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Alice of Black Blood  作者: 黒猫時計
第一章 黒の王国
19/19

018―アリア

「ねえマティ」

「ん、どうした?」

「これ、やっぱり罠だと思う?」


 黒のアジトから城へと戻った亜莉栖とマティ。

 エントランスでしゃがみ込む二人の視線の先には、一通の手紙が落ちていた。


「どこからどう見ても、手にした人を吊り上げる罠にしか見えないんだけど……」


 ワンダーランドへ来てからというもの、亜莉栖の中で警戒心というものが濃く色づきつつあった。

 糸や仕掛けは見当たらないが、ここは不思議の国だ。そんな仕掛けであってもなんら不思議じゃない。それに、こんなエントランスのど真ん中に手紙が一通だけあるっていうのはどうもおかしい。


「封蝋のバラ印を見る限りじゃ、これは女王が送ってきたものだな。ウチが言うんだ間違いない」

「女王? まさか早くも最終決戦なの!」


 まだ女王の姿も見ていないのにもう終局なのかと、亜莉栖は困惑する。

 そんな混乱をよそに、マティは封蝋をめくり上げ、手紙をおもむろに開いた。


「そうじゃないみたいだ。どうやら、まーた悪趣味なゲームの招待状らしいぞ」

「ゲーム?」

「クロケーだよ」

「クロケー……」


 亜莉栖は思い出していた。幼い頃に読んだ不思議の国のお話を。

 たしかそう、あれはゲートボールみたいな遊びだった。

 けれど、それを遊びと呼んでいいものかは、はなはだ疑問だ。

 なぜなら、女王のクロケー遊びは普通じゃなかった。

 本来、マレットで木のボールを打って決められた順番にアーチをくぐらせ、先にゴールを目指すという競技なのだが。女王のそれはボールは生きたハリネズミ、マレットは生きたフラミンゴ、アーチはトランプ兵で行われていたのだ。

 『不思議の国のアリス』では会場は畝だらけで、目標であるアーチは移動し、マレットは打とうとすると頭をもたげ、ボールは逃げ出すという始末。 そして審判は女王様。注意の代わりに死刑宣告をされるとんでもない遊びだった。


「よくアリスは逃げ出せたわね」


 思わず顔が引きつってしまう。


「まあ、あの頃はチェシャの首で騒いでたらしいからな」

「らしいって、マティはその頃いなかったの?」

「うん。ウチが生まれたのはそれからしばらくしてからだな。その時にいたのなら、間違いなく女王を殺ってたぞ」


 自身あり気にマティは鼻を鳴らす。

 トランプ兵の無残な死に様を思い出し、亜莉栖は微妙な顔をした。

 それはそうと、と亜莉栖はエントランスを見渡す。


「あれ、そういえばグリムは?」

「なんだ、ウチの武勇伝よりアイツが気になるのか?」

「そういうんじゃないけど……って、武勇伝? さっきのはもしもあの時、そこにいたらの話でしょ?」

「そうだけど」

「じゃあまだ活躍してないんだから、武勇伝じゃないよね」

「…………まあそうだ」


 マティは帽子を押し下げて縮こまる。そうなれば、ただそこに大きな帽子が置いてあるとしか思えないほどに違和感がない。

 その中からくぐもった声が漏れ聞こえてきた。


「グリムなら部屋なんじゃないか? どうせこもってまったりお茶してるんだろ。それはそうとアリス、先に風呂にでも入ってきたらどうだ? 後がつかえるぞ」

「お風呂……それもそうだわ。アジトは埃っぽかったしお風呂もないし酒臭いしなんか獣臭かったし」


 一日お風呂に入れないだけでこうも気持ち悪いものなのか。習慣って怖い、と亜莉栖は思う。

 そうして立ち上がったところで、マティから再び声がかかった。


「くっく、今なら面白いものが見れるぞ」


 帽子を持ち上げ姿を見せた少女の顔は、楽しげに笑っていた――。



「大浴場に来たはいいけれど……」


 城の地下に設けられている大浴場。

 城に住まう住人が一斉に入ってもまだ、かなりの余裕があるくらい広い浴室。その脱衣所で亜莉栖は困惑を隠し切れないでいた。

 その手に持っているのは、黒い、うさぎ耳だ。


「これってまさか……まさかと思うけど、グリムの耳?」


 普通に動いていたから外れるのかと驚いた。でも初めて出会った時にはそのことに対し狼狽えていた気もする。


「うわわっ、ど、どうしよう。ここって混浴だっけ? あれ、そもそも関係ないよね、お風呂場は一つしかないんだし……。ていうか面白いものって……マティのやつ~」


 顔を赤くしながら恨み言のようにぶつぶつ呟く。


「それにしても面白いものって、マティが言ってたのはやっぱりこのことなのかな?」


 うさぎ耳と浴室への大扉を交互に見やり、しばし思案する。

 取れると思ってなかったものが取れた。たしかにそこだけ見てみても、多少の面白さはあるかとも思う。


「だとしてもそこまで誇張するかな? 面白そうではあるけど。それにもし中に入ってからのことだとしたら、男と女なわけで……。一緒に入るわけにはいかないんじゃ……」


 でもいまさら服を着るのも面倒くさい。というより、ここへ来る前にロザンヌに着ていた服は渡してしまった。今あるのは黒いバスローブ。

 それにお風呂も入らずローブを着るわけにもいかない。汗は流したいし……。

 体に巻いたバスタオルの胸元を、亜莉栖はギュッと握りこむ。


「ま、手桶だと思えばいいのよね! 変態うさぎだし。それに女の子に興味ないって言ってたし……。そうそう、いつも言ってたっけ。「オレは女には興味ない」って。もしかしたら、逆に私を手桶だと思ってくれるかもしれないわ」


 言ってから亜莉栖は気づいた。それはそれで悲しいと。

 

「ま、まあ無視すればいいし。行って驚かせてやるのも、面白いかもしれない。もしかしてこういうことだったのかもしれないし。面白いものが見れる、じゃなくて面白い状況を作って笑えってこと。……脱ぐと意外に凄いんだぞ! ってことも知らしめてやるんだから」


 無駄に張り切り思考を前向きに切り替え、うさぎ耳を置いた亜莉栖。

 浴室の大扉へと進んでいき、その手前ですぅーはぁーと一度大きく深呼吸。亜莉栖は大きく頷き、扉の引き戸に手をかけた。

 よしっ、と心の中で気合を入れ――いざっ、


「グリムー! 一緒にはっいろーーッ!!」


 半ばやけくそに聞こえなくもないような大声を出しながら、扉を開いて中に進入。

 もくもくと白い湯気の立ち込める中、今まさに入浴中であろう人物の姿が薄っすらと浮かび上がった。

 亜莉栖の声が響くまで聞こえていた、わしゃわしゃと髪をかき混ぜるシャンプーの音が急に止まる。

 やがて湯気が晴れるころ、思いもよらない闖入者の登場に、その人物は手を止めて目を瞠り硬直していた。


「あ、あれ? 女の子」


 亜莉栖が見たものは紛れもない女体だった。

 肩口まである黒い艶々の濡れ髪。切れ長な目に中性的な顔立ちをしている。

 出るとこはしっかり出ている女性らしい肉感的な体つきは、しかし鍛えていると思わせる女豹のようなしなやかさをも備えていた。

 グリムかと思っていた亜莉栖は拍子抜けし、つまんなそうに息を吐く。


「なんだ、グリムじゃなかったのか。にしてもまた新しいメイドさんを雇ったのかしらね、あの変態公爵は。夫人に怒られても知らないから。会ったことないけど……」


 ぶつくさと物言う亜莉栖に、女性は水を求める魚のように口をパクパクと開閉させる。


「あ、驚かせちゃってごめんなさい。わたしは亜莉栖、ってもう知ってるよね、たぶん」

「お、おま、お前……」

「え? なに??」

「な、ななななんで入ってきてるんだよ!」


 女性は指差しながら艶のあるアルトボイスで抗議する。


「いや、なんでって。お風呂入るのに理由がなきゃいけないの?」

「そういうことじゃねえんだよ! 誰の許可で入っていいと言った!」

「あなたずいぶん口が悪いメイドさんね。なにをテンパってるのか知らないけど、後がつかえるから先に入れってマティちゃんに言われたから――」

「あのクソガキ、あとで締め上げる」


 ギリギリと音が聞こえてきそうなほど、強く歯軋りする女性。

 怒りを露にしているにもかかわらず、その表情といい造形は息を呑むほど美しかった。

 けれど、亜莉栖はふと気づいた。その声の音質と口癖に聞き覚えのあることに……。


「あ、あれ? でもその声、どこかで聞いたような」


 改めて目の前の女性を見た。

 その視線に気づいたのか、女性はシャワーで髪をちゃっちゃと洗い流し、適当に体の泡を流すとさっさと走り、湯船にダイブした。そして体を抱くようにして亜莉栖に背を向ける。


「あのさ、違ったらごめんけど……、もしかして……ぐ、グリム?」

「ギクっ、ち、違う。だれだよそれ」


 あからさまな動揺は肩を跳ねさせ、つい口をついて言葉が漏れてしまった。

 その反応にまさか、と言った風にあんぐりと口を開けて固まる亜莉栖。

 間違いなく普段聞いている小生意気な青年の声に似ている。

 手を戦慄かせながら、一歩、彼女に近づいていく。


「ば、馬鹿、こっちにくるな!」


 女性の制止する声は、けれど亜莉栖には届かない。

 まるでゾンビ映画のゾンビのような覚束ない足取りで、亜莉栖は徐々に女性との距離をつめていく。

 それに危機感を覚えたのか、女性はあわてた様子で大浴槽を後退る。


「こっちにくるなって言ってるだろっ」

「ま、待ってよ、グリム……ちゃん?」

「だれがグリムちゃんだ! アタシはグリムじゃないっつってんだろ」

「どうでもいいけど、いつの間に性転換なんてしてたの……?」

「どうでもいいことなんかねえんだよっ、失礼な女だな! 性転換なんて元からしてねえよ!」

「えっ!?」


 女性の言葉に再び亜莉栖は固まった。


「あ……」


 失言に気づき唖然とする女性。

 そしてアリスは再び進撃を再開する。


「そこで止まってろよ馬鹿!」

「いや、ちょっとよく見せてよ」

「オヤジかテメエは!」

「うへへ、お姉ちゃんいい身体してるじゃないか」

「ダメだこれは」


 そんな問答を繰り返しているうちに、とうとう女性は浴槽の隅に追いやられ、逃げ場を失ってしまった。

 すぐ目の前には亜莉栖の紅潮した顔が……。

 のぼせてしまったのか、女性も頬を赤く染めながら、ぷいっと亜莉栖から顔を背けた。


「な、なんだよ。そんなにジロジロ見るなよな」

「ねえ、本当にグリムなの?」

「だからグリムじゃないって言ってるだろ、しつこい女だなお前は」

「えーだったら誰なのよ。さっきから怒鳴り散らしてるあなたの声、あいつとおんなじ声なんだけどなー」

「知るか!」


 亜莉栖が女性の肩に手を伸ばそうとした、その時――

 ガラッと大浴場の扉が開放された。


「おっ、お楽しみのようだな、亜莉栖」

「マティ?」

「あっ、てめえクソガキ!」

「おいおい、言葉遣いが相変わらず悪いな、グリムちゃん」

「誰が“ちゃん”だ! 締め上げんぞ」


 マティの言葉で確信へと変わった亜莉栖は、光の速さでグリムに振り向いた。


「やっぱりグリムじゃないの。ねえ、これはどういうこと?」

「その問いには後でウチが答えるから、待ってろ。とりあえずウチも風呂に入りたい」


 そうして仲良く三人での入浴タイムが始まった。



 ◆◆◆◆◆◆



 ――入浴後。

 亜莉栖たちは食堂の円卓に座っていた。

 みな一様にして黒いバスローブを着込んでいる。

 一同を見渡すと、マティが口火を切った。


「アリスにはもういいかげん話してもいいだろう?」

「……好きにしろ」


 マティの問いかけに、グリムは気まずそうに顔を背けた。

 了解を得たマティは表情を和らげ、静かに口を開く。


「アリスも見ての通り、グリムは女だ」

「男装が趣味なの?」

「そんなわけないだろ」

「まあそう捉えられてもおかしくはないだろうけど、これには理由がある」


 つらつらと、マティが語り出したのはグリムの境遇だ。


「グリムの本名はアリア。七百三人目のアリスとしてこの世界に呼ばれた者だ」

「七百三人目の、アリス……? でも、アリアって」

「そう。なんの間違いか、アリスと一文字違いで呼ばれた特異の存在。だからこの世界にとってはイレギュラーなんだよ。本来、存在し得ないはずの人物だ」

「だけど、グリムは存在してるわ。いまここにいる」


 グリムを見やると、なにを考えているのか分からないような無表情で、ただ柱時計を見つめていた。


「アリアがここに存在していられる理由が、グリムという役職にあるんだ」

「役職? 変態執事じゃなくて、他にちゃんとした役に就いているっていうの?」


 再びグリムを見やると、不機嫌そうに眉根を寄せていた。

 どうやら話は聞いているようだ。


「グリム。それはこの世界の死神の名前だ」

「死神? それがグリ……アリア……さんの役職?」

「アリス、死神と聞いて思い浮かぶカードはなんだ?」

「死神、死神。あっ、ジョーカーのこと?」

「そう。ただ一枚だけしか存在しないジョーカー。最強だけど最弱で、だが切り札にもなるカード。それだけがこの世界に欠けていたんだ」


 この不思議な世界へ初めてきた時、アリアはマティに救われた。

 そしてこの世界で起こっているゲームの話を聞かされたアリアは、自分が来た意味を考えた。

 そこで問うたのだ。「この世界にジョーカーはいるのか?」と。

 幸いといっていいのか分からないが、ジョーカーの席は有史以降、空席だという。

 この世界に精通し情報を握っているのはチェシャ猫だと聞かされたアリアは、ジョーカーの鎌を求めてチャシャを訪ねた。

 そしてチェシャから、男装し男として振舞うことを代償として情報を得た。

 そして情報通りの黒と白の交わる場所、グリフォンの爪痕と呼ばれる場所にて、異空間に囚われた鎌を発見する。


「そうしてそれ以降、少女アリアはこの黒で、グリムとして戦いに身を投じて生きることになった」


 長い話を終え、マティは一息ついた。

 グリムも気疲れしたのか、その青い瞳を閉じている。


「そっか。やっぱりあの部屋にあった額縁の窪みは、鎌だったのね。でもどうしてアリアさんは――」

「アリアでいい」

「えっ?」

「たぶん、お前とそんなに歳は変わらないから」


 亜莉栖は恐る恐る年齢を訊ねた。


「……いくつ?」

「十九だ」

「二個上だし……」

「気にするな」

「わ、分かったわ」


 納得してみせたものの、改めて思うとちょっと気まずい。

 ずっと男だと思っていたのに、実は女だったなんて。それも不思議の国だからの一言で済む話なんだろうけど、どうにも消化不良を起こしそうだった。


「それで、アタシがどうした?」


 アリアの言葉に我に返った。そうだ、話を途中で折られたんだ。


「あ、そうだった。どうしてアリ、アリアは、なんか慣れないなー。その、死神の鎌をいまは持ってないの? 鎌じゃなくて、いまの武器は拳銃じゃない?」

「それは女王に奪われたからだよ」


 珍しく帽子を外し手入れに勤しむマティが答える。

 メイドに乾かしてもらったふわふわの金髪が、帽子をいじるたびに揺れる。


「奪われた?」

「正確にはチャシャにだけどな」

「……なんで?」


 鎌の在り処を教わった相手に、今度はその鎌を奪われるってのはどういう状況なんだ? これじゃ鴨がねぎ背負ってんのと大して変わりない。


「女王が所望したんだと、チャシャは言っていた。だから奪いに来たと。「これはそのお詫びに」と言ってアタシにうさぎ耳をよこした。気をとられていた隙に鎌を奪われた。一生の不覚だっ。そして奴は言った。「君には黒うさぎが似合うよ、バニーちゃん」と。あんな辱めは初めてだ!!」


 テーブルを拳で叩きつける。紅茶の注がれたティーカップがその衝撃で跳ねた。

 忌々しげに唇を噛むアリア。

 亜莉栖はどんな顔をしていいのか分からないが、思ったことを一つ――


「けど、ちゃんと黒うさぎやってるんだね」


 アリアから返答の代わりに、射抜くような視線が返ってきた。


「アリアはもともと可愛いものが好きもがっ――」

「言うんじゃねえ! 口縫い付けんぞ!」


 顔を真っ赤にして、アリアはマティの口をふさぐ。

 いいこと聞いちゃった、と亜莉栖。今度、ロザンヌに頼んで恥ずかしいフリフリ衣装を作ってもらおう。

 そんな心の中の画策を、アリアは知るよしもない。



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