06―千人目の「アリス」
謁見の間では既に公爵、黒うさぎ、アンダーテイカーの三人が集まり、亜莉栖が来るのを今か今かと待ち侘びていた。
公爵は、小階段の上に位置する玉座に腰掛けキョロキョロと辺りを見渡し、まるでらしくないほどに挙動不審だ。自分がその席にふさわしくないことを理解しているのだろうか。
マティはその玉座の隣でなにやら左手のグローブをしきりにいじり倒している。機械の手袋は指先が展開しては細かなアームが突出し、各部の異常を確認するかのような動きをしてはまた元に戻る。
グリムはというと、玉座の四方を囲う古代の神殿を模したようなレリーフの彫られた柱の一つに、背もたれながら舟をこいでいた。待ちくたびれて目を閉じている間に、夢の中へと微睡んでしまったようだ。
「ん?」
すると突然、マティが何か音を聞きつけたように顔を上げた。
続いてグリムも目を閉じながら顔を上げる。公爵は不安げな顔でおどおどとし、彼にだけは聞こえていないようだった。
廊下を駆けて来る音は次第に大きくなり、そして――――謁見の間の扉が勢いよく開かれる。
「遅れまして申し訳ございません。さ、アリス様、どうぞ玉座の方へ」
陳謝を一言述べてから、メイド長は頭を下げて横へとはける。
息を切らしながらも亜莉栖は、乱れた呼吸を整えるかのように深呼吸をしながら歩き出す。
「ほぅ……」
目を閉じていた黒うさぎは、黒の国に自生する黒いバラの香水を嗅ぎ付け、静かに目を開けてため息を洩らす。
「ようやくアリスらしくなったじゃないか」
先ほどまでの薄汚れた格好からは想像も出来ないくらい、飛躍的に美しくなった容姿にそう呟くと、恥ずかしいのか亜莉栖は視線を逸らし頬を赤く染める。
「さて、アリスも来たことだし、話を始めるか」
これで何度目だ、と言わんばかりにうんざりした様子でため息をつくと、マティは数歩前へ進む。
そして亜莉栖が玉座の階下へ来たところで説明を始めた。
「アリス、お前にはここがどこだか分かるか?」
唐突に質問され、けれど亜莉栖は慌てることなく頷きながら答えた。
「ワンダーランド、でしょ?」
「その通り、よく知ってるな。まあ、今まで来たやつらの中にも、なんとなく知ってる奴はちらほらいたが……」
腕を組み、感心した風に少女は肯定する。
「ねえ、そのさっきから今までのーとか、アリスだったらーとかって言うのはなんなわけ? もしかして、わたしの他にもアリスって子が来てたの?」
「そうだ」
「そうなんだ。――――って、え?」
「正確に言うと、お前で千人目のアリスだな」
「……いや、桁数がいまいちピンとこないんだけど……千……? その子達は今どこに?? あー、ワンダーランドから帰ったのかな」
するとマティはグリムへと視線を投げる。つられて亜莉栖もそちらへ目を向けた。
一度嘆息すると、黒うさぎは真剣な眼差しを亜莉栖へと返し、静かに口を開いた。
「赤の女王のもとだ」
「なんだー元気にやってるんじゃない~――ってあれ、赤の女王って、敵、じゃない?」
「まあ、首だけなのが、元気だと言うのならな」
えっ? と亜莉栖は訊き返す。いま何を言われたのか、一瞬分からなかった。聞きたくなかった言葉が混じっていた気がする。それは何だったのか……。首、そう、首だ。
首だけ……その言葉が頭の中を、幾重にも重なって木霊する。
首だけの意味って何だろう? 首だけってことは体が、ない? 体はどこへ、いったんだろう?
呆然自失し立ちつくす亜莉栖の背に、不意に少女の声がかかった。
「はっきり言ってやると、今までにやってきたアリスは、ほとんどがヤツらに殺された。お前がここへ来る前に襲われた、ジャバウォックの影だ。のち、その死体はヤツらによって運ばれ、女王が首を刈る。悪趣味なことに、その首は、あの女の城でコレクションと化しているそうだ」
「もしかして、わたしも……死ぬ、の?」
「ウチらが守る、とは強く言い切れない。今までのアリスはほとんどが守りきれなかった。そればかりはどうなるか判らない。だが、さっきうさぎが言っていたように、お前には適正があるかもしれない。『アリス』の適正がな……」
死の恐怖に洗脳されたように思考は硬直し、亜莉栖は少女の言っている意味がまるで理解できなかった。すると柱から離れたグリムが階段を下りていき、恐怖に震える亜莉栖に近寄った。
「ヤツらの血には正気を失わせる効果がある。だが、お前は気を狂わすどころか嘔吐すらしなかった。今までのアリスは狂わされ、踊らされ、そのままヤツらに殺された。その点お前には耐性があるんだろう」
「そして耐性持ちということは、初めて奴らと対等に戦えるアリスを、ウチらが得たと言うことになる」
「戦う……? このわたしが、あの化物たちと?」
「そうだ。そしてお前は『アリス』になれ」
意味不明なことを言い出すグリムに対し顔をしかめると、亜莉栖は大きく首を横に振った。
「いや、無理無理! あんなのと戦えだなんて……無理に決まってるわ。てかそもそもわたしは亜莉栖だし、アリスってなによ!」
「アリスはこのワンダーランドの真の統治者の称号だ。そして同時にその者の名でもある」
グリムとマティの言葉に板挟みにされ、ますます思考が追いついてこない。混乱する亜莉栖を余所に、グリムはさらに話を続けた。
「もともとワンダーランドは平和だった、らしい――――」
一人目のアリスが当時、幼いながらもワンダーランドを統治したことにより、長らく平和な世界となっていたのだが……。そんなある日、ワンダーランドに異形が誕生することになる。それは人々の負の想念や悪夢が生み出し、形作ったジャバウォックだった。
それは、中でも嫉妬深く欲深いダイヤの公爵夫人をたぶらかす。
そんなある日を境に、気の狂ったダイヤの公爵夫人によりダイヤの王と女王、さらにはハートの女王と王までもが斬殺されるという惨たらしい事件が起きる。
結果、白は壊滅。異形を率いる公爵夫人が赤の女王を名乗り、世界図は赤と黒とに塗り分けられた。
最初に来たアリスは元の世界へと帰ってしまい、その首を刈れなかったことを嘆いた女王は、迷い込む『アリス』の首を執拗に狙うようになった。
以後、もとのワンダーランドを取り戻すべく女王に立ち向かう黒と、アリスの首をコレクションとすることを至高の喜びにしている赤とで、互いに血で血を洗う戦争を始めることになったのだ。
ふぅ、と小さく息を吐き、黒うさぎは話を切る。
「つまり……もとの平和な世界を取り戻すためには、その公爵夫人を倒さなきゃならないわけ?」
「そういうことだ……」
「……でも待てよ、となるとこの世界は鏡の国が今のメイン……? いや、デスゲームにトリップ――――ってわけでもなさそうだし……、最初の子が統治したってことは、不思議は終わっちゃってるのかな……あっ――」
ぶつぶつと独り言を繰り返し、そこで気づいた一つの可能性。
……もしかして、パラレルワールド?
亜莉栖の動きがピタリと止まる。もうそれ以外の答えが見つからなかった。
来た当初は、こちらへ来る前までやっていた「アリス・イン・デスゲーム」の世界にトリップしてしまったものだと思い込んでいたが、話を聞く限りではそういうわけでもないらしい。
それに所々で設定に食い違いがある。
そして他の二つの話からしてみても、黒うさぎやアンダーテイカーなんてキャラクターは出てこないはず。
途中まで同じ歴史を歩んでいたワンダーランドが、どこかで道を踏み違え話が変わってしまった世界。
亜莉栖は口を開けたままグリムを見て、そしてマティへ視線を移す。
「一体、どうなっちゃうの?」
不安げに呟いた一言は、けれど先ほどまでの恐怖心は徐々に薄れ嬉々としたものを孕んでさえいた。
そんな亜莉栖に対してマティは、くく、と小さく笑い声をもらす。
「大したやつだ。これなら、もしかするともしかするかもしれないぞ? なあグリム」
視線を投げたその先で、黒うさぎは怪訝そうに顔をしかめていた。
何かを危惧しているような、でも心配しているようにも見える複雑な表情。
言葉を返さない黒うさぎから、少女は視線を亜莉栖へと戻す。
「つまりだ、お前は有力なアリス候補なわけだ」
「アリス、候補?」
「そ。森で遭遇したジャバウォックの影、あれ、なんで出来てるか知ってるか?」
聞かれた亜莉栖は当然のように首を横に振った。
「アリスの血液だよ――――」