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16.邂逅

 情けない話だけれど、私は心のどこかで、オーレンが私の決断に賛同し、喜んで協力してくれると期待していたのかも知れない。

 彼が去った後の応接室に落ちた沈黙は、気まずいを通り越して苦痛をもたらすものだった。使用人達は無言で視線を交わし合い、小さくなっていく馬車を窓越しに見送っている。

 不意に、言い知れない不安と悲しみが押し寄せてきて、下唇を噛み、両手をぎゅっと握り締めた。

 ……これで、よかったのよ。

 応接室を出て、階段を一段一段踏み締める毎に、狼狽える自分にそう言い聞かせる。

 この偽りの関係は、近いうちに終わりを迎えるのだ。こんなことがなくても、いずれ私は傍にオーレンのいない人生を歩んでいかなければならないのだから。

 ……でも、もしオーレンに嫌われてしまったのなら。

 刺されるような胸の痛みに、思わず足が止まる。

 踵を返して、階段を駆け下りて玄関を飛び出し、彼の馬車を追いかけて縋り付き、胸の内を全て吐き出したい衝動に駆られる。ぎゅっと目を閉じれば、理性をかなぐり捨てて駆ける自分の幻が見えるようだった。

 けれど、その先にあるのは一体何だろう。彼に縋り、愛している、傍に置いて欲しいと泣きつく私を見て、オーレンは何を思うだろう。

 優しい彼は、きっと私の事を無下に突き放すことはない。もしかしたら、彼がアリアンナ様を忘れるまで私を恋人でいさせてくれるかも知れない。

 けれど、コーデリア。あなたはそれに耐えられるの……?

 心の中で暴れ回る感情を何とか抑え込み、ふらつく足を叱咤して階段を昇りきる。

 辿り着いた自室は、まるで今の私の心を具現化したように散らかり放題だった。

 ベッドの上に置かれた衣類を無造作に寄せると、倒れ込むように横になる。

 今頃後悔しても、オーレンが言った通り、王宮から正式な辞令が発令された以上、従う他はない。その道を選んだのは私自信だ。侍女としての新たな道を踏み出すことが、これからの自分にとって一番いいと決断したのだから。

 けれど、目を閉じれば、先ほど見たオーレンの泣くのを堪えているような表情が脳裏に蘇る。苛立ったように叫んだ彼の声。彼があれほど己の感情を表したのを見たのは初めてだった。

 彼の事を一番に考えるのなら、どんなに辛くても、彼がアリアンナ様のことを忘れられるまで、彼を支えてあげるべきだったのだ。それなのに、弱い私は自分が愛されない辛さに耐えられずに逃げた。

 ごめんなさい。……ごめんなさい、オーレン。

 許してだなんて、おこがましいことは言えない。嫌いにならないでなんて、あまりにも自分勝手ね。

 ねえ、そうでしょう? オーレン。



 けれど、そんな風に彼を裏切った認識があるにも関わらず、やっぱり私は心のどこかで、オーレンを待っていた。

 侍女として生きる道を選んだ私を支援する為に、様々な品や有益な情報をもたらしてくれる彼を。

 若しくは、私が侍女にならなくても済むよう手を回した上で、このまま恋人関係を続けて欲しいと懇願する彼を。

 愚かな私は、王宮に向けて出立する日の予定時刻まで、彼を乗せた馬車が我が家の門をくぐってやってくるのを待ち続けていた。




 王宮の敷地は広く、その中には多くの建物があり、王族の方々から使用人まで様々な人々が暮らしている。

 過去、私は幾度も式典や園遊会等で王宮を訪れたことはあった。けれど、その際に目にして知っているつもりでいた王宮は、実はほんの一角に過ぎなかったということを思い知らされた。

 侍女寮の部屋に辿り着いたのは昼過ぎだった。

 王妃様に着任の御挨拶に伺うのも、王太子妃殿下の元で働き始めるのも明日からだ。翌日に備えて、今日はこの侍女寮の部屋で暮らしていく準備を整えなければならない。

 荷物は先に運び入れられていたものの、荷を解いて片付けるのは自分でやらなければならない。まず何をどこにしまうのか、備え付けの家具を見ながら頭の中で計画を立てる。

 寮の管理をしているという年配の女官は、私を部屋まで案内すると、立ち去り際に、夕食は別棟にある食堂でとるようにと告げた。慌てて、その食堂がどこにあるのかと訊ねて説明を受けたものの、耳で聞いただけではいまいち良く分からない。けれど、頭に疑問符を浮かべたままの私を残して、女官は部屋を出て行ってしまった。

 部屋に一人残されると、怖いくらいの静寂に包まれる。

 私以外の侍女は、夕食の時間までそれぞれの部署で働いている為、今、寮内は人の気配がない。立派だけれど年季の入った寮は内装も質素で、昼間だというのに薄暗い。

 私が与えられたのは、寮内でも貴族出身女性が利用する比較的綺麗で広い部屋なのだそうだ。それでも、さして裕福とは言えない我が家の自室よりも狭く、壁紙もカーテンも古ぼけていてベッドも固い。

 ……けれど、これでも修道院と比べればずっとマシなのでしょうね。

 落ち込みかけた気力を振り絞って立ち上がると、持ってきた荷物を備え付けの収納に仕舞い込む。ナタリーに、何をどこへどう片付ければいいのか一通り教え込まれていたので、時間はかかったものの、何とか一人で片付けを終えることができた。


 ふと空腹を覚えて顔を上げれば、窓から見える空は茜色から群青色に変わろうとしていた。立ち上がって窓から外を見下ろせば、各所に明かりが灯され、兵士から下働きと思われる者まで大勢の人々がどこからともなく現れて行き交っている。どうやら、終業の時刻になったらしい。

 ……夕食を食べに行かなければ。

 空腹を抱えて待っていても、誰もここに夕食を運んできてはくれないのだ。

 荷解きに奮闘したせいで乱れた髪を撫で付け、部屋のドアを開けると、暗い廊下に足を踏み出す。

 けれど、昼間と同様、寮内には全く人の気配がない。どうやら、侍女達はまだ誰も戻ってきていないらしいと、私は肩を落として溜息を吐いた。

 そんな私の背を押すように、お腹の虫が盛大な鳴き声をあげる。

 王宮内は人も多く、侍女でなくとも食堂を利用する人はいくらでもいる。外へ出て、誰かに場所を聞けばいいのだ。

 沈んでしまいそうな心を奮い立たせるように気合いを入れて、私は侍女寮を出た。



 寮の門を出ると、幸いにも入り口付近に衛兵が立っていた。

 声を掛け、自分は侍女として採用された者だが、王宮に来たばかりで食堂の場所が分からないのだと話すと、快く場所を教えてもらえた。

 ちょうど昼間の勤務を終えた人々が帰路に着く時間と重なってしまったらしく、林立する建物の間を縫うように伸びる通路を行き交う人の流れは激しい。一日の仕事を終え、緊張から解放されて陽気に雑談しながら歩いてくる大柄な男達や、急いでいるのか走ってくる小間使いらしき少女と何度かぶつかりそうになり、その度に身を竦めて立ち止まった。

 ……夜会で、大勢の貴族たちの間をすり抜けるように歩くのとは訳が違うわ。

 正面から歩いてきた自分より二回りほど大きい男の腕と接触しそうになり、危うくかわしてホッと息を吐いた時だった。

 反対方向からいきなり衝撃が襲ってきて、私の身体は面白いように跳ね飛ばされた。

「おいおい。ぼーっと突っ立ってたら危ないだろうが」

 地面の石畳で擦りむいた掌や膝の痛みより、上から降ってきた男のこちらを責めるような野太い声に、恐怖で身体が竦んだ。

「どうした?」

「いや、この女が道に突っ立ってやがったから、ぶつかっちまったんだよ」

「おい、大丈夫か? 怪我してるんじゃないか?」

 がやがやと人の声が降ってきて、伏せたままの視界に入る石畳に立つ兵士の履く革製のブーツがどんどん増えていく。その光景を見つめながら、私は固まったまま動けずにいた。

 ……怖い。

「おい、お前!」

 怒鳴るような声に、思わず肩を震わせた時だった。

「何の騒ぎだ!」

「道を塞ぐな、散れ!」

 不意に居丈高な声が周囲を圧するように響き渡り、革製のブーツが私の視界からあっという間に逃げ散っていった。

 これだけ人の流れがある場所で通行を妨げていたのだから、さぞ周囲に迷惑を掛けてしまっただろう。しかも、ここは王宮だ。秩序を乱せば罰せられる。

 立ち上がろうと顔を上げると、灯火に浮かび上がる白銀の制服が目に入った。金の糸で縁どりされた立て襟の制服には、同じく金糸の精緻な飾りが施されている。

 ……近衛騎士団。

 その華やかな姿に思わず息を呑む。

 何故、使用人や一般兵士が利用するこの通路に、王族方の護衛を司る近衛騎士団がいるのだろう。それとも、彼らといえども帰路につく時にはこの道を通るのだろうか。

「いつまでそこで座り込んでいるつもりだ。立ちなさい」

 座り込んでいる私を立たせようと、近づいてきた近衛騎士の一人が私の腕を掴んだ時だった。

「……まさか、コーデリア?」

 近衛騎士達の間から投げかけられた声に目を見張り、振り仰ぐと、彼らの向こうから一際背の高い人物が彼らを押しのけるようにして現れた。

「……アルベルト様?」

 私を見下ろしたまま絶句してしまった彼もまた、近衛騎士団の制服に身を包んでいた。



 アルベルト様は、いつ近衛騎士団に異動されたのだろう。

 私の記憶にあるアルベルト様は第五騎士団に所属されていて、王都の警備を担当されていると聞いていた。制服も鮮やかな青に銀糸の飾りがついたもので、それがとても似合っていて眩しいくらいに素敵だと自慢に思っていた過去の記憶が脳裏を過る。

 私の腕を掴んでいた近衛騎士は、私とアルベルト様が知り合いだと分かると、途端に態度が柔らかくなった。丁重に助け起こされ、怪我はないかと尋ねられて、ひりつく掌を抑えながら首を横に振る。

「何故、あなたがこんなところに」

 そう尋ねてくるアルベルト様の声に振り向くと、彼は訝しげに眉を顰めていた。

「王太子妃殿下に侍女としてお仕えすることになりました。今日、王宮に来たばかりなのですが、早速騒ぎを起こしてしまい申し訳ありません」

 頭を下げると、アルベルト様は灯火の明かりにくっきりと影をつくるほど眉間に深い皺を寄せた。

「それで、この時刻に私服のままどこへ行こうとしていた?」

「やだなぁ、副隊長。この時間にこの方向なら、夕食をとりに食堂へ向かっているにきまっているじゃないですか」

 私の代わりに正解を答えたのは、アルベルト様の隣に立つ蜂蜜色の髪の近衛騎士だった。アルベルト様よりも少し若く見える、優し気な顔に人の良い笑みを浮かべた好青年だった。

「ええ、その通りです」

 頷くと、アルベルト様は無造作に髪をかき上げて溜息を吐いた。そして、何か言おうと口を開いたところで、またも蜂蜜色の髪の近衛騎士が割って入ってきた。

「丁度良いじゃないですか。我々も今から食道へ向かうところですし、一緒に連れて行ってあげたらどうでしょう」

「えっ……」

 私はぎょっとして目を見開いた。

 この近衛騎士は気付いていないのだろうか。私がアルベルト様の元婚約者で、決して平和的とは言えない状況で婚約を解消し、今もとても友好的とは言えない仲であることに。

 他の近衛騎士達の中には、意味ありげに目配せを送り合っている人達もいるというのに、この蜂蜜色の髪の近衛騎士はそんな周囲の反応など全く頓着していないようだった。

「……今、そう言おうと思っていたところだ。どうだろう、コーデリア」

 アルベルト様は不機嫌そうに唸った。

 彼は、部下にあんな風に提案されて、この女との仲は最悪だから食堂に案内するなど御免だ、などと撥ねつけられるような人ではない。

「あのっ……」

 嫌でも拒否できないアルベルト様が気の毒に思えて、こちらからお断りしようと口を開きかけた時、近づいてきた蜂蜜色の髪の近衛騎士が満面の笑みを浮かべて私の背を軽く押した。

「それじゃあ行きましょうか、コーデリア嬢?」



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