16話「気づかないままで」
暴走して止まらない女というのは時に国家へ災難をもたらすものだ。
そして、王子の地位を背景にわがまま放題な振る舞いを続けるローズ・フィーオンという女も、まさにその代表的な事例となっていた。
たった一人の女の暴走。それは数えきれないほどたくさんの人間が暮らす国家においては一見些細なことのようだ。けれども実際には些細なこととは限らない。その女が高貴な人との繋がりを持っている場合は特に。
権力を得た女が自分勝手な振る舞いをしていたために国が滅びへの坂を下り始める、ということは、歴史上それなりによくあることだろう。
「ねぇ聞いた? またローズにやられたんですって」
「怖いわねあの女。気に食わないとすぐにクビしたり処刑したり。あまりにも恐ろしいわ」
「何様のつもり、って感じだわね」
「せやなぁ。ほんまやめてほしいわ、そういうの。うちらせっかく頑張って働いてんのにさぁ、邪魔するようなことせんといてほしいわ」
世界にはこれまで多くの国が生まれてきた。
そしてそれらの中の半分以上の国が何かしらの事情で滅んでいった。
どんなに栄えていたものもいつかは歴史という灰の中に沈んでゆく。
いつか誰かがそう言った。
だがそれは事実だ。
どんなに偉大とされたものも永遠ではない。
栄えているものはあくまで今栄えているというだけのもの。それ以上でもそれ以下でもない。ゆえに先のことは誰にも分からず。探せばもちろん永く光り輝き続けるものもあるだろうが、時の中で光を失うものも少なくはない。そして消えゆくものも多くある。
「ローズさんさぁ、うちらメイドのこと馬鹿にしてるけど、そもそもそんな高貴な女じゃないじゃんね~」
「確かに」
「優秀な人材だったのってお姉さんでしょ? それを無理矢理邪魔して殿下を奪い取っただけ。しかも嘘ついて。……それなのに、まるで最初から選ばれてたみたいな顔して威張り散らしてんの、ほんとイタいわ」
「器じゃないよね~、一国の王子と婚約だなんて」
「まさにそれ。絶対お姉さんの方が良かったじゃん。だってダリアさんはあんな偉そうじゃなかったもん」
近頃ローズは完全に孤立している。
……とは言っても、エーリオだけはまだ彼女に寄り添っているのだけれど。
しかし城内では彼女の悪口を言う者が増えてきた。
それは皆が皆の本心に気づいてきたからだろう。
大人だし、馬鹿ではないし、だから誰も思ったことをすべて言うようなことはしない――しかし機械ではないので不快感を覚えないわけではない――それぞれの中で徐々に積もった不快感や不満が、口から、少しずつこぼれ始めている。
「ダリアさん、あの時の人と結婚したみたいよ」
「へぇそうなんだ。でも彼女悪い人じゃなかったもんね。誰かと違って性格良かったし。あははっ」
「可哀想だったもの……あの時……幸せになれたなら良かった、安心したわ」
「ああいう悪くない女性にこそ幸せを掴んでほしいわよね~」
権力を持たない一人一人の力は小さい。けれど、そういった小さなものでも、積み重なったり集まったりすればやがて大きなうねりになる。まさに、塵も積もれば、というやつだろう。小さな力でも結集すれば――そんな希望。
やがて人々は動いた。
そのうねりを最初に起こしたのは城で働く女性たちだった。
女性たちは皆きちんと働いているにも関わらずローズから心ない言葉をかけられている。理不尽に叱られ、暴言を吐かれて。加えて、ローズの勝手極まりない決定によって多くの仲間を失ってきた。長い間共に働いてきた優秀な仲間さえもローズのわがままによって奪われたのだ。
「もう我慢できないわ!」
「そうよ!」
「今こそ戦うとき!」
これまでは耐えてきた。
けれどももうこらえきれない。
……それが彼女たちの心だった。
「わたしたちは決して負けない! ローズさんと戦いましょう! ……これは正義の戦いよ。なんせこの戦いは、城の未来のためであり国のためでもあるのだから。今は力を合わせましょう!」
そうして始まるローズへの反撃。
今は誰もが強くあるべき時。
立ち上がるべき瞬間というのは必ず訪れる。
「こ、これは……」
ローズといちゃついていたエーリオが集団となった女性たちの存在に気づいたのは夕暮れ時のことだった。
「なぁにぃ?」
「いや、よく分からないのだが、女性が集まっている」
「女性? どういうことよぉ」
「いやだから本当によく分からないんだ。……ただ何だか異様な雰囲気だ。皆、棒やら何やらを持っていて、物騒な感じだし」
二人の間に珍しく気まずい空気が流れる。
「んもぉ……厄介ねぇ、イライラしちゃうわ」
せっかくの二人きりの時間を遮られたローズはほんの少し不機嫌になる。
「何かあったのだろうか」
「気になる感じなのぉ?」
「ああ。万が一事件だったら大変だろう。この城に、俺たちに、影響があるようなことだったら」
だが何とか持ち直した彼女は。
「いいじゃなぁい、べつに、放っておいたら。誰かがどーにかするって」
微笑み、甘い声で言葉を放つ。
「そうだろうか……」
「それよりぃ、もっとぉ、いちゃつきたいの~」
「あ、ああ」
「……エーリオ様はそうじゃないの?」
「ああ、いや、そういうわけではない」
「ほんと?」
「俺は君が好きだ。他の誰よりも、君が」
唇を重ねる二人。
ほんの少し先の未来にさえ目を向けることはない。
「余計なことを言ってすまなかった。君を不安にさせてしまったな」
「んふふぅ、いいのぉ、傍にいてくれるならそれで」
罪を重ね過ぎた女をどれだけ強く抱き締めても、明るい未来などありはしないのに。
「お詫びをさせてくれ」
「じゃ~あぁ、この前言ってたブランドの鞄、欲しいなぁ」
「もちろん、買おう」
「やったぁ~! とってもとっても嬉しいっ。ありがとぉ!」
それでもまだ夢をみている。
――すぐ傍まで迫った闇、罰に、気づかないままで。