6.許可
王都が冬の静けさに包まれる頃には、私はしっかり三食、食事をとることができるようになり、両親と食卓を共にするようになっていた。
婚約破棄されるまでは、食卓の話題といえば私の結婚についてだった。その場面を思い出す度に、今でも胸が締め付けられる。
そんな私を気遣ってか、元々口数が少なかったはずの父は、領地の様子を面白おかしく話してくれた。
我が家の領地は国の南西部にあり、田舎だけれど温暖な気候のお蔭で農作物の収穫量もそれなりにある。けれど、これといった特産物もなく、税率も高くしていない為、我が家は貴族の中でも決して豊かな方ではない。
ただ、ウィンスバーグ伯爵家当主の傾向として、領民を苦しめてまで贅沢をしたくない、そこそこで充分、という暢気な気質があり、もれなく父もそれを受け継いでいる。お蔭で、父は領民から人が良いと人気の領主様だ。
私も、これまで毎年冬は領地で過ごしていた。けれど、今年はまだ体調に自信が持てないので、大事を取って王都の屋敷で暮らすことに決めた。
……というのは建前で、本当は復讐の準備の為には、オーレンのいる王都にいた方が何かと都合がいいからだった。
私が王都に残ると決めると、心配だったのか母までこの冬は王都で過ごすと言い出した。けれど、父まで領地を放っておく訳にはいかない。仕方なくこの冬は父だけが領地へ向かい、時々王都へ帰ってくるという状態となっていた。
そんな父は、オーレンが頻繁に我が家を訪ねてくることを知らない。
……いえ。母か執事から聞いて、本当はとっくに知っているのかもしれない。けれど、父は私に何も言わない。
こうして領地から帰ってきて、久しぶりに共にする食卓でふと会話が途切れた時、父は私に何か問いたげな視線を向けてくる。
――近いうちに、あなたのご両親にお会いして、交際の許可をもらわなければと思っている。
オーレンからそう言われたのは、つい先日の事だ。
いくら私達の関係が恋人同士のふりをしているだけであっても、一時的な遊びではないと世間に印象付けるには、交際を家族に認めてもらう必要がある。
実は、少し心配だった。一方的にとはいえ、私とアルベルト様の婚約が破談になってからまだ三月ほどしか経っていない。それなのに、もう別の男性と交際を始めるなんて節操がない、と父に叱られるのではないだろうか。
その不安をオーレンにぶつけると、彼は鼻で笑った。片やアルベルトは、あなたと別れる前からリリィ嬢と付き合っていたのに? と。
確かにそう言われればそうだ。それに、偽りとはいえ、私とオーレンの関係を両親に認めてもらえなければ、復讐への道のりは随分と険しくなってしまう。
「お父様」
決意を固め、下腹に力を込めて口を開くと、何かを察したのか父も真顔で居住まいを正した。
「紹介したい方がいます。会っていただけますでしょうか」
やはり、父は母か執事から、すでにオーレンのことを耳にしていたのだろう。私が彼の名前を口にしても、全く動揺した素振りをみせなかった。
父が再び王都から領地に戻るのは五日後。それまでにということで、急遽二日後にオーレンが我が家を訪れることになった。
当日、何故か騎士団の寮から兄が戻ってきた。
兄は、オーレンから早々に、私と親しい間柄になったという話を聞いたそうだ。これまでも兄は休暇で戻ってくる度に、あいつは手が早いから気を付けろという、私からすれば的外れもいい所の忠告をしてくれていた。
「コーデリア。俺があんなに口を酸っぱくして何度も忠告したのに、結局あいつの毒牙にかかったのか」
「酷い言いようですね、お兄様。私は、自分の意志でオーレン様とお付き合いしようと決めたのです」
そう。私は自分の意志で恋人役を演じているのであって、決して彼に心奪われた訳ではない。
あっそ、と少し呆れたように笑みを浮かべた兄は、ふと不機嫌そうに眉を顰めた。
「それにしても、あいつがお前のことをずっと想っていたとはな。一体、あいつはいつお前を見初めたのだろうか」
「私が八歳の時に参加した、王女殿下のお誕生祭の時なのですって」
実際、そのパーティで、確かに私とオーレンは会っている。
そのお誕生祭には、私と同い年の王女殿下と年齢の近い貴族の子女が招待されていた。その時から美貌の片鱗を覗かせていたオーレンは周囲から注目を集めていて、私も彼の姿を遠目に見て素敵な人だなと思った記憶がある。
「ふうん、なるほどね」
相槌を打つ兄の表情を見れば、彼が納得していないのは明らかだった。
……だから、あの設定では無理があると言ったのに。
もうすぐ訪ねてくるはずのオーレンに、心の中で愚痴を漏らす。
謙遜でも何でもなく、私は本当に平凡な容姿をしている。だから、オーレンが大して親しくもなかった私をずっと前から想っていただなんて、信じられない人が大半だろう。
それでも、好みは人それぞれで押し通されてしまい、オーレンによってその設定が徐々に広められている今となっては、下手に修正する訳にもいかない。
「まあ、いいさ。あいつが遊びのつもりなら、俺は全力であいつを排除するだけだ」
私と同じ凡庸な容姿、騎士団でも特に目立った功績もなく、ただ人の良さで後輩からは慕われているという兄の真剣な表情を見ていると、何故か不意に涙が込み上げてきそうになった。
婚約破棄される以前、私はアルベルト様と比べてあまりにも見劣りする兄を見下している部分があった。同じ騎士団に所属しているアルベルト様にご迷惑をかけるようなことはしないでね、と、妹としてとんでもない言葉をかけたこともある。けれど、兄は苦笑いを浮かべながら、そうならないように気を付けるよ、と肩を竦めただけだった。
……ごめんなさい、お兄様。
私は兄にも、両親にも嘘を吐いている。自己満足の為に皆を騙そうとしている。
罪悪感に苛まれていると、突然、兄は焦ったように挙動不審になった。
「そ、……その、別に、お前の恋路を邪魔してやるだなんていう意味じゃないからな。お前が本気なら、俺は全力で応援してやるから。だから、……泣くな」
どうやら兄は、私が泣きそうになっている理由を勘違いしているようだ。
「ありがとう、お兄様」
「……え? あ、ああ」
兄がよく訳の分かっていなさそうな顔で頷いた時、執事がやってきてオーレンの来訪を告げた。
オーレンは、いつも品がありながら、どこか少しだけ遊び心のあるセンスのいい服装をしているのだが、今日はどこにも隙の無い完璧な格好をしていた。まるで今から王宮へ出勤するのかと思うほどきっちり髪を整えた彼は、私の顔を見てもいつものように笑うこともなく、どこか緊張しているように見えた。
初めて、私は自分からオーレンに駆け寄った。玄関ホールで見守っている家族や使用人達の前で、恋人同士らしからぬ素気ない態度を取る訳にはいかない。
「やあ、コーデリア」
オーレンの手に抱えられていた薔薇の花束を受け取りながら軽い抱擁を交わす際、彼の手が震えているのに気付いた。
「緊張、しているの?」
「そりゃあ、初めての事だからね」
ほんの一瞬、苦笑した彼はすぐに真面目な表情に戻ると、父の元へ歩み寄り、堂々と挨拶を交わしている。
その後ろ姿を見つめながら、そういえばオーレンはこれまで多くの女性と付き合ってきたけれど、どれもお互い遊びと割り切っての関係だったと言っていた。ということは、こんな風に家族に承認を求めるような真剣な交際は本当に初めてなのだろう。
復讐の為とはいえ、大変ね……。
とはいえ、今日、私たちの関係が私の家族に認められたら、今度は私が彼の家族に会いに行くことになる。
それを思うと気持ちが重くなるが、今はそんなことに気を取られている場合ではない。談笑しながら応接室へ向かう父とオーレンを、母と兄と共に追った。
「すでにお聞き及びのことと存じますが、私はコーデリアと思いを通じ合わせています。どうか、私たちの交際を認めていただけないでしょうか」
お茶が振る舞われ、一通りの挨拶が終わったところで、オーレンはそう切り出した。
彼の表情は、本当に心から私との結婚まで考えてくれているのかと勘違いしてしまいそうなほど真剣なもので、正直驚いてしまった。
けれど、勿論、驚いた素振りなど家族の前で見せる訳にはいかない。寧ろ、どうか認めてほしいと祈るような表情で父を見つめた。
果たして、家族は私達の関係を認めてくれるだろうか。もし反対されたら、復讐の計画は頓挫してしまう。
父は複雑そうな表情をしたまま、深く息を吐きだした。そして何かを言おうと息を大きく吸い込んだ時、突然母の声が割り込んで来た。
「まあ、何て素敵な申し出なのでしょう。ねえ、あなた?」
「え? あ、ああ、まあそうだな……」
困惑げに同意した父の姿は、まるで人の良い兄がそのまま年を取ったかのようだった。
これまで、母が来客の前で父の言葉を遮って発言するような、妻として褒められたものではない行動を取ることなどなかった。寧ろ、少々頼りなくても夫を立てることを第一に考える人だったのに。
「オーレン様が来て下さるようになってから、コーデリアは目に見えて明るくなって、今ではすっかり元気になりました。感謝してもし尽くせないくらいですわ。その上、こうやって正式に交際を申し込みに来てくださるなんて。しかも、オーレン様はずっとコーデリアのことを想ってくださっていたとか。そのせいでこれまで苦しい思いをなさっていたのですものね」
母も、すでにその作り話を耳にしているのだが、こちらは兄と違ってすっかり真実だと思い込んでいるようだ。
「確かに、きみは私がこれまで耳にしてきたような世間の評価とは違った人物のように思える」
母の言葉が途切れるのを待って、父はようやく口を開いた。
「だが、知っての通り、コーデリアは辛い目に遭ったばかりだ。父として、安易に娘を更に傷つくような状況に陥らせる訳にはいかない」
どうなんだ、と迫る勢いで眼光を飛ばす父に、オーレンは即座に答えた。
「お嬢さんを幸せにします。必ず」
ちょっと、そんなこと言って大丈夫……?
思わず、隣に座っているオーレンの袖を掴んで引っ張りたい衝動に駆られた。
父や兄が気の弱い、人が良いだけの男だと思っているのならお門違いだ。普段大人しい人ほど、怒りが頂点に達した時の爆発の威力は半端ではない。父も兄も滅多なことでは怒らないが、怒らせた時には物凄く怖いということを、娘であり妹である私は身をもって体験している。
そのまま、オーレンと父は真剣な顔で見つめ合う。
そして、先に息を吐いて無言の睨み合いを終わらせたのは父だった。
「……分かった。二人の交際を認めよう」
「ありがとうございます」
ホッと息を吐いたオーレンが、笑顔でこちらに振り向くと、私の両手を取って握り締める。
その顔は純粋に嬉しそうで、思わず本当にオーレンが私の事を心底愛しているのではないかと勘違いしてしまいそうになった。
「上手くいって良かった」
家族から正式に交際を認められた後、私とオーレンは庭に出た。勿論、二人きりで甘い時間を過ごしたいという名目で。
普段の余裕ある表情に戻ったオーレンは、私の耳元に口を寄せて囁くように喋っている。
傍から見れば、仲睦まじい恋人同士の会話に見えるだろうけれど、本当はどこで聞き耳を立てているか分からない我が家の使用人達に聞こえないように会話をする為だ。
「これで、堂々とあなたを訪ねて来ることができる」
「あら。これまで遠慮なさっていたの?」
「勿論。お父上やクリスのいる時には寄り付かないようにしていただろう?」
遠慮なく自分の時間が空いている時に訪ねてきているのかと思いきや、彼なりに我が家の男性陣とトラブルにならないよう気を遣っていたらしい。
「それから、コーデリア。晴れて恋人同士として認められたのだから、これからはもっと親しく言葉を交わして欲しい」
「親しく、ですか?」
「そう。敬語は使わないで。それから、名も呼び捨てでいい」
呼び捨て。確かに、貴族でも恋人や婚約者に対して敬称を付けず、それどころか愛称で呼び合う人達もいる。
けれど、私はアルベルト様のことを呼び捨てにしたことはない。会話だって、ずっと失礼にならないよう丁寧な言葉遣いを心掛けてきた。
「そうじゃないと、恋人同士にはみえないよ」
オーレンの言葉に胸が騒めいた。
もし、私がもっとアルベルト様と親しくなろうと努力していれば。迷惑を掛けまいとするだけではなく、お互いの距離を縮めようと行動していれば。
もしかしたら、私たちはあんな風に終わってしまうことはなかったのかも知れない……。