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11.復讐

「やあ、オーレン。……久しぶりだね、コーデリア」

 五歩ほどしか離れていない距離で視線が合えば、挨拶を交わさない訳にはいかない。

 意図的に無視すれば、例え本人同士は何とも思っていなくても、それを見ていた周囲の人々からどんな噂をたてられるか分かったものではない。だから、内心はともかく、表面上は笑顔で挨拶を交わすのが貴族というものなのだ。

「アルベルト、それからリリィ嬢も。お二人とも相変わらず仲睦まじそうで何よりだね」

 にこやかに応えるオーレンの、私の腰に回された手に力が込められたのを感じて、半ば呆然自失していた私は我に返った。

 そうだ。今日のこの日の為に、私はオーレンの提案に乗り、努力を重ねてきたのだ。過去の絶望に囚われて、せっかくの機会を台無しにする訳にはいかない。

「お久しぶりです、アルベルト様。お元気そうで何よりですわ」

 固い表情のアルベルト様から僅かに焦点を逸らし、できるだけ平静を装って絞り出した声は、思いのほか自然に響いた。強張りかけている表情筋を叱咤して笑顔をつくる。

「それから、リリィ様も。その髪飾り、とても良く似合っていて可愛らしいわ」

 余裕ある態度を装おうと咄嗟に目についたリリィ嬢の髪飾りを褒めると、彼女は愛らしい顔を少し曇らせながら俯き、小さく礼の言葉を口にした。

 彼女の年齢を考えれば幼すぎる大きなピンク色の髪飾りは、確か昨年も身に付けていたものだ。それに、今彼女が着ているドレスにも見覚えがある。昨年流行したその型のドレスを着ている令嬢は他にもいるけれど、以前より成長し少し肉付きの良くなった彼女に似合っているとは思えなかった。

 どうやら相手が私からリリィ嬢へ変わっても、アルベルト様の女性への贈り物に対する方針は変わっていないらしい。そう思うと、少しホッとしている私がいた。

 余裕のなさを取り繕う為、咄嗟に私が口に出した言葉は、思いがけずリリィ嬢の痛い所を突いてしまったようだ。

「……コーデリア様も、とっても素敵です」

 すこし間をおいて顔を上げたリリィ嬢は、庇護欲をそそるような健気な表情で微笑んだ。

「ありがとう。このドレスは、オーレンからいただいたものなの」

 自分の美しさを誇示するように艶やかな笑みを浮かべてみせれば、リリィ嬢は笑みを消して再び目を伏せる。

 長い睫毛が影を落とすその可憐な姿を見ていると、胸の奥から沸々と何かが沸き上がってきた。

 気遣うように彼女の顔を覗き込むアルベルト様と、それに応えて無邪気な子供のような愛らしい笑顔を浮かべるリリィ嬢。その光景を眺めているだけで、不意に握り締めている扇を振り回して暴れたいような衝動に駆られた。

 見返してやっている、今がまさにその状況にあるはずなのに、何の清々しさもない。それどころか、リリィ嬢を気遣うアルベルト様の姿にただただ無性に腹が立ち、大声で笑ってやりたくなった。

 ……復讐? これが? 馬鹿みたい。まるで道化だわ。

 流行のドレスに身を包み、煌びやかな有名ブランドのアクセサリーを身に付け、完璧なメイクで素顔を隠して笑っている私は、まさに道化そのものではないか。

 アルベルト様の心を取り戻せる訳でもない。リリィ嬢がオーレンに泣いて縋る訳でもない。

 何も変わっていない。変えられない。変わったのは私の見た目だけ。後は何一つ……。

 と、不意に肩を強く引き寄せられて我に返る。

「久しぶりに夜会に参加して、疲れてしまったようだね」

 耳元でそう囁くオーレンの優しい声に、私の中で激しく暴れ回っていた感情が行き場を失い、急激に疲労感が押し寄せてきた。

「あちらの椅子に腰掛けて少し休もう。アルベルト、申し訳ないがまた後程」

「ああ、では。……ほら、リリィ。おいで」

 子供に語り掛けるような優しい声でリリィ嬢を促すアルベルト様の声に心が軋む。

 アルベルト様のあんな優しい声なんて、もう久しく聞いたことがなかった。子供の頃にはアルベルト様にあんな風に話しかけて貰えていたこともあったけれど、ここ数年は礼儀正しいといえば聞こえはいいけれど、他人行儀な態度ばかりだった。

 やはり、愛されてなどいなかった。アルベルト様にとって私は、ただ家同士の取り決めによって押し付けられた婚約者でしかなかったのだ。

 綺麗になっても、どれほど着飾っても、他の男に愛されているという状況を装っても、アルベルト様にとっては何の関係もなかった。それなのに、彼が私と別れたことを後悔するだなんて馬鹿みたいな願望を抱いて、その為に頑張っていただなんて。

 ……なんて滑稽なんだろう。

「顔を上げて。まだ、舞台は終わっていない」

 不意に耳元で囁かれたその声にビクッと肩が震える。

「今、私達は注目されている。あなたは私の恋人だろう? 例え誰であっても、私以外の男に心を乱されるようなことは許さない」

 周囲には聞こえないほどの大きさで囁かれる言葉の厳しさとは裏腹に、オーレンは見ているこちらの心が溶けそうになるほど甘い笑みを浮かべている。

 ……笑ってやるつもりだったのに。あなたなんてもう眼中にないのだと、冷たく突き放してやるつもりだったのに。

 他の女を愛して夢中になって、婚約者である私を蔑ろにして、挙句夜会の会場で婚約破棄を宣告した最低の男。それなのに、やっぱりまだ私の心にアルベルト様の存在は棘のように突き刺さったままだった。

 憎いと思えば思うほど、責任を取らせたい、私に償えと、そう心が叫ぶ。勝手に私が別の男と幸せになったからこれで良かったのだなんて、胸を撫で下ろすことなど許さない。私をあれだけ傷つけた罪悪感に苛まれて苦しむのが当然なのよ。

 そんな怒りを覚えるのは、まだアルベルト様に未練が残っているからなのだろう。

 アルベルト様への捨てきれない想いと、リリィ嬢への嫉妬で荒れ狂う心を押しとどめるように、咄嗟にオーレンの胸に飛び込んだ。

 公衆の面前では、私が彼の恋人を演じなければならないように、彼は私の恋人として振る舞うしかない。彼が、この復讐という名の茶番劇を続ける限り。

 そこに、私は甘え、縋りついたのだ。

 予想通り、オーレンは急に抱きついてきた私を拒むことなく抱き締めた。まるで愛しくて堪らないというように。そんな私達を見て、周囲からざわめきが起こる。

 このまま現実から目を逸らし、この作られた関係を真実だと思い込んでしまいたい。

 彼の温もりを感じながら、そんな思いが込み上げてきた。

 けれどこの茶番は、オーレンが終わりを告げた時点で幕を下ろす。私は華美なメイクを落とし、ドレスも宝石も全部この身から外して、元の不幸で孤独なコーデリアに戻るのだ。

 それは数か月先かも知れないし、数日後かも知れない。いいえ、もしかしたらこの夜会で、オーレンは私を見限るかも知れない。

「酷い顔だ。ひょっとして、本当に具合が悪いのかい?」

 顔を覗き込んでくるオーレンに首を横に振ると、深く息を吐いて心を落ち着ける。

「大丈夫よ。少し動揺してしまっただけ」

 こんなところで終わりたくなんてない。もう少しだけ、もう少しだけでいいから、縋りつけるこの手を離したくない……。

 


「ごめんなさい」

 夜会から自宅に戻る馬車の中で、私はオーレンが口を開く前にそう切り出した。

「それは、何に対する謝罪?」

「予想以上に取り乱してしまって、せっかくの復讐の機会を台無しにしてしまったわ」

 あの後、椅子に掛けて休憩している私達の元へ、好奇心に満ちた目をした人々がやってきて、差し障りのない世間話に織り交ぜながら、アルベルト様達とのことを聞き出そうとしてきた。その対応はほぼオーレンが一手に引き受けてくれ、適当にあしらってくれた。

 だが、彼らとの話が終わった時には、アルベルト様達の姿はすでに会場から消えていた。

「あなたは充分頑張っていた。自分を責めることはない」

 労わるように私の手を撫でてくれるオーレンの手の感触が心地いい。

 その後、オーレンは今夜の夜会で出会った人達について説明をしてくれた。誰と誰が仲が良くて、誰と誰が仲がよさそうに見えて実はお互いを嫌っているか。人間関係や趣味、家族関係。付き合っていく上での注意点等。

 復讐が終わったら社交界から距離を置くつもりの私には、あまり必要な情報とは思えなかった。とはいえ、オーレンの恋人役でいるうちは、彼の周囲の人達と円満な人間関係を築いておかなければならない。その為に必要な情報なら、頭に入れておかなければならない。

 そう考えて、ふとアルベルト様との婚約が破棄される際に掌を返したリッツスタール侯爵家とのことを思い出した。

 厳粛で格式高く、伝統を重んじるリッツスタール侯爵家。今は亡き先代が我が家と交わした盟約がなければ、きっと近しくお付き合いをすることもなかっただろう人々。

 あの二人が、今も仲睦まじく寄り添っている姿はこの目で見た。けれど、二人はまだ婚約に至っていない。伯爵令嬢である私でさえ格下扱いしていたリッツスタール侯爵家の方々だから、男爵家の庶子であるリリィ嬢の事をそう簡単に受け入れられるとは考えにくい。

 ……うまくいかなければいいのに。

 以前、オーレンが言っていた。精々、苦しめばいいと。私もそう思う。けれど、そんな風に彼らを憎む気持ちが、自分自身を貶めているようで虚しさが胸に広がっていく。

 もうこれ以上、何をすればいいのだろう。

 復讐という名の茶番劇は終わった。それも、恐らくは返り討ちという形で。

 ならばもう、オーレンとの関係もこれで終わりにするべきだ。

 ……けれど、私はそれを言い出せずにいる。

 今のこの関係を失いたくない。彼に傍にいてもらいたい。これからもずっと。でも、断られるのが怖くて口に出せない。

 私は黙りこくったままでいた。彼がいつ、これで終わりだと告げてくるのか、恐怖に慄きながら。

「そうだ」

 ふと思いついたようなオーレンの声に、思わず肩を震わせた。

 彼の顔が見られず、膝の上で握り締めた己の拳を見つめていると、思わぬ言葉を投げかけられた。

「五日後にドレイク侯爵家で開かれる夜会だけれど、あそこはあなたの家から少し遠いから、今日より一時間ほど早めに迎えに行くよ」

 え……、と声にならない声を発しながら顔を上げた私の目に、薄暗い馬車の中でもいつもと変わらない笑みを浮かべているオーレンが映った。

 五日後。少なくと、それまでは彼との関係が終わることはない。それまでは、彼はこの茶番を終わらせるつもりはない。

「分かったわ。……オーレン、いつもありがとう」

 例え、リリィ嬢を悔しがらせる為か、それともただの気まぐれで私を利用しているだけなのだとしても、それでも彼が私を救ってくれたことには違いない。それは本当に感謝している。

 でも、この関係が終わった時、私は素直に感謝の気持ちを伝えて、綺麗にお別れできる自信がない。だから、余裕がある時に伝えておかなければいけない。

「あなたには本当に感謝しているの。私が今、ここでこうしていられるのは、あなたのお蔭よ」

「コーデリア……」

 切なそうに響くオーレンの声に胸が揺さぶられる。

 伸びてきた彼の手が顎から後頭部へ滑り、そのまま引き寄せられる。反射的に目を閉じれば、彼の温もりに包まれる。

 ……けれど、期待していた唇ではなく、口づけが落とされたのは額だった。

「……すまない」

 擦れたような声で囁かれた彼の声が耳をくすぐる。

 彼は彼なりに、私を社交界へ半ば強引に連れ戻したことを気に病んでいるのだろう。

 大丈夫よ、と答える代わりに、彼の背に手を回してあやすように撫でる。すると、強張っていた彼の身体から力が抜けていくのが分かった。

 間もなく、馬車が我が家に到着した。その間、僅かな時間だったけれど、私達は無言のまま、互いの温もりを享受していた。


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