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第二章:過去 『食の都シィタ』

今週投稿するのは、この話のみです。

商業都市、シィタ。

城下町から東へ向かったところにある大都市だ。

魔王討伐隊の一行は、そこを訪れていた。

「わぁ……人が一杯だね!」

シャルアは、そう歓声をあげた。

「当たり前じゃない」

リナは、シャルアを鼻で笑った。

「ここの市場は国内でも最大級だからな、住人以外にも、大勢の商人が訪れる」

ハルディアは、シャルアに説明した。

「特に食材の流通は盛んで、シィタは食の都とも呼ばれているんです」

トリルは、そう付け足した。

「食の都、かぁ……

えへへ、道理で美味しい匂いがするわけだね」

シャルアは、市場を見回して涎を垂らす。

「汚いわね、ちゃんと拭きなさいよ」

「あ、うん」

「んなっ……袖で拭いたら意味無いでしょうが!」

「うん?」

説教を始めるリナと、きょとんとするシャルア。

「ふふ、やっぱりお二人とも仲がよろしいのですね」

「良くないわよ!」

「えへへ……」

「にやにやするのやめなさいイライラするわ!」

「まぁ二人とも、一度それくらいでやめておいてくれ。

少し話がある」

ハルディアの言葉に、リナはしぶしぶ黙り込む。

「実はな、俺とトリルだが、ちょっと政治的な話をしに行かなきゃならないことになっているんだ。

リナとシャルアの二人は呼ばれていないが、どうする?」

「えっ……」

政治的な話、という言葉だけで、リナは蕁麻疹が出た気がした。

「……え、遠慮しておくわ」

「そうか。

シャルアはどうする?」

「ボクもいいよ、難しい話は分かんないしね」

「分かった。

じゃあ、しばらく別行動だな。

集合は……そうだな、あの宿屋に、日が沈む頃に。

昼飯は勝手に食べておいてくれ、なんでもあるぞこの町には」

ハルディアは笑って言い、リナとシャルアに背を向けて歩いて行った。

トリルもまた、リナとシャルアに頭を下げ、ハルディアの後を追う。

「ちっ……なんであんたと二人きりなのよ」

舌打ちして、シャルアを睨むリナ。

「ほぇ?」

「まぁ……いいわ、ちょっと時間潰すだけだし」

肩をすくめて歩き出しかけたリナだが、しかし。

「あ、リナ、前見て歩かないとあぶな」

「きゃっ⁉」

「……あーあ」

どさどさという音がした。

リナは、誰かにぶつかり、誰かの抱えていた大量の荷物の下敷きとなっていた。

「リナ、大丈夫?」

荷物の下に声をかけるシャルア。

「もが……ぷはっ!

大丈夫じゃないわよ!

ってかあんた分かってたならもっと早く言いなさいよ!」

山をかき分けて、リナが顔を出した。

「え、無理だよそんなの、だってリナ、いきなり振り返っちゃうんだもん」

「うっさい、口答えしないで!」

荷物を押しのけて這い出して来るリナ。

シャルアが手を貸そうとしたが、その手は払い除けられた。

「あ、あの……」

そんな二人を見て、おろおろする少年が一人。

「ご、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい!」

地面にひれ伏し、リナとシャルアに謝罪し始めた少年。

「え?

な、何?

ちょっとシャルア、どうしたのよこの子?」

「あ、さっきリナがぶつかった子だね」

「そうなの?」

ぶつかった直後、荷物の山に潰されかけたため、リナは少年の顔を見ていなかったらしい。

「ごめんなさいごめんなさい!

何でもします、どうかご主人様には報告なさらないでください!」

「ちょ、もういいわよ別に、ぶつかったのは私も悪かったんだし……」

通りを行く人々の視線が、集まり始めていた。

リナはきまりが悪くなって、少年にそう言う。

「ほ、本当でしょうか⁉

何でもします、言ってください、お願いします!」

「良いって言ってるのよ、逆に怒るわよ?」

「あっ……す、すいません、申し訳ありませんでした!」

慌てた様子で立ち上がり、再び頭を下げた少年。

「というか、もしかしてこの周りに落ちてる荷物全部あなたのもの?」

「あ、は、はい、そうですが、何か……?」

リナは、周囲を見回して眉をひそめる。

「……持てるの、こんなに?」

荷物は、あまりにも大量にあった。

一人で持つ量では、決してない。

「もちろんです!

大丈夫です、僕は言われたことはできます、何でもやります!」

少年は、何かに怯えるようにそう言った。

その鬼気迫る様子に、リナは逆に気圧されてしまう。

「はい、どうぞ」

だが、シャルアはやはりいつも通りのにこにこ顔で、少年に拾い集めた荷物を手渡していた。

「あ……も、申し訳ありません……」

視線を忙しなく動かしながら、シャルアから荷物を受け取る少年。

彼にとっては、シャルアの親切でさえ、何かの罰の前触れに思えたのかもしれない。

「どこに運ぶの?

手伝ってあげよっか」

「い、いえ、結構です!」

「遠慮しなくていいんだよ?」

「いえ、その……叱られて、しまいますので……」

失礼します、と小さく呟き、少年は大量の荷物を抱えて去って行った。

「……どうしたのかな、あの子?

なんかすっごいびくびくしてたけど……」

シャルアは、少年が消えていった方を見て首を傾げる。

「奴隷でしょうね、きっと」

リナは、そう答えた。

「どれー?」

「こんなことも知らないの?

本当バカねあなた。

金で人間としての価値を売り渡した人たちのことよ。

もはや人間ではないから、所有者の意思に従って生きることしか許されない。

いえ、そもそも、生死そのものが所有者の気まぐれ次第らしいわ。

あの子も、きっとそうして生きている内にああいう性格になったのね」

リナは、本の受け売りである知識を披露してから、小さくため息をつく。

「哀れな子。

ああはなりたく無いわ」

「……ふぅん」

シャルアは、珍しく笑顔以外の表情を浮かべていた。

どこか困ったような、申し訳なさそうな、そんな顔だった。

「まぁ、別に気にする必要無いわよ。

奴隷なんて、別に珍しいものでも無いし」

リナは、言いながら歩き出す。

「そうなの?

城下町にはいなかったよ?」

シャルアは、リナを追いながらも、まだ先ほどの少年が去って行った方を気にしていた。

「城下町にいないのは当たり前よ。

シャルア、あなた、奴隷はどんな人間が持つモノだと思う?」

「え……よく分かんないけど、お金持ちとか?」

「半分正解ね。

でも半分間違いよ。

奴隷っていうのはね、訓練されていなくてもいいから大量の安価な人手が欲しい、そう思う金持ちが買うのよ。

城下町にいる生粋の金持ちたちに必要なのは訓練された家政婦や執事だから、奴隷は必要無いの」

「へぇ……難しいね、よく分かんないや」

「難しくないわよ、どこまでバカなのあなたは?」

息を吐くようにシャルアをこき下ろしながら、リナは歩いていく。

「というか、いつまでついてくるのよ?」

「え?

ご飯食べに行くんじゃないの?」

「一緒に食べるつもり?」

「うん」

笑顔で言うシャルアに、リナは溜息を漏らした。

「まぁいいわ、今日くらい一緒でも」

何を言っても結局シャルアはついて来そうな気がした。

だったら、断る体力は無駄というものだ。

「ただし、田舎者っぽい発言は慎むこと。

私が恥をかくのよ?」

「分かった。

あっ、あのお店すっごい大きいね!」

「それをやめろって言ってるの!」

「あいた⁉」

リナは、思い切りシャルアの頭をはたいていた。



シィタの聖堂は、城下町のそれより遥かに大きい。

その一室、巨大なテーブルのある部屋にて、トリルはとある少女と話をしていた。

「お久しぶりでありますな、トリル殿」

長い赤髪を後頭部でまとめた、見た目十歳前後の彼女は、名前をアリィ=キャリックという。

シィタ聖堂の司教だ。

「はい、お久しぶりです」

トリルは、いつも通りの上品な笑顔を作って言う。

「とりあえずは、お金の話でありますな」

アリィは言って、指を鳴らす。

部屋の隅に控えていた少年が、トリルの座る椅子の隣に跪き、重そうな袋を差し出した。

「奴隷、ですか」

少年を見て、トリルは言う。

「この町では安く手に入るでありますからな、自分用にも何人か持っているであります。

いくらでも補充出来るところも、私の聖性と相性が良いでありますし」

アリィは、くっくっと笑った。

「なるほど、道理ですね」

トリルはアリィに合わせて笑い、少年から袋を受け取る。

中を開いて見ると、大量の金貨が輝いていた。

「三百万、でありますよ」

アリィは、したり顔で言う。

「たぶん、これから行く聖堂でも、ここより多くの資金援助が出来る聖堂は無いと思うであります」

「ありがとうございます。

あなたの名前は、きっと歴史に残るでしょう」

「是非そうして欲しいであります」

嬉しそうに笑うアリィに、トリルは言う。

「ところでアリィ様、一つお願いがあるのです」

「む?

お金以外で、でありますか?」

「ええ。

魔王を倒した後のことです。

一つ、あなたにしか出来ないことがあります」

「ほぅ……」

アリィは、顎を撫でた。

「詳しく聞かせて欲しいでありますよ」



「ねぇ、リナ、これは何て書いてあるの?」

「自分で読みなさいよ」

「無理だよー。

ボク、文字読めないもん」

「……はあぁぁ」

シィタの街、とあるレストラン。

リナは、深い深い溜息をついていた。

「いいわ、メニュー貸して。

どんなのが食べたいの?」

「美味しいもの!」

「そうじゃなくて、もっと具体的に言いなさいよ」

「えーっと……じゃあ、お肉!」

「肉ね。

えっと、このページかしら……」

メニューを捲るリナは、ふとある場所に目を止めた。

「……アミルスタン羊?」

それは、同じページに並ぶ他のどんな肉よりも、何倍も高価な肉のようだ。

「どこかで聞いたことがあるような……」

リナは、首を傾げて考え込む。

アミルスタン羊、その名前を、何かで見た気がする。

あれは、何の本だっただろうか?

肉の名前なら、レシピ本か何かだろうか?

だが、リナが思い出すより先に、シャルアが口を開いた。

「あみるすたん?

何それ?」

シャルアは、リナにそう尋ねたのだ。

「え……あ、その、アレよ、ほら、アミルスタンだからその、えっと……」

リナは、しどろもどろになる。

シャルア相手に自分の無知を晒すなんて、プライドが許さなかった。

「あ、あんたにも分かるように簡単に言ってあげるなら、すっごい美味しい羊肉なのよ!」

結局、適当なことを言ってしまうリナ。

「すっごい美味しい……?」

「そう!

すごいわよ、ぷりぷりのとろとろよ!」

「ぷりぷりの……とろとろ……⁉」

シャルアの目が輝き、口元から涎が垂れた。

「食べたい!」

当然の結果として、シャルアはそう言う。

「え……」

正体も分からないような食べ物に大金をつぎ込むなんて勿体無い、と思わないでもないリナだったが、つい先日、魔王討伐隊への支給金として大金を預かっているので、懐は温かい。

「そ、そうね、そうしましょう!

普通そうするわね!」

今さら引けないのもあって、彼女はついついそう言ってしまった。

「ウェイター!」

手を上げて言うリナ。

「ご注文をどうぞ」

やって来た男に、リナはメニューを指差して言う。

「これ、アミルスタン羊ね、二人前!」

「……よろしいのですか?」

「何よ、早く持って来なさいよ!」

「……失礼しました、承ります」

去って行く男を見送り、リナは内心で胸を撫で下ろす。

実を言えば、彼女もこんなレストランになど来たことが無い。

生まれて初めての注文だったわけだが、どうやら上手く出来たらしい。

「ふっ……どうよシャルア、私の完璧なオーダーは?」

「うん、カッコよかったよ」

シャルアは、ニコニコ笑って言った。

「ふふっ、まぁそれはそうでしょうね、私はあなたとは違うもの」

リナは、胸を張ってそう嘯いた。



「ハルディア様、終わりました」

「お、そうか」

シィタ聖堂、中庭。

修道女たちと談笑していたハルディアは、トリルに声をかけられ、手を振って修道女たちと別れる。

「困りますね、修道女に手を出されては。

聖性は純潔な者にしか宿らないのですよ?」

「別に何かしたわけじゃない、ただ話していただけさ。

それに、俺に何か言われたくらいで道を踏み外すようなら、そいつはそもそも教会向きじゃない、そうだろう?」

笑うハルディアに、トリルは肩をすくめる。

彼女は、そんな挙動でさえ、息を呑むような美しさでやってみせた。

「というか、そういうことを言うくらいなら、俺をこんな場所に放置しておくべきではないな」

「あら、そうはいきません。

どうしたって、今日この日には、リナさんとシャルアさんには二人きりになってもらわなければならなかったのですから」

「なぜだ?」

「神は、そうお決めになられていたからです」

「昔からだが、全く分からないな、お前の言うことは」

「ハルディア様が理解なさる必要はありません。

神の意思は、私のみが知り、そして実行していればいいのです」

笑顔で答えるトリルに、今度はハルディアが肩をすくめた。

「で、もう終わりなんだろ?

宿に戻っていいのか?」

「はい、大丈夫です。

帰りましょう、ハルディア様」

トリルは、ハルディアに左手を差し出して言う。

ハルディアは、頭を掻いて溜息をつきながらも、その手を握った。



「お待たせいたしました、アミルスタン羊です」

シィタの街、とある店。

ウェイターが、ちょうど前菜を食べ終わったリナとシャルアのテーブルへ、銀製のクローシュが乗った皿を運んで来ていた。

「わぁ……!」

目を輝かせるシャルア。

「へぇ……本格的ね……」

わくわくを隠し切れない様子のリナ。

ウェイターがクローシュをどけ、そのまま下がっていく。

皿の上には、ソースのかけられたステーキがあった。

「不思議な匂いね……」

立ち上った肉の香りに、リナはごくりと唾を飲む。

「え……?」

だが、シャルアの反応は、リナとは違った。

シャルアは明らかに動揺し、そして、どこか怯えてすらいた。

「なに、どうしたのよ?」

フォークを持ちながら問うリナに、シャルアは青い顔で言う。

「リナ……ダメだよ……」

「はぁ?」

「こんな肉食べちゃダメだ!」

突然大声をあげたシャルアに、リナは思わずびくりと身体を震わせた。

「ちょ……いきなり何よ?

食べちゃダメって……毒でも入ってるっていうつもり?」

「違う、そんなんじゃない。

そういう話じゃないんだ!」

「わけ分かんないわよ」

リナはやれやれと溜息をつき、フォークを肉に突き刺そうとする。

だがその瞬間、何かが起きた。

一瞬の内に、テーブルの上の皿が床に叩きつけられたのだ。

「なっ……⁉」

何が起こったのか、リナには認識出来なかった。

だが、理解は、出来た。

いつの間にか立ち上がっていたシャルアを見れば、犯人は一人しか想定出来なかった。

「ちょ……何やってんのよあん……」

怒鳴りかけたリナだが、シャルアの目を見て声が詰まる。

シャルアは、何故か、泣いていた。

「出よう……こんな店、もういちゃダメだ……」

「なに……?

どういうこと……?」

「お願いだよ、リナ……

ダメだ……本当にダメなんだよ……」

リナは、視線を感じた。

ウェイターが、こちらを見つめていた。

どこか冷たいその視線は、リナの背筋に鳥肌を立てるには十分だった。

「……分かったわよ、出るわ。

でも、後でちゃんと説明して?」

「うん……」

泣きじゃくるシャルアを宥めながら、リナは一口も食べていない肉の代金を払い、店から出た。

少し歩き、人目の無い路地に入る。

泣きっぱなしのシャルアを、野次馬の視線に晒す気は無かった。

「……で、何よ?

何であの肉は食べちゃいけなかったの?」

「……リナは、雷に打たれた人を見たことある?」

「は?」

「目の前で、雷に打たれて人が死んじゃったこと、ある?」

「いや、ちょっと、いきなり何の話?」

話についていけないリナだが、シャルアは話し続ける。

「ボクはね、あるんだ。

だから知ってる」

「だから何を」

「人の肉が、焼けた匂い」

リナは、声を失った。

シャルアの言わんとする事が、理解出来た。

理解出来たが、信じたくなかった。

「ちょっと待って……あなた、自分が言ってること、分かってるの……?」

「……リナ。

あのお肉は、あみるす何とかっていうあのお肉は」

「やめて!」

リナは、思わず耳を塞いだ。

「やめて……だっておかしい、おかしいわ、そんなの……

そんなはず無い、そんなこと……」

だが、リナは、思い出してしまう。

アミルスタン羊、その名前をどこで見たのか。

レシピ本などでは無い。

小説だ。

人が死ぬ物語だ。

「だって……ダメよ、そんなこと、そんなことあり得ないわ……」

自分の記憶にさえ裏切られながら、それでもリナは否定する。

「だって、メニューに乗ってるのよ……?

だったら、ほら、材料は安定供給出来なきゃいけないじゃない……

ほら、やっぱり無理よ、そんなに沢山……沢山、殺せるわけないじゃない……」

ふるふると首を振るリナに、シャルアは泣きながら言う。

「……今朝、会った男の子みたいな。

奴隷……っていうんだっけ。

持ち主の気まぐれで、死んじゃうかもしれない人たち。

その人たちなんだよ、きっと」

リナは、今度こそ、耳を塞げなかった。

シャルアは、リナの目を見て、言う。

「あみるす何とかは……奴隷の人たちのお肉だよ」

リナは喉の奥に痛みを感じた。

そのまま、リナは嘔吐した。

胃液に混じって、つい先ほど食べた前菜が飛び出してくる。

甘酸っぱい臭いが、鼻腔を刺激した。

噛み潰されたトマトは、何かの肉片のようにも見えて、リナの足から力が抜けた。

壁によりかかるようになりながらも、ただただリナは、吐き続ける。

匂いを、思い出した。

アミルスタン羊のステーキの、匂い。

それを、一瞬でも美味しそうだと思った自分が、リナは怖かった。

リナの目から、涙が零れた。

もはや内容物など無いリナの胃袋は、それでも何かを押し出そうと、伸縮を続けた。

リナは、泣き続けて、そして、吐き続けた。



夕方、宿屋にて。

『リナ、夕ご飯だけど……』

「いらない」

シャルアの声に、リナは布団をかぶったまま答えた。

ランプも点けていない部屋。

月が雲に隠れている今、室内はほとんど完全な闇の中だった。

『……リナ、大丈夫?』

「あんたに心配される謂れは無いわ。

大丈夫だから、あんたはしっかり食べてきなさいよ」

『うん……』

ドア越しの足音がして、シャルアの気配が消えた。

リナは、布団の中で、下唇を噛んだ。

自分に、失望した。

自分はこんなに弱かったのかと、思い知らされた。

それでも、どうしようも無かった。

今もまだ、手が震えていた。

『リナ』

シャルアの声。

「……食べてきなさい、って言ったじゃない」

『やだ』

「やだって、あんた……」

『ねぇ、ドア、開けてくれない?』

「……嫌よ」

『じゃあ、ドア壊しちゃうね』

「えっ⁉

ちょ、あんた、本気⁉」

『うん』

シャルアの声には、全く迷いが無かった。

「……いいわ、開けてあげる。

だから、ドアは壊さないでそこで待ってなさい」

『分かった』

リナは、ロックを外し、扉を開いた。

「あれ……真っ暗だよ?

ランプ点けてないの?」

「悪い?

燃料を節約してあげたのよ」

適当に言って、リナはベッドに戻る。

「灯り、点けていい?」

「ダメ」

「なんでさ?」

「……なんでも」

弱い自分なんて、見せたく無かった。

シャルアに笑われるなんて、耐えられなかった。

「……そっか。

あ、じゃあこれ、食べてよ」

「食べないって言ったじゃない」

「お肉じゃないよ、林檎だよ。

ベッド……ここ、ベッドだよね?

ここに置いておくね」

「林檎……?」

暗闇に目が慣れているリナには、シャルアが手探りで自分の足元に何かを置くのが見えた。

「……林檎なら食べれるって思ったの?」

「思ったよ。

ボクが、そうだったからね」

「……?」

「よし、置いたよ。

取れる?」

「……うん」

リナは、ゆっくりと手を伸ばし、林檎を手に取る。

顔に近づけると、暗闇に緑色が浮かんで見えた。

「青林檎、なのね」

「赤色はちょっと食べにくいかな、って思ったから」

「……今日のデザートなの、これ?」

「ううん。

市場で買ってきたんだ」

「……わざわざ?

バカね、あんた。

私が食べなかったら、無駄になるだけなのに」

「そう思うなら食べてよ。

美味しいよ?」

「……ふん」

鼻を鳴らしながらも、リナは青林檎を口元に運んだ。

不思議と、食べられる気がした。

しゃく、という音が部屋に響く。

「……美味しいでしょ?」

「……まぁまぁね」

「そっか。

じゃあ次は、もっと美味しいの探してくるよ」

リナには、シャルアがニコニコと笑っているのが見えた。

「……あんた、なんなのよ」

「へ?」

「なんで笑えるの?

私には無理よ、私だったら、私みたいな奴相手にそんな顔絶対出来ないわ」

「……リナ?」

「分かってるのよ。

私、自分が嫌な奴だってことぐらいね、分かってるの」

リナは、下唇を噛んで言う。

「あなたのこと、田舎者だって見下してた。

何にも知らないって、バカにしてた。

ふっ、滑稽よね。

今日なんて、あなたがいなかったら、私人間食べちゃうところだったのに。

何にも知らないのは、私の方だったのに」

「リナ……」

シャルアは、困ったように笑う。

そう、彼女はそれでも、笑っていた。

「ごめんね、リナ、ボクにはよく分かんないや」

「……は?」

「リナは自分のこと嫌な奴だって言うけど、ボクはリナのこと嫌いじゃないもん。

むしろ、好きだと思うな」

「……やめてよ、同情なんてしないでよ」

「同情なんかじゃないよ」

「嘘つき」

「嘘じゃ無いってば。

ボク、嘘つけるほど頭良く無いしね」

「……じゃあ、言ってみなさいよ」

「うん?」

「私のどこが好きなの?

言えるものなら、言ってみなさい」

「うーんとね……」

シャルアは、ニコニコと笑いながら言う。

「一つ、頭が良いところ。

二つ、可愛いところ。

三つ、優しいところ。

四つ、不器用なところ」

「な……」

リナは、絶句した。

「五つ、嘘が下手なところ。

六つ、背が低いところ。

七つ、髪が綺麗なところ。

八つ、ほっぺたがぷにぷになところ」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」

「ほぇ?」

指折りをやめて首を傾げるシャルア。

「何よ……何よそれ、おかしいわ。

そんなのただ、私の目に付くところを挙げただけでしょうが。

明らかに私の欠点も含まれてるじゃない」

「いけない?」

シャルアは、ただただ、笑っていた。

「リナの悪いとこも、いいとこも、全部ボクは好きだよ。

それじゃいけない?」

リナは、今度こそ返答に詰まった。

「何よ……何よ、それ……」

部屋に、光が差し込み始めていた。

雲の割れ目から顔を出した満月が、ベッドの上のリナを照らす。

「……シャルア、やっぱりあんた、おかしいわ」

そう言うリナの表情を見て、シャルアはまた一本指を折った。

「もう一つ見つけた。

九つ、リナの笑顔は、すっごく綺麗だ」

「……ふんだ、もう知らないから」

リナは、青林檎をもう一口齧る。

甘酸っぱい味がした。

「林檎、もう一個いる?」

「そうね、じゃあ」

リナが結局もう一つの林檎を欲していたのかどうか、それをシャルアは知らない。

何故なら。

突然響いた轟音が、リナの発言を上書きしたから。

「っ……⁉」

シャルアが、反射的に窓に駆け寄り、音の方を睨む。

シィタの街の一角で、煙が上がっていた。

「っ……⁉」

リナは、喉に詰まりかけた林檎の欠片を、胸をぽんぽんと叩くことで何とか飲み込み、シャルアの隣に立つ。

「な、何が起きたの……⁉」

そう呟くリナに、シャルアは答えた。

「何かの建物が爆発したみたい。

……顔を隠した人たちが何人かいるね。

もしかしたら、あれが爆破犯かもしれない」

「見え……てるの?」

「うん。

視力には自信があるん」

シャルアが言いかけた時、再び轟音。

「な……シャルア、あっちにも!」

リナが指差す間にも、次々と、あちらこちらに火柱が立つ。

「……同じだね、同じように顔を隠した人たちがいる」

シャルアが街を見回して、そう呟いた時。

「リナ、シャルア!

シィタ議会から応援要請を頼まれた!

戦闘準備だ、直ぐに出る!」

ハルディアが、部屋のドアを開いて現れた。

「ボクは準備出来てるよ。

リナは?」

「私も、すぐに終わるわ」

リナは、ベッドの脇に放っておいた三角帽子をかぶる。

着替える気力が無かったためにローブを着っ放しにしていたことが、今回は良い方に転がったらしい。

「いいわ、準備完了よ」

「よし!

ついて来い、指示は移動しながら出す!」

走り出すハルディアを、リナとシャルアも追った。



「んっ……あっ、そこ……」

聖堂のとある部屋、アリィは押し殺した喘ぎ声をあげていた。

「ひゃ……っ……!」

大きく身体を仰け反らせ、それからベッドに倒れ込むアリィ。

「はぁ、はぁ……ふふ、流石でありますな。

また今度頼むでありますよ、マッサージ」

「光栄です」

アリィの背中を揉んでいた修道女は、そう頭を下げた。

「アリィ様、失礼します!」

そんな時、突然部屋に飛び込んで来た別の修道女。

「なんでありますか?」

タオルで胸元を隠しながら上半身を起こすアリィに、修道女は言う。

「何者かが、シィタ中の奴隷関連施設を襲撃しています!」

「……なに?」

アリィは眉をひそめ、立ち上がる。

「衛兵は?」

「連絡が取れません!

おそらくは、侵入者に敗北したと思われます!」

アリィは、小さく舌打ちした。

「議会は、聖堂に応援を要請していますが、如何いたしましょうか!」

「仕方がないでありますな……」

アリィは、苛立ちを顕にしながらも、言い放った。

「さっさと捕まえて、ぶっ殺すであります」



シャルアとリナは、シィタの街を駆けていた。

ハルディアとトリルが東側、こちらの二人は西側の襲撃地点を回ることになっていたのだ。

「あそこだね!」

「あんたに言われなくても見えてるわ!」

煙を上げ続ける工場が、すぐ近くに見えた。

シャルアとリナは、一直線に走り寄る。

いや、走り寄ろうと、した。

「……ッ⁉

シャルア、止まって!」

「えっ……⁉」

シャルアがある地点へ一歩を踏み出した瞬間、地面に緑色の光で奇妙な図形が描かれた。

同時、シャルアの身体が地面に叩きつけられる。

「がっ……⁉」

身体が、異常なほど重く感じた。

起き上がることが出来ないどころか、声さえ出せない。

「このバカ!

止まれって言ったじゃない!」

リナはそう言い、右足で地面を叩くように踏みしめた。

緑色の図形を上書きするように金色の光が走り、直後、シャルアの身体が重さから解放される。

「けほっ……リナ、今のって……?」

「枷の法、一式。

魔法トラップの初歩ね」

ただ、とリナは眉をひそめる。

「基本的なものも、極めると脅威になる。

さっきのも、重力倍率を上げて、動きを鈍らせるだけじゃなく意識を奪うことも出来るように……って、あんたなんで普通に立てるのよ?」

特にふらつくことも無く起き上がったシャルアを見て、リナは目を丸くした。

「こういう感じは慣れてるんだ、体質でね」

「体質……?

まぁ、いいわ。

ともかく、この法を設置したヤツ、なかなかの法士よ。

ちょっと組み方を覗いたけど、基本に忠実な法を書くタイプ、努力家で勉強家、って感じかしら」

「へぇ……すごい人だね、ボクも見習わないと」

「何感心してんの、今回の敵よ?」

「あ、そっか」

シャルアは、てへへと笑った。

「でもリナ、今みたいの沢山あったらあそこに近付けないよ?」

「大丈夫よ、トラップを踏まなければ良いだけの話じゃない」

リナは、ぱちんと指を鳴らす。

二人の足元から工場まで、光の橋が形作られた。

「私の専攻、何だと思ってるの?

完全物質はこ」

「わぁ、すごい!

よし、行こう!」

「あんたはいい加減話を聞きなさいよ!」



「トラップ、でありますか」

アリィは、シャルア達やトリル達とも別の襲撃地点へやって来ていた。

彼女の足元には、緑色の図形の上で意識を失っている、何人かの修道女の姿。

「一気に取り囲んで潰す、なんて簡単にはいかないでありますなー」

やれやれと肩をすくめるアリィ。

ちなみに、今の彼女は、国教会の紋章が入った鎧を身に付け、巨大なメイスを背負っている。

十歳前後の少女には重すぎるはずだが、アリィは疲労など全くしていなかった。

「ま、それならそれで別のやり方もあるでありますしね」

アリィが指を鳴らすと、背後に控えていた修道女たちが、一斉に詠い始める。

周囲の空気が、青色の光を発し始めた。

「目標は、あの施設。

周囲の避難は済ませてるでありますから、遠慮無く消し飛ばしちゃえでありますよー」

アリィは、面白くも無さそうに言った。



「大丈夫か?」

女は、魔法で牢を開き、手を伸ばした。

牢の中にいた少年は、怯えたように牢の奥へと下がっていってしまう。

「……ま、仕方ねぇよな」

寂しそうに呟いた女の背後で、扉が開く音がした。

「お、全員助け」

振り返りかけた女の目が、見開かれた。

「こんばんは。

シャルア=リルクロックです」

「なに悠長に自己紹介してんのよシャルア。

あんたを捕まえに来たわ、観念しなさい」

ドアの前には、二人の少女がいた。

リナとシャルアは、工場に無事侵入し、見張りを全員薙ぎ倒し、最後の部屋まで難なくやってきていたのだ。

「……お前ら、どうやって入ってきた……?

トラップは、まだ解除されていないはずだろ……?」

「あら、分かるの?

じゃあ、あんたがあの法を組んだのね、意外だわ」

リナは、嘲るように笑った。

「あいつらは……どうした……?」

「あ、みんなにはちょっと眠ってもらったよ」

シャルアは、ニコニコと笑った。

「くっ……」

剣を抜きかけた女だが、気付けば彼女の剣は、シャルアに取り上げられていた。

「……なっ⁉」

「ごめんね、でもこれ危ないから」

シャルアは、あくまでニコニコと笑っていた。

「くそっ!」

女は、次に魔法を使おうとしたらしい。

彼女の指先から、緑色の光が漏れ出していた。

だが、それだけ。

「……?」

訝しげに、瞬きをした女。

「無駄よ、無駄無駄。

基本は確かに大事だけど、あんたは忠実すぎるわ。

魔法で喧嘩ってしたこと無いでしょ?

法士の喧嘩ってね、組み方の読み合いが大事なのよ。

完全に相手の組み方を把握できれば、妨害も簡単だもの」

リナは、ドヤ顔で言った。

女は、そこでようやく理解する。

自分にはもはや、逃げ延びる道など無いのだと。

「……あら?」

リナは、ふと気付いて首を傾げた。

「そこの牢屋の中にいるあなた、今朝会った子よね?」

「あ、本当だ。

おーい」

手を振りかけたシャルアだが、リナに足を踏まれて中断した。

「……どういうこと?

なんでその子が牢屋に入ってるの?

あんた、何をしたのよ?」

リナは女に問うが、女は逆に驚いた表情を見せた。

「あんたら……何も知らないのか……?」

「は?」

「はは……こりゃ傑作だな、あっはははっ!」

女は、どこか馬鹿にするように笑う。

「いいかあんたら、別にコイツはな、アタシが捕まえたりなんだりしたわけじゃない。

むしろ助けに来たんだよ、この狂った施設からな!

ここはな、奴隷を人肉に加工する屠畜場なんだよ!」

リナは、一瞬呼吸さえ忘れた。

その姿を見て、女は爆笑する。

「そうか、本当に知らないのかよ!

あはは、ザマァねぇ!

お前ら、大方自分が正義の味方だとか思ってたんだろ?

本当は人食いの片棒担がされてるくせにな!」

腹を抱えて笑い続ける女。

「リナ、たぶんあの人、嘘はついてないんじゃないかな」

シャルアの呟きに、リナは下唇を噛む。

「……分かってるわよ」

そう、分かっては、いた。

女の発言には矛盾が無い、きっと真実なのだろう。

だが、しかし。

「だったら、どうしろっていうの……?」

この女を見逃すのは、簡単だ。

そしてそれは、一番寝覚めの良いやり方だろう。

だが、それを選んだ瞬間、リナは反逆者となる。

シィタ議会からの直接要請に逆らったなどと知れたら、残りの人生は処刑台への一本道だ。

「そんなの、いやよ……?

私……私、まだやりたいこと、たくさん……」

リナは、首を振って呟く。

女は、ただ笑っていた。

そして、シャルアは。

「リナに選べないなら、ボクが決めちゃうよ?」

「……え?」

シャルアは、リナの肩を引き、前に出る。

「キミ、名前、なんて言うの?」

「……は?」

女に、シャルアは問う。

「……ユア、って呼ばれてる。

だが、なんでそんなこと?」

「ユアちゃんか。

いい名前だね。

さて、じゃあユアちゃん、今からボクは、キミがシィタから逃げ出すのをサポートしたいと思います」

「……ハァ?」

「なっ……ちょ、シャルア⁉」

リナは、慌ててシャルアの肩を掴む。

「何言ってるのよ⁉

そんなことしたら、あなた、最悪処刑よ⁉

死ぬのよ、分かってるの⁉」

「分かってるよ、たぶんね」

「だったら」

「でもさ」

リナの言葉を遮り、シャルアは言う。

「どっちにしろいつか死んじゃうなら、自分に嘘なんてつかないで生きてく方がいいと思うよ、ボクはね」

にっこりと笑って言うシャルアに、リナは何も言えなかった。

「さて、どうしたらいいかな。

キミはこのままボクが見逃せばいいんだけど、キミの仲間ってシィタ中に散ってるんだよね?」

「あ、あぁ……」

「うーん……みんなを無事に集合させるのは骨が折れるな。

でもしょうがないもんね、頑張るしかないか」

街を見渡すために、窓に目をやるシャルア。

「……あれ?」

彼女は、何かに気付いて首を傾げる。

「……なんか、空が青いよ?」

紫色の夜空の一部が、何故か青く染まっていた。

「えっ……ちょっと見せなさい!」

シャルアを押し退け、リナが窓に張り付く。

「まさか、多重詠唱……⁉」

「たじゅー……なにそれ?」

「法を複数人の詠唱で組むことで、魔法の効果を強化することよ。

あれだけの人数で詠えば、たぶん範囲内の物全部を消失させることも出来るでしょうね」

リナは、下唇を強く噛む。

どうしたい?

自分は、どうしたらいい?

「え……そんな、じゃあ早く行かなき」

「いえ、もう手遅れよ」

リナは、ぽつりと呟く。

そして、思った。

ああ、もう引き返せなくなってしまった。

「普通なら、ね」

振り向いたリナは、にやりと笑っていた。

直後、多重詠唱の青い光が、吹き散らされるように消える。

「リナ……!」

シャルアは、とても嬉しそうに笑った。

「行きましょうか。

でも、出来るなら見つかりたくないわ、慎重にね」

「うん!

あ、ユア、その子お願いね!

作戦終了後の待ち合わせ場所ってあるでしょ?

そこ行って待っててよ、みんなすぐに連れていくから!」

「あ、お、おう……」

きょとんとするユアを残し、リナとシャルアは部屋を出る。

「忙しいわね、全く」

「楽しそうな顔してるけど?」

「ふん、気のせいでしょ、そんなバカあんただけで十分よ」

二人は、そんなことを言いながら、走り出した。



「く……何が起きたで……ありますか……?」

アリィは、頭を押さえて起き上がった。

いつの間にか、ベッドの上にいた。

気を失っている間に運ばれたようだ。

「アリィ様、ご無事でしたか⁉」

修道女が一人、駆け寄ってきた。

「状況説明」

苛立ちの混ざった短い言葉に、修道女は緊張した面持ちで答える。

「何者かの妨害により、多重詠唱が強制破棄、暴発した魔法によりこちらに被害が及んだと思われます!」

「多重詠唱の強制破棄……⁉

メチャクチャであります、街が吹き飛ぶかもしれないでありますのに……」

アリィは舌打ちして、さらに問う。

「死傷者は?」

「それが……ゼロ、です」

「は?」

アリィは、聞き間違えたのかと思った。

「強制破棄による被害は、精神圧迫による気絶だけでした。

後遺症の残った者もいないようで、死傷者はゼロです」

「……そんな、バカな」

事実だとしたら、奇跡なんてレベルでは無い。

「あと、アリィ様」

「まだ何かあるでありますか?」

修道女は、言いにくそうに口を開く。

「奴隷関連施設を襲撃した犯人は、一人として発見出来ませんでした」

「はぁ?

一人として……って、一人もでありますか?

全部の襲撃地点で?」

「はい」

アリィは、しばらく唖然として、それから溜息をついた。

「分かったであります。

報告ありがとうでありますよ。

ですが、私はなんか疲れたであります、寝るから起こさないでほしいであります」

「は、はい、了解しました!」

安心した様子で、修道女は去って行く。

アリィは、一人天井を見つめながら、違和感を覚えていた。

偶然にしては、あり得ない。

だが、もしも、魔法の天才がいて、その天才が全ての原因なら……

しかしその推理は、アリィの意識とともに微睡へ溶けていった。



「へぇ……美味しいじゃない」

「あっ、リナ、それボクのやつだよ⁉」

「うっさいわね、いいでしょ別に」

朝、宿屋、食堂。

魔王討伐隊の一行は、朝食の途中だった。

「あ、じゃあシャルア、これあげるわよ」

「ブロッコリーの山⁉」

「何よ、なんか文句ある?」

「ううん、ブロッコリー大好きだよ!

ありがとうリナ!」

「……そ、そう」

なんだかもやもやした表情になるリナ。

「あらあら、お二人とも仲がよろしいですね」

「……馬鹿言わないで、良くないわよ」

リナは、どこか嬉しそうに、そう答えた。

「……はれ?」

シャルアが、ブロッコリーを頬張ったまま首を傾げた。

「あ、ちょっとボクトイレ行ってくるね!」

「え、ちょ、なんで私の腕をつか」

「リナも借りてくねー!」

「きゃ、ちょ、怖、持ち上げるなああああぁぁぁ⁉」

攫われて行くリナを見て、トリルはやっぱり上品に笑っていたし、ハルディアは呆れたように肩をすくめていた。



「シャルア……あんた絶対許さないわ……!」

ぜぇぜぇと息をはきながら、リナはシャルアを睨んでいた。

「ごめんねリナ。

でも、窓見たらユアがいてさ、こうしろって言ったから」

「アタシのせいか⁉

ちょっとトイレとかで言い訳して出て来て欲しいってしか言ってないだろ⁉」

宿屋の外の路地裏、シャルアたちを待っていたのはユアだった。

「……まぁいいわ。

で、なに、なんの用なの?」

リナに聞かれ、ユアは頬をかく。

「あ、まぁその、大したことでも無いんだが……」

「じゃあ帰るわ」

「ちょっと待てちょっと待て!」

リナを慌てて呼び止め、ユアは言う。

「その……ほら、あれなんだよ、つまり、さ。

えっと、あー……ありがとう、って言おうって思ってだな」

リナは、やれやれと肩をすくめた。

「なにそれ、くっだらない」

「な、くだらねぇとはなんだ!」

「何、怒るの?

へぇ、感謝してる相手に怒れるのね」

「ぐっ……⁉」

ユアは、言葉を噛み潰して、溜息をついた。

「……もういいよ、悪かったな、呼び出して。

それだけだ」

「そう。

じゃあね」

リナはすたすたと歩いて行き、だが、ふとある場所で足を止めた。

「……ところで、あの子っていうか、奴隷は全員無事に救い出せたのよね?」

「え?

あ、まぁ……そうだな。

アタシの仲間も、全員無事だし……」

「そう。

良かった」

リナはそう呟き、再び歩き出す。

「……ありがとうは、私が言うべき言葉なのよ、ユア」

歩きながらその言葉だけを残し、リナは路地裏から出て行った。

「……え?」

「ふふ、やっぱりリナはリナだね」

きょとんとするユアと、ニコニコするシャルア。

「じゃあユア、またね!」

「あ、お、おう!

お前もありがとうな、シャルア!」

「どういたしまして!」

それだけ言って、リナの後を追うシャルア。

「ね、リナ、やっぱりボク、リナのこと大好きだよ」

「なっ⁉

ちょ、やめなさい人前で!」

リナに追いつき、笑いながら言うシャルアと、真っ赤になるリナ。

彼女たちの冒険は、まだまだ始まったばかりだ。

次回投稿は、第二章:過去 となります。

時期は四月三日になるかと思いますが、遅れてしまう可能性も高いです。

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