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Alice of Black Blood  作者: 黒猫時計
第一章 黒の王国
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01―黒いうさぎは変態男?

 混濁する意識の中、微かに聞こえた水のせせらぎ。

 聴覚に次いで感じた鼻をつく香りは、緑の青臭さと少し、土臭かった。


「う……ん……」


 まるで意識を誰かに持ち上げられるかのように、少女、黒崎亜莉栖は目を覚ます。

 重い瞼に隠れていた墨色をした瞳が、朧気ながらに世界を映し出すと、同時に意識の覚醒が始まった。

 ……妙に体が重い。体重、少し増えたかな?

 そんな他愛もないことを考えながらも上体をゆっくりと起こした。そして焦点定まらぬ(まなこ)のまま、ぐるりと辺りを見渡す。


「――いつッ?!」


 知らぬ間に頭でもぶつけたのだろうか。顔を顰めながらこめかみに手を当てると、まるで古いテレビのようにザラザラとチラつく視界を払拭するように軽く頭を振った。


「……ここは――?」


 ぼやける視界はやがて正常を取り戻し、改めて見る自分の周囲はどこを見渡しても木、木、木。

 満ち溢れるマイナスイオンと、肺を一杯に満たす緑の匂いとが、ここが森の中だということを自覚させる。

 目覚めの前にも聞こえた水音に振り返ると、背後には滾々と湧き出る清らかな泉。そしてその周囲には、水差しで水を注ぐかのように、優しく流れ落ちる幾筋もの滝。

 あまり大きくはないが、水面が煌くその様は、場の雰囲気と相まって自然の神秘さを湛えていた。


 気怠そうに天を仰ぎ見た亜莉栖は、木々の合間から微かに漏れる光のシャワーに目を細める。

 まさに夢見心地。

 甘く響く穏やかな自然のコンチェルトは、亜莉栖を再び眠りの中へと誘おうとしていた。

 安らかなひと時への誘惑に身を委ねようと目を閉じて……しかし数瞬の後、亜莉栖はあることに気づく。


「――てか、ここどこっ!?」


 目を瞠り、自らに起こった現象の把握に努めようとするが、未だに思考が追いついてこない。

 神秘的過ぎる場の空気に、夢か現かも判らないほど毒された脳では、判断出来るはずもなかった。

 呆然とただ目の前に広がる景色を眺めていると――――ガサッと木の葉を踏みしめる音。次いで木立の影からヌッと黒い影が姿を現す。


「だ、誰……?!」


 明らかに緊張と警戒を含んだ声を投げかけながら、衣服が汚れることも厭わずに、亜莉栖は泉の方へと後退る。

 一歩一歩近づいてくる不審な影に、引き攣った顔をして動向を目で追っていると、影は木洩れ日の下までやってきてその黒い姿を映し出す。

 それを見た瞬間、亜莉栖の動きが一瞬止まった。

 唖然とした顔で見つめる先、その人物の頭からつま先まで何度も往復する亜莉栖の黒瞳。

 そして――、


「へ、へ、変態がいるっ!?」

「誰が変態だ!」


 驚愕した声に、間断なく返ってきたハスキーボイス。

 それはまるで火をつけたグラスに垂らす、ブランデーのように甘く薫るほど脳を浸潤する響きだった。

 しかし亜莉栖はそんなことも気に留めぬまま瞠目する。

 中心線よりやや右後ろで縛った、肩口まである艶やかな黒髪。鮮やか過ぎる深い青をしたその瞳。亜莉栖より十センチは高い身長を包むのは、どこかのお屋敷に従事する執事のような燕尾の礼服。

 まるで漫画やアニメ、ゲームの世界からそのまま引っ張ってきたかのような美青年だった。

 黒髪碧眼をした中性的顔立ちの青年は、目つき鋭いままに呆れたようなため息を漏らすと、そのまま樹木に背もたれた。


「お前は、“アリス”か?」

「へ……?」


 一瞬、亜莉栖の思考がフリーズする。

 普段なら、セーブすらせず進めた末に、途中でゲームがフリーズしようものなら、暴れ馬の如く暴れるのだが……。どうやら今の状況では、亜莉栖の暴走は起きないようだ。

 それもそのはず。

 名乗ったことのない、ましてや会ったこともない赤の他人に、自分の名前を言い当てられたのだ。

 亜莉栖の男に対する不信感は、リミットゲージをさらに高めた。


「い、いえ……ち、違い、ます……わよ?」


 ド緊張のあまり声が裏返る。


(……そうよ。ここで返事しようものなら、絶対喰われちゃう! だってあんな目してるんだもん! 断固拒否! なんとしてでも誤魔化さないと……。それに、見知らぬ人に名前を教えちゃダメだって、保育園の時にお母さんも保育師さんも隣のおばあちゃんも飼ってた猫にも言われたもんね!)


 悟られぬようにした頷きの後、男から目を逸らし、一回りほど縮めるつもりで体を恐縮させる亜莉栖。

 男は睨むような視線を崩さずにジッと少女を見つめている。


(こ、これは……ッ!? 案の定わたしの危険アンテナが注意(Caution)から警告(Warning)レベルへ引き上げて警報鳴らし始めてるわ!)


 恐々とした様子でチラリと男を見やる亜莉栖。

 視線が交差するや否や、光の速さで顔を背けた。


(に、睨んでる、睨んでるよ~……。な、なんで? わたし、なんかしたかな……?)


「もう一度問おう……。お前は、“アリス”かと聞いている」


 再び訊ねる男の声には、明らかに苛立ちが見て取れるほどの怒気を孕んでいた。

 それに恐れをなした亜莉栖は、無言のまま首を左右に強く振った。

 ――――しばらくの沈黙。

 男の出方も分からない。

 ただ空白な時が流れることに、先に耐え切れなくなったのは亜莉栖の方だった。


「あーもう、まったく! あんたしつこいのよ! わたしは亜莉栖よ! 文句でもあるの!! 分かったならとっととどっかに消え――」

「やはりそうか。……いや、聞かなくても解ってたことだな。なぜなら――」

「ヒィィーー!!」

「ん? 煩い女だ……なんだ?」

「あんた、も、もしかしてストーカー?!」

「人聞きの悪いことを言うな。まあ、お前をストーキングするやつらは他にいるけどな」


 亜莉栖はその一言で再び硬直した。

 震える声で問いかける。


「ま、まさか、人攫い……?」

「あぁ? つくづく失礼なやつだ。撃ち殺すぞ」


 言いながら懐に手を入れた青年は、鈍い光を反射する黒い物体を引き抜いた。

 それは亜莉栖もよく見知っている(もの)だった。見知っているといっても、実際に見たことはない。

 青年が手に持つそれはゲームにも頻繁に登場する、現代の火器、拳銃だ。しかも回転式弾倉(シリンダー)を持つ、回転式拳銃(リボルバー)タイプだった。


「そ、そんなもの取り出して、一体、ナニする気……? ま、まさか、それでわたしを脅して犯そうとか思ってるんじゃないでしょうね?!」

「バッ……。オレは女なんぞに興味はないんだ、そんなことするか!」

「やっぱり! あんた真性の変態じゃない!」

「だれが変態だ、誰が――」

「それよ!」


 反論など許さない! と言わんばかりに、亜莉栖は男の頭上をビシッと指した。

 先にも発した罵りの言葉。それはそこに“あるもの”を指してのことだったのだ。

 慇懃な執事然とした風体の青年にはまるで似つかわしくない――――※似合っていないという意味では決してない――――カジノや怪しいお店、はたまたコスプレでしか使われないようなものが乗っている。

 その黒髪と同じ色をしたふわふわの毛で出来たもの。銀のトレイ持つ女性をイメージする二葉のカランコエ。

 男がするにはいささか勇気がいりそうな、けれど青年はごく自然に、まるで生えているかのように身に着けるそれは、黒いうさぎの耳だった。


「こいつのどこが“変態”なんだ」

「どう考えても、男がするのはおかしいでしょー?! そんな恥ずかしいもの女だって進んで身に着けやしないわよ!」

「いちいち煩い女だな。しょうがないだろ。オレは“黒うさぎ”なんだから」

「へ? 黒、うさぎ……」

「ああ。見れば解るだろ、アリスなんだから」


(……一体なに言ってんのかしらコイツ。ていうか、なに初対面の男とこんなに楽しそうに話してるわけ自分? そもそも夢でしょ、これ? ならさっさと目を覚まし……って、あれ――?)


 亜莉栖はようやくおかしなことに気づく。そう、これは夢のはず。

 でも耳に聞こえるこの水のせせらぎ、樹葉のざわめき。この上ないリアリティを伴って感じる音、土の感触、森の匂い。そして男の艶やかなまでの立ち姿と声。

 あちらの世界にでも旅立ったかのように再び呆然とする亜莉栖を、男は訝しがりながら見つめている。


「なんだ、現実逃避でもしてるのか? 無駄だと思うがね」


 視界にチラつく男の姿。なにやら呆れたように肩を竦めているようだった。


「ねぇ」

「ん、なんだ」

「それって……本物?」


 呆けたまま、視線は再びうさぎ耳に釘付けになる。

 そんなことしか考えられないほど、今の亜莉栖はだいぶキテいるようだった。


「えっ?! いや、まあ、その、なんだ。本物に近い……本物だ」

「取れるの?」

「――取れん! 断じて取れん。黒うさぎの耳が取れるだなんて、はは、面白い冗談だ」

「ねぇ――」

「なんだ」

「動揺、してない」


 先ほどの余裕とは打って変わったように、黒うさぎは明らかに焦りを見せている。

 顔を引き攣らせ無理な作り笑顔をしながら、あたふたと可笑しなジェスチャーを繰り返す。


「し、してないさ。黒うさぎが動揺? は、そんなもの童謡にも書かれてない事実無根の虚言だよ」

「……動揺と童謡を掛けたの? あんまり面白くないね」

「そんなつもりは……ない」


 仄かに頬を朱に染めて、青年は恥ずかしそうにそっぽを向いた。



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