011―レジスタンスの存在
食事を終えた亜莉栖たちは、円卓でしばしの小休止をとっていた。
「はぁ~もうお腹いっぱいだー」
椅子に背もたれ、お腹をさすりながらマティは幸せそうな笑みを浮かべる。
「というか食い過ぎだ、まったく。これから動こうって時にそんなたらふく食ってどうするんだよ」
隣の椅子に腰掛けるグリムは呆れた顔をし首を横に振った。
「仕方ないだろう、お腹減ってたんだから。それにウチは行かないからな、あんな埃っぽいところはごめんだ」
少女は悪びれた様子もなく、まるで寝に入るかのように帽子を目深に押し下げる。
それを見てグリムはテーブルに肘を付くと、面倒くさそうにため息をついた。
「はぁー。あのなあ、お前が行かなきゃ話しになんないだろ。あの玩具共を修理出来るのはお前しかいないんだぞ?」
「カチン。人が作った兵器をよくもガラクタ呼ばわりしてくれたな、このうさぎ!」
自慢の作品を馬鹿にされ大層怒った少女は、犬歯をむき出しにして再び帽子を上げた。
「黒をつけろ、このガキんちょ。アリスがいなけりゃなんの役にもたたない木偶人形、ガラクタ以外の何物でもないだろ。まだそこいらに生えてる木の方がよっぽど役に立つ」
「キィー!! よくも言ったなこの男女! それならメイドたちを連れてけばいいだろ、工具ならいくらでも貸してやるぞ」
「誰が男女だ、シメんぞクソガキ! だいたい公爵の世話は誰がするんだよ。この人数で分担されてんだ、一人でも欠けてみろ。城の結界が役に立たなくなる。そしたらお前、一人でヤツらと戦えるのか?」
「う、うぐ……」
痛いところを突かれ、マティは悔しそうに押し黙る。
確かに公爵の世話係はメイドたちの役目であって、連携の一つでも欠けばそれだけで公爵は不安定になってしまう。黒の国の結界は公爵の存在によるものだ。よって公爵の安定、それがより強い結界の条件となっている。それに自分の作った玩具は自分でしか完全に直せない。まさに足掻いてもしょうがないほどの泣き所を、マティは的確に突かれてしまったのだ。
そんな二人の口喧嘩をボケーッと傍目に見ていた亜莉栖は、ふぅーと小さく息をはいた。
「あんたたちって、本当に仲が良いのね」
「「どこがだ!」」
揃って声が返ってくる。その反応を面白がりくすくすと笑っていると、
「お前、なに暢気なこと言ってるんだ。少ししたら出かけるんだぞ、装備くらいちゃんと整えていけよ」
「あれ、今からどこかへ行くの?」
隣の黒うさぎは耳をピコピコ動かしながら振り向くと、呆れたように肩を竦めながら言った。
「まったくどいつもこいつも。お前はこの世界に何しにやってきたと思ってる、遠足に来たんじゃないんだぞ? ましてやちょっとそこまで、的なコンビニ気分で迷い込んでるんじゃないんだ、少しは自覚してくれ」
「え? グリムってコンビニ知ってんの? なんで?」
「ツッコむ所はそこかよ……。あのなぁ、お前はアリスで、この世界の解放者で統治者なんだぞ。解ってんのか」
「よく分かったわ、要するにのんびりしてんな! ってことでしょ」
「そうだ、こっちは理解が多少あって助かるよ……。マティ」
そうしていまだに椅子で不貞腐れる少女にジト目を向けると、マティは諦めたように肩を落とす。
「なんだよ、行けばいいんだろ行けば。分かってるよ、分かってる。ウチの玩具はウチが直せってことだろ」
「そうだ、最初から素直になってればよかったんだよ」
「馬鹿うさぎ。お前に負かされたんじゃないんだからな!」
「……馬なのか鹿なのかうさぎなのか。せめてどれか一つにしろ」
「ならうさぎでいい……」
「よし、それならまだいいだろう、って黒をつけろよ」
と、ようやく二人の不毛な口喧嘩が収束したところで、亜莉栖は浮かんだ疑問を口にした。
「それで、今日はいったいどこへ遊びに行くの?」
その能天気な言葉にグリムはうさぎ耳を垂れる。
「遊びじゃないんだよ遊びじゃ……んまぁいい。だがそうだな、まずは説明をしとかなきゃなんないか」
んー? と亜莉栖は小首を傾げた。
「黒の王国は今、俺たちがいるこの城だけの領土だが、黒は俺たち以外いない、というわけではないんだ。反乱分子が少なからず存在してる」
「反乱分子、ってレジスタンス?」
「そう。そいつらはいま隣のクローバーに潜伏してる」
「クローバーも黒いカードだけど、黒の王国じゃないの?」
その時、パチンッと音がした。見ればグリムが指を弾いていた。すると待機していたメイドたちが卓上を一瞬で片すと、そこに大きな地図が二枚広げられる。
「見ろ、これが今の勢力分布図だ」
そう言って黒うさぎが手にした教鞭で指し示したのは、地図上のほぼ全てが赤く塗られた方だった。
「そしてこっちが狂う前のワンダーランド」
それは白と黒が塗り分けられた綺麗な地図だった。
「はぁ……本当に黒はこの城だけの国なわけ、ある意味見事ね」
「だろう? だからお前には是非とも頑張ってもらいたいわけだ。そしてなんとしてもオレたちはお前を守りきらなきゃならない」
「それは、ヴォーパルに選ばれるかもしれないから?」
「……い、いや、別にそれだけってわけじゃな――」
「いいのいいの、そもそもわたしなんかその程度の価値しかないんでしょ。千人目だっけ? 今までの娘はみんな死んじゃって、ジャバウォックの餌にされて、首だけ城に飾られて……って。そりゃあ最初で最後かもしれないもんね、希少だろうし。次に来る娘が血の耐性持ってるか、なんか分かんないわけだしさ」
そこまで口にし、亜莉栖はふと見たグリムの表情が寂しげなものであることに気づいた。自分の不甲斐なさを呪うような押し込めた感情が、殻を破って漏れ出てくるみたいにそれは暗かった。
「……すまない。アリスを死地に向かわせることに、何も感情が湧かないわけじゃないんだ。だがお前にしか頼めないことだ。ワンダーランドを救えるのは、アリスでしかない。それは何によっても歪めることが出来ない真実だ。そう、アリスでしかないんだ……」
震う長い睫毛の下、俯いて青い目を伏せる黒うさぎ。いつもの憎たらしさは鳴りを潜め、物悲しい雰囲気を漂わせている。
「ご、ごめん、別に皮肉ったわけじゃないんだけど。だからそんなに落ち込まないでよ、わたしはまだ死んだわけじゃないし、死なないかもしれないじゃない。あんたたちが守ってくれるんなら少しは安心出来るし、わたしも出来る限り頑張るからさ、ほら、顔を上げてよ――」
言いながらポンッと優しく青年の肩を叩くと、耳を垂れたままグリムは顔を上げた。亜莉栖を見返す青年の切れ長の瞳は少し潤んでいた。
「うっ……」
その薄幸の少女然とした憂い顔に、亜莉栖の心臓が大きく跳ねる。刹那的に沸き起こった感情を払拭するように頭を振ると、亜莉栖はそれを誤魔化すように席を立った。
「あ、ああそういえばわたし、ナイフまだ装備してないから部屋戻るね……」
ぎこちない笑みを浮かべながら椅子を引き、静かに円卓から後退る。その様子を目で追うグリムから視線を逸らし、ポッと桜色に染まる頬を隠すように……。
二人を交互に見物していたマティはケラケラと楽しげに笑うと、訳知り顔を浮かべた。そして、
「なら一先ず解散だな! アリスー、準備が終わったらエントランスに集合だぞー、遅れたらミンチだからなー」
背中を向けて早足で歩き去る亜莉栖の背中に、上擦った声を投げた。
それに返事することもなく、食堂入口で色っぽい目線を送るロザンヌに目もくれず、開けられた扉からいそいそと出ていく亜莉栖は、得体の知れない感情に戸惑っていた。この心臓を叩く鼓動の切なさはなんなのか。
……これは、恋?
疑問の答えを出すことも出来ぬまま、外出準備のため亜莉栖は自室へと戻った。