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1.来訪


 これまで当たり前のように続いていた日常も、当然やってくるはずの未来も、全てはあの日、一瞬にして崩れ去った。


 高い天井、白い大理石のフロア。

 会場を照らし出す眩いシャンデリアの輝きに、奏でられる華やかな音色。それに合わせて舞う人々の華やかな衣装が、花のように咲き乱れていて。

 ――コーデリア。あなたとは、結婚できない。

 明かりの届かない薄暗いテラス。

 恐れていた、けれど杞憂だと何度も自分に言い聞かせた、最悪の結果を宣告する愛しい人の声。

 ――私には、愛している人がいる。

 そうして、伸ばされた長い腕に、祈るように手を合わせて事の成り行きを震えながら見守っていた可憐な少女が飛び込んでいく。

 ……何故。何故。こんなこと、許されることじゃないわ!

 どんなに叫んでも、それは聞き取れる言葉にはならない。ただ、喘鳴のような音だけが響く。

 このままでは、二人は肩を寄せ合い、私の前から消えてしまう。

 そうして待っているのは、この電撃的な婚約破棄という醜聞を興味津々で覗き見ていた人達の嘲るような視線と、二人の恋路に障害となっていた私への遠慮のない陰口。

 ……待って。こんなの、こんなの、あまりに酷いわ!

 恥も外聞もなく泣き喚いて、縋るように手を伸ばす。

 けれど、無情にもその人は侮蔑するような視線だけ寄越して、隣に立つ可憐な少女の肩を抱き、踵を返す。

 ……待って。こんなの嫌。……待って、待って!

「…………アルベルト様!」

 自分の悲鳴で目を開ければ、薄暗い天井が視界に広がる。

 そう、これは夢。あの日から繰り返し見る、現在いまという絶望に繋がる夢。



 私、コーデリア・ウィンスバーグには婚約者がいた。

 アルベルト・リッツスタール。侯爵家の長男であり、将来有能と期待される騎士だ。男らしく整った顔立ちと、長身で体格も良く穏やかな性格から、包容力があり頼もしい人物だと、社交界でも人気の高い方の一人だった。

 私達の婚約は、幼い頃に親達が決めたものだったけれど、私はアルベルト様の事が好きだった。

 婚約が決まった時からずっとアルベルト様の花嫁になるのだと、そう信じて疑うこともしなかった。彼の良き伴侶となる為、必要な知識を身に付け、彼や彼の親類とも地道に交流を深めてきた。

 けれど、積み上げてきたその全ては、あの日、音を立てて崩れ去った。


「お嬢様」

 呼ばれて顔を上げれば、目の前の窓ガラスに侍女の姿が映っている。もう十年近く私の侍女として仕えているナタリーだ。

 いつも快活だった彼女も、あの日以来すっかり元気がない。今も、神妙な顔をして、私の背をじっと見つめている。

 そんなナタリーの姿が映る窓の外に見える木の枝から、また一つ、枯れ葉が舞い落ちた。もうすぐ、この王都にも冬がやってくる。

 この冬が明けたら、私はアルベルト様と結婚するはずだった。花嫁衣装はもうデザインも決まっていて、仮縫いもほぼ終わっていた。あの日から二日後には、母と共に式の当日身に付けるアクセサリーを決める為、宝石商を家に招くよう手配も済んでいた。

 父は、結婚まであと一年を切った頃から、しみじみと私との思い出を懐かしむようなことを呟くようになっていた。母は、事ある毎に、妻としての心得を説くようになっていた。兄は、来年の今頃はもうコーデリアは家にいないんだな、と寂しそうに眉を下げた。

 結婚に向けて浮き立つ心と、家族と離れ離れになる寂しさと。それが入り混じりながら、それでもその未来は間違いなくやってくるものと、そう信じていた。

 ……信じていたのに。


「お嬢様。お客様がおみえです」

 絶望の淵をさまようような思考を断ち切るように、遠慮がちなナタリーの声が耳に届く。

「……お客様?」

 首を傾げながら緩慢な動作で振り向くと、左肩からショールが滑り落ちた。

 誰だろう。婚約者に一方的に婚約破棄を告げられ、あのような醜態を晒した私を訪ねて来る人なんて。

 もしかしたら、親しくしていたご令嬢方の誰かだろうか。世間の話題をさらっている大恋愛の恋敵として、今や笑い者になっているという私の事を心配してくれている人が、家族以外にいてくれたのだろうか。

「どなた?」

「オーレン・ランデル様でございます」

 驚きのあまり目を見開いた私に、ナタリーは嘘ではないというように大きく一つ頷く。

「何故……」

 彼は確かに知り合いではあるが、見舞いに来てくれるほど親しい間柄ではない。

 ……いいえ。そうだわ。きっと私の事を笑いにきたのだ。心配する振りをして、全てを失いやつれ果てた私の姿を見て嘲り、嬉々として周囲に吹聴するのだろう。

 何故なら、オーレン・ランデルは、私の婚約者を奪ったリリィ・ダンネル男爵令嬢の崇拝者の一人だったのだから。

「とてもお会いできるような状態ではないから、とお伝えして、帰っていただいて」

 ランデル伯爵家は家格こそ我が家と同じだが、当代になってから手広く事業を手掛け、それが成功して莫大な財を築いている。無碍に出来る相手ではないことは百も承知だけれど、対応は母なり執事なりがしてくれるはずだ。

 それに、向こうとてあの騒動以来家に引き篭もって臥せっていると話題の令嬢にすんなり会えるとも思っていないだろう。

 万が一、どうしても会いなさいと母が部屋に乗り込んできた場合に備えて、ベッドに潜り込む。

 布団を頭から被って目を閉じれば、あの騒動以来、夜あまり眠れなくなったせいだろう、昼間だというのに睡魔が襲ってきた。

 一瞬、落ち込むように眠ってしまった私は、気配を感じてハッと目を開けた。

「申し訳ありません。せっかく眠っていらっしゃったのに、起こしてしまいましたね」

 申し訳なさそうに一礼するナタリーは、ピンク色の花を生けた花瓶を抱えていた。

「それは?」

「オーレン様が、お見舞いにと持ってきてくださったのです」

 結構な大きさの花束であったと思われるピンク色の撫子が、殺風景だった窓際に飾られる。少しだけ、良心が痛んだ。

「オーレン様は?」

「奥様とお話をされて、先ほど帰られました」

「そう……」

 呟くように相槌を打ちながら、可愛らしい小花の群れに吸い込まれるように目を奪われる。

 これが、様々な手練手管で女性をおとしていくと有名なオーレンの手なのだと分かっていても、それでも少し後悔の念を感じる。

 ……せっかく、花まで持ってわざわざ会いにきてくれたのに。本当に心配してくれていたのだとしたら、悪い事をしたわ。



 その二日後。再びオーレンは私を訪ねて来た。しかも、先日訪ねて来た時、確実に私と会えるよう、用意周到に母と話をつけていたらしい。

 その日、いつものように部屋に引き篭もっていた私の所へやってきた母が、午後からオーレンが会いにくるので支度をしておきなさいと告げた。

 母を抱き込むなんて、さすが王都でも一二を争う女たらしだ。会っていれば良かったなどと後悔して損をした。

 勿論、本音を言えば会いたくなどない。けれど、仮病を使った罪悪感もあり、二度も会わずに追い返すのは躊躇われた。

 それに、オーレンの母であるランデル伯爵夫人は社交界でも影響力の大きな方なので、彼女のご機嫌を損ねるような原因を作る訳にはいかないのだと母に涙目で訴えられたら、何も言えなくなってしまう。そう、ただでさえ、私の婚約破棄に関するゴタゴタで、両親には苦労をさせてしまったのだから。

 仕方なく、艶もなくバサバサの金髪をナタリーにまとめて貰い、顔に粉を叩いて取り敢えず体裁を整える。目の下の隈や顔色の悪さは完全には隠せないが、今更どうすることもできない。

 例え、オーレンが私を笑いに来たのだとしても、せめて、彼から私のやつれ具合を伝え聞いたアルベルト様が、少しでも心を痛めてくれたなら……。

 事ここに至ってそんな馬鹿げた望みを抱いてしまう、鏡の中のまるで死神に憑りつかれたような顔に自嘲を漏らす。

 まだ、そんな未練がましいことを。アルベルト様は私のことなど、もう何とも思っていらっしゃらないのに。

 それどころか、アルベルト様は、愛するリリィ嬢を攻撃していた私のことを憎んでいることだろう。

 アルベルト様に、今のこの有様をいい気味だと思われているとしたら。そう思うだけで、またも心は絶望の底に沈んでいくようだった。



「お待たせいたしました。お久しぶりでございます、オーレン様」

「こちらこそ、体調が優れないところを何度も訪ねてきて申し訳ありません。久しぶりですね、コーデリア嬢」

 応接室に足を踏み入れると、上座のソファに腰掛けていた細身の男が立ちあがって応える。

 アルベルト様よりは低いが、それなりに上背もあり、顔立ちは整っているを通り越して見る者を魅了する妖しささえ感じさせる青年。身に付けているものは全て流行の最先端のもので、立ち上がって挨拶をする一連の動作の全てが洗練されている。

 オーレン・ランデル。彼は、その見た目と物腰、そして国内でも屈指の財力を持つ伯爵家の次期当主ということもあり、当然とても女性に人気があった。婚約者はおらず、あちこちで浮名を流していた人物だが、リリィ嬢が社交界に現れると、あっという間に彼女を慕う男性達の一人に成り果ててしまった。

 私を笑いに来たにしては、オーレンの表情は神妙で、ふざけた様子はない。けれど、食えない男だと有名な彼の事だ。腹の底で何を考えているかなんて分からない。

 ……ああ。もしかしたら、私に恨み言を言いに来たのかも知れない。私に婚約者の心を奪って離さないほどの魅力があれば、みすみすアルベルト様にリリィ嬢を奪われずに済んだのに、と。

 昏く沈んだ彼の目を見ながら、そう見当がつくと思わず口の端に笑みが浮かんだ。

 これほどのいい男であるオーレンと、地味で取り立てて優れた所のない女である私が、愛する人に振られたという同じ立場であることが何だか可笑しかった。

 私が笑った理由を見透かしたのか、オーレンは一瞬、不快そうに目を細める。

 その場の空気が悪くなる前に、こちらから友好的に話しかけた。

「先日は、素敵な花束をありがとうございます。せっかく来ていただいたのに、体調を崩しておりまして、お会いできずに大変失礼いたしました」

「とんでもない。長く患っていると聞いて、心配でお見舞いに押しかけたのはこちらの方です。しかし、本音を言えば、会って貰えるとは思っていませんでした」

 形ばかり謙虚なことを言いながら、オーレンの目は不躾に私の姿を観察している。

 すっかり艶を失ってしまった金髪、血色が悪く荒れた肌、こけた頬、泣き過ぎて濁った菫色の瞳に濃い隈、くっきり浮き上がった鎖骨。さっきまで、私が自室の鏡の中に見ていた幽鬼のような姿を、彼は今、目に映している。

 こんな風に酷い有様となった自分を他人に、しかも男性に見られるだなんて、少し前までの私なら有り得ないことだった。

 けれど、今ではもうどうでもいいと全てを諦めきっている。

 恋敵を責め続けた挙句、一方的に婚約破棄された私の評判は地に落ちた。さして裕福でもない伯爵家の令嬢に、次の縁談があるとは思えない。あったとしても、親子ほど年の離れた寡か、性格や素行に難があって縁談がまとまらない男性か。ともかく、まともな縁談など望めない。そんな相手と結婚したところで、不幸になるのは目に見えている。

 あの二人が、アルベルト様とリリィ嬢が幸せに暮らしているのを横目に見ながら、不幸にまみれて生きていくなんて耐えられない。いっそこのまま死んでしまったら、あの二人は一生罪の意識を背負って生きていくことになるのではないか。いっそそうして、あの二人の幸せにケチをつけてやれば、少しは溜飲が下がるのではないか。あれからずっと、そんなことばかり考えていた。

 アルベルト様との未来と共に、砂が手から零れ落ちるように崩れていった幸福な未来。どんなに嘆き悲しんでももう二度と取り戻すことができないのだと現実を突きつけられた私の心は、もうずっと冷たい水の底に沈んでしまっている。

「体の具合はどうですか? ちゃんと食事はとっているのですか?」

「はい。食べられるだけは食べていますわ」

 その食べられる量は、以前と比べると格段に少なくなっているけれど。

「そうかな。きちんと食べられているようには見えませんね。そうだ。東方の国で万能薬と言われている珍しい食材があるのです。今度、それをお持ちしましょう」

「いえ、結構ですわ。お気持ちだけで充分です」

 別に私は元気になんてなりたくない。健康になれば、社交界から遠のいていられる理由がなくなってしまう。私が在るはずだった場所に、リリィ嬢がいる場面など見たくない。そして、彼女を愛おしそうに見つめるアルベルト様の姿も。

 それに、そのような珍しい品など、貴族の私でも目玉が飛び出るほど高いのだ。そんな物をオーレンから恵んでもらうような義理など何一つない。

 断られたのが不服だったのか、オーレンは浮かべていた笑みを消して黙りこくった。

 怒らせてしまった。でも仕方がない。このまま帰って、世間に私の非礼を吹聴すればいい。どうせ地に落ち泥に塗れた評判だ。これ以上は下がりようもないのだから。

「……あなたは、随分と変わってしまった。いや、あんなことがあった後だから致し方ないのだろうが」

 溜息交じりにそう漏らしたオーレンは、何かを決意したように膝の上で手を組んだ。

「実は、今日、ここに来たのは、あなたにある提案をしに来たのです」

「提案……?」

 予想外の言葉に驚きつつも、若干の嫌な予感を覚えながら、続くオーレンの言葉を待つ。

 オーレンは口の端に笑みを浮かべ、まるで悪魔が囁くがごとく、私にその言葉を投げかけた。

「復讐をしませんか? コーデリア嬢」


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