015―エッグヘッド 黒のギルドマスター
慣れない血のにおいに苦戦しながらも、黒崎亜莉栖はアジトの入口を探す。
周囲を隙間なく木々に囲まれた袋小路。一見するとただの行き止まりに見える。
だが目的のそれは意外なほどあっさりと――亜莉栖にも明確に分かり易すぎるくらい簡単に――発見することが出来た。
なぜなら、地面に砂利しかない袋小路に一面だけ生える草。二メートル四方に四角く生え揃う緑のエリアには、不自然に縁取りされた切込みが入っていたのだ。
がさごそと探れば取っ手が出現し、それを引っ張り上げるとあっさりと地下へと続く梯子が見つかった。
「よく見つけたなアリス、ウチは感心したぞ」
パチパチパチと、感心したようにマティが手を叩く。
「いや、これは誰だって気づくんじゃ……」
本当に隠す気があるのか疑いたくなるような単純な偽装を発見しただけで、そんな手放しで褒められると亜莉栖としては少し恥ずかしい。
こんなものは小学生でも見つけられる。
内心で、本当にここのギルドマスターは頭が悪そうだ、と思いながらもじもじしていると。
「さて、さっさと降りるぞ」
小さく息を吐いたグリムがクールに声をかけてきた。
先の戦闘でのがっかり感が半端ではないのだろう。亜莉栖の横を「はぁ……」とまたも露骨に嘆息しながらすり抜け、自身は梯子のもとへ。
「ち、ちょっと待ってよ」
はっとして、先に降りようとしている黒うさぎの腕を亜莉栖は思わず掴み取る。
「なんだ?」
急に腕を掴まれたことが不愉快だったのか、グリムはむっとしながら返事した。
その表情からは掴まれた意図が分からない、といった様子。
そんな青年の顔を見て、亜莉栖はあまりの無神経さに腹を立てた。
「あのね、わたしスカートなんだけど?」
「それがどうした」
言葉に、思わず開いた口がふさがらない。けれど気を取り直して言葉を繋ぐ。
「どうした、じゃないわよ。あんたが先に降りたらその、見え、見えちゃうでしょ! 普通は私が先に降りるもんでしょうが」
頬を染めながらの照れ隠しの反論。けれどグリムは涼しい顔をして――
「なんだそんなことか。安心しろ、お前のパンツなんかオレは興味がない」
きっぱり、そう断言された亜莉栖。
……それはそれでどうなのよ、わたし。女として見られていないなんて。今日は黒だしちょっとセクシーな感じなんだけど……、それでも、ダメ?
見られたくないけど興味を持たれないのは嫌、かも。そんな複雑な心境がもろ顔に表れている心をへし折られた亜莉栖。訝しむグリムの視線が冷たく突き刺さる。
「あう、そんな目で見ないで~」
両の手で顔を覆い隠しイヤイヤと首を振る。
耳まで真っ赤にして照れる亜莉栖を後目に、グリムは梯子へ足をかける。
そして顔だけを地上へ覗かせながら言った。
「さっさと降りてこいよ。日が暮れちまうぞ」
そうしてグリムは先に地下へと降りていった。
地上へ残された二人。
しばらく無言のまま亜莉栖の様子を観察していたマティ。ゆっくりと亜莉栖に近づくと、スカートの裾を引っ張りながら口を開いた。
「アリス、ウチもスカートだぞ。だけどお前が先に降りていいからな」
そこでようやく二人だけになったことに気づいた亜莉栖は、スカートを引っ張る少女と視線を交わす。
まるでルビーのようなキラキラとした真紅の瞳が自分を見上げていた。
「うん、ありがとうね。でも、マティのスカートは下擦っちゃうくらい長いじゃない、だから心配いらないよ」
少女の心遣いに感謝しつつも、なかなかショックから立ち直れない亜莉栖。
するとマティはなにか納得したように頷き、
「なんだ、アリスはウチのパンツが見たいのか」
「……うん? なにをどう解釈したらそうなるの、かな?」
「見たくないのか? ウチはここへ来る前にお前のパンツを見ちゃったんだけど……許してくれるのか?」
「話の筋がまったく分からないけど、許す許さないの問題じゃないんじゃ……。マティは背がちっちゃいからしょうがないだろうし」
「……そうなのか? それはそれで残念だな、今日はお気に入りなんだけど。イチゴのパンツだぞ!」
「いや、別に柄とか聞いてないし」
「そうなのか……ならいいのか、そうなのか」
俯いたため帽子に隠れて表情は見えはしないが、心なしか残念そうに思える帽子の少女。
それにしてもマティはイチゴが好きなんだなと、見た目通りの印象から受ける少女趣味に亜莉栖の口元が自然に綻ぶ。
イチゴのパンケーキが好きだと言っていたし、今度、作ってあげようか。その時の反応を勝手に想像して楽しい気持ちになり、心の中でそう約束をした。
「それじゃあ、わたしたちも降りようか」
マティの視線に合わせるように少し屈むと、亜莉栖は笑って声をかける。
少女がそれに頷くのを見て、亜莉栖は地下へと続く梯子を降りていった。
◆◆◆◆◆◆
地上から差し込む明かりが小さくなる。
数十メートルの長い梯子をようやく降り切った亜莉栖とマティ。それを待っていた人物がランプをかざしながら二人に声をかけた。
「やっと来たか。遅いぞお前ら」
暗闇に浮かぶ人の顔。壁に映し出された影の頭には葉っぱのような二つの耳。
男性か女性か一瞬見ただけでは判別しにくい、整った綺麗な顔立ちが呆れたように顰められていた。
「あれグリム、いつの間にランプなんて手に入れたの?」
「ん、ああこれか。これはすぐそこの壁についてたやつだ。だからと言って引っぺがしたわけじゃない。この廊下は暗いだろ、だから部屋までの間の照明に使えることになってるんだよ、覚えとけ」
「う、うん、解った」
「じゃあ、行くぞ」
グリムは回れ右をし、両手を目一杯広げたほどの幅の廊下を歩き出す。
亜莉栖とマティもそれに続き、ひたすらに直進。
暗く冷たい印象を受ける黒っぽい石壁の廊下は、息苦しくなりそうなほどの迫り来る圧迫感を感じずにはいられない。
そうして長いこと歩いた廊下のある一点。額縁みたいに四角く縁取りされた光の線が、壁を照らしているのが見えた。どうやらギルドの扉の隙間から漏れているようだ。
一行はクローバーの紋章が描かれた扉の前に立ち、グリムが扉を叩こうとした瞬間――
『ガハハハハハ、笑えるなあ、愉快だなあ、ガハハ』
なんとも豪快で大音量の笑い声が部屋の中から聞こえてきた。
「うわっ、ビックリした~」
「はぁ、あのハゲはまた昼間から飲んでるのか」
あまりに突然聞こえた声に驚く亜莉栖。その隣でやれやれと肩をすくめる帽子の少女。
黒うさぎは鼻を摘みながらも扉を叩く。
――――コンコン。
『ん、なんだー。合言葉を言えー。“黄身”』
「………………」
来客に気づいた中の人物は、敵味方を判別するための合言葉を言うように、重く響く低音ボイスで促してきた。
けれどグリムは何も応えず、無言のまま首を横に振った。
しばしの沈黙の後、中の人物はなにかを思い出したように『あっ』と小さく声を漏らすと、
『ガハハハ、しまった、合言葉の答えを先に言ってしまったなあ。ガハハハハ』
自身の失態ですら笑って誤魔化した。
『さて気を取り直して、“白身”』
「……“黄身”」
再度促された合言葉。それに対しグリムは、扉の中の人物が先に失言した答えをため息混じりに吐き捨てた。
『ガハハ、グリムか、待ってたぞ』
ズンズンと地響きさせながら、ギルドのマスターとやらはそう言いながら扉の錠を外す。
ジャラジャラと鎖の音が聞こえた後、扉が僅かに開いた。
暗闇を縦に切り裂く光の線。
黒うさぎは取っ手に手をかけ、扉を静かに押し開く。
室内の明かりが一気に洩れ出し、亜莉栖も思わず目を瞑る。
薄っすらと瞼を開くと、ぼやけた視界が次第に輪郭を整える。そうして完全に開ききった亜莉栖の視線の先には、身長二メートルはあろうかという大男が立っていた。
「ガハハハ、ようこそいらっしゃい皆の者、黒のギルドアジト本部へようこそ」
まるで風呂上りにコーヒー牛乳を飲むように腰に手を当てながら、大男が仰け反りながら大声で笑いだす。
それを唖然とした様子で大男を見上げる亜莉栖。
「ガハハハハハ――」
「いいかげん煩いぞハゲ、少しは黙ってられないのか!」
「――ハ……んー、その声はマティか? いやまあ、久しぶりだなあ。あまりに小さくて分からなかったぞ」
これ以上ないくらいの満面の笑みを浮かべながら、豊かな髭を蓄えた大男はマティを見下ろした。
すると不機嫌そうな顔をしたマティは機械のグローブを大きくさせ、最小のモーションで大男のべんけいを小突く。いやド突く。
「うぉいたッ!? 何をするか、マティ! ハンプティ涙目」
「ハンプティ?」
セリフ通りの涙目を浮かべる大男の言葉に、すかさず反応を示すは亜莉栖。反応速度は新しいタイプを超えているようだ!
「ん? 今の声は……お、よく見ればこれまたベッピンのお嬢ちゃんが一人――」
「……おい、どこ見てる……オレは男だ」
「おーそうかそうか、グリムだったな、冗談だ。だからその二挺拳銃を降ろせ」
まったく、冗談の通じないヤツだと大男は思う。なぜこうも頭でっかちなのか……。
そんなことを考えながら、さらに視線を泳がせてグリムの斜め後ろに立つ少女に目を移した。
「ほぉ、お前さんが新しいアリスか。これまた可愛い子を捕まえてきたなー。どれ、おじさんに紹介してはくれんか?」
「おいハゲ、お前いい加減にしないと、その卵みたいなハゲ頭の空っぽの中身をここにブチまける事になるぞ」
度が過ぎる冗談を繰り出すハゲ……もとい大男にドスを効かせてマティは言い放つ。
すると大男は「ガハハハ、冗談だ」と、毎度のように笑って誤魔化した。
そんな大男に向かってマティは釘を刺すように言葉を付け足した。
「アリスはウチのだっ!」
えー、と微妙な顔をするのは他でもない亜莉栖。
どういう意味で捉えればいいのか困惑している様子。
すると話が先に進まないことに業を煮やした黒うさぎが鼻を摘みながら話を割って入った。
「ハンプティ、悪ふざけはそこまでにしておけよ。アリスも困惑してるだろ、自己紹介くらいしたらどうなんだ」
「おお、それは気がつかないもんですまなかったな。にしてもこの剥き身のゆで卵のような頭が気に入らないとは……マティも子供だなあ」
「なんだとハ――」
「分かったからマティも黙れ」
「もがっ」と口を封じられたマティの声がごもる。
それを大声を上げて大層おかしそうに笑った後、酒瓶を煽って口元を拭い、大男は亜莉栖へと向き直った。
「遅くなってすまんな、俺の紹介をしようかアリス。俺は黒のギルドマスターをしているハンプティ・ダンプティだ。皆親しみを込めてプティちゃんと呼ぶ――」
「「呼ばねえよハゲ」」
二人の声が揃う。
ハンプティは涙目をこらえながら笑う、とにかく笑う。
つられて亜莉栖も噴出した。
「ガハハ、アリスの笑顔がようやく見れた。さて、続きだ。といっても特にないか? あとは何だ? そうか、俺の得物は猟銃だ。あの壁に掛けてある」
そう言って壁際を指差した。
亜莉栖が視線を移すと、壁には銃身だけで一メートルはありそうな長大な猟銃が掛けられていた。
「こいつもアリスやグリムの武器と同じ、マティの特製だ」
「そうだ、それに感謝するんならアリスはウチのものだぞ、だから手を出すなよな」
「あい分かった、約束しよう。アリスは、グリムとマティのだ」
「おい、なんでそこでオレが入る」
「まあ細かいことは気にするな、特に理由は無い。ガハハハ」
ハンプティは笑いながらその場でドカッと腰を下ろす。
見上げることでしか見えてなかったその全貌が、ようやく亜莉栖の目に視覚的情報として飛び込んできた。
高身長に恰幅のいい体格。筋骨隆々としていて肉弾戦もこなせそうな膂力溢れる肉体をしている。
その身を包むのは茶色のパンツに白いシャツ、黒の蝶ネクタイを結びそしてその上には緑のジレを着ている。どこぞの貴族が狩りにでも出かけるような出で立ちだ。
自分で言っていた通り、その頭は剥き身のゆで卵のようにつるんとし、口元に蓄えられたマスタッシュと呼ぶにふさわしい立派な髭が、一層際立って見える。
「んーどうしたアリス、俺に見惚れでもしたか、ガハハ」
「ハゲ煩い、そんなわけないだろう。お前にじゃなくてウチにだろ、なあアリス!?」
えっ、と頭上に疑問符を浮かべる亜莉栖。
なんで急にこんなに好かれてるのか自分でも分からない。
いつの間にかフラグでも立ててたのかなと、少し他人事のように考えていると、グリムがまたも露骨に呆れたような嘆息をした。
「はぁ、お前らよく厭きないな……。そんなことよりマティ、あいつらの修理はいいのか?」
「んぁ? ああそうだったそうだった! そのためにトランプくちゃくちゃにして部品拾ったんだったな」
パン、と手を叩くと、豪快に酒を煽りだすハンプティにマティは訊ねる。
「おい、そういえばあの二人が見当たらないが、お前もしかして外に置き去りにしてきたんじゃないだろうな?」
「ぷはぁー、ひっく……。ん? ああ二人なら倉庫の中だ。ほれ、奥に扉があるだろう? お前たちが来るまで酒飲むくらいしかやることなかったんでな、暇つぶしに格納庫を作ってみたんだ」
酒瓶を床に置くと、四つんばいになり手を伸ばして扉を開けるハンプティ。
開けられた扉の中を亜莉栖は覗き見た。
その薄暗く狭い倉庫の中には、よく似た二体の人型が横たえられ仲良く並べられていた。