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23.復縁

「彼は、確か近衛騎士のニコル・ライドネスだね。彼と何を話していたの?」

 私の手を引いて建物の陰までやってくると、オーレンは壁際に追い詰めるように迫ってきて、私の顔の左右に手を付いて逃げ道を塞いだ。

「コーデリア?」

 薄暗い中だったけれど、彼の目がこれまで見たこともない異様な光を宿しているのが分かった。至近距離から睨むように見つめられ、後ろめたいことなどないのに、思わず目を伏せてしまう。

「別に、ただの世間話を……」

「それだけ?」

「彼の上司が、恋人と別れたのですって」

 問い詰められ、仕方なく何でもない風を装ってさらりと口に出す。すると、オーレンは大きく息を吸い込み、壁から手を離すと一歩下がって私と距離を置いた。

「それで?」

 更に問われて、何と答えたものか返答に窮した。アルベルト様のことを考えておいてくれと言われたけれど、あれは素直に復縁してくれと言われたと捉えていいのだろうか。

「あなたはどう答えた?」

 ニコルがどう続けたのかではなく、私の答えを求められたことに安堵する。それなら、躊躇うことなど何もない。

「私にはもう何も関係ないことですから、と……」

 そう答えた途端、私は一歩踏み出してきたオーレンに抱き絞められていた。耳を、彼が大きく吐いた息がくすぐる。

「本当に?」

「ええ、勿論よ」

 まるで幼子が甘えるような声で問いかけてきたオーレンに頷いた私は、何故かとても不安そうな彼の背に手を回すと、そっと撫でた。

「あの二人がどうなろうと、私にはもう何の関わり合いもないことだわ。それに、私にはあなたがいるもの」

 そう口に出すと、胸の奥から温かいものが湧きだし、目頭が熱くなってくる。けれど、何故か心に軋むような痛みを感じるのは、もしかしたら彼にも裏切られてしまうかも知れないという恐怖なのかも知れない。

 けれどそれも、次の瞬間、オーレンにいつになく激しく口づけられて、溢れ出した熱い感情の渦に押し流されていく。そうして、言い知れない幸福感に包まれ、舞い上がってしまうのだ。

 例え、彼の心の内が分からなくても、これだけははっきりしている。彼が私の事を本当はどう思っていようと、私は彼を愛しているのだと。

「コーデリア。何か辛い目に遭っていない?」

 ようやく私の唇を解放してくれたオーレンは、耳元でそう囁いた。

「いいえ」

 ジュリア殿下やジョシーに厳しいことを言われることはあるけれど、侍女を辞めたいと思うほど辛くはない。寧ろ、家でのんびりと暮らしていた時と比べると充実していて楽しいくらいだ。

「何かあったら、すぐに私に言ってくれ」

「ええ、分かったわ」

 その何かとは何なのか。オーレンの言わんとする意図がいまいち釈然とせず、若干ポカンとしながらだったが取り敢えず頷くと、彼は苦し気に片手で顔を覆って溜息を吐いた。

「あなたが望むようにと決めたのに、駄目だな、私は……」

 やはり、彼は私が侍女をしていることに良い感情を持っていないのだ。それでも、最大限私の意志を尊重してくれている。それが堪らなく嬉しかった。



 ――私にはもう関係ない。

 オーレンにそう言い切ったものの、アルベルト様とリリィ嬢の破局について、決して関心がない訳ではなかった。

 私の幸せを滅茶苦茶にしてまで結ばれたというのに、こうもあっさりと別れられると、それはそれで腹立たしいものがある。一体、あの二人に何があったというのだろうか。

 そもそも、平民あがりの男爵令嬢が、そう簡単に侯爵夫人になどなれるはずもない。そんな世間の常識を覆すには、並大抵の努力では成し得ないのは当然だ。その困難に打ち勝つ覚悟があったからこそ、私という一人の人間の人生を滅茶苦茶にしてでも、リリィ嬢は私からアルベルト様を奪ったのではなかったのか。それとも、どんなに努力を積み重ねても打ち勝てないほど強大な壁が立ち塞がって、手を尽くしてもどうにもならなかったとでもいうのだろうか。

 とても気になるところだったけれど、二人の恋の結末がどんなものだったのか、オーレンに訊くのは躊躇われた。彼に、私がアルベルト様への気持ちを捨てきれずにいるなどと勘違いされたくはない。

 かと言って、ニコルに詳しい話を教えてくれと問えば、私に復縁の意志があると勘違いさせてしまうかも知れない。

 夕食時、時折アルベルト様の姿を見かける。いつも他の近衛騎士の方々と共に行動している彼が視界に入っても、これまではその姿を注視することなどしなかった。

 けれど、あんな話を聞いた後でふと気になってよく見てみれば、遠目にも彼の姿は少し小さくなってしまったような気がした。同僚の騎士達と語らう表情も硬く、若干顔色が悪いようにも見える。リリィ嬢との別れが相当ショックだったのだろう。これまでの堂々とした風格が影を潜め、やつれた印象を受けた。

 やはり、リリィ嬢との破局はアルベルト様にとって本意ではなかったのだ。けれど、リッツスタール侯爵家の後継者として、彼女との結婚まではどうしても周囲に認められなかったのだろう。

 その時は、そう想像していた。

 けれど、それから間もなく、私は思ってもみない事実を知ることになるのだった。



「ああ、コーデリア。元気だった?」

 勤務中、客人だと呼び出された一室で待っていたのは母だった。普段屋敷で過ごしているのとは違い、美しく着飾っているところを見ると、今日は王妃様のお話し相手として王宮にあがっていたらしい。

 母は、王妃様もあなたのことを心配していただの、たまには休みを取って家に帰ってきてくれだの、一通り母親らしい言葉を掛けてくれたのだが、どこか心ここにあらずといった様子だ。勤務中の私をわざわざ呼び出してまでしたい話が他にあるのは容易に察することができた。

「それでね、コーデリア」

 やはり本題があったらしい。いよいよ覚悟を決めた様子で母は口を開いた。

「あなたの元婚約者のことは、もしかしてもう耳にしているかしら?」

「あの二人が別れたことなら知っていますわ」

 平静を保ってさらりと答えると、そう、と母は息を吐き、それから不意に表情を歪めた。

「あなたをあんな辛い目に遭わせてまで結ばれたくせに、まさかあんなにあっさり別の男に乗り換えるなんて……」

 母の悔し気な言葉に耳を疑った。リリィ嬢が、別の男に乗り換えたですって……?

「別の男というのは?」

「名前は聞いたけれど忘れてしまったわ。とにかく、成金の商家の息子だそうよ。噂では、平民として暮らしていた時からの知り合いだったとか」

 あんな尻の軽い女の気まぐれに振り回されて、あなたがどんな辛い目に遭ったか。それなのに、自分が巻き起こした騒動の責任も取らずに逃げるだなんて絶対に許せない、と母は咽び泣いている。

 アルベルト様はリリィ嬢に捨てられたのね。

 やや呆然としながら立ち尽くしている私の頭の中で、それ見たことかとアルベルト様を嘲る自分の声が響いた。

 彼女が、非常識にも幾人もの貴公子達を侍らせていたことなど、彼もその目で見て分かっていたはずだ。自分を選んでくれたからと慢心していたのだろうが、婚約者だった頃の私に対するのと同じような感覚で接していれば、見捨てられるのも当然だろう。

 生真面目で、融通が利かなくて、お世辞にも女性に対する気配りができるとも言えないアルベルト様。彼が、彼女のような奔放な女性を繋ぎ止めておくことなど、所詮無理だったのだ。

 愚かなアルベルト様を嘲笑う一方で、可哀想にという思いも心の片隅に存在していた。

 こういう結末を迎えたからこそ、リリィ嬢を選んだアルベルト様を笑えるのであって、それまでは私も二人が愛し合っていると完全に思い込んでいた。家の事情や身分差によって無理矢理引き離されることはあるかも知れないけれど、よもやこんな短期間にリリィ嬢が他の男に走るなど誰が予想しただろうか。きっと、アルベルト様にとっても青天の霹靂だったに違いない。

 どれほどショックだったことか。ニコルが私にあんなことを言ったのも、きっとアルベルト様も落ち込みようが酷いからなのだろう。

 そんな私の動揺を見透かしたかのように、母は、同情することなどないわと切り捨てるように言い放った。

「侯爵令息らしからぬ行いに対するツケが回ってきたのよ。自業自得だわ」

「……そうね」

 そう答えながらも、ふと自分がアルベルト様に捨てられた時の苦しみが脳裏に蘇る。あなたもあの辛さを思い知るがいいと思う一方で、その苦しみを知るが故に哀れに思う気持ちも捨て切れない。

「そうよ。それなのに、今頃になって、リッツスタール侯爵が我が家に復縁をちらつかせてくるのよ」

「え……?」

 ゾクッと背筋に悪寒が走った。

 リッツスタール侯爵、つまり、アルベルト様のお父様だ。婚約破棄騒動の折には外交の為に他国に赴任していたけれど、それから間もなく帰国されたと聞いていた。婚約破棄など考え直して欲しいという我が家の訴えを退け聞く耳を持たなかったらしいのに、今更どういうつもりなのだろう。

「それも、復縁を望んでいるのは侯爵だけで、夫人の方は相変わらず社交の場で会ってもけんもほろろなのよ。侯爵があなたを子息の妻にと望んでいるのも、侯爵家の妻として必要な教養を身に付けている令嬢方はすでに婚約者がいて、適当な方を他に見つけられないからなのは見え見え。本当に辟易してしまうわ」

 母は一気にまくし立てると、疲れたように溜息を吐いた。

 リッツスタール侯爵家の人々は、過去の遺恨を私にぶつけ理不尽な扱いをしたことを悔いている訳ではないのか。それなら、例えアルベルト様と私の復縁を侯爵が望んでも、夫人は絶対に許さないだろう。そんな中でリッツスタール侯爵家に嫁いでも、お互いにとって不幸な未来を迎えるのは目に見えている。

 けれど、リッツスタール侯爵家は我がウィンスバーグ伯爵家の主筋に当たる。相手が世間体も何もかなぐり捨てて無理を通されたら、拒むのは容易ではない。そう、一方的に婚約破棄された時のように。

 強張った表情の私を案じるように、母は私の手を取ると優しく撫でた。

「ねえ、コーデリア。オーレンとはどうなの? 喧嘩をしたのか彼に不満があったのか知らないけれど、一時期は仲違いしたようだったから心配していたのよ。でも、クリスから聞いた話では王宮でも仲睦まじく過ごしているようだから、あなた達上手くいっているのよね?」

「ええ、まあ……」

 兄の事だからきっと、毎日いちゃついているなどと大袈裟な報告をしているに違いない。

「リッツスタール侯爵家が主筋だからって、気を遣う必要などないのよ? 私達は大丈夫だから、あなたは本当に愛する人と一緒になりなさい。これは、私だけではなく、お父様もクリスも望んでいることよ」

 母のその言葉を聞いて、目から涙が溢れ出る。

 その時、私はアルベルト様と結婚などしたくない、オーレンと引き離されたくはない、と自分の心が叫び声を上げていることに気付いたのだった。

「ありがとう、お母様」

 母の言葉が、アリアンナ様の存在があることで事ある毎に後ろ向きになりそうになる私の背を、前へと押してくれた気がした。

 私の幸せを、私だけでなく家族も望んでくれている。何と有り難いことだろう。家族の為にも本当にオーレンと幸せになれればいいのに。

 けれど、それは私一人の意志だけではどうにもならないことだ。彼も私との幸せを望んでくれいていなければ、私達が結ばれることはない。



 勤務を終え、他の侍女達と夕食を終えて寮に戻る途中、通路の脇に立っているニコルと目が合った。笑顔を浮かべてこちらに近づいてくるところを見ると、どうやら私を待っていたらしい。

 いつもオーレンと待ち合わせるのは夕食前で、こうやって侍女仲間と夕食を済ませた後に彼と会うことはない。昨日、オーレンが現れて引き下がった彼は、そこまで把握していてこのタイミングで私を待っていたのだろうか。

「少し、いいでしょうか」

「いえ、困ります」

 これ以上アルベルト様に関わり合ってはいけないと、脳内で警鐘が鳴る。もしかしたらニコルはリッツスタール侯爵の意を汲んで動いているのかもしれない。そんな邪推をしているからだろうか、彼の人の良い笑顔の仮面の下に腹黒い笑みが透けて見えるような気がした。

「ほんの少しだけでいい。あなたにどうしても伝えたいことがあるのです」

 他の侍女達の前だというのに、ニコルは私の前に立ち塞がり強引に引き留めようとする。

「本当に、勘弁していただけませんか?」

「分かりました。ならば、これだけでも読んでいただけませんか?」

 あくまで突っぱねる私に、ニコルは悲しそうに眉尻を下げると一通の封書を差し出した。他の侍女達や通行人の目もある手前、庇護欲をそそる表情で懇願する彼をこれ以上拒否することもできず、仕方なくその封書を受け取る。

「ちゃんと読んでくださいよ」

 ニコルは一転して嬉しそうな表情を浮かべると、念押しするようにそう言い残して去っていった。

「恋文かしら」

「何を言っているの。そうに決まっているじゃない」

「ズルいわ。コーデリアばっかり」

 私の手の中にある封書を覗き込みながら囃し立てる侍女達を、そうではないのだと宥めながら、それなら何なのだと問われても答えられずに言葉を濁す。

 これにはきっと、アルベルト様に関することが綴られている。けれど、今ここで、元婚約者の哀れな恋の結末を侍女仲間に暴露する気にはなれなかったのだ。



 寮に戻り、さっと湯浴みを済ませて寝間着に着替え、手早く肌と髪の手入れを終えると、私は机の引き出しに放り込んでいた封書を取り出した。何が書かれてあるか読むのが恐ろしい気もしたが、一方でその内容に興味もあった。

 封を切り、燭台の元で広げた紙には、男性にしては繊細な字が綴られていた。目を通すと、その内容は私が想像していたものとは全く異なっていた。

 リリィ嬢が、私と会って話がしたいと望んでいる。もし彼女の願いに応じるのなら、ニコルが責任をもって指定された場所に送り届け、私が希望するならその場に立ち会ってもいいと記されていた。

 誰があなたのような女の願いなど叶えてやるものか。話すことなど何も無いわ!

 そう突っぱねることもできる。けれど、込み上げてきたリリィ嬢への怒りで、私は冷静ではいられなくなっていた。

 私から婚約者を奪っておいて、その恋が自分の望むように進展しなければ恋人を捨てて他の男へ走る。そんな卑劣な真似をしておいて、今更一体私に何を話したいというのだろう。

 もし、自分勝手な持論を並べ立てて言い訳をするつもりなら、私はあの女を絶対に許さない。


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