第一章:現在 『終わりもこの町から始まった』
第一章、後編です。
ある者は、こんな話を聞いた。
「王様がついさっき殺されたらしい。
城は血の海だそうだ」
またある者は、こんな噂を聞いた。
「暗殺者は、城から逃げおおせて町に下りて来てるらしいよ。
恐いねぇ、まぁ私たち殺したって何の得もないだろうけどさ」
さらに別の者は、こんな情報を耳にした。
「暗殺者は、シャルア=リルクロック……あの、死んだはずの勇者様だってさ。
死んだフリして、何かを狙ってたのかね?」
祭りの最中だった城下町を錯綜する、眉唾物の言葉たち。
その隙間を縫うように、月下を走る影があった。
『シャルア、どうする?
もうがっつりバレておるぞ』
「関係ないさ。
ボクはやることをやるだけだ。
そのためなら、何人だって殺してやる」
シャルア=リルクロック。
かつて勇者だった少女は、何かを目指し、城下町を走り続けていた。
「くっ……?」
ゆっくりと、目を開いた。
天井……いや、天蓋が、見えた。
「……ここは?」
呟く。
自分はついさきほど、侵入者の手で腹を大きく抉られ、絶命したのではなかったか。
だとしたら、ここは天国なのかもしれない。
「……そういえば、ずいぶんと柔らかいベッドです」
黒髪の少女、ルール=コレクタリアンは、そう思った。
もう一眠りしよう。
いろいろと、疲れてしまった。
だが、ルールが目を閉じるより先に、事態は動いてしまう。
「あら、目が覚めた?」
声がした。
寝転がったままそちらを見たルールは、唖然とした。
「リナ……様?」
そこにいたのは、国王ハルディアの正妻、リナ=トライハート。
だが、何かがおかしい。
具体的に言えば、服装が。
「ふぅ。
やっぱり、ドレスよりこっちが落ち着くわね」
リナはなぜか、かつて彼女が魔王討伐隊だった頃のローブを身につけていたのだ。
二年経ってもあまり背ののびていない彼女には、相も変わらずローブはぶかぶかだった。
「り、リナ様も、お亡くなりになったのですか……?」
「……はぁ?」
慌てて身体を起こして問うルールに、リナは呆れたような顔をした。
「死んでないわよ、私も、あなたも。
まぁ……死んじゃった人も、沢山いるけど」
リナは、言って、下唇を噛んだ。
「でも……私たちは、生きてるわ。
だから、生き残った者として、私たちはやるべきことをやらなくちゃいけないと思うの」
まだ状況が呑み込めていないルールに、リナは言う。
「だからルール、あなたに、ちょっとだけお願いがあるのよ」
城下町には、奇妙な昂揚感が満ちていた。
もともとのお祭り騒ぎに、暗殺という大事件の噂が油を注ぎ、少々異様なまでの空気に昇華していた。
その空気は、人気の無い路地裏にいるシャルアにも伝わってきていた。
『そこの通りを抜ける以外に、目的地に向かう道は無いのか?』
シャルアの紅い眼が、未だ屋台が営業している大通りを睨む。
「いいよ、普通に通るから。
ボクの体質なら問題無いし」
シャルアの青い眼は、大通りから分岐した小道に視線を向ける。
『無茶をするな、シャルア。
お主の体質は、身体への負担が大きすぎる。
今日だけで何回使った?
使わないで済むなら、使わない方法を探せ』
「別にどうでもいいよ、ボクの身体なん」
『自惚れるな』
シャルアの口が、紡ぎかけた言葉を噛み潰し、別の声を発した。
『ワシとて、お主の身体などどうでもいいわ。
じゃが、お主にはやらなければならないことがあるのじゃろう?
それまでは、自分の身体くらい大事にしておけ』
「……そうだね。
ごめん、ノラーナ」
そう呟いて、だがシャルアはやはり先ほどと同じ道を睨む。
「でも、この道は通らなきゃならないんだ。
町の構造上、ここを通らないと、向こう側には行けないからね」
『……そうか』
「うん。
じゃあ……行くよ?」
『ああ』
直後、シャルアの姿は路地裏から消えた。
そして、先ほど睨んでいた道に、彼女は現れた。
大通りにいた者は一人として、シャルアに気付かなかった。
『無事通れたか。
……シャルア?
おい、おぬ』
噎せ返る声。
シャルアは壁に手をつき、口から血を吐いた。
『……ほれ見ろ』
口の血を拭いながら、シャルアは呟く。
「……大丈夫だよ。
まだ、全然平気」
シャルアは、言いながら、小道を歩いていった。
「ルール、あなた、私の服を着てくれない?」
リナは、そうルールに言った。
「……え?」
「はい、これ私のパジャマね」
きょとんとしているルールに、リナは衣服を手渡した。
「あの……意味が分からないですし、そもそもサイズが……」
「着なさい」
リナは、にっこり微笑んで言う。
「え、い、いや、ですから……」
「……着なさいって、言ったのよ?」
言葉を失うルールに、リナは改めて言う。
「……着ないの?
はぁ、じゃあ残念だけど」
一縷の希望が見えたルール。
だが、その希望は三秒ともたなかった。
「私が着せてあげる」
「いっ……⁉」
どたばたという音、口を塞がれたままあげた悲鳴のような声、その他いろいろな十八禁音声。
その、末に。
「うぅ……」
ベッドの上に内股で座り、顔を両手で覆い隠すルール。
「むぅ……」
リナは、そんなルールを見て唸る。
ルールは、丈が足りないパジャマを着たために、お臍を完全に露出してしまっていた。
それだけならまだしも、胸のサイズが合わないためにどうしてもボタンが閉まらず、鎖骨の下まで見えるくらいに胸元をはだけてしまっていた。
そんな格好の上、涙目で頬を赤らめているのだ。
一言で言おう。
今のルールは、非常に扇情的だった。
「ま、着れたからいいわよね」
「着れましたけど!
着れはしましたけど!」
真っ赤な顔のまま、ルールはリナに訴える。
「ところで、何かあなたのいつもつけてる品物は無いかしら?
あっ、このベルトでいいわ、ちょっと借りるわよ」
「何がしたいんですかリナ様!」
ちょうど、そんな時だった。
ノックの音。
そして、リナを呼ぶ声。
「あら、早速試すチャンスね」
「た、試すって何をですか……?」
真っ青になったルールに笑いかけ、リナはドアに声をかける。
「どうぞ」
ドアが、ゆっくりと開く。
ルールは、終わった、と思った。
色々と、大事なものが、終わった。
だが。
「おや、ルール殿。
なぜここに?」
入ってきたメイド服の女は、そう怪しむ様子も無く言ったのだ。
リナに、向けて。
「リナ様のお身体の具合が優れないようなので、看病についておりました」
そう真面目くさった顔で言うリナ。
「えっ……えっ?」
呆然とするルールだが、やはり誰も彼女の格好には突っ込まない。
「……ルール殿、貴女はあくまで衛兵のはずです。
そのような仕事は、我々侍従の役割のはずでしょう?」
「本人を前にして看病を仕事と割り切る人間には、リナ様も世話などして欲しくないと思いますよ?
ねぇ、リナ様?」
リナは、ルールを見つめて話を振った。
「えっ、あっ、その、まぁ、はい、そういうことも、無いわけではないと思ったり……」
最後の方はぼそぼそという呟きになってしまうルールだったが、リナはメイド服の女にドヤ顔をしてみせた。
「ほら、リナ様はこう仰っています」
「……そうですか。
では、私は失礼しましょう、お邪魔なようなので」
静かな殺気を撒き散らしながら、メイド服の女は部屋から出て行った。
「ま、こんなもんね」
口調を戻して、リナはそう言う。
「え……あの、リナ様、今のは……?」
「人格互換の法、七式。
私の専攻魔法じゃないけど、まぁこれぐらいなら楽勝よ」
魔法の名前など聞かされてもルールにはちんぷんかんぷんだったが、どうやら全てリナが仕組んだことらしい、という部分だけ理解した。
「えっと……つまり、今は私の姿はリナ様の姿に見えていて、リナ様の姿は私の姿に見えているのですか?」
「私たち以外にはね」
「ははぁ……って、じゃあまさかさっきのって私が侍従長に嫌味言ったことになってるんですか⁉」
「そうね。
ふふっ、スッキリさせてもらったわ」
「……勘弁してください」
「まぁ、魔法は私が町から出たらすぐ解くから、その時に言い訳すればいいじゃない」
「そう簡単では無いんで……えっ?」
ルールは、リナの言葉に違和感を覚えた。
「町を出て行く……と、仰られましたか……?」
「そうね」
「そんな、いけま」
ルールの声が、出なくなる。
「……⁉
……!」
「ごめんなさいね。
あんまり騒がれちゃ困るの」
リナは呟くように言い、ルールの額に人差し指をあてる。
「ちょっとだけ、また眠っててね」
ルールは、突然の脱力感に襲われた。
抵抗出来ずに、そのままベッドに倒れ込む。
リナが、自分に布団をかけて部屋を出て行くのを、目の端で捉えた。
リナは、最後に何かを呟いたようだった。
だが、そこまで。
ルールの意識は、そこで闇に沈んだ。
「……あそこだよ、ノラーナ」
シャルアは、歩きながら呟く。
ふらついてはいたが、その足取りに迷いは無かった。
『なんじゃ、思っていたより小さいのう』
「この町はお城が主役だから、こっちはわざと小さく作ってあるんだって。
リナから聞いた」
『ほう?
やはりよく分からんな、人間のやることは』
「大丈夫、ボクも分からないよ」
言いながらシャルアが辿り着いたのは、聖堂だった。
「……誰もいないね」
お祭りの最中にわざわざ訪れる人などいなかったのか、聖堂はもぬけの殻であるようだ。
シャルアは、周囲を半周してから、ドアに手をかける。
ゆっくりと扉を引くと、暗い室内が見えた。
ドアを閉めると、天窓の月明かり以外は光源が無くなり、足元さえ危うくなる。
『誰もいない、というのは少し残念じゃな。
一人くらい誰かがおっても良かった』
「なんでさ。
捜し物の邪魔になるだけじゃないか」
『一人くらいいてくれたら、そもそも捜す必要が無い。
脅して聞き出せば良いのじゃからな』
「……そうか。
そうだね、それは思い付かなかったよ」
シャルアは、聖堂のイコンを見上げた。
今まで何人の人が、ここで懺悔し、祈りを捧げてきたのだろう。
だが、シャルアはもう、その列に加わることは無い。
そんなことは、もはや出来ない。
「やっていいんだね。
ボクはもう、そこまでやっていいんだ」
呟くシャルア。
捨てられるものは、全て捨ててきたのだ。
今さら、目的以外のことで躊躇う必要は無い。
『……てっきり、止めるかと思っておったが』
「吹っ切れたよ。
結構、簡単に人が殺せちゃうって分かったからか」
シャルアが、そう言いかけた時。
聖堂の扉が、突然開いた。
「な……⁉」
咄嗟にシャルアは、体質を発動させようとする。
だがその瞬間、彼女の身体が、悲鳴をあげた。
「あっ……がっ……」
全身が痙攣し、口の中に鉄の味が広がる。
視界が暗転し、平衡感覚を失う。
気付けば、シャルアはその場に倒れ、指一本動かせなくなっていた。
『シャルア⁉
くっ、体質の反動か……⁉』
同じ口を使って発声しているはずなのに、シャルアはその声に返答も出来ない。
「え、だ、誰、というか大丈夫ですか⁉」
聖堂に入ってきた誰かが、駆け寄ってくる足音が聞こえた。
「え、これ、血……⁉
あの、服脱がしますね!」
誰かは、まずシャルアのフードをどかし……
「……え?」
絶句。
シャルアは、薄れ行く意識の中、かすかに聞いた。
「勇者……さま……?」
「はっ……⁉」
ルールは、再び目を覚ました。
「リナ様⁉」
慌てて辺りを見回すも、もう彼女の姿は無い。
「くっ……!」
ドアに駆け寄り、ドアノブを捻り、ドアを開いたルールは……
「……え?」
なぜか、自分がたった今出てきたはずのリナの寝室に戻ってきてしまったことを理解する。
「そんな……」
何回繰り返しても、部屋から出ることが出来ない。
ルールは、思い知らされた。
これが、ギルド最強の法士の力。
数世紀に一人の天才の、実力。
「リナ様……あなたは一体何を……?」
困惑の色も露わに、ルールは部屋に立ち尽くす。
ふと、部屋にある文机が目に止まる。
『ルールへ』と書かれた封筒が、見つかる。
「私に……?」
ルールは、藁にもすがる思いで封筒を手に取り、乱暴に端を破って中の手紙を取り出した。
丸っぽい字は、確かにリナのものだった。
ルールは、読み始める。
こう、書かれていた。
『まず、ごめんなさい。
あなたに迷惑かけたことだけじゃない。
あなたの部下たちを、助けられなくて、ごめんなさい。
私がもっと早く玉座の間に行っていたら、あなただけじゃなく全員助けられたかもしれない。
もちろん、ハルディアも。
でも、それは出来なかった。
出来なかったという過去は、もう変えられない。
だから、私は次のことを始めようと思う。
みんなを殺したヤツを、追うわ。
あれがシャルアじゃないか、なんて噂が町では広がってるみたいだけど、そんなことあり得ない。
シャルアが人を殺すことなんかあるはずないもの。
私は、シャルアを穢したあいつを許さない。
だから、追いかけて、捕まえる。
長い旅になるかもしれないけど、覚悟はしてる。
死んだって構わないわ。
ルール、あなたならきっと、この辺りでそんなのは私がやることじゃない、みたいなこと突っ込むんじゃないかしら。
罪人を捕らえるのは兵がやること、みたいなことを言ってね。
でも、ごめんなさい、どうしても、自分でやりたいの。
この二年間、私は何も出来なかった。
ただ城に押し込められて、お人形みたいに生きてきた。
それもしょうがないって、今までは自分に言い聞かせてきたわ。
でも、今回は流石に無理よ。
シャルアを穢されて、黙っているなんて出来ない、それだけは絶対に無理。
だから、私は行く。
ごめんなさい、本当にごめんなさい、ルール。
それと最後に、ありがとう。
この城で私の味方だったのは、あなただけだった。
あなたのこと、シャルアの次に大好きだったわ』
ルールは、読み終え、しばらく沈黙していた。
「なんですか……なんですかそれ……」
手紙を握りしめる手が震え、腹の底から押し出されたような声がした。
「ふざけないでください……リナ様……」
手紙を握り潰し、ルールは言う。
部屋の片隅に放られていた剣が、目に止まった。
「何が……死んだって構わないですか……!」
剣を鞘から抜き、ルールは走る。
「勝手に、勝手にそんなことを決めないでくださいッ!」
轟音がした。
リナの寝室のドアが、周囲の壁ごと吹き飛んだ。
廊下にいた人々が、その異常事態に悲鳴をあげる。
ルールは、それを認識し、成功を確認した。
廊下が見えているということは、部屋から出れたということなのだから。
「り、リナ様、一体何が……」
侍従の男が、ルールに話しかけてくる。
そこでルールは、自分が今リナであることを思い出す。
「……ルール=コレクタリアンは、どこに行きましたか?」
「る……ルール様、ですか……?
ルール様なら、先ほど城を出て行かれ」
「そうですか、ありがとうございます」
最後まで話を聞かず、ルールは走り出した。
「……ここは……?」
「聖堂ですよ、勇者様」
「……え?」
シャルアは、目を覚ますなり聞こえた声に一瞬呆然とし、だがすぐに反応する。
腰の剣に手を伸ばし……
「あれ……?」
剣が、無い。
というか、装備が全体的に変わりすぎている。
返り血に塗れたローブは脱がされ、代わりに清潔なシャツを着せられていた。
「あ、剣ですか?
はい、こちらです」
声の主は、修道服を身につけた女の子だった。
「あ、うん……」
女の子に剣を渡され、シャルアは訝しむ。
『なんだ、この対応は?
あまりにも都合が良すぎる、怪しい……とか、思っとるかの?』
口が勝手に動いて、心中を吐露してしまった。
「……どういうこと、ノラーナ?」
修道服の女の子を睨んだまま、シャルアは言う。
『どうもこうも、そこの女子には全てを話した、というだけじゃ。
全てを話した上で、その女子はお主を受け入れた』
どうやら、気絶している間、勝手に口を使われたようだ。
「全てって……」
シャルアは、唖然とした。
「あ、あの、ノラーナさんを怒らないでください!
私が、勇者様のことを知りたいってお願いしたんです!」
修道服の女の子は、必死な顔でシャルアに言う。
『シャルア、この子に免じて許せ。
良いではないか、結果的に味方が増えたぞ』
「……ちょっとごめん、ノラーナは黙ってて」
シャルアは、言って、修道服の女の子に向き直る。
「全てって……本当に、全部?」
「えっ、あ、はい、たぶん……」
「……ボクが、ハルディアを殺したことも?」
修道服の女の子は、一瞬息を止めたが、それからゆっくりと頷いた。
「……はい。
お聞きしました」
「なら、なんで?」
「え?」
「なんでそれなのに、ボクを助けようと思った?
ボクはもう一線を越えてるんだ。
キミとは違う世界に踏み出してるんだよ」
言いながら、シャルアは剣を抜いた。
一瞬、ほんの一瞬にして、流れるような動きで、女の子の首に刃が突き付けられる。
「こうやってキミを殺すことも、簡単に出来る」
『ちょ、シャル』
「黙れ。
ねぇ、ほら、殺しちゃうよ?
逃げないと、叫ばないと」
そう嗤うシャルアに、女の子は言った。
「……勇者様、もういいんです」
シャルアの笑顔が、凍り付いた。
「もういいんです。
私の前では、悪役なんて演じないでください。
勇者様は、変わってないじゃないですか。
あの時のままです。
誰かの幸せのために、自分は身を引けるような。
私を助けてくれた、あの勇者様のままです」
シャルアの視界に、何かがかぶった。
修道服の女の子に、いつか見た顔が重なった。
「キミは……」
「勇者様、覚えていますか?
私は覚えています、一度だって忘れたことはありません」
修道服の女の子は、優しく笑う。
「お久しぶりです、勇者様。
私、ミーニュ=カルマスといいます」
「通して下さい!」
ルールは、怒鳴る。
王城の門でのことだった。
「なりません。
リナ様が外に出ることは禁じられています」
門番は、そう言い返す。
「邪魔をしないで下さい!
今はこんな場所で時間を」
言いかけたルールに、槍が突き付けられた。
「お戻り下さい。
もしお戻りいただけないのならば、この場で処刑することも許可されています」
「ッ……」
ルールは、数歩退く。
向こうは大人数であり、こちらを殺す気で来る。
だが、こちらは一人で、しかも殺人を犯すつもりなど無いのだ。
平等な条件下ならば、明らかな格下相手だ、負ける気はしない。
しかし、あまりにも状況は不利だった。
「お戻り下さい」
槍を突き付けたまま、門番は言う。
だが、その時だ。
「報告!
シャルア=リルクロックと思われる人物を、聖堂近辺で目撃したとの証言あり!」
一瞬、門番たちの気が逸れた。
ルールは、その隙を見逃さなかった。
一番近くにあった槍を手で掴み、持ち主ごと右に振るう。
密集していたが故に、門番同士が玉突きのようにぶつかり合った。
ルールは最初に掴んだ槍をそのまま奪い取り、ふらついた門番たちのあいだに突き立てる。
棒高跳びの要領で人の壁を飛び越し、そのまま彼女は走り出した。
背後からの警告を聞き流しながら、ルールは思う。
第一関門は、突破した。
だが、リナを探すことこそが本番だ。
彼女は、まずどこへ向かった?
自分が彼女だったら、まずどこへ向かう?
「……心当たりは、一つしかありませんね」
ルールは、ある方向を目指し、走り出した。
「ミーニュ……ちゃん……?」
「はい」
シャルアは、手から力が抜けてしまうのを感じた。
自然、修道服の女の子……ミーニュの首から、剣は離れてしまう。
「大きく……なったね……」
頬が緩んでしまうのを、止められない。
ミーニュは、そんなシャルアに照れたような表情を見せた。
「勇者様のおかげです」
「シスターさんに、なったんだね……」
「あ、変……でしょうか?」
「ううん……似合ってるよ、すっごく」
「え……えへへ……」
ミーニュは、真っ赤になる。
「お母さんは……元気?」
「あ……」
だがそこで初めて、ミーニュは悲しそうな顔をした。
「……いえ。
昨年、死にました」
シャルアは、真っ青になった。
「あ、ご、ごめん、無神経なこと……」
「いえ、構いません。
それに、母は、青い空が見れたことをとても喜んで逝きました。
それもまた、勇者様のおかげです」
ミーニュは、再び笑顔を作る。
「……そっか」
シャルアは、困ったような顔のまま、それしか言えなかった。
「それより、勇者様。
勇者様がお探しのもの、私、位置を知っているかもしれません」
「えっ?」
「二年前、トリル様がこの聖堂にいらっしゃって、イコンに何か手を加えていました」
「イコン……か。
そうだね、それかもしれない」
「壁から外して、持って参りましょうか?」
「いや、いいよ。
もう歩けるから。
あ、ボクのローブある?」
「はい、こちらに」
シャルアは、ミーニュが持ってきたローブを見て、目を丸くした。
「洗濯……してくれたの?」
ローブは返り血が落とされ、ほつれも直され、新品以上の綺麗さになっていた。
「はい、私にはこれくらいしか出来ませんから」
「……嬉しいよ、ありがとう」
シャルアの言葉に、ミーニュはごく自然に笑い返した。
『お楽しみのところ悪いが、早く壊しに行かんか?』
「あ、は、はい、そうですよね!
案内します!」
「あ……こら、ノラーナ」
『なんじゃ、こうなれたのはワシのおかげじゃろうに』
シャルアは一人でぶつくさ言いながら、ミーニュについて歩き出す。
「あの、シャルア様」
「うん?」
ミーニュは、歩きながら言う。
「私……本当のことを、広めようと思います。
今、この町では、勇者様が実は悪人だった、という噂がまことしやかに流れているんです。
でも、それは違うって、勇者様のやったことには意味があるって、私、みんなに伝えようと思うんです」
「……やめた方がいいよ。
あんまり王家とか教会に都合が悪いことすると、ミーニュまで危ない目に合うよ?」
「嫌です、やめません」
ミーニュは、はっきりと答えた。
「私、勇者様にずっと憧れてました。
勿論今でも、気持ちは変わりません。
だから、少しでもお手伝いしたいんです。
そのためなら、ちょっとのリスクなんて怖くもなんともありませんよ」
「……ミーニュ」
シャルアは、泣きそうになった。
教会の中が暗くて良かった、と心底思った。
「さて、と。
勇者様、これが例のイコンです」
いつの間にか、シャルアが最初に入ってきた部屋に戻ってきていた。
「あ、う、うん。
ノラーナ、どうすればいいんだっけ?」
『普通に傷付ければ良い。
ただし、その際に行き場を失った法力がお主の身体に流れ込んで来ることがある。
ワシもサポートはするが、眩暈や頭痛は覚悟せい』
「あはは、それくらいなら全然平気だよ。
じゃあ、やるよ?」
『おう』
「あの、勇者様、頑張ってください!」
「うん、ありがとう」
シャルアは、剣を抜き、イコンに向ける。
そして……突き刺した。
瞬間、シャルアの全身に痛みが走る。
神経という神経に鉛を流し込まれているような、壮絶な痛み。
「ゆ、勇者様、大丈夫ですか⁉」
『シャルア、頑張れ。
今、外へ逃がす方向に力を調節しておる。
もう少しの辛抱じゃ』
その応援が、シャルアの力になった。
この声があれば、何にだって耐えられる、シャルアはそう思った。
……なのに。
その時、聖堂の扉が乱暴に開かれる。
「国王軍だ!
シャルア=リルクロック、貴様を処刑する!」
怒鳴り声。
シャルアは、目だけで後ろを振り向き、事態を理解する。
大量の矢が、シャルアを狙っていた。
『なっ……シャルア、もう少し、もう少しだけ待っ』
「放てぇッ!」
号令と同時、矢の雨が飛来した。
肉が裂ける音、血が飛び散る音がした。
ただそれは、シャルアの肉や血では無い。
「……え?」
シャルアは、自分の見たものが信じられなかった。
なぜ、どうして、ナンデ。
ミーニュガ、チマミレデシンデイル?
『……シャルア。
もう、痛みは無くなったはずじゃ』
シャルアは、返事も忘れ、ミーニュに駆け寄る。
小さな身体はぐしゃぐしゃに破壊され、目は痛みに見開かれ、穴という穴から赤黒い液体が流れ出していた。
「た……隊長、一般人が……」
「シャルア=リルクロックを庇った時点で一般人では無い、殺しても構わんさ。
第二射用意!」
シャルアは、ふと気付いた。
せっかく洗ってもらったローブが、また血で汚れてしまった。
よりにもよって、洗ってくれた本人の血で。
「ノラーナ……遅過ぎたし早過ぎたよ」
『え?』
「ミーニュを助けるには、遅過ぎた」
シャルアは、ゆらりと立ち上がり、そして。
「こいつらを皆殺しにしないでおくには、早過ぎた」
シャルアが言い終わった時、すでに兵の一団は全滅していた。
ある者は腹を切り開かれて内臓を引きずり出され、またある者は切り取られた自分の拳を口に詰め込まれ、またある者は背中側に身体を綺麗な二つ折りにされ。
ただ殺すだけでは無い、明確な蹂躙の意思が、そこには見てとれた。
『シャルア……』
シャルアは、自分の口の動きを無視して、兵が持っていた松明を、腕ごと聖堂のカーテンに投げつける。
焔は、一気に燃え広がった。
『お主、何を……』
「ミーニュの死体がこのまま発見されたら、ミーニュがボクを庇ったことがバレちゃう。
反逆者の、ボクをね。
そうしたらさ、きっと王国はミーニュの人生全てを否定する」
させるもんか、とシャルアは呟いた。
「全部燃やしちゃえば、証拠は残らない。
いやむしろ、ミーニュはボクと闘った正義の味方になるかもね」
真っ赤な焔を眺めながら、シャルアは語る。
『シャルア……お主、ミーニュがそんなことを望んでいるとでも⁉
あの女子は、危険を冒してでもお主のことを皆に伝えようと』
「いらないんだよそんなの!」
シャルアは、怒鳴った。
聖堂の中で、何かが崩れ落ちた。
「そんなの、いらないんだよ。
そんなので死なないでよ。
そんな……そんなくだらないことで、死んじゃダメなんだよ……!」
シャルアの目から、涙が落ちた。
火に包まれた聖堂の中で、床に落ちた涙などすぐに乾いてしまった。
「……行こう、ノラーナ。
もう壊し終わった、この町に用は無いよ」
『……そうじゃな』
シャルアは、フードをかぶり、最後に一度だけ、ミーニュの遺体を振り返った。
その次の瞬間、彼女の姿は消えていた。
「なんで……なんなのよ、これ……⁉」
リナは、愕然としていた。
町を出る前に、最後に聖堂を見に来ようと思っていた。
シャルアにとってもリナにとっても、そこは特別な場所のはずだったからだ。
だが、聖堂には、入れなかった。
燃えていたのだ。
聖堂は、焔に包まれていたのだ。
「リナ様……これは一体……⁉」
ふと、声がして、振り返る。
リナは、呆然とした。
「……ルール?
なんでここに……」
「え?
あ、は、はい、リナ様を追いかけて参りました」
「は?
え、な、何でよ」
「何故かを説明する前に、一発失礼します」
リナが何かを言う前に、ルールはリナの左頬に平手打ちを食らわせた。
「いつっ……な、なにすんのよ⁉
ふざけんじゃな」
「ふざけるなと言いたいのはこっちです!」
ルールは、リナの言葉を遮って怒鳴る。
「死んだって構わないってなんですか⁉
そんなこと勝手に決めないで下さい!
リナ様が死んだら構う人間がここにいます!
私は、私はリナ様に死んで欲しくなんかない!」
「なっ……」
リナは、目をまん丸にした。
「ちょ、な、あんたいきなり何泣き出して」
「もう嫌です、嫌なんです!
誰にも死んで欲しくない、私の好きな人たちに一人としていなくなって欲しくない!」
「……ルール」
リナは、しばらく唖然としていたが、それから笑う。
「くくっ……ちょっとルール、それそんな格好で言う台詞じゃないわよ……?」
「え?」
ルールは、自分の服装を見下ろしてみた。
激しい動きに限界が来たのか、辛うじてリナのパジャマをルールに着せていたボタンが弾け飛び、ルールはほとんど半裸の状態だった。
「なっ……えっ、わわっ⁉」
ルールは、自分の身体を抱き締めてしゃがみこんでしまう。
「まぁ、法の発動下だからたぶん周りには分からないと思うけど……それでも、普通そんな格好じゃ走れないわよ、あんたそういう素質あるんじゃない?」
「な、し、心外な!
これはそもそもリナ様が無理矢理着せたからであっ」
言いかけて、ルールは声を失った。
理由は単純。
リナが突然ルールを抱き締めたからだ。
「……でも、ごめんなさい、ルール。
あなたの言う通りだったわ」
「……リナ様」
「だけど、だったらどうするの?
私は行くわよ、止められても絶対に」
「……そんな聞き方をする時点で、お気付きなのでは?」
「良いから言いなさいよ、口で聞きたいの」
「そうですか。
……では、リナ様。
私に、お供させて下さい。
リナ様の旅を、助けさせて下さい」
「……うん。
ありがとうルール、嬉しいわ。
是非、よろしくお願いします」
ルールから離れて、笑うリナ。
その顔が赤いのは、燃える聖堂の焔のせいだけでは無いだろう。
「でもまぁ、まずは服を買いに行かないといけないわね」
「なっ……ちょ、リナ様!」
「なに、買わなくていいの?」
「え、いや、買いたい……ですけど……」
「えー?
ちょっと聞こえないわねー?」
「くっ……服を買いたいです、服を買わせて下さい!」
「ふふっ、素直でよろしい」
リナとルールは、そして歩き始める。
「……でも、本当、どうして聖堂は燃えているのですか?」
「分からないわ。
あの侵入者が関わっているのかもしれない。
だとしたら、許せないことだけど……でも、逆に考えると、すでにあの侵入者はこの町でやるべきことを済ませちゃったんじゃないか、って思うのよ」
「えっ……じゃあ、次はどこへ?」
「心当たりは、あるわ」
リナは、東の空を睨んだ。
それは、どこか、少なくとも城下町からは遠くにある場所。
「あら……そう、では城下町にあったものは、壊されてしまったのですね」
修道服の少女は、上品に微笑みながら、小鳥と会話していた。
「うぅん……視えていたとはいえ、やはり苦労して作ったものを壊されてしまうのは、気分がいいものではありませんねぇ」
『いかがいたしますか、トリル様』
「いいですよ、どうもしなくて。
未来は私たちの味方、それはすでに確認済みです。
ただ、定期報告はこうやってちゃんと来て下さいね」
『了解しました』
飛び去る小鳥を、手を振って見送りながら、少女は呟く。
「シャルアさんも、哀れですね。
全ては神の御心のままにあると、ご存知無いのですから」
それから少女は、再び歩き出した。
第一章、終了です。
第二章は、食の都シィタが舞台となります。
なお、次回投稿は三月二十七日の予定です。