下ろしているオーレンの目は笑っていなかった。
「これは、冬の間に猛特訓が必要だね」
「そうですわね……」
しゅん、と首を垂れる私の耳元で、オーレンが面白そうに喉を鳴らした。
「鍛えがいがありそうだ」
足を三度も踏まれた腹いせが大いに混じった彼の黒い笑みに、背筋が寒くなるのを感じた私だった。
それから、オーレンは訪ねてくる度にダンスレッスンを行った。
彼の言動は穏やかで優しいが、決して妥協はしない。彼が帰った後は疲労困憊で、夕食時から目蓋が降りてきそうになることもしばしだった。
レッスンが終わると、オーレンはお茶を飲みながら話をして帰っていく。それは、復讐に向けての今後のスケジュール以外に、現在の社交界について重要な知識であったり、人間関係であったり、有力者と付き合っていくにあたっての注意点だったりした。
正直、復讐が終われば社交界の表舞台から消えてしまう私に、そんな知識なんて必要があるのだろうかと疑問に思う。けれど、やはり彼の恋人役を演じ切るには、自然に上流貴族の方々と渡り合っていく力が必要なのだろう。
それから、彼は贈り物も欠かさなかった。交際の承諾を取り付けるまでは、香油や食材、花などの消え物が多かったのだが、今はそれに加えて宝飾品や小物類等、高価な装飾品が贈られてくる。
そしてある日、王都でも上流貴族お抱えの超有名な仕立て屋が、オーレンからの注文を受けたと我が家を訪ねて来た。例え我が家が伯爵家の名を出して注文したとしても、あまりに多忙過ぎて受注して貰えないほど人気が高い仕立て屋だ。
「オーレン・ランデル様より、コーデリア・ウィンスバーグ様のドレスのご注文を承っております」
驚き慌てふためく私を含め我が家の面々を後目に、仕立て屋は連れてきた店員らしき女性に事細かく私の採寸をさせ、あっさりと帰っていった。
「ああ。あなたの社交界復帰に向けて、ドレスを贈ろうと思ってね」
後日、訪ねて来たオーレンに事情を聞くと、彼は事もなげにそう答えた。
婚約者でもない、ただお付き合いをしている段階の女性にドレスをプレゼントするなんて、さすがはオーレンというべきか。けれど、これまで様々な品を贈られ有り難く受け取ってきた私でも、さすがに今回は気が引けた。
「ドレスなんて、そんな高価なものをいただく訳にはいかないわ」
「言っておくけれど、昨シーズンまで来ていた野暮ったいドレスを身に着けたあなたを、夜会でエスコートするわけにはいかないから」
そう鼻であしらわれ、あまりのショックに目を見開いた。だが、事実なので反論もできずに黙り込む。
確かに、これまで流行り廃りのない無難なドレスばかり着ていたのだから、流行の最先端を行くオーレンの目にはさぞかし野暮ったく映っていたことだろう。
着る物に頓着しなかった、というのもあるし、流行を追うにはそれなりに金銭的な負担を伴う。以前の私には、湯水のように金を使って最新のドレスを着ることに意義が見いだせなかった。
社交界には、私のように無難な型のドレスを着回している令嬢は他にもいた。だから、冴えない令嬢の部類に入っているという自覚はあったけれど、私だけが特別変だった訳じゃないと自分に言い訳をしていた。
けれど、こんな風にはっきり野暮ったいと言い切られると、やはりそうだったかと思う一方で、やり切れない気持ちになる。
黙り込んだ私を怒らせたと思ったのか、オーレンは宥めるような口調で言い訳を始めた。
「野暮っ、……無難なドレスばかり着ていたことを非難しているんじゃない。あなたは、自分の魅力を引き立たせる術を知らなかっただけなのだろうから」
黙ったまま小さく頷くと、オーレンは相好を崩し、ソファに寛いで深く息を吐きだした。
「それにしても、アルベルトはあなたの格好について、苦言を呈すこともなかったんだな」
ソファに寛いで独り言のように呟いたオーレンの、アルベルト様を非難するようなその口調と表情に、不意に泣きたい気持ちになった。
アルベルト様は、女性のお洒落になど全く興味のない方だった。幼い頃から婚約が決まり、それから誕生日や祝日には贈り物のやり取りはあったけれど、彼がくれたのは難しい実用書や筆記具、それから無難な種類の花束等だったから。
でも、それはただ私に対してはそうだっただけで、リリィ嬢には彼女に似合うドレスや宝飾品を惜しげもなく贈ってあげているのかも知れない……。
「……私に、関心がなかったからじゃないの?」
自嘲気味に吐き捨てた自分の声が、刃のように私の心を切り裂く。
すると、まるでその痛みを感じたかのように、オーレンは私の手を掴むと、両手でそっと包み込んだ。
「コーデリア。そう自分を卑下するものじゃない。それに、仮にそうだったとしても、彼がそんな過去を後悔するくらい、魅力的になればいいのだから」
そう励ましてくれるオーレンの強い光を湛えた目を見つめていると、本当にそんな未来がくるのだと自信が湧いてくる。吸い込まれそうなその目から視線を逸らして頷くと、彼は慰めるように私の手を優しく撫でてくれた。
オーレンは、屋敷の外を荒れ狂う冬の嵐の中を彷徨っていた私を温めてくれる、暖炉のような人だ。けれど、近づき過ぎれば火傷をしてしまう。彼の優しさに本気で恋してしまったら、傷つくのは火を見るよりも明らかだ。
これは、一種の契約関係のようなもの。お互いに利があるから利用し利用されている。オーレンがこれほど惜しみなく私に金品を貢ぐのも、あの二人を見返す為に美しくなった私という存在が必要だからだ。
だから、彼の言う通り、高価な贈り物を気に病む必要はない。気の毒がって尻込みするよりも、遠慮なく受け取って有効利用する方が、彼にとっても有益なのだろうから。
とはいえ、貰うばかりでは心苦しい。かといって、私からオーレンに返せるものなんてあるのだろうか。
例え街に出て様々な品を物色したとしても、彼が欲しがっているものでいまだに手に入れられていないものなんて見つかる気がしない。それに、贈り物を選ぶこちらのセンスも問われることになるし、下手な物を贈って余計に彼を困らせるようなことになれば目も当てられない。
何か贈り物をしたいから、欲しいものがあったら教えて。
そう訊こうかとも思ったけれど、確実に「何もない」という答えが返ってきそうで止めた。
「……そうだわ」
悩んだ挙句、ランデル伯爵家の家紋を刺繍したハンカチを贈る事を思いついた。何の取り得もない私だけれど、刺繍の腕だけは昔から少し自信があるのだ。
「これ。よければ受け取って」
いつものように、アマルレール社の香油と異国の珍しい品々を持って我が家を訪れたオーレンに、刺繍を施した面が上になるように畳んだハンカチを差し出す。
一瞬、虚を突かれたような表情を浮かべて瞬きを繰り返したオーレンは、ふと泣き笑いのような笑みを浮かべた。
「もしかして、この刺繍はコーデリアが?」
「ええ」
頷くと、オーレンは指先で愛おしそうに刺繍した部分を撫でた。
「ありがとう。大切にする」
ふわりとした彼の笑顔に、ドクン、と心臓が跳ねた。
「そ、その、嫌でなければ普段使いしてくれていいのよ? 汚れたり痛んだりしたら、また作り直せるのだし」
照れ隠しにツンと澄ましてそっぽを向く。動きを早めた心臓の音がやけに煩くて、顔に熱が集まっていくのが分かる。
「でも、これはとても手間がかかっているだろう? 我が家の家紋は複雑だから、難しかっただろうに」
「そ、そんなことないわ。私、刺繍は得意なの」
「それにしても見事な腕前だね」
「気に入って貰えたのなら嬉しいわ。あなたには、数えきれないほど高価な贈り物をしてもらっているから、せめてそのお礼になればと思って。こんなものでは全然足りないけれど」
「そんなことはない。嬉しいよ」
微笑むオーレンを見つめていると、胸の奥から温かい感情が込み上げてくる。
「そうだ。母が、一度あなたを我が家に招待したいと言っている」
ついにその時がきたか、と身を固くする私にオーレンは笑った。
「怖がることはないよ。ただ、あの人は好奇心が旺盛なだけだから」
「でも、もし気に入られなかったら……」
ランデル伯爵夫人には何度か夜会で会って挨拶をしたことがあるけれど、気品がありながら溌剌としている、オーレンに似たとても美しい方だった。社交界で悪評の立った私を、彼女は好ましく思っていないのではないだろうか。
「大丈夫。あの人は私が火遊びばかりしているのを苦々しく思っていたから、あなたのお蔭ですっかり真面目になったと喜んでいるよ」
「そう……」
取り敢えず、オーレンが言うには、彼の母親は今のところ私の事を好意的に捉えてくれているらしい。
けれど、果たして社交界でも多方面で影響力を持っているというランデル伯爵夫人に気に入って貰えるのか。それ以前に、彼女の目を誤魔化し切れるのか。それが心配で、胃の辺りに不快な痛みを覚えた。