27.困惑
ご無沙汰しております。これからまた完結に向けて執筆していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
・・・どうして、こんなことに。
涙とともに溢れ出た感情が抑えきれずに、息が詰まりそうになる。必死に嗚咽を飲み込み、呼吸を整え、落ち着きを取り戻してくると、王宮という場で己が晒している醜態に慄き、一気に血の気が引いていった。
よりによってオーレンとアリアンナ様の前で。
しかも、この場を見ているのは、当事者である私達だけではない。
アリアンナ様の背後に控える侍女達に、馬車の馭者や護衛、もしかしたら門衛達にも見られているかも知れない。距離はあるけれど、回廊や屋内の窓から誰が目撃しているとも限らない。
不特定多数の好奇と非難の目に晒された過去が蘇り、全身から冷たい汗が噴き出す。
何とかこの場を取り繕わなければいけないと思うのに、アルベルト様から婚約破棄を言い渡されたあの夜の記憶に縛りつけられたように、声が出せない。身体が動かない。
「・・・コーデリア」
オーレンが、溜息交じりに私の名を呼ぶ声が聞こえた。
涙でぼやけている視界では彼の表情はよく分からない。けれど、涙の膜の向こうでアリアンナ様と寄り添うように立つ彼の姿に、胸が締め付けられるように痛んだ。
・・・やっぱり。
諦めたような自分の嘆息が頭の中で反響する。
オーレンの、私への思いを語る言葉、熱い抱擁、優しいくちづけ。重ねられる度に薄れていった不安が一気に噴き出してきて、愛されているのだという自信を根こそぎ押し流していく。
馬鹿なコーデリア。
フッと込み上げてきた嘲笑を、咄嗟に顔を伏せて隠した。
私が、アリアンナ様に敵う訳がないのに。
オーレンに呼び止められた時、何故、冷静に対応できなかったのだろう。あろうことか、アリアンナ様に嫉妬して、オーレンに触らないでなどと口走るだなんて。
その挙句、オーレンに手を離されてしまったのは私の方。一人地面に這いつくばって泣くなんて情けない姿を晒し、動くことも言い訳することもできないでいるなんて。
いいえ、今からでも遅くはない。すぐに立ち上がってアリアンナ様に非礼を詫び、二人の前から立ち去るのだ、速やかに。
手の甲で涙を拭い、転んだ時に地面で打った膝や、少し捻ってしまった右足首の痛みを堪えて立ち上がろうとする。けれど、痛む箇所を庇うように動いたせいでバランスをくずし、よろめいて再び地に手をついてしまった。
その時だった。
「どうした。何があったのだ、アリアンナ」
聞き覚えのある声にぎょっとして顔を上げると、驚いたのは私だけではなかったようで、目の前の二人は同時に声の投げかけられた背後を振り返った。
大股でこちらに歩み寄ってくるエリクス殿下の表情は、見たこともないほど険しく見えた。確かに少し神経質なところがあると噂されている御方だけれど、それでも私の知る限り、普段のエリクス殿下は常に穏やかな笑みを浮かべておられたのに。
アリアンナ様の目の前で無礼を働いてしまった私に対してお怒りなのだと思い至った瞬間、冷や汗が背中を伝い、身体が自然と震え始める。咎めを受けるのが私だけならいいが、お仕えする王太子妃殿下や実家のウィンスバーグ伯爵家にまで迷惑を掛けてしまうのではないか。
けれど、取り繕おうとしても、口も体も私の意に反してうまく動いてくれない。
そんな私を後目に、アリアンナ様は流れるように自然な動作でオーレンの腕から手を離すと、歩みを止めたエリクス殿下に一礼する。
「エリクス殿下。何でもございませんのよ。ただ、少し・・・」
「何でもない、だと? 私にはとてもそのようには見えないが」
アリアンナ様の言葉を遮って訝し気に眉を顰めるエリクス殿下の視線は、明らかに彼女の肩越しに私の姿を捉えている。
慌てて立ち上がろうとしたけれど、擦りむいてしまったらしい両膝に痛みが走ってよろめいてしまい、咄嗟に横から差し伸べられた手に縋りつくようにして体勢を立て直した。
「はしたない姿をお見せしてしまい、申し訳ございません」
他人に縋り付いたままという情けない姿勢のままで頭を垂れると、エリクス殿下の「別に構わない」という溜息交じりの柔らかい御言葉が返ってきた。
ホッと胸を撫でおろして私が顔を上げた時には、エリクス殿下の視線はアリアンナ様に向けられていた。お咎めの言葉がなかったことで、私に対してお怒りではなかったことに安堵し、少し気持ち的に余裕が出てきたので、ようやく自分を支えてくれている人物に向き直った。
「ありがとうございます。助かりま・・・」
お礼の言葉を最後まで言い切るまでに、喉の奥で言葉が凍り付いた。
手を差し伸べてくれた方が近衛騎士であることは、視界に入っていた制服で気付いていた。が、まさかそれがアルベルト様だとは思ってもみなかったのだ。
そう言えば彼はエリクス殿下付きだったと今更ながらに思い出す。あの無様な姿を彼にも見られたのかと思うと、羞恥で顔が焼けるように熱くなった。
「大丈夫か?」
「・・・ええ」
問いかけに動揺し目を伏せながら、私の身体を支えるように回された腕をやんわりと押し返すと、アルベルト様は無言で手を引いた。
けれど、その後も私の傍から離れずにすぐ傍に立っている。よろめいたらいつでも支えられるように控えてくれているのだろうかと勘違いしてしまいそうなほどの距離感だ。私達の間には確かに空間があるのに、彼の体温が伝わってくるほど近くに感じられる。
何とも言えない居心地の悪さを感じている私の目の前で、エリクス殿下とアリアンナ様が言葉を交わされている。
でも、何だろう、この違和感は。もう間もなく結婚の日取りも決まろうかというお二人が言葉を交わしているというのに、何故かそこには甘い雰囲気はなく、それどころか緊張感すら漂っている。
「アリアンナ。確かきみは孤児院へ視察に行くと行っていなかったか?」
「ええ、そうですわ」
「それなのに、こんな所で何をしている」
「ちょうど、馬車に乗るところだったのです。エリクス様こそ、どうしてこちらに?」
「鍛錬場から戻るところだった。偶然通りかかったら、何やらただならぬ様子だったので駆け付けたのだが」
「まあ、そうだったのですね。でも、ご心配には及びませんわ。エリクス様がお気になされるようなことは何もございません」
こちらに背を向けているアリアンナ様の表情は見えないが、受け答えなされているアリアンナ様の声は明るく朗らかに聞こえる。それに比べて、エリクス殿下の口調は固く、表情はとても友好的なものには見えない。
「何もない、か。私には何も言いたくないの間違いではないか?」
刺すようなエリクス殿下の視線に一瞬言葉を詰まらせたアリアンナ様が、
「まあ、そのようなことは決してございませんわ。許されるならば、殿下といつまでもお話ししていたいくらいですのに」
と無邪気な声で答える。けれど、どこか社交儀礼的に聞こえるのは気のせいだろうか。
これまでも、お二人はいつもこういう雰囲気だっただろうか。
思い返してみても、夜会ではお二人ともそれぞれに多くの人々に囲まれていて、そう言えばあまりお二人で寄り添っておられる所を見た記憶がない。王宮内では、公務の時以外はそもそもお二人の姿を見掛けることは稀だったけれど、今思えばご一緒に居られる場面でも仲睦まじいご様子を見た記憶がない。
それでも、アリアンナ様は、思わぬ所で婚約者に会えた喜びを態度や言葉で表している。けれど、エリクス殿下の態度は素っ気ないどころか、うがった見方をすればアリアンナ様を疎んじているようにさえ見えなくもない。
過去、エリクス殿下がリリィ嬢に関心を示していた頃、アリアンナ様は婚約者を奪われるのではないかと嘆いていた。それでも、リリィ嬢がアルベルト様を選んだことで、エリクス殿下の興味はリリィ嬢から逸れ、お二人の間には決定的な溝が生じずに済んだはずだ。
なのに、どうしたというのだろう、この異様な空気は。
アリアンナ様の斜め後ろに控えているオーレンは、私のほうからは後ろ姿しか見えない。けれど、こちら側から見るその姿はまるでアリアンナ様を背後から支え、励ましているように思えた。
私の事など、まるで忘れてしまったかのようだわ。
こちらを振り返らない彼の姿を見つめているとまた涙が滲んできて、慌ててそんな悲観的な言葉を頭から振り払った時だった。
「アルベルト」
アリアンナ様との会話を打ち切るように、不意にエリクス殿下はこちらに視線を向け、やや甲高い声を張った。
「はっ」
「その者は怪我をしているようだ。医務局へ連れて行ってやるといい」
ぎょっとする間もなく、アルベルト様は完璧な所作で礼をとる。
「かしこまりました」
第二王子の命令では、どんなに嫌だとしてもアルベルト様は断ることも渋ることもできない。分かってはいるけれど、私との過去の因縁を声高に訴えてでもも命令に逆らってほしかった。
勿論私も、「そんな必要はありません」と、第二王子の温情を突っぱねる訳にもいかない。怪我などしていないのでと胡麻化そうにも、足を引きずって歩こうものならすぐに嘘だとばれてしまう。
とはいえ、アルベルト様に医務所まで同行してもらうとなると、お互いに気まずいことこの上ない。
何しろ、私達は公衆の面前で婚約破棄に至った曰く付きの元婚約者だ。共に歩いているだけで嫌でも人々の注目を浴び、根拠のない噂のネタになってしまう。リリィ嬢と破局したばかりのアルベルト様なら猶更、そんな事態は避けたいに違いない。
これはエリクス殿下の嫌がらせだろうか。それとも、私に対する遠回しのお咎めだろうか。だとしたら、巻き込まれたアルベルト様もとんだ災難だ。よろめいた私に手を差し伸べてしまったばかりに。
「大丈夫です。一人で行けますから」
アルベルト様だけに聞こえるような小声で囁き、一礼して一歩踏み出した時、右足首を襲った痛みに思わずよろめいた。次の瞬間、硬くて太い腕にがっしりと支えられ、あっと思った時にはもう、ふわりと身体が持ち上がっていた。
何が起きたのか、一瞬、状況が把握できずに身体を固くして身構えている私を、アルベルト様が目を細めて見下ろしている。
アルベルト様に抱きかかえられている。その状況を飲み込んだ瞬間、全身から汗が噴き出した。
「あ、あの、下ろしていただけませんか」
できるだけきっぱり意志を示そうと強がってみるものの、情けないことに声が上ずってしまう。
そんな私を嘲笑うかのように、アルベルト様は真面目腐った表情にほんの少し笑みを浮かべて素っ気なく答えた。
「第二王子殿下の御命令を忠実に遂行するのが私の務めだ。その提案は受け入れられない」
「それはっ、分からなくもないですがっ・・・!」
助けを求めようと周囲に視線を送るものの、名前も知らない近衛騎士達は気まずそうに視線を逸らすだけだった。
オーレンはというと、丁度エリクス殿下に声を掛けられたようで、こちらに背を向けている。まさか、王族と会話中の彼に背後から呼びかける訳にはいかない。
「では、少しだけ待ってくださいませんか」
「待つ?」
怪訝そうに首を傾げたアルベルト様が、私の視線を追うように顔を上げ、それからこちらを見下ろして不機嫌そうに目を細めた。
「彼は取り込み中だ。待つ必要などない」
エリクス殿下との話が終われば、オーレンに医務局へ連れて行ってもらうことができる。オーレンとも気まずいことは確かだけれど、このままアルベルト様に抱えられて運ばれていくよりはマシだ。
そう思ったのだけれど、アルベルト様は私の言葉など聞き入れるつもりはないらしい。願いも空しく、彼は私を抱えたまま医務室へ向かって歩き始めたのだった。




