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25.対峙

 リリィ嬢に先導されるまま、整然と整えられた広い庭園を歩いてく。

「それで、話というのは何かしら」

 いつまでも歩みを止めないリリィ嬢に、適当なところで後ろからそう問いかける。すると、足を止めて振り返った彼女は、しおらしく目を伏せて悲し気に息を吐いた。

「私、アルベルト様とお別れしました」

「ええ、知っているわ」

 芝居がかった彼女のわざとらしい仕草に内心苛立ちながら、それで? と目で問いかけると、リリィ嬢は胸の前で祈るように手を合わせ、大きく愛らしい目を悲し気に潤ませた。

「コーデリア様。こんなことをお願いするのは非常識だと分かっています。けれどどうか、アルベルト様の今後を支えてあげていただきたいのです」

「……は?」

 耳を疑ったのと当時に、突き上げてきた怒りの衝動を何とか飲み込む。それでも、声が震えるのを抑えることはできなかった。

「あなたは、自分が何を言っているのか分かっているの?」

「自分勝手な願いだというのは重々承知しています。けれど、私ではアルベルト様の妻にはなれないのです」

「何を今更。そもそも何の努力も無しに、侯爵夫人になどなれるはずもないでしょう?」

 これまで抑え込んでいた感情が溢れ出してくる。

 元々私が生まれながらに持っているもので、貴族令嬢としては短所になると努力して抑え込んでいた、己が正しいと思うことを言わずにはいられない性質。

 以前、リリィ嬢にアルベルト様を奪われそうになった時、焦りから感情の抑制が効かなくなってしまい、随分と遠慮のない言葉で彼女を責め立てた。その言動が貴族としての品位を貶めるものだと非難され、悪評を立てられる原因となってしまった。だから、もう二度と同じ過ちを犯すまいと心に決めていたのに、やはり彼女は私の怒りを掻き立て、そんな決心などやすやすと崩壊させてしまう。

「私、あなたに言いましたわよね? 伯爵令嬢として生まれ育ち、幼い頃から厳しい教育を受けてきた私でも、無事その務めを果たせるか分からないほど侯爵夫人に求められるものは多いのだと。けれど、あなたはあの時、それでも愛があれば乗り切れると言い張ったではなかったの?」

 責める私の声に怯えるように、リリィ嬢は目を伏せ細い肩を竦める。

 こちらが正しいことを言っている、それなのに、いかにもこちらが彼女を虐めているように見える。そんな以前と変わらない彼女の男性の庇護欲を掻き立てる仕草が、私の苛立ちを増幅させる。

「それで? リッツスタール侯爵家に歓迎されると思いきや、予想外の反対に遭って当てが外れたの? だから、アルベルト様を返すと? 冗談ではありませんわ」

 アルベルト様を愛していたのなら、死に物狂いの努力を重ねて、リッツスタール侯爵家の方々に認めて貰えばいいのだ。別れてあれほど憔悴してしまうほどリリィ嬢のことを愛しているアルベルト様なら、侯爵家を出るという最終手段をちらつかせてでも家族を説得することだってできたはずだ。

 正直、そこまでやるのではないかと私は思っていたのだ。二人がそれほど深い愛で結ばれているのだから、私は排除されても仕方がなかった。そう思うことで、私は自分が味わったどん底も無駄ではなかったのだと自分自身を納得させていた部分もあったのだ。

 それなのに、今更何だというの、この女は……!

「自分が仕出かしたことの責任も取らずに、アルベルト様を弄んでおいて、自分は甘やかしてくれる新しい恋人と贅沢三昧の優雅な生活? 呆れて物も言えないわ」

 私がそう吐き捨てるようにリリィ嬢を詰った時だった。

 それまで悲し気に目を伏せていた彼女が視線を上げた。顎をついと上げ、感情が削げ落ちたような無表情でこちらを見下すように睨みつける彼女の目を見た瞬間、ぞくりと肌が粟立った。

「元はと言えば、アルベルト様をちゃんと繋ぎ止めておかなかった、あなたがいけないんじゃないの?」

私が怯えたのを察したように、リリィ嬢は嘲笑うような笑みを口元に浮かべた。


「私、あなたのこと大嫌いだったわ。大勢の人がいる前で、いつも私の事を見下して、偉そうに何度も何度も繰り返し説教するあなたが」

 身分が上の者に対して有り得ない口調で、リリィ嬢は私を罵る。彼女が私と二人きりで話がしたいと言ったのは、きっとこんな風に誰にも制止されることなく私に言いたいことをぶつけたかったからなのだろう。

「身分の高い男で私を大切にしてくれそうな人なら、別に誰でも良かったの」

 目を見開いた私の反応を楽しむように、リリィ嬢は挑発的に笑いながらこちらを睨みつけている。

「アルベルト様は身分も高いし、誠実そうで将来有望な方だからお気に入りだったけれど、真面目過ぎるからやっぱりやめておこうかなって思っていたわ。でも、あなたが偉そうにこっちを馬鹿にしてくるから、仕返しに意地でもあなたの大事な婚約者を奪ってやろうって決めたの。つまり、あなたがアルベルト様に捨てられたのは、自業自得ってわけ」

 彼女を詰った私への当て付け。ただそれだけの為に彼女が取った行動のせいで、一体どれだけの人間が振り回され、傷付き、人間関係に修復できない溝を生じさせてしまったことか。

「あなたみたいな大したことない令嬢が相手なら楽勝だと思っていたけれど、あなたがあまりにも呆気なく婚約破棄されちゃったから、正直拍子抜けしてしまったわ。寧ろ、憐れみを感じちゃったくらい」

 わざとらしく同情するように眉を下げたリリィ嬢への怒りで身体が震える。

 ふらついた拍子に思わず縋ったのが薔薇の木で、棘が容赦なく手の皮膚を傷付ける。けれど、その痛みも痛みとして認識されないほど、私は目の前の女への憎しみに囚われていた。

「あなたは、私を傷付ける為だけに、アルベルト様の気持ちを弄んだというの……?」

「あら、一応愛していたわよ? だって彼は、ただの興味本位で近づいてきた人達とは違って、私の事を心から愛してくれていたから」

 得意気に言い放つリリィ嬢に掴みかかりたい衝動を必死に抑える。その心から愛してくれていた人を捨てて別の男に走ったくせに、よくもそんなことを元婚約者の前で堂々と言えたものだ。

「それに、侯爵夫人の地位も魅力的だったし、彼の為にいい妻になろうと思っていたわ。本当よ? でも、あの家の人達はあなた以上に酷かった。おまけに、女慣れしてないだけだと思っていたアルベルト様は、実は女心を全く分かっていない石頭だったって分かってがっかりよ。あれだけの財力がありながら、恋人に宝石一つ、ドレス一つ寄越さないんだから。それに引き換え、今の彼はとっても気前がいいの」

 リリィ嬢は大きな宝石のついた耳飾りを見せつけるよう、得意げに髪をかき上げた。

「その上、あなたが死にそうなほど落ち込んでいると聞いてざまあみろと思っていたのに、春が来て社交シーズンが始まったら、流行りのブランドを身に付けて皆の注目を浴びているじゃない。こっちは、アルベルト様の恋人になった途端、誰からも贈り物を貰えなくなったから、仕方なく去年と同じドレスや装飾品を身に付けるしかなかったっていうのに」

 憎らしげにそう吐き捨てるリリィ嬢に、今度はこっちが溜飲を下げる。

 やはり私の思った通り、年齢の割に幼いと感じたあのドレスや装飾品は、そういう理由で仕方なく身に付けていたのだ。あの時、可憐に目を伏せた彼女が心の中でそんなどす黒い感情を抱いていたとは、隣に寄り添っていたアルベルト様は夢にも思っていなかっただろう。

「おまけに、あのオーレンと恋仲だなんて。でも、彼は私の事を好きだったのよ?」

 嫉妬させようとしているのか、リリィ嬢はまたも挑発的な笑みを浮かべる。

 けれど私には、それは違うという確信がある。オーレンがリリィ嬢のことを本気で愛していたのなら、当てつけで私からアルベルト様を奪おうとする彼女を止め、何としてでも自分に振り向かせていたはずだ。彼が本気を出したなら、アルベルト様に敵わないはずはないのだと今なら分かっている。

 それに、オーレンはずっとアリアンナ様のことを想っていたのだ。その叶わない恋心を紛らわす為に、社交界に突然現れた話題の令嬢に興味を引かれて取り巻きに加わったのだとしても、彼が本気でリリィ嬢を好きになったとは思えない。

 けれど、私がそう思うのは、ただ単にオーレンがリリィ嬢を本気で愛していたなどと思いたくないという気持ちがそうさせているだけなのかも知れない。こんな女にオーレンが夢中になっていたと考えるだけで、胸の中が煮えくり返りそうになる。

 沈黙した私がショックを受けていると思ったのか、リリィ嬢は勝ち誇ったように胸を張った。

「そうよ。オーレンは私の事を愛していたのよ。いいえ、もしかしたら今でも私の事を忘れられずにいたりしてねぇ。私の気を引く為に、わざとアルベルト様の元婚約者を恋人にして、自分の恋人になればこんな贅沢ができるんだよって見せつけるように着飾らせたりして。私にヤキモチを焼かせて、自分に振り向かせようとしているのかしらねぇ」

 私を傷付ける為に適当なことを並べ立てているだけだと聞き流すべきなのに、リリィ嬢の言葉が一々私の胸を抉る。

 何度も私にアルベルト様との復縁の意志を確認してきたオーレンの言動を思い出す。アリアンナ様の事は私の勘違いで、彼はリリィ嬢をアルベルト様から取り戻したかっただけなのではないか。リリィ嬢を否定するような言葉も、ただ単に私を騙す為に吐いた嘘だったのではないだろうか。

 いや、そんなはずはない。だって、オーレンは私の事を愛していると言ってくれたのだ。疑いたくなんてない。でも、もしかしたら……。

 頭の中がぐちゃぐちゃに混乱して何も言い返せない私に、リリィ嬢は尚も口撃を続ける。

「フフ。そうそう、エリクス殿下に熱心に口説かれて靡きそうになった時も、オーレンは王族と恋仲になることの危険とか面倒くささなんかを事細かに教えてくれて、だから自分にしておけってそれは熱心に口説いてきたのよ。私をエリクス殿下に奪われまいと、それは必死だったわ。遊び人だと聞いていたから最初から彼は対象外にしていたけれど、そんなに私に夢中になっているんだったら、彼を選んでいたらよかったわね。いえ、今からでも遅くはないかしら」

「……でも、彼はアルベルト様との関係は邪魔しなかったのよね」

 無意識のうちに私はそう呟いていた。

 それを聞いたリリィ嬢の顔から、みるみるうちに笑みが引いていく。それを見て、逆に私は冷静さを取り戻した。

「エリクス殿下の婚約者はマクレーン公爵令嬢よ。彼の公爵家の怒りを買えば、あなたなど、ダンネル男爵家共々あっという間に捻り潰されていたでしょうね。優しいオーレンの忠告のお蔭で命拾いしたわね」

 精一杯の虚勢を張ってそう鼻で笑ってやれば、リリィ嬢は物凄い目でこちらを睨みつけてくる。

 構うことなく、私は畳み掛けた。オーレンと共に作り上げた、あの恋のシナリオを使って。

「オーレンが、あなたとアルベルト様との仲を邪魔しなかったのは何故? そんなの簡単よ。私達の婚約が破棄されたら、彼が私を手に入れられる可能性が生まれるのだから」

「そんなことある訳がないわ!」

「信じたくないかも知れないけれど、本当にそうだったのよ。私、あなたには感謝しているわ。私を心から愛してくれているあんなに素敵な人と結ばれることができたのは、あなたが私からアルベルト様を引き離してくれたからなのだから」

「……そんな、……嘘よ。……そんなの嘘よ!」

 リリィ嬢は憤怒で顔を真っ赤にしながら何度も首を横に振る。

 そう、これは嘘だ。でも、その嘘を嘘と確信できずに狼狽えているところをみると、リリィ嬢もオーレンが自分を本気で愛しているのだという確信が持てずにいるのだろう。

 だって、オーレンが本当に愛しているのはアリアンナ様なのだから……。

 締め付けられるような胸の痛みなどおくびにも出さずに余裕の笑みを浮かべている私に、リリィ嬢は尚も噛みついてくる。

「嘘吐き! 私があんたなんかに負けるわけないじゃない! あんたなんか、あんたなんか……!」

「リリィ。そこまでにしておきなさい」

 不意に、植木の陰から一人の男性が現れ、癇癪を起してこちらに飛びかからんばかりの勢いだったリリィ嬢の腕を掴んだ。

 身形はいいが、線の細い青年だった。決して整っているとは言えない容貌だが、細めの少し垂れた目が見ている者に安堵感を与える。そんな印象の人だった。

「お見苦しいところをお見せしてしまって申し訳ございません。お初にお目にかかります。私はリドル・カルトンと申します」

「初めまして。コーデリア・ウィンスバーグです」

 この人がリリィ嬢の新しい恋人なのだろうか。挨拶を交わしながらそう思ったのが表情に出てしまっていたらしく、リドルは苦笑いを浮かべた。

「リリィが大変失礼なことを申し上げました。許されることではないと分かっておりますが、どうかお許しいただけないでしょうか」

 礼儀正しく畏まるリドルを前に、私は平静さを取り繕いながらも、全身から冷や汗が噴き出るのを感じていた。

 この男に先程のリリィ嬢とのやり取りを聞かれてしまった。どこから聞かれていたのかは分からないが、どれ一つ取っても貴族令嬢にあるまじき暴言だ。リリィ嬢の非礼を問題にすれば、逆にこちらの失態を暴露されることになるだろう。

 お互い様だと事を収めようと口を開きかけた時、リリィ嬢がリドルの腕に縋りついた。

「どうしてリドルが謝るのよ。私、この人に許してなんてもらおうなんて思ってないわ」

「黙りなさい、リリィ。きみはもう貴族ではないのだ。身の程を弁えないといけない」

 リドルに叱られたリリィ嬢は、まるで壊れ物のような危うい表情になった。口元を戦慄かせながらボロボロと涙を流す彼女を、リドルは抱き寄せて背を摩る。

「リドルの意地悪。バカ。バカバカっ……」

「はいはい、分かった分かった。バカで結構。リリィも大概、バカだけどね」

 まるで子供の様にリドルに反発するようにぐずりながら甘えるリリィ嬢と、軽くあしらいながらも包み込むように守ろうとするリドル。何の壁も感じられない二人の親密さを前に私が感じたのは、来客を前にしての有り得ない非礼云々ではなく、羨ましいという感情に近いものだった。

 母が以前言っていたように、この二人はリリィ嬢が平民として暮らしていた時からの旧知の仲だったのだろう。恋人同士というよりは、むしろ仲の良い兄妹のような様子からして、二人の間には燃えるような恋心によって結ばれているようには見えない。けれど、だからこそ、そこには確かな結びつきのようなものが感じられた。

 


 呼びつけた使用人に私をナタリーの待つ応接室まで送るよう言いつけたリドルは、リリィ嬢の肩を抱くようにして去っていった。

 戻った私を見て、ナタリーはソファから立ち上がって駆け寄ってきた。心配掛けたことを詫び、帰ろうとしたところを老執事に呼び止められる。主がリリィ嬢の事で話があるから待っていて欲しいというのだ。

 しばらくして応接室にやってきたリドルは、改めて先程の非礼を詫びてきた。こちらが問題にしないことを伝えると、リドルは安堵したように表情を和らげて息を吐いた。

「そう言えば、リリィ嬢がもう貴族ではないというのはどういう事かしら」

 胸に引っかかっていた疑問を口に出すと、リドルはすんなりと答えてくれた。

「リッツスタール侯爵家から、ダンネル男爵家に圧力が掛かったのですよ。保身に走ったダンネル男爵は、リリィを勘当したのです。助けを求めようにも、王宮の騎士寮で暮らしているアルベルト様とは連絡が着かず、行く当てのなくなったリリィは幼馴染である私を頼ってきたという訳なのです」

「では、彼女がアルベルト様を捨てて新たな恋人に走ったというのは……?」

「世間では、そういう事になっていますね。アルベルト様にリリィ嬢との結婚を諦めさせたい侯爵家の思惑でしょう」

 愕然とした。リリィ嬢もまた、強大な権力の前に成す術もなく翻弄され、打ちのめされた一人だったのだ。

 それなのに、私は彼女になんて酷い言葉を吐いてしまったのだろう……。

「リリィ嬢に、謝罪をさせてください」

「いえ、それには及びません」

「ですが……」

「お互い様ではないですか。リリィもあなたに随分と酷い事を言っていました。リリィがあなたに本当の事を語らなかったのは、あの子なりの意地なのでしょう。私にはよく分かりませんが」

 そう言って苦笑するリドルだったが、そんな彼の表情や口調からは、リリィ嬢への愛情が滲み出ているように感じられたのだった。


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