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ープロローグ:夢のはじまり、光の中へ

小説『青い光、遠い声』

プロローグ:夢のはじまり、光の中へ


アナウンサーになって初めてマイクの前に座った日のことを、今でも鮮明に覚えている。正確には、最終試験のカメラテストの日だ。大学の放送研究会で齧った程度の経験しかない私が、並み居る強者たちの中で最終選考に残れたこと自体が奇跡のようだった。指定されたスタジオに入ると、想像を絶する数のライトが天井から降り注ぎ、まるで真昼の太陽の下にいるような錯覚に陥った。肌がじりじりと焼けるような熱気と、空気を圧するような静寂。その中で、私は指定された席に硬い動きで座った。


目の前には、無機質なレンズがいくつもこちらを向いている。その奥、分厚いガラスの向こうには、審査員であろう数人の影が見えた。心臓が早鐘のように打ち、喉がカラカラに渇く。隣に座る候補者の、すらりとした横顔が視界の端に入り、自分の場違いさを痛感した。彼女はきっと、キー局のアナウンススクールでトップクラスの成績だったに違いない。それに比べて私は…。掌にじっとりと汗が滲む。


「はい、ではAさん、そちらの原稿を読んでください」


ヘッドフォンから、冷静な、しかし有無を言わせぬ響きを持つ声が聞こえた。震える指で、渡されていた数枚の紙をめくる。ニュース原稿、天気予報、そして短いフリートークのテーマ。深呼吸を一つ。大丈夫、練習してきたじゃない。サークルの部室で、自宅の鏡の前で、何度も何度も繰り返した。私の声で、誰かに何かを伝えたい。その一心でここまで来たのだから。


「…本日未明、〇〇県で震度5強の地震がありました。この地震による津波の心配は…」


最初の数秒は、自分の声が上擦っているのがわかった。けれど、読み進めるうちに、不思議と落ち着きを取り戻していった。言葉の一つ一つに、意味を、重みを乗せるように。スタジオの眩しいライト、静寂を破る自分の声、ガラスの向こうに見えるディレクターの微かな頷き。その全てが、次第に心地よい緊張感へと変わっていく。まるで、ずっと探し求めていたパズルのピースが、カチリと音を立てて嵌まったような感覚。


フリートークのテーマは「あなたの宝物」。私は、少し迷ってから、祖母がくれた古い万年筆の話をした。物書きになりたかった祖母の夢と、その万年筆で手紙を書くのが好きだった幼い日の記憶。話しているうちに、緊張はどこかへ消え、自然と笑みがこぼれていた。


テストが終わり、スタジオを出た瞬間、どっと疲労感が押し寄せた。手応えがあったのか、なかったのか、自分でもよくわからない。ただ、全力を出し切ったという感覚だけがあった。帰り道、スマートフォンの着信に気づいたのは、地下鉄のホームで電車を待っている時だった。知らない番号。出てみると、それはフジテレビ人事部からの、採用内定の知らせだった。


「…え?」


信じられなくて、何度も聞き返した。ホームの喧騒が、一瞬遠のいた気がした。電話を切った後も、しばらくその場に立ち尽くしていた。じわじわと込み上げてくる喜びと、まだ現実とは思えないような浮遊感。夢が、叶ったのだ。


幼い頃から憧れていた、キラキラと輝くテレビの世界。ブラウン管(まだ我が家はそうだった)の向こう側で、情報を伝え、人々を笑わせ、時には感動させるアナウンサーという存在は、私にとって眩しい星のようなものだった。その一員に、私のような普通の女の子が、本当になれたのだ。


家に帰り、母に報告すると、母は驚き、そして泣き出した。「よかった、本当によかったね」。父も、普段は無口なのに、その日は何度も私の肩を叩いてくれた。親友のユキに電話すると、彼女はまるで自分のことのように叫んで喜んでくれた。「すごいじゃん!Aなら絶対なれると思ってたよ!」その声を聞いて、ようやく実感が湧いてきた。ここから私の青春が始まるんだ。たくさんの人に支えられて掴んだこの場所で、私はきっと輝ける。そう信じて疑わなかった。お台場の球体展望室が、未来への希望のように、私の心の中で煌めいていた。


第1章:憧れの舞台へ ~光と影の輪郭~


フジテレビアナウンス室。その一角に自分のデスクを与えられた時の感動は、言葉にし難いものがあった。整然と並ぶデスク、壁一面のモニターに映し出される様々なチャンネル、時折聞こえてくる先輩たちの流麗な声。全てが新しく、刺激的だった。


新人研修は想像以上に厳しかった。腹式呼吸、発声練習、滑舌トレーニング。鏡の前で何度も「あえいうえおあお」と繰り返し、早口言葉に悪戦苦闘する。ニュース原稿を読む練習では、間の取り方、声のトーン、緩急のつけ方、その全てに細かな指導が入った。プロの世界の厳しさを痛感すると同時に、一つ一つ技術を習得していく喜びも大きかった。


「A、今の『しかし』の『し』の音が弱い。もっと息を前に出す意識で」

「はいっ!」


厳しくも的確な指導をしてくれるベテランの先輩。休憩時間にそっと缶コーヒーを差し入れ、「焦らなくていいからね」と励ましてくれる優しい先輩。そして、同じように壁にぶつかりながらも、励まし合い、時には愚痴を言い合える同期の存在。特に、入社前から仲の良かったユキとは、いつも一緒だった。


「ねえ、今日の研修、難しくなかった?私、全然ダメだった…」

「わかる!私も、あの長文ニュース、噛みまくりだったよ…」

「でもさ、Aは上達早くて羨ましいよ」

「そんなことないって!ユキだって、声の響きがすごく綺麗じゃない」


研修室の隅で、二人で落ち込んだり、励まし合ったり。そんな時間が、辛い研修を乗り越える支えになっていた。ユキは私とは対照的に、明るく社交的で、いつも周りに人が集まるタイプだった。少しだけ、彼女のそんなところが羨ましかった。


研修期間が終わり、少しずつ番組を担当させてもらえるようになった。最初は、深夜の情報番組の短いコーナーや、イベントのリポートなど、小さな仕事からだった。初めての生放送は、情報番組のお天気コーナー。緊張で頭が真っ白になり、用意していたコメントがいくつか飛んでしまった。放送後、プロデューサーに呼ばれるのではないかと冷や冷やしたが、チーフアナウンサーの先輩が「誰にでもあることよ。次、頑張ればいい」と笑ってくれた。その優しさが心に沁みた。


失敗もあったけれど、少しずつ経験を重ねるうちに、仕事の面白さが分かってきた。早朝のニュース番組では、刻一刻と変わる情報を正確に、冷静に伝える責任感に身が引き締まった。バラエティ番組では、タレントさんのアドリブに必死で食らいつき、スタジオの笑い声に自分も加われることが嬉しかった。地方ロケで出会った人々の温かさ、美味しい食べ物、美しい景色。その全てを、自分の言葉で視聴者に届けられることに、大きなやりがいを感じていた。


「Aさんの笑顔を見ると、朝から元気が出ます」

「今日の特集、すごく分かりやすかったです」


時折、会社に届く視聴者からの手紙やメール。その一つ一つが、私の宝物だった。私の言葉が、私の存在が、画面の向こうの誰かの日常に、ほんの少しでも彩りを添えられているのかもしれない。そう思うと、どんなに早朝の出勤が辛くても、長時間の収録で疲れていても、また頑張ろうという力が湧いてきた。アナウンサーになってよかった、心からそう思える瞬間だった。


しかし、華やかな世界の裏側には、見えないルールや力関係が存在することも、次第に理解し始めていた。番組のキャスティングは、実力だけでなく、プロデューサーやディレクターとの関係性、時にはタレント事務所の意向なども絡んでくる。飲み会への参加が、暗に「仕事の一環」として求められるような空気もあった。


「Aちゃん、今度の〇〇プロデューサーの誕生日会、顔出しておいた方がいいんじゃない?」

「えっ、でも私、その日…」

「まあ、少しだけでもさ。今後のためにも」


先輩からのそんなアドバイスに、素直に頷けない自分がいた。実力で勝負したい。そう思っていたけれど、現実はそんなに単純ではないのかもしれない。ユキに相談すると、「うーん、難しいよね。でも、波風立てない方がいいのかなって思っちゃう自分もいる」と複雑な表情で言った。私たちは、まだこの世界の入り口に立ったばかりで、正しい航路を見つけられずにいた。


そんなある日、私にとって大きな転機となる話が舞い込んできた。局内で「ヒットメーカー」として知られる敏腕プロデューサー、Bさんが制作統括を務めるゴールデンタイムの人気バラエティ番組に、レギュラーアシスタントとして抜擢されたのだ。信じられないような話だった。まだ若手の私に、なぜ?


「Bさんがね、Aさんの報道番組でのコメントを聞いて、面白いって言ってたんだよ」


アナウンス室のF部長が、嬉しそうに教えてくれた。私の仕事ぶりを見てくれていた人がいたんだ。しかも、あのBさんが。喜びと同時に、大きなプレッシャーも感じた。Bさんは、局内でも特に影響力が大きい人物として知られていた。そして、彼があの国民的スター、中居正広さんと非常に親しい関係にあることは、誰もが知る事実だった。


番組の初収録の日、緊張で心臓が口から飛び出しそうだった。スタジオには、テレビでいつも見ている豪華なタレントさんたちが勢ぞろいしている。その中心に、中居さんがいた。


「はじめまして、アナウンサーのAです。よろしくお願いします!」


深々と頭を下げると、中居さんは「おー、よろしくね!」と、あのテレビで見る人懐っこい笑顔で応えてくれた。収録中も、緊張している私に話を振ってくれたり、さりげなくフォローしてくれたりした。トップスターなのに、少しも偉ぶったところがなく、周りのスタッフにも常に気を配っている。その姿に、私は心からの尊敬の念を抱いた。


収録後、簡単な打ち上げが開かれた。そこで初めて、Bさんとゆっくり話す機会があった。Bさんは、見た目はいかついけれど、話してみると意外に気さくで、私の仕事ぶりを具体的に褒めてくれた。「君のあの間の取り方、なかなかできるもんじゃないよ」その言葉に、天にも昇るような気持ちになった。


「中居さんにも気に入られてるみたいだし、この調子で頑張ってよ」


Bさんはそう言って、私の肩を軽く叩いた。隣では、中居さんがスタッフたちと冗談を言い合って、場を盛り上げている。憧れの人たちと一緒に仕事ができる。私の努力が、実を結び始めている。もっともっと頑張って、この番組に貢献したい。そして、いつか私も、この人たちのように、誰かに夢や希望を与えられる存在になりたい。私の夢は、確かな輪郭を持ち始め、より一層、輝きを増していった。この光が、まさか深い影を連れてくるとは、この時の私には想像もできなかった。


第2章:翳りゆく光 ~不協和音の始まり~


人気バラエティ番組のレギュラーになって数ヶ月が経った頃、Bさんから食事に誘われた。番組の打ち上げとは違う、プライベートな誘いだった。少し戸惑ったけれど、「他のアナウンサーも何人か来るから」と聞いて、ほっと胸を撫で下ろした。普段からお世話になっているBさんからの誘いを無下に断るわけにもいかないし、他の先輩たちもいるなら大丈夫だろう。そう考えて、二つ返事でOKした。


しかし、当日、指定された待ち合わせ場所は、都心にある外資系の超高級ホテルαのロビーだった。きらびやかなシャンデリア、絨毯の敷かれた広々とした空間、行き交う人々の上品な佇まい。明らかに場違いな気がして、急に心臓がドキドキし始めた。本当にここで合っているのだろうか?不安になってBさんにLINEを送ると、「ああ、ごめんごめん、上で飲み会やってるから、部屋まで来てくれる?」と、スイートルームの部屋番号が返ってきた。


スイートルーム? 飲み会を? 一瞬、思考が停止した。なぜホテルのスイートルームなんだろう。疑問と不安が渦巻く中、エレベーターのボタンを押す指が微かに震えた。高層階で扉が開くと、長い廊下が続いている。指定された部屋の前に立ち、インターフォンを押すのをためらった。ドアの向こうからは、楽しそうな話し声や笑い声が漏れ聞こえてくる。意を決してベルを鳴らすと、すぐにドアが開き、Bさんが顔を出した。


「お、来たな!まあ上がってよ」


案内されたスイートルームは、息をのむほど広かった。リビングスペースには大きなソファがいくつも置かれ、窓の外には宝石を散りばめたような東京の夜景が一望できた。部屋の中にはすでに10人ほどの男女がいて、宴はたけなわといった雰囲気だった。Bさん、そして中居さん。さらに、人気タレントのUさんの姿もあった。そして、私以外の女性アナウンサー、Qさん、Rさん、Sさんの顔も見える。皆、私よりも少し先輩で、華やかな雰囲気の人たちだった。


「遅れてすみません!」


笑顔を作って輪に加わったものの、心のどこかで違和感が消えなかった。ここは仕事場ではない。でも、ここにいるメンバーは、私の仕事に大きな影響力を持つ人たちばかりだ。グラスに注がれたシャンパンを勧められたが、「あまりお酒が強くないので」と丁重に断り、ソフトドリンクを手に取った。主に聞き役に徹し、当たり障りのない相槌を打つ。


会話は、テレビ業界の裏話や、近々引退すると噂されていたUさんの今後の話などで盛り上がっていた。中居さんは、持ち前のトーク力で場を回し、時折、参加者たちの間で性的なニュアンスを含む冗談が飛び交った。それは、この業界ではよくある「ノリ」なのかもしれない。QさんやRさんは、それに上手く乗っかったり、笑って受け流したりしていた。けれど、私はどうしてもその空気に馴染めず、グラスを持つ手が少しだけ強張った。なぜ私たちは、こんな場所で、こんな話を聞かなければならないのだろう。


「Aちゃん、もっと飲みなよー」


隣に座った、少し酔った様子の男性スタッフに勧められたが、「すみません、明日朝早いので…」とかわした。早くこの場から立ち去りたかった。


21時半頃、そろそろ限界だと思い、Bさんに「すみません、明日早いので、お先に失礼してもよろしいでしょうか」と切り出した。Bさんは「お、そうか。早いな。お疲れさん」とあっさり言ってくれた。他の女性アナウンサーたちも、それぞれのタイミングで帰っていくようだった。


部屋を出てエレベーターホールに向かう途中、後ろからBさんに呼び止められた。

「おい、A」

「はい」

「ちゃんと挨拶したか?中居さんとかUさんとかに。失礼なかっただろうな?」


その言葉は、有無を言わせぬ響きを持っていた。まるで、今日の私の「働き」を評価するかのような口調。私は背筋を伸ばし、「はい、ご挨拶させていただきました」と答えるしかなかった。エレベーターの扉が閉まる瞬間、スイートルームの華やかな灯りが遠ざかっていく。あの光の中で、私はちゃんと「役割」を果たせていただろうか。この世界の複雑な力関係を、改めて意識させられた夜だった。息苦しさが、鉛のように胸に沈んでいくのを感じた。


季節は巡り、翌年の初夏、2023年5月。新緑が眩しい季節になっていた。アナウンサーとしての仕事にも少しずつ慣れ、自信もついてきた頃だった。そんなある日、再びBさんから連絡があった。


「今度の日曜、中居さんのマンションでBBQやるんだけど、来ないか?」


また、中居さんの名前。そして、今度は彼のプライベートな空間であるマンション。一瞬、躊躇いが心をよぎった。しかし、Bさんは続けた。


「中居さんがさ、『男同士じゃつまらんね。女性いるかなね。一般はさすがにね。となり、フジアナ誰か来れるかなぁ』ってショートメール送ってきてさ。Aちゃん、どうかなって」


その文面を聞いて、形容しがたい嫌悪感が込み上げてきた。「女性いるかなね」「フジアナ誰か」。まるで、私たちがパーティーを彩るための道具であるかのように聞こえた。断りたい。でも、Bさんの声は、それが当然であるかのような響きを持っていた。


「私だけですか?」

「いや、後輩のTアナウンサーと、あと番組の女性スタッフも一人誘ってるから」


複数人いるなら、大丈夫かもしれない。それに、ここで断れば、Bさんや中居さんの機嫌を損ね、せっかく掴んだレギュラーの仕事に影響が出るかもしれない。そんな恐怖心が、私の判断を鈍らせた。「…はい、伺います」そう答えるしかなかった。


当日、Bさんの運転する車で、会場である都内の一等地にある高級マンションに向かった。車中で、Bさんは何気ない口調で言った。


「まあ、こういう付き合いも大事だからさ。Aちゃんにとっても、仕事で絶対プラスになるから」

そして、マンションが近づくと、付け加えるように囁いた。

「中居さんの部屋、ゲストルームらしいんだけどさ。行ったら、まあ、皿洗いとかして、ちゃんと働くように。気が利くところ見せないと」


その言葉に、私の心は冷たく凍りついた。「働くように」。私は、ゲストとして招かれたのではないのか? 接待要員として、まるで「お手伝いさん」のように振る舞うことを期待されている。言いようのない屈辱感が、胃のあたりを重くした。


マンションは、想像以上に豪華だった。ゲストルームとはいえ、広々としたリビング、最新設備の整ったキッチン、そして都心の景色を一望できる開放的な屋外テラス。テラスではすでにBBQの準備が進められていた。


参加者は、中居さん、男性タレントが2名、Bさんを含むフジテレビ関係者が私たちを除いて3名、そして、なぜかTBSの男性社員が2名いた。他局の社員がいることに少し違和感を覚えたが、深く考える余裕はなかった。


BBQは、表面的には和やかに進んだ。中居さんは主にキッチンに立ち、手際よく料理をしていた。私はBさんに言われた通り、キッチンとテラスを行き来し、空いたグラスを下げたり、頼まれたものを持ってきたり、そしてシンクに溜まった皿を洗ったりした。テラスでは、男性陣が談笑し、時折大きな笑い声が上がっている。後輩アナウンサーのTちゃんと女性スタッフは、甲斐甲斐しく肉を焼いていた。会話に、あのスイートルームのような性的な内容はなかったけれど、私は輪の中にいるようで、どこか浮いていた。男性陣の会話には加われず、かといってTちゃんたちのように自然に振る舞うこともできない。ただ、言われた「役割」をこなすことに必死だった。疎外感が、じわじわと心を蝕んでいく。


20時頃、宴はお開きになり、男性タレント2名とTBS社員は早々に帰宅した。残ったメンバーで後片付けを始めた。ようやく終わる、と安堵しかけたその時だった。


キッチンカウンターにもたれていた中居さんが、不意に言った。

「あー、なんか腹減ったな。誰か、この後、寿司でも行かないか?」


その場にいたのは、中居さん、Bさん、そして私とTちゃん、女性スタッフの計5人。Tちゃんと女性スタッフは、「すみません、明日早いので…」「ちょっと疲れちゃって…」と、やんわりと断った。私もそれに倣おうとした。しかし、断りの言葉が喉まで出かかった瞬間、中居さんと、そして隣に立つBさんの視線を感じた。それは、決して強制するような強いものではなかったかもしれない。けれど、その場の重苦しい沈黙と、無言の圧力が、私の口を塞いだ。ここで断ったら、今日の「働き」が無駄になる? Bさんに後で何を言われるか…。


「…あ、私、大丈夫です。行きます」


気づけば、そう口にしていた。後悔の念が、すぐに波のように押し寄せた。なぜ、断れなかったんだろう。自分の意思の弱さが情けなかった。結局、中居さん、Bさん、そして私の3人で、近所の寿司店へ向かうことになった。不穏な予感が、胸の中に暗い影を落とし始めていた。


第3章:深淵への扉 ~壊れた季節~


近所の寿司店は、カウンターではなく、奥まったテーブル席に通された。3人だけの空間。BBQの喧騒が嘘のような静けさだった。注文した寿司が運ばれてくる間、当たり障りのない会話が続いた。番組の話、最近あった面白い出来事。私は相槌を打ちながらも、早くこの時間が終わらないかと、そればかり考えていた。


その時だった。Bさんが、少しお酒が入っていたのか、冗談めかした口調で言った。

「まあ、なんだ。こうなったら、お二人さん、つきあっちゃえばいいじゃん」


心臓が凍りつくような感覚に襲われた。顔がカッと熱くなるのがわかった。

「えっ!? そんな、Bさん、何言ってるんですか!滅相もありません!」

私は、ほとんど叫ぶように、即座に否定した。声が裏返っていたかもしれない。中居さんに対して抱いていたのは、あくまで仕事上のパートナーとしての尊敬と信頼の念。それ以上でも以下でもなかった。恋愛感情など、微塵もなかった。Bさんは、後にこの発言を「記憶にない」と証言したというが、その場の凍りついた空気と、私の動揺は、決して軽い冗談として流せるものではなかった。中居さんは、特に何も言わず、ただ少し困ったような笑みを浮かべていたように見えた。


その後の会話は、ほとんど覚えていない。ただ、早く帰りたかった。会計はBさんが済ませた。後で知ったことだが、この寿司代はB氏が「接待飲食代」として会社に経費精算していたという。BBQの費用は中居さんが出したから、その「お返し」ということなのだろうか。私との食事代が、会社の経費として処理されている。その事実に、言いようのない不快感を覚えた。


店の外に出ると、夜風が少しひんやりと感じられた。これで解放される、と思った矢先だった。

「Aちゃん、連絡先、教えてくれる?」

中居さんが、スマートフォンを手に、私にそう言った。隣には、Bさんが黙って立っている。頭の中で警報が鳴り響いた。断らなければ。でも、どうやって? 相手は国民的スター。そして、私の生殺与奪の権を握っていると言っても過言ではないBさんもいる。ここで彼の機嫌を損ねたら、私のフジテレビでの未来は、完全に閉ざされてしまうかもしれない。その恐怖が、私の思考を麻痺させた。


「…はい」


震える指で、自分のスマートフォンのロックを解除し、連絡先交換の画面を開いて差し出した。中居さんが私の番号を登録し、すぐに彼から着信があった。「これで登録できたから」。その声が、やけに遠くに聞こえた。Bさんは、その一連の流れをただ黙って見ていた。後に彼は、私と中居さんの間に恋愛感情のようなものは感じられなかった、と証言したという。それは、その通りだった。でも、この時交換してしまった連絡先が、私の人生を根底から揺るがすことになる深淵への扉を開けてしまうとは、想像もしていなかった。帰り道、足元がふらつくような感覚があった。胸の中に蒔かれた不安の種が、じっとりと根を張り始めているのを感じていた。


BBQの会から、わずか2日後の深夜。ベッドの中で、なかなか寝付けずにスマートフォンの画面を眺めていた時だった。突然、メッセージの通知音が鳴った。見ると、それは中居さんからのショートメールだった。


「今晩、ご飯どうですか?」


心臓が、どくん、と大きく跳ねた。なぜ? どうして私に? 混乱と戸惑いで頭がいっぱいになった。仕事上の付き合いとはいえ、あまりにも唐突で、プライベートすぎる誘い。断りたい。でも、無視するわけにもいかない。どう返信すれば角が立たないだろうか。考えあぐねた末、「すみません、今日は19時に六本木で仕事が終わる予定でして…」と、事実を伝えるに留めた。これで、諦めてくれるかもしれない、という淡い期待を込めて。


しかし、すぐに返信が来た。

「はい。メンバーの声かけてます。また、連絡します。」


メンバー? 複数人での会食ならば、まだ…少しだけ安堵した。とはいえ、気が重いことに変わりはなかった。仕事中も、そのことが頭から離れなかった。


夕方、収録を終えて楽屋で一息ついていると、再び中居さんから連絡が入った。

「雨のせいか、メンバーが歯切れわるくいないです。飲みたいですけど、さすがに2人だけだとね。どうしましょ。」


胸騒ぎがした。嫌な予感が、確信に変わっていく。続けて送られてきたメッセージは、私の最後の望みを打ち砕いた。

「隠れ家的な、お店。自信はありませんが、探してみますね」

「(仕事)終わりました。メンバー見つからずです~。どうしよかね。2人だけじゃ気になるよね。せっかくだから飲みたいけど。」

そして、決定的な一文が続いた。

「お店のレパートリーが情けないですが乏しく…笑。どうしよかね。」

「●●(BBQを開催したマンションの地名)で飲みますか!この間の。なら、安心かもです。どうでしょ」


血の気が引いた。あのマンションで、二人きりで? 強い嫌悪感と恐怖が、全身を駆け巡った。絶対に、行きたくない。断らなければ。今度こそ、はっきりと断らなければ。そう思うのに、指が動かない。


断ったら、どうなる? Bさんに報告がいくだろう。ペコペコと中居さんに頭を下げるBさんの姿が目に浮かぶ。「使えないやつだ」「空気が読めない」。そう烙印を押され、番組を降ろされるかもしれない。アナウンサーとしてのキャリアが終わってしまうかもしれない。恐怖が、理性を侵食していく。


「行きたくない。でも、行かなければならない」


その絶望的な二律背反の中で、私は、自分の心を殺すしかなかった。スマートフォンの画面に、「大丈夫です」と打ち込む。たった5文字のその返信が、後々どれほど重い意味を持つことになるのか、この時の私には知る由もなかった。ただ、深い、暗い穴に落ちていくような感覚だけがあった。


2023年6月2日。雨が降りしきる夜だった。タクシーで指定されたマンションへ向かう間、窓の外を流れる景色は滲んで見えた。心臓は破裂しそうなほど高鳴り、指先は冷たく、震えていた。逃げ出したい。今すぐこのタクシーをUターンさせて、家に帰りたい。でも、できなかった。私は、自分でこの場所へ向かうことを選んでしまったのだから。


マンションの前に着き、インターフォンを押す。重い扉が開き、中居さんが立っていた。笑顔だった。その笑顔が、今は恐ろしかった。


部屋に入ると、リビングの照明が落とされ、間接照明だけが灯っていた。あの日のBBQの賑やかさは微塵もなく、静寂が支配していた。二人きりの密室。逃れ場のない状況。


「まあ、座ってよ」


促されるままにソファに腰を下ろしたが、身体が鉛のように重く、硬直していた。中居さんはキッチンでお酒の準備を始めたようだった。「何飲む?」と聞かれたが、声が出なかった。


その後の時間の記憶は、断片的で、靄がかかっている。当初想定していた「食事」とはかけ離れた時間が、ゆっくりと、しかし確実に、私の尊厳を踏みにじっていった。恐怖と、屈辱と、抵抗できない無力感。どれほどの時間が経ったのか。確かなことは、あの夜、私は中居さんから、取り返しのつかない、重大な性暴力を受けたという事実だけだった。私の心と身体に刻まれた深い傷は、決して消えることはなかった。


事件の翌日、どうやって自分の家に帰り着いたのか、よく覚えていない。身体は泥のように重く、頭はガンガンと痛んだ。ベッドから起き上がることができない。昨日までの世界と、今日の自分がいる世界が、まるで違う次元にあるように感じられた。


「前の自分に戻れない気がする」


鏡に映る自分の顔は、青白く、生気がなかった。目の下の隈が濃い。シャワーを浴びても、身体にまとわりつくような不快感は消えなかった。食欲は全くなく、水を飲むことさえ億劫だった。


それでも、仕事には行かなければならなかった。休むわけにはいかない。何事もなかったかのように振る舞わなければ。化粧で必死に顔色をごまかし、重い足取りで家を出た。


しかし、心身の変調は隠しきれなかった。アナウンス室のデスクに座っていても、原稿の文字が頭に入ってこない。手が微かに震え、声が掠れる。生放送中、ふとした瞬間に、あの夜の光景がフラッシュバックし、言葉に詰まってしまった。幸い、すぐに他のアナウンサーがフォローしてくれたが、冷や汗が止まらなかった。


中居さんが関わるもの全てが、生理的な嫌悪感を引き起こした。テレビで彼の顔を見ることはもちろん、彼が好きだと言っていた食べ物、CMで流れる彼の声、あの夜、部屋で微かに流れていた音楽、そして、あのマンションがあった地名を聞くだけで、動悸が激しくなり、吐き気を催した。


「みんなが普通に生きている世界と、今の自分との間に、大きな隔たりがある。もう、あっちの世界には戻れないんだ」


孤独感が、津波のように押し寄せてきた。誰にも言えない。この苦しみを、誰にも打ち明けられない。


数日が経ち、症状は悪化する一方だった。眠れない夜が続き、体重はみるみるうちに減っていった。仕事中も、立っているのがやっとで、ふらつくことが多くなった。このままでは、自分が自分でなくなってしまう。限界だった。


6月6日、私は震える手で、会社の産業医であるC医師に電話をかけた。声が震え、言葉がうまく出てこない。「…助けてください」。ようやく絞り出したその一言に、C医師はただならぬ様子を感じ取ったのだろう。すぐに心療内科の担当であるD医師の診察を手配してくれた。


診察室で、私は堰を切ったように泣きながら、あの夜の出来事を語った。言葉にならない嗚咽を漏らしながら、断片的にでも伝えようとした。C医師とD医師は、私の話を静かに、真剣に聞いてくれた。そして、私が中居氏から性暴力を受けたと判断した。


「弁護士さんに相談した方がいい」


そう勧められたが、混乱しきっていた私には、その言葉を受け入れる余裕はなかった。事を荒立てたくない。知られたくない。その思いが強かった。D医師は私を「急性ストレス反応」と診断し、精神安定剤と睡眠導入剤を処方してくれた。


同日、アナウンス室のデスクで、突っ伏して動けなくなっている私に気づいたのは、アナウンス室長のE氏だった。心配して声をかけてくれ、別室に連れて行ってくれた。E室長の優しい問いかけに、私はついに感情のダムが決壊し、号泣しながら事件のことを打ち明けてしまった。


「誰にも言わないでください…お願いです…大ごとにしないでください…」

「もし知られたら、私、もう生きていけません…」

「でも、仕事は…仕事は続けたいんです…」


E氏は、私の言葉を静かに受け止め、事態の深刻さを認識しながらも、まずは私の意向を尊重することを約束してくれた。そして、女性管理職であるアナウンス室部長のF氏に対応を引き継いでくれた。


翌日、F部長が改めて私の話を聞いてくれた。F部長もまた、事の重大さを理解し、私の心身を深く気遣ってくれた。「中居さんとの共演も…かまいません。私、負けたくないんです」。混乱の中で、そう口走る私を見て、F部長は複雑な表情を浮かべていた。


6月8日、E氏とF氏は、C医師、D医師と今後の対応について協議した。最優先すべきは私の心身のケアであること、情報の共有は私の同意を得て行うこと、番組出演は私の意向を尊重しつつ医師の判断を仰ぐことなどが確認された。E氏もF氏も、私の口から「死にたい」という言葉が出たことに強い衝撃を受け、自死の危険性を現実のものとして恐れていたという。


しかし、私の症状は改善するどころか、悪化の一途をたどった。処方された薬を飲んでも、手の震えは止まらず、食事はほとんど喉を通らない。固形物を受け付けなくなり、水分補給だけで過ごす日が続いた。


6月10日頃、私はついに限界を迎えた。C医師とD医師は、これ以上の自宅療養は危険だと判断し、即入院が必要だと告げた。都内の病院に入院手続きが取られた。


病院に駆けつけてくれたF部長は、やつれた私の手を握り、「大丈夫よ。少しゆっくり休みましょう。仕事を休むことを、全く迷惑だと思う必要はないからね」と、優しい声で励ましてくれた。その言葉に、涙が溢れた。


病院に提出された紹介状には、傷病名「うつ状態、食思不振」、そして原因として「仕事関係者からのハラスメントによる」と、はっきりと記されていた。私の青春は、予期せぬ形で、突然、強制終了させられたかのように感じられた。病室の白い天井を見上げながら、私はただ、終わりのない暗闇の中にいるような気がしていた。


第4章:閉ざされた扉、歪んだ現実


都内の病院での入院生活が始まった。個室の窓からは、都会のビル群が見えたが、その景色は灰色にしか映らなかった。時間はゆったりと流れているはずなのに、私の心の中は常に嵐が吹き荒れていた。眠ろうとしても、あの夜の出来事がフラッシュバックし、心臓が激しく鼓動する。処方された睡眠薬を飲んでも、浅い眠りしか得られず、悪夢にうなされることも度々だった。


食事は、ほとんど喉を通らなかった。病院食のトレイが運ばれてきても、箸をつける気になれない。無理に口に入れても、すぐに吐き気が込み上げてくる。点滴で栄養を補給する日々が続いた。鏡を見るたびに、痩せていく自分の姿に愕然とした。頬はこけ、目の下の隈はますます濃くなっていた。


そんな私を、F部長は頻繁に見舞いに来てくれた。「焦らなくていいからね」「何か食べたいものある?」そう言って、私の好きそうな雑誌や、口当たりの良いゼリーなどを差し入れてくれた。F部長の前では、努めて明るく振る舞おうとしたが、時折、抑えきれない涙が溢れた。彼女は何も言わず、ただそばにいて、私の背中をさすってくれた。その温かさが、唯一の救いだった。


しかし、F部長もまた、この問題を一人で抱え込むことに限界を感じ始めていたようだった。私の入院が長引くにつれ、番組のスケジュール調整や、今後の人事的な措置など、アナウンス室だけでは対応しきれない問題が出てきていた。


7月に入り、F氏はE氏を通じて、経営上層部への報告を決意した。担当取締役である大多専務(当時)、編成制作局長のG氏、人事局長のH氏。この3人に、事態を報告する必要があると判断したのだ。


7月13日、E氏はまず直属の上司であるG氏に事態を報告した。私が中居氏から性暴力を受けたこと、その結果、精神的に深刻なダメージを受け、入院に至っていることなどを、詳細に伝えた。しかし、G氏の反応は、E氏の予想とは異なり、鈍いものだったという。後に明らかになったことだが、G氏は当初、この問題を「プライベートな男女間のトラブル」と捉えていた。私が自ら中居氏の自宅に行ったのだから、という意識がどこかにあり、人権侵害という視点が決定的に欠けていたのだ。G氏は、情報漏洩のリスクを過度に懸念し、「役員には報告せず、この件はいったん私が預かる」とE氏に指示した。E氏も、上司であるG氏のその判断に、異を唱えることはできなかった。


同日、E氏は人事局長のH氏にも報告した。H氏は、プライベートな問題という認識は持ちつつも、会社としての安全配慮義務の観点から、何らかの対応が必要だと感じていた。E氏に協力を約束したが、彼もまた、G氏が情報を預かるという判断を受け入れ、上層部へのさらなる報告はG氏のタイミングに合わせることに同意してしまった。


こうして、私が受けた深刻な被害とその窮状は、人事や編成のトップには伝わったものの、その情報は極めて狭い範囲に留め置かれ、封印されてしまった。コンプライアンス部門への報告はもちろん、他の取締役や監査役、そして会社のトップである社長や会長の耳には、一切入らなかった。私の苦しみは、組織の壁の中で握り潰され、矮小化されてしまったのだ。私は、会社に守ってもらえるどころか、その存在すらも「リスク」として扱われているのかもしれない。そう思うと、深い孤独感と絶望感に襲われた。


一方、私が病院で苦しんでいる間、外の世界では別の動きが進んでいた。私が知ることになるのは、ずっと後のことだが…。


7月12日、中居氏は、B氏と、編成部の担当部長であるJ氏に電話をかけ、「急ぎ相談したいことがある」と自身の個人事務所への来訪を要請した。二人が都合がつかないと伝えると、中居氏は電話口で、BBQの後、私と二人で会い、何らかのトラブルになっていることを説明したという。


翌13日、B氏とJ氏は中居氏の個人事務所を訪れた。そこで中居氏は改めて経緯を説明し、「Aの心身の回復のために助けてほしい」と依頼した。そして、「内々で処理してほしい」と口止めもした。B氏もJ氏も、この問題を「プライベートな男女間のトラブル」と認識し、中居氏に協力することを約束した。会社の同僚である私が被害を受けているかもしれない状況で、彼らは加害者である可能性のある人物の側に立ち、その依頼を受け入れたのだ。


その夜、中居氏はB氏にショートメールを送っている。「B。また、連絡があり、接触障害(ママ・摂食障害と思われる)と鬱で入院。やりたい仕事もできず、給料も減り、お金も無くあの日を悔やむばかりと。見たら削除して。」私の苦しみを、彼はこのようにB氏に伝えていた。それに対してB氏は、「私から無邪気なLINEしてみましょうか??」と返信したという。その軽薄なやり取りに、怒りを通り越して、寒気すら覚えた。


その後も、中居氏は私とのショートメールでのやり取り(それは主に私の窮状を訴えるものだった)をB氏に転送するなどし、対応を相談していた。そして、「見舞金を渡したい」「贈与税の対象にならない金額で」と、現金100万円をB氏に託し、私に届けるよう依頼した。


7月26日、入院中の私のスマートフォンに、BさんからLINEが届いた。

「よお、元気か? 会社で中居さんと会ったら、なんか見舞品預かったんだけどさ。届けに行ってもいいかな?」


そのメッセージを見た瞬間、全身の血の気が引いた。なぜ、Bさんが? 中居さんからの見舞品? 受け取りたくない。会いたくない。でも、断れない。入院しているという弱み、そしてBさんに対する恐怖心。混乱の中で、「…はい、大丈夫です」と返信してしまった。


7月28日、Bさんは病室に現れた。手に、紙袋と、分厚い封筒を持っていた。

「これ、中居さんから。あと、これ、俺から」

そう言って、封筒を差し出した。中には、現金100万円が入っていた。


「受け取れません」


私は、かろうじてそう言うのが精一杯だった。Bさんは少し困った顔をしたが、最終的には病院側の判断もあり、現金は受け取らずに済んだ。Bさんは封筒を持ち帰り、中居氏に返却したという。しかし、このB氏の行動は、私にとって耐え難い二次加害だった。会社の上司である彼が、加害者である中居氏の依頼を受け、私に金銭を渡そうとした。それは、フジテレビという組織が、私ではなく中居氏の側に立っていることを、明確に示す行為に他ならなかった。


入院生活は続き、季節は秋になっていた。私の心身の状態は、一進一退を繰り返していた。少し調子の良い日もあれば、ベッドから起き上がれないほど落ち込む日もある。退院の目処は、まだ立っていなかった。


F部長は、変わらず私を支え続けてくれていたが、彼女自身もまた、この問題を一人で抱え込むことに限界を感じていた。会社組織としての対応が全く進まない状況に、苛立ちと無力感を覚えていたのかもしれない。


一方、中居氏側にも動きがあった。私との関係修復が難しいと判断したのか、あるいは事態の収拾を図ろうとしたのか。11月10日、私の元に、代理人を名乗る弁護士から内容証明郵便が届いた。それは、示談交渉を求めるものだった。ようやく、事が動き出すのかもしれない。そう思ったのも束の間、私はさらなる衝撃を受けることになる。


中居氏は、弁護士を探すにあたり、再びB氏に連絡を取っていた。「誰か、いい弁護士を知らないか」。そう相談されたB氏が紹介したのは、K弁護士だった。K弁護士は、フジテレビのバラエティ番組に長年関与し、多くのタレントとも繋がりがあり、B氏が「携帯弁護士」と呼ぶほど懇意にしている人物だった。そして、私も番組で何度か共演したことがあり、顔見知りだった。


フジテレビの編成部門の幹部であるB氏が、自社の社員である私が被害を受けた可能性のある事件の、加害者である中居氏側に、自社と極めて関係の深い弁護士を紹介する。その行為自体が、信じられないほどの利益相反であり、私に対する重大な裏切り、そして二次加害に他ならなかった。K弁護士は後に「フジテレビとしてお願いします、とB氏から言われた」と主張したが、B氏はそれを否定しているという。どちらが真実かはわからない。しかし、この事実は、私のフジテレビという組織に対する信頼を、完全に打ち砕いた。


「会社は、やっぱり私ではなく、中居さんを守るんだ…」


絶望感が、冷たい水のように、私の心と身体の隅々まで浸透していく。この組織の中で、私は一人なのだ。誰にも守ってもらえない。そう悟った瞬間だった。


代理人間での示談交渉が始まった。私の代理人弁護士は、K弁護士が相手方になったことに強い不信感を表明したが、交渉は進められた。私は、弁護士との打ち合わせで、事件の詳細を改めて語らなければならなかった。それは、心の傷を再び抉られるような辛い作業だった。早く終わらせたい。でも、こんな形で終わらせていいのか。納得できない。そんな相反する感情が、常に私の中でせめぎ合っていた。


年が明けた2024年1月7日、示談は成立した。その内容は、厳しい守秘義務契約によって、固く口外を禁じられた。一つの区切りがついたはずだった。しかし、私の心は少しも晴れることはなく、むしろ、より深い闇の中に突き落とされたような感覚さえあった。示談金という形で金銭的な補償は得たかもしれない。でも、失われた私の時間、壊された心、踏みにじられた尊厳は、決して元には戻らないのだから。


第5章:さよなら、私の青春 ~光の残像~


示談は成立したものの、私の心身の状態は依然として不安定だった。退院はしたけれど、すぐに社会復帰できるような状態ではなかった。自宅療養を続けながら、カウンセリングに通う日々。カウンセラーの先生は、私の話を辛抱強く聞き、トラウマと向き合う手助けをしてくれた。しかし、心の傷はあまりにも深く、回復には長い時間が必要だった。


会社からは、休職扱いとなり、籍は残されていた。F部長や、新しくアナウンス室長となったI氏は、時折連絡をくれ、私の復職を待っていると言ってくれた。その言葉はありがたかったけれど、フジテレビに戻ることを考えると、激しい動悸と吐き気に襲われた。


あの社屋に入ること。アナウンス室のデスクに座ること。そして何より、中居氏が何事もなかったかのように出演し続けている番組を目にすること。その全てが、私には耐えられそうになかった。


街を歩けば、彼の顔が印刷されたポスターや広告が目に入る。テレビをつければ、バラエティ番組で楽しそうに笑う彼の姿が映し出される。その度に、あの夜の記憶が鮮明に蘇り、呼吸が苦しくなった。


「なぜ、彼は普通に仕事をしているの? なぜ、私だけがこんな目に遭って、夢もキャリアも奪われなければならないの?」


怒りと、悲しみと、そしてどうしようもない無力感が、ぐるぐると頭の中を駆け巡り、私を苛んだ。フジテレビという場所は、私にとって、かつては夢と希望に満ちた輝かしい場所だった。しかし、今はもう、トラウマと苦痛の記憶が刻み込まれた、忌むべき場所にしか思えなかった。


復職に向けて、少しずつ努力もしてみた。カウンセラーの先生と相談し、短時間だけ会社に行ってみることにしたのだ。久しぶりに訪れたお台場の社屋は、以前と何も変わらないように見えた。しかし、私には全てが違って見えた。すれ違う社員たちの視線が、やけに気になる。誰も私の事情など知らないはずなのに、まるで全てを知られているような気がして、顔を上げることができなかった。アナウンス室のドアを開ける勇気は、どうしても出なかった。廊下の壁に貼られた、中居氏が笑顔で写る番組ポスターを見た瞬間、足がすくみ、冷や汗が噴き出した。私は、逃げるようにして社屋を後にした。


もう、無理だ。私には、この場所に戻ることはできない。


2024年の夏が近づいていた。私は、ついに退職を決意した。長い間悩み、葛藤した末の決断だった。夢だったアナウンサーという仕事。たくさんの人に支えられ、育ててもらったこの会社。それを自ら手放すことは、断腸の思いだった。しかし、自分の心を守るためには、離れるしかなかった。


I室長、そしてずっと私を支えてくれたF部長、産業医のC医師との面談の場で、私は正式に退職の意思を伝えた。涙が止まらなかった。これまでの感謝の気持ちと同時に、Bさんや、彼が所属するバラエティ部門への強い怒りと嫌悪感、そして中居氏が出演し続ける限り、この会社には決して戻れないという心情を、言葉を選びながらも、はっきりと伝えた。


「私の人生を返してほしい、とまでは言いません。でも、あまりにも理不尽です。なぜ、被害を受けた私が、全てを失わなければならないのでしょうか」


私の言葉を、同席していたG局長(彼はあの日、E氏からの報告を「預かる」と判断した人物だ)は、ただ黙って聞いていた。その沈黙が、私にはフジテレビという組織の最終的な答えのように思えた。何の言葉も、返ってこなかった。


同年8月末日。それが、私のフジテレビでの最後の日となった。お世話になった部署をいくつか回り、挨拶をした。皆、私の突然の退職を残念がり、優しい言葉をかけてくれたが、本当の理由は誰にも言えなかった。「一身上の都合」という、ありきたりな言葉で濁すしかなかった。


アナウンス室に戻り、自分のデスクを片付けた。引き出しの奥から出てきた、新人時代の研修ノート、視聴者からもらった手紙、同期のユキと撮った写真。一つ一つ手に取るたびに、楽しかった記憶、がむしゃらに頑張っていた日々のことが蘇り、涙が溢れた。私の青春は、確かにここにあったのだ。キラキラと輝き、希望に満ちていた、かけがえのない時間。でも、それはもう、二度と戻らない、遠い過去の光景になってしまった。


私物を詰めた段ボール箱を抱え、がらんとしたロッカーに鍵をかけた。最後に、社員証を警備員に手渡す。ゲートを通り抜けた瞬間、私はもう、フジテレビの社員ではなくなった。


外に出ると、夏の終わりの強い日差しが照りつけていた。振り返って見上げたお台場の大きな社屋。あの球体展望室は、かつて私の未来を照らす希望のシンボルだった。しかし今は、ただ巨大な、冷たい塊のように見えた。


さようなら、私の夢。さようなら、私の青春。


タクシーに乗り込み、走り出す車窓から遠ざかる社屋を、私はただ、ぼんやりと眺めていた。涙はもう、出なかった。心の中にぽっかりと空いた穴を、夏の終わりの風が通り抜けていく。この喪失感を抱えて、私はこれから、どうやって生きていけばいいのだろうか。答えは、どこにも見つからなかった。


エピローグ:青い光の向こうへ ~再生の序章~


フジテレビを退職して、季節が二つ巡った。木々は色づき、そして葉を落とし、今は冷たい風が吹き抜ける冬の入り口に立っている。私の時間は、あの日から止まってしまったかのようだったけれど、世の中は確実に流れ続けている。


あの夜の出来事が、週刊誌の報道によって世に出たのは、退職から数ヶ月後のことだった。自分の名前は伏せられていたけれど、記事を読んだ時、心臓が激しく波打ち、身体が震えた。隠しておきたかった過去が、不特定多数の人々の目に晒される。それは、新たな恐怖であり、屈辱だった。ネット上には、憶測や誹謗中傷の言葉が溢れた。「自ら行ったんだろう」「売名行為だ」。見えない誰かからの心無い言葉が、ナイフのように突き刺さった。


一方で、フジテレビの対応のまずさや、組織としての問題点を指摘する声も多く上がった。記者会見での経営陣の姿は、私が見てきた組織の体質そのものを映し出しているように思えた。第三者委員会が設置され、調査報告書が公表された時、私はそれを複雑な思いで読んだ。報告書は、私の受けた被害を「人権侵害」と認定し、会社の対応を厳しく断罪していた。少しだけ、救われたような気がした。私の苦しみは、決して「プライベートな男女間のトラブル」などではなかったのだと、公式に認められたのだから。


それでも、心の傷が完全に癒えたわけではない。夜中にふと目が覚め、理由もなく涙が溢れることもある。人混みや、男性の声、特定の音楽。些細なことがトリガーとなって、フラッシュバックに襲われることもある。テレビの音は、まだ少し怖い。特に、バラエティ番組の賑やかな音は、あの日の記憶と結びついて、耳を塞ぎたくなる。


けれど、ほんの少しずつ、本当に少しずつだけど、前を向ける瞬間も増えてきた気がする。カウンセリングは続けている。先生は、「焦らなくていい。自分のペースでいいんですよ」といつも言ってくれる。その言葉に、どれだけ救われたかわからない。


数ヶ月前から、近所の小さなカフェで、週に数日だけアルバイトを始めた。コーヒーを淹れ、注文を取り、お客さんと短い言葉を交わす。アナウンサーではない、ただの「私」として過ごす時間は、穏やかで、少し新鮮だった。常連のおばあさんに「あなたの笑顔、素敵ね」と言われた時、不意に涙が込み上げてきた。かつて視聴者の方から頂いた言葉とは違う、ささやかだけれど、確かな温もりを感じた。


時々、ユキと会う。彼女は今もフジテレビでアナウンサーとして活躍している。報道が出た後、心配してすぐに連絡をくれた。「何も知らなくて、ごめん…辛かったね…」。そう言って泣いてくれたユキの優しさが、固く閉ざしていた私の心を少しだけ溶かしてくれた気がした。彼女から聞く会社の変化の話は、まだ半信半疑だけれど、少しでも良い方向に変わろうとしているのなら、と願わずにはいられない。


部屋の窓から見える空は、毎日違う色を見せる。ある晴れた日の午後、窓から差し込む柔らかい光の中で、ふと、昔、祖母が読んでくれた絵本の一節を思い出した。「どんなに暗いトンネルにも、必ず出口はあるんだよ」。私のトンネルは、まだ長くて暗い。出口の光は、か細くて、頼りないかもしれない。それでも、その光の方へ、一歩ずつでも進んでいきたい。


失われた青春を取り戻すことはできない。アナウンサーAとして生きた時間は、光と影が交錯する、痛みと共にある記憶として、これからも私の中に残り続けるだろう。でも、それはもう、今の私ではない。


これからの私の時間が、どんな色になるのかはわからない。ささやかでも、確かな温もりと、穏やかな光で満たされるように。今はただ、静かに、自分の足で歩き出すしかない。


遠くに見える青い光。それは、夜明け前の空の色かもしれないし、あるいは、まだ見ぬ未来への道標かもしれない。その光が、いつか私を、本当の意味での再生へと導いてくれる。そう信じて、私は、ゆっくりと顔を上げた。冷たい冬の空気の中に、微かな春の気配を探しながら。私の物語は、まだ終わってはいないのだから。


(了)


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