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14.誤解

 ドレイク侯爵邸の庭は広く、整えられた植木や花壇の傍にベンチが置かれていた。

 今夜は月の明かりが強く、暗闇に目が慣れれば青白く浮かび上がった庭の様子がはっきりと見て取れる。だから、灯火の明かりがなくとも、苦も無く庭を歩くことができた。

 寄り添いながら庭内を散策する恋人達の気配を避けながら進むと、私は庭の片隅にある植木の陰に座り込んだ。

 あまりに色々なことが一度に起きた為、正直混乱していた。深呼吸を繰り返し、落ち着こうと涙を拭いながらも、アルベルト様の言葉が耳の奥にこびり付いて離れずにいる。

 ――あなたも遊ばれているだけだ。

 違う、違う。遊びなんかじゃない。オーレンが今まで付き合ってきた女性達とは違う。

 だって、オーレンは私の両親に真剣な交際を許してくれるよう申し込んでくれた。私を幸せにすると約束してくれた。私が美しくなるために必要な物を用意してくれ、社交界に戻る為の下地を整えてくれた。いつも私を気遣ってくれて、不安な時、悲しい時には抱きしめてくれた。

 ……私の努力を認めて、頑張っていると評価してくれた。

 ああ、でもそれは全て、復讐の為。そして、オーレンの叶わない恋をカモフラージュする為。本当に愛されている訳ではないという点では、遊ばれているのと何が違うのだろう。

「オーレン……」

 嗚咽と共に、何度もオーレンの名を呟く。

 認めたくなかった。自分が、これまでオーレンが付き合ってきた女性達と同じだとは思いたくなかった。でも、それは私の勝手な願望であって、彼がどういうつもりなのかなんて私の想いだけで変えられるものではない。

 オーレンが、アリアンナ様と結ばれることはない。王族とマクレーン公爵家との結びつきは、王権を安定させる為に不可欠な、極めて政治的な判断によるものだから。それは以前、他でもないオーレンの口から聞いたことだった。

 それに、私はよく知っている。アリアンナ様が、エリクス殿下の事を深く愛していることを。リリィ嬢が社交界に現れ、エリクス殿下が彼女に惹かれている間、アリアンナ様が嘆き悲しまれていた姿もこの目で見た。リリィ嬢の気持ちがアルベルト様に向かうと、アリアンナ様も婚約者を奪われそうになっていた他の令嬢達同様、胸を撫で下ろし笑顔を取り戻していったことも知っている。

 ずるい……。

 自分は愛する人を手に入れて、その上オーレンにまで愛されているなんて。

 私は、……私は、誰からも愛されないのに。

 ぎゅっと自分の身体を抱き締めたときだった。

「コーデリア!」

 微かに聞こえた声に、ドクンと心臓が跳ねた。

 私の名を呼んだその声は、間違えようもないオーレンのものだ。

 思わず立ち上がろうとして顔を上げたものの、こんな酷い顔では戻れないと身を固くする。

 もう少し待って、オーレン。落ち着いたら戻るから、それまでもう少しだけ時間を頂戴。

 心の中で詫びながら、再び植木の陰に身体を縮こませる。

 ……けれど、それからほどなく、オーレンはあっさりと私を見つけてしまった。

「……こんなところにいたのか」

 脱力したようにそう言うなり、がっくりと膝を着いたオーレンは、そのまま私を抱き締めた。

 彼の息は乱れ、随分と汗を掻いていて体が熱い。もしかして、随分と探し回ってくれていたのだろうかと、いつもより強めに抱きしめられながら思った。

「どうした? 何があった? どうしてこんな所で泣いている?」

 抱きしめられた状態のまま、問い詰めるようなオーレンの声を耳元で聞きながら目を閉じると、涙が頬を伝って流れ落ちた。

 ……ねえ、オーレン。あなたが愛しているのは、アリアンナ様ね?

 そう言ってやったら、あなたはどんな反応をするのかしら。

 アリアンナ様の事を忘れるまであなたの傍にいたら、あなたはいつか私の事を愛してくれる? 偽りではなく、本当にその心をくれる?

 それとも、これまで心を紛らわせる為に遊んできた多くの女性のように、いつか私にも別れを告げるの?


「……何でもないの」

 オーレンの肩に額を押し付けるように首を振って、私は彼の胸の中で嘘を吐いた。

「何でもないのなら、何故泣いている? しかもたった一人で、こんなところに隠れて」

 オーレンの手が、優しく私の背を撫でる。まるで泣いている赤子をあやすように。

 その掌の熱を感じているだけで、じんわりと幸福感が込み上げてくる。悲しいのに、辛いのに、彼に抱き締められてその温もりに包まれているだけで幸せな気持ちになる。

 でも、オーレンは本当に愛しい人をこうやって抱きしめることもできないのだ。そう思うと切なくてまた涙が零れた。

「コーデリア」

 オーレンは、泣いている理由を言えと急かすように何度も私の名を耳元で囁く。けれど、私は黙ったまま、その度に首を横に振った。

 


 オーレンは、庭から会場に戻らなくてもそのまま馬車に乗って帰れるよう、ドレイク侯爵家の使用人に声を掛けて手配してくれた。

「オーレン。あなたはゆっくりしていって。私は一人で帰れるから」

 馬車に乗り込んだ後、私は外にいるオーレンにそう声を掛けた。

 この夜会には、オーレンの母親も参加しているから、私が一緒に来た馬車に乗って帰ってしまっても、彼が帰りの馬車に困ることもない。

 せっかくアリアンナ様とゆっくり語らえる貴重な時間を、私のせいで奪いたくない。

 けれど、オーレンは無言で馬車に乗り込んでくると、素早く私の隣に腰を下ろした。

 やはり、夜会がお開きになるまで休憩室で休ませてもらったほうが良かったのかも知れない。そうすれば、彼は私に気を遣って一緒に帰らなくてもよかった。私が休んでいる間、彼だけ会場に戻って、アリアンナ様と過ごすこともできたのに。

 動き出した馬車の車輪が回る音を聞きながら、後悔に襲われる。

 ……ああ、でも。

 結局、私はお会いできなかったけれど、今日の夜会にはエリクス殿下も参加していたはずだ。二人の仲睦まじい姿を見ているのは、彼にとっては辛い事だろう。

 その時のオーレンの心中を慮ると胸が締め付けられ、隣に座る彼の袖をぎゅっと引っ張る。すると、それに反応したように、不意にオーレンが体勢を変え、私に向き直った。

「コーデリア。今夜の事、何があったのかちゃんと教えてくれ」

 オーレンは、私が何故庭の片隅で泣いていたのか、どうしても知りたいらしい。

 けれど、私は彼に言うつもりはなかった。彼の本当の想い人がアリアンナ様だと私が気付いてしまったことを。それを言ったなら、私が彼を本当に愛してしまったことまで全て話さなければ、泣いていた理由を説明できない。

 でも、そうしてしまったら、彼から今の関係を解消すると言われそうで怖かったのだ。

「本当に何でもないの」

「アルベルトに、何か言われたんじゃないか?」

 オーレンの問いかけに、驚きのあまり返答に窮して、私は口を開けたまま黙り込んだ。

 何故、オーレンは私がテラスでアルベルト様と会ったことを知っているのだろう。

 ……いや、今夜の夜会にアルベルト様が出席していたことはオーレンも知っている。だから、自分のいないところで私とアルベルト様が会ったのではないかと推測しているだけかも知れない。

「それも言えない?」

「あの、それは……」

「あなたが、あの植え込みの陰にいると教えてくれたのは彼だよ」

 オーレンの言葉に、思わず息を呑んだ。

「あなたを探していた私に、庭にいると伝えに侯爵家の使用人を寄越したのも、庭のどこにいるのか分からず闇雲に駆け回っていた私に、あの植え込みの陰にいると教えてくれたのも彼だ」

「……アルベルト様、が?」

 ということは、アルベルト様は庭に出た私の後を追ってきて、オーレンが来るまで近くにいてくれたというのだろうか。もしかして、また何か危険なことが起きないように……?

 テラスでのアルベルト様との会話を思い出す。

 オーレンの事を悪く言われて頭に血が昇り、助けてくれたお礼も言わずに怒りをぶつけてしまったけれど、思い返せばアルベルト様は私の事を心配しているようにもみえた。

 私の事を捨てて他の女性の手を取ったくせに、今頃になって私の事を気に掛けるなんてどういうつもりだろう。しかも、私は幸せな姿を見せつける為に努力してきたのであって、アルベルト様に心配されたり哀れまれたりするような存在になるつもりなどなかったのに。

 困惑、憤り、そして悔しさ。様々な感情が込み上げてきて、俯いて唇を噛みしめる。すると、不意にオーレンが膝の上に置いていた私の手を取り、指を絡めるように握り締めた。

「コーデリア、あなたは知っているだろうか。リッツスタール侯爵家とウィンスバーグ伯爵家の縁談が、もう一つあったことを」

「え……?」

 唐突な彼の言葉に、何の事だろうと眉を顰めた私の横で、オーレンは感情の籠らない平坦な声で淡々と語った。

「これは、我々が生まれる前の話だ。人から聞いた話だから、真偽のほどは確かではない。けれど、両家の先代の間で交わされた縁談は、当初はアルベルトの父に、あなたの叔母を嫁がせるというものだったそうだ」

 オーレンの言葉に、私は思わず目を見開いた。

「縁組を交わすという話が出た時、当時両家の子女はすでに結婚していたり、婚約者や恋人がいて、結局縁組は叶わなかったという話は聞いていたわ。だから、その縁組は時を経て私達の代に持ち越されたのだと」

 けれど、当時先代同士の間で具体的にそこまで話が進んでいたとは知らなかった。私が物心つく前に亡くなった祖父は勿論、両親や叔母もそんな話をしてくれたことはなかったから。

「だが実際は、当時婚約状態だったアルベルトの両親を別れさせて、リッツスタール侯爵家にあなたの叔母を嫁がせるという方針で動いていたようだ。その話に随分乗り気だったのは、あなたの祖父と叔母だったらしい」

「じゃあ……」

 親睦を深めようと私がリッツスタール侯爵家を訪ねていく度に、得体の知れない何かを湛えた笑顔を貼りつけて出迎えたアルベルト様のお母様の顔を思い出す。

 私の髪の色も瞳の色も祖父と同じで、目鼻立ちは叔母によく似ていると言われていた。

 もしかして、恨まれていた……?

 その可能性に愕然とした。

 ――アルベルトは忙しいの。我儘を言ってあの子の負担にならないでちょうだいね。

 その言葉を素直に聞き入れ、アルベルト様の邪魔をしないよう、接触は必要最小限に止めるよう気を配った。結果として、アルベルト様との距離は日を追うごとに開いていった。

 アルベルト様のお母様から憎まれていたとしたら、私達は知らぬ間に引き離されていたのかも知れない。親密になろうとしていた努力をすり寄っていると歪曲され、良くない評価を吹き込まれていたのだとしたら、アルベルト様が私に良い感情を持てなくなっていたとしても不思議ではない。

「アルベルトが母親のせいであなたを誤解していたのだとしたら?」

 私の心理を読んだかのようなオーレンの問いかけに、返す言葉が見つからなかった。

 もしそれが本当だとしたら、私とアルベルト様は距離を縮め、お互い信頼し合う機会を奪われていたということだ。だから、リリィ嬢という存在が現れて、私達の関係はあっけなく崩壊してしまった。

 リッツスタール侯爵家がアルベルト様の婚約破棄宣言をあっさり受け入れ、思い直して欲しいと申し入れた父に取り付く島もなかったのも、そんな過去があったせいだというのだろうか。

 ……けれど、今頃それを知っても、私達はすでにお互い別々の人に心を寄せているのに、今更どうしろというのだろう。アルベルト様のお母様を非難したところで、壊れてしまったものはもう元には戻らないというのに。

「……アルベルト様にはリリィ嬢がいるわ」

「彼女が、あの厳格なリッツスタール侯爵家に迎え入れられる日が来ると、本当に思っている? あなた達の仲を裂きたかった夫人はともかく、侯爵がリリィ嬢を受け入れられるはずがない」

 我が家とリッツスタール侯爵家の縁談に関する情報も、リリィ嬢の現状も、全てランデル伯爵家の情報網を使って調べあげられたものなのだろう。ならば、オーレンの言うことはきっと間違ってはいない。

 アルベルト様も愛しい人と結ばれることはないのか。

 二人の仲がうまくいかなければいいのに、と願ったこともあった。けれど、実際にそうなったらなったで、苦い思いが込み上げてくる。

 いくら母親の影響があったとはいえ、今でもアルベルト様がしたことは許せない。十年近く婚約者でいた私を、母親や周囲の評価という膜を通してでしか見てくれなかったアルベルト様に、今後何かを期待しようだなんて思えない。

 それでも、長い間ずっと恋い慕ってきた人だ。彼に不幸になって欲しいなんて気持ちにはなれない。

「なぜ……」

 この世は、こんな風にままならないのだろう。どうして、皆が幸せになることができないのだろう……。

 オーレンが指を絡めている手をそっと握り返し、彼の男性にしては細く長い指の感触を味わいながら目を閉じると、涙が一筋頬を伝って流れ落ちていった。


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