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21.告白

 人の気配のない建物の陰で、私とオーレンは向かい合って立っていた。

 他の者達に会話の内容を聞かれないよう話ができる場所ということで、オーレンがここまで私を連れてきたのだ。

 近くには篝火もなく、藍色の闇に染まりつつある空にはまだ月も出ていない。手を伸ばせば届く位置にいるオーレンの輪郭は判るものの、彼がどんな表情をしているのかまでは分からない。

 何を言われるのだろう。もしかしたら、本当に引導を渡されるのかも知れない。

 ここに来る間、ずっとそんな嫌な想像が頭を占めていた。

 それでもここまでついてきたのは、例え彼にどんな決断を下されようとも、自分の気持ちを伝えなければという思いからだった。

「今日は初仕事、お疲れ様だったね。大変だっただろう?」

 予想に反して彼の言葉が優しく労わるようなものだったことに、胸がじわりと熱くなる。ただそれだけで、ジュリア殿下のお部屋で見た彼の冷たい表情など頭から吹き飛んでしまうくらい、私は彼に心を奪われてしまっているのだ。

「ええ。慣れない事ばかりで疲れてしまったわ。……でも、楽しかった」

 最後にそう付け加えたのは、強がりだけではない。実際、セシルや他の侍女達と協力しながら与えられた仕事をこなしていくことは楽しく、ジュリア殿下のお役に立てたことも嬉しく、新鮮で心躍る経験だったのだ。

「そう。なら、よかった」

 オーレンが安堵したように息を吐きだしたのを耳にして、私は首を傾げた。

 彼は、私が侍女になることに反対だったのではなかったのだろうか。それとも、寮に届けられた贈り物に添えられていたカードに書かれていたように、彼は本当に私が望むようにと思ってくれているのだろうか。

「王太子妃殿下をコーディネートしたのはあなただろう? 見違えるほど良く似合っていらして、王太子殿下もとてもお喜びだったよ」

「本当に? 良かった」

 オーレンに褒めて貰えて、安堵のあまり声が震えた。

 好きな人に認められる喜びも勿論だが、センスのいい彼に評価されたということは、多少は自分の感性に自信を持ってもいいということだろう。

「最近、王太子妃殿下はご機嫌のよろしくない日々が続いていて、王太子殿下はご自分に何か原因があるのではとずっと悩まれていた。今日、久しぶりにお二人が仲睦まじげに微笑まれているのを見て安心したよ」

「そうだったの。お力になれたのなら嬉しいわ」

 オーレンの声から、彼が本当にお二人の仲を案じていたという気持ちが伝わってきた。

 私がジュリア殿下の為と思って奮闘したことが、結果的にオーレンの役にも立てたのなら、こんなに嬉しいことはない。

 その時、オーレンに会えたら自分の気持ちをはっきりと伝えなければと思っていたことを思い出し、私は突き上げてきた緊張感で両手をギュッと握り合わせた。

 今日はこんな所まで彼がわざわざ会いにきてくれたから、私達はこうして言葉を交わすこともできる。けれど、王太子殿下の側近と王太子妃殿下の侍女という立場で仕事中に偶然会っても、私的な会話など何一つできない。つまり、今を逃せば、次はいつこういった機会が巡ってくるか分からないのだ。

 そんな焦りから、私は唐突に話題を変えた。

「オーレン、昨日は贈り物をありがとう。せっかく寮まで来てくれたのに、食堂へ行っていたものだからすれ違ってしまったのね。会えなくてごめんなさい」

「いや。何の前触れもなく訪ねていったのは私の方なのだから、気にしないでくれ」

 悪いのは自分の方だからと、彼は私を責めることなく、あくまでも優しく応じた。

 そんなオーレンに、これまで通り甘えてしまいそうになる自分を、それでは駄目なのだと心の中で叱咤する。

 自分の思いは、ちゃんと言葉に出して伝えなければいけない。

「……でも、私はあなたに何の相談もなく侍女になると決めてしまったわ。だから、あなたは身勝手な私に怒っているのだと思っていたの。それなのに、わざわざ会いに来てくれたと知って、どんなに嬉しかったか」

 たったそれだけを伝えるのに、込み上げてくる感情で声が震えそうになる。

 落ち着こうと俯いて深く息を吐いた私に、オーレンが苦笑交じりに答えた。

「あなたが侍女になるという話を王宮で耳にして、慌ててあなたの家に駆けつけた時の私は、自分でも情けないくらい動揺していたからね。こちらこそ、あなたに酷い態度を取ってしまったと後悔していた。謝りに行かなければと思っていたんだが、その後何かと忙しくなってしまって、会いに行くこともできなくなってしまったんだ」

 すまなかった、と謝るオーレンに、私は慌てて首を横に振る。

「悪いのは私の方だわ。計画を途中で投げ出すような真似をしてしまったのだもの。裏切られたと責められても仕方がないわ」

「コーデリア。自分を責めないでくれ。確かに突然のことで驚いたし焦りもしたが、裏切られたなどとは思っていない」

 オーレンは、宥めるように優しく語りかけてくる。

「それより、その数日前の夜会から、あなたの様子がおかしかったのがずっと気になっていた。もしかして、あなたが何らかの理由で自暴自棄になり、王太子妃殿下の侍女という職がどれほど大変かなど深く考えずに引き受けてしまったのではないかと心配だったんだ」

 まるで、当時の私の内心を見透かしていたようなオーレンの言葉に絶句する。

 確かにあの時、他の令嬢を想い続けている彼を好きになってしまった私は、その事実が辛過ぎて受け入れることができず、彼から逃げることばかり考えていた。修道院へ入ることも考え始めた時、降って湧いた侍女の話に飛びついたのは事実だった。

「でも、王太子妃殿下のお力になりたいと真っ直ぐに訴えるあなたを見て、私も目が覚めたよ。あなたは、自分の生き甲斐を見つけたんだ。そんなあなたを引き止める権利など、私にはない」

 驚きのあまり立ち尽くしている私に、オーレンは更なる衝撃を与えた。

 彼は、私が必死で取り繕ったあの言葉を、私の本心だと思い込んでいる。彼への想いを押し隠す為に張った虚勢を、ジュリア殿下への強い忠誠心だと勘違いしているのだ。

 愕然とする私に構うことなく、オーレンは言葉を続ける。

「側近と侍女という立場は違えど、私達は共に王太子ご夫妻に仕える者同士だ。これからも、私はあなたの役に立てるだろうと思う。だから、遠慮しないで頼ってほしい」

 私を包み込むような彼の声に、唇がふるりと震えた。

 オーレンが、これまでと変わらず私の力になってくれようとしていることは嬉しい。でも、込み上げてくるのは喜びだけではなく、悲しみに近い切ない感情も混じっていた。

 彼はきっと、私を盟友か何かのように思っているのだ。これまでは、共に復讐という目的を果たす同志として。そして、今は王太子ご夫妻に忠誠を誓う者同士として。

 彼のその位置づけに甘んじていれば、この先もずっと彼の優しさを失わずに済むのかも知れない。けれど、私は気付いてしまった。それでは満足できない自分の気持ちに。

 砕け散ると分かっていて、ぶつかっていくなど恐怖でしかない。けれど、もしここで引いたら、これから先もずっとこの悲しみを味わうことになってしまう。

 薄闇に伸ばした指先が、彼の上着の裾に触れた。その、肌触りだけで上等な品と分かる布を握り締めると、彼は訝し気に私の名を呼んだ。

「コーデリア?」

「オーレン。私は……」

 喉の奥に詰まった言葉が、胸までも焦がすように熱く感じられる。

 言えと命じる脳と、恐怖に竦む心の間で、もがくように掴んだ彼の上着の裾を引っ張っていると、大きくて温かな手が優しく私の頭を撫でた。

 甘く切ない胸の痛みに唇が震える。

 尻込みしそうになる心を叱咤して、私は自分の気持ちを吐き出した。

「……きなの」

「ん?」

「好きなの」

 薄闇の中で、オーレンが驚いたようにハッと息を呑んだのが分かった。

 もう、取り返しがつかないのだと急激に押し寄せてくる後悔の中で、私は自らの言葉を補足した。

「……本当に、あなたのことを好きになってしまったの」

 己の気持ちを吐き出すと同時に、これまで堰き止めていた思いが涙となって溢れ出た。

 彼への愛しさと、その想いが叶わない悲しみと、黙って耐えていた自分への憐みと、自分の気持ちを口に出して言えたことへの満足感と、この後拒絶されるであろう絶望感が一気に押し寄せてきて、身体の震えが止まらない。

 俯いたままでいる私の前に立ち尽くしているオーレンは、沈黙したままだった。

 彼の反応を見るのが怖くて、私は顔を上げることができなかった。例え目を凝らしても、この薄闇の中では彼の表情を読み取ることなどできないと分かっていても、私は彼の上着の裾を握りしめたままの自分の手から視線を動かすことができなかった。

 オーレンに想いを拒否される時、この手は振り払われる。そう思うと、私の手には自然に力が入った。

 ……嫌。離さないから。

 そんな、幼子のような我儘を叫ぶ心に突き動かされるように、私はますます指に力を込めて彼の上着の裾を握り締めた。


「……本当に?」

 掠れた彼の声が耳に届くと同時に、大きな手で両腕を掴まれた。

「ごめんなさい。本気になってはいけないと分かっていたの。でも……」

 最後まで言い終わらないうちに、強い力で引き寄せられ、抱きすくめられてしまった。

「嬉しいよ、コーデリア」

 耳元をくすぐる彼の思いもよらない返答に、全身が痺れた。

「私も、あなたを愛している」

 ……うそ。

 見開いた目に映ったのは、頬に触れる彼の上着だった。その心地のいい感触に浸りながら、私は思いがけずオーレンから同じ思いを返されたことに戸惑っていた。

 だって、両想いになれるだなんて、夢にも思っていなかったのだから。

「そんな。いつから……?」

「いつから、だろう。勿論、最初から下心があって、あなたに近づいた訳ではない。けれど、いつの間にか、あなたのことを大切に思うようになっていた。でも、あなたはまだ、アルベルトのことを愛していると思っていたから」

 耳元で甘く響くオーレンの言葉に、私は彼の胸に頬を擦りつけるように首を横に振った。

「もう、あの方への気持ちなんて残ってないわ」

「本当に?」

 まるで責めるような口調で疑うオーレンが、本気で嫉妬しているように思えて、私はむず痒いような気持ちで自嘲気味に笑った。

「あれほどお慕いしていたのに、こんなにもあっさりと心変わりするなんて、節操がないと思われても仕方がないわね」

「いいや、そんな風には思わないよ。あなたには、あんな奴のことなど早く忘れて、新たな幸せを掴んでほしいと思っていた。その相手に、私を選んでくれるなんて」

 私を抱き寄せる腕から力を抜いたオーレンは、そっと私の顎に指を掛けて持ち上げた。

 見上げた先にある彼の顔は、完全に夜の帳が降りた空に輝く月明かりに浮かび上がっていたけれど、はっきりとその表情までは見えない。

 けれど、その声は濡れたように甘く響いた。

「……嬉しいよ」

 そう呟いた彼の顔が近づいてきて、目を閉じた私の唇に、オーレンは優しく口付けた。



 彼との幸せな口づけの余韻をぶち壊したのは、盛大に鳴いてくれた私の腹の虫だった。

 思い返せば、ジョシーに呼び出されたせいで昼食をまともに食べることができずにいたのだ。それにしても、何もこのタイミングで鳴かなくてもいいものを。

 しかも、オーレンの耳にもその空腹の訴えはしっかりと届いていたようで、彼は笑いながら食堂へ行こうと、羞恥で涙目になっている私の背を押した。

 建物の陰から出て篝火の明かりの元に出れば、城で働く様々な身分や役職の人間が行き交っている。その流れの中に混じり、私はオーレンと二人で食堂へ向かった。

 食堂に着くと、そこにはまだセシル達が食事をしている途中だった。

 オーレンはそこへ歩み寄ると、私の事をくれぐれも頼むと言い残し、爽やかに微笑んで去っていった。

 その場にいて彼の笑顔を目撃したセシルをはじめ侍女や女官達が黄色い声を上げ、羨望の眼差しを向けてくる。冷静を装おうとするものの、つい先ほど彼と交わしたくちづけの感触を思い出すと顔が熱くなり、それを見たセシル達に揶揄われながら、私は何とか夕食を終えたのだった。



 ……オーレンが、私の事を愛している。

 復讐の為のシナリオではなく、本当に私の事を愛してくれている。

 まるで夢のような現実に心がフワフワと浮き立ち、幸せ過ぎて頬が緩みっぱなしだ。

 けれど、私はある疑問を敢えて意識の外へ追いやっていた。

 オーレンは、私の事を愛していると言ってくれた。他でもない、彼自身の口から直接聞いた言葉だ。

 だから、それが真実だ。あのドレイク侯爵邸での夜会で私が気付いてしまったと思ったことは、ただの勘違いだったのだ。

 ……そう、勘違いだったのよ。

 あの夜から抱え続けていた不安と悲しみを笑い飛ばして、枕に頬を埋める。その下に置かれたサシェから漂ってくるラベンダーの香りを胸いっぱいに吸い込んで目を閉じた。

 けれど。

 そうやって不安に駆られる心を安堵させ続けた挙句、絶望に突き落とされた過去から、まだ一年も経っていないのだ。

 一目見てリリィ嬢に心惹かれたアルベルト様の変化に気付きながら、気のせいだ、真面目な彼に限って私を無碍になどしない、家同士の繋がりを断ち切るような愚かな真似はしないと自分に言い聞かせて。そして、裏切られた。

 何故、言葉に出してオーレンに自分の思いを伝えたというのに、そして彼からも望む答えを貰ったというのに、こんなにも心が苦しいのだろう。

 きっと、これはオーレンの言葉を心の底から信じ切れない、弱い私の心が原因なのだろう。けれど、どうしたらそれを克服できるのか分からない。

 彼の心が覗けたらいいのに。オーレンが何を考えているのか全て見透かして、そうしてそこにアリアンナ様がいないことを確かめられたら、安心して心の底からオーレンを愛することができるのに。


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