15話「時計の針は着実に進む」
時が流れるのはあっという間だ。
私とベリッツォの関係は呆れ顔になりそうなほど順調に進み、気づけば結婚の日が近づいてきている。
「まさか君と結婚できるなんてね」
そんなある日のこと。
ちょっとした空き時間に二人でお茶をしていたのだけれど、その最中に彼がしみじみとそんなことを言い出した。
「どうしてまた急に」
二人きりの室内。
今は世話係もいない。
ま、それでも、扉の向こう側には見張りくらいはいるのだろうが。
「いや、本当に、奇跡だなって思ってさ」
「奇跡……ね」
「だってそうだろう? 僕たちは一度離れた。もうきっと会えないと思っていた、それなのにまた会えた」
今日の紅茶は薔薇の香りがする。
受けた説明によれば王城敷地内にて育てて収穫した薔薇の花びらで香り付けしたものらしい。
「確かにそうね」
「僕はさ、そんな奇跡的な展開が待っているなんて思ってなかった」
「同感だわ」
「きっと運命が僕らを再会させてくれたんだな」
「ええ、きっと」
甘くて、でも大人びている、そんな香りが室内に充満している。
絶世の美女なご婦人を想わせるような濃厚な香りが髪や肌にまとわりつくけれど不快感はない。
「ベリッツォ、結婚しても変わらずよろしくね」
「もちろん」
「いつまでも仲良しでいましょうね」
「こちらこそよろしく。これからもいろんなことがあるだろうけどさ、でも、一緒に乗り越えていこう」
ティーカップに手を伸ばす。白い持ち手に触れる指先に熱はない。カップの縁に唇が触れると湯気と共に一段と深い匂いが顔に触れる。貴婦人の優雅な入浴時間を想像させるような香りが静けさの中でそっと心に潤いを与えてくれた。
「勉強会は順調?」
「ええ順調よ。何とかね。上手くやれているわ」
「なら良かった」
「悪いわね、何かと気を遣わせて」
「いや。いいんだ。こっちが勝手にあれこれ考えてるだけだから」
もうすぐ結婚式だ。
その時を迎えれば私は彼と特別な関係になる。
――夫婦に。
夫婦になるというのはどんな感じだろうか。
今はまだ想像できない。
彼を大切に思っていることは事実だし、その心はきっとこの先も変わらないけれど。
「もうすぐ、結婚式ね」
「うん」
ただ、まだ未知なる部分もある。けれども、それはきっと、いざ実際にその領域へ踏み込んでみるまでは掴めないままなのだろう。
急ぐことはない。
いずれ実際に夫婦になるのだから。
その後でどういうものかを感じてゆけばいい。
人生とは発見の連続。
「ダリアのドレス姿、楽しみだな」
「そう?」
「きっと綺麗だろう」
「……そうかしら。あまり期待しないで、負担になるから」
「ごめん」
「でも、正直なところを言うなら、私も少し楽しみなの。……綺麗になれるかは別として。結婚式の時に着るようなドレスって日頃はあまり着ないから」
これからも多くの発見を重ねてゆこう。
そして今はまだ知らない数多の輝きに触れていきたい。
「そっか! 確かに。ドレスはドレスでも色々あるみたいだもんね」
「結婚式で着るドレスは豪華なものが多いから楽しみだわ」
「絶対魅力的になると思う! いや、もちろん、今とか日頃だって魅力的なんだけどさ。でも! だからこそ! 華やかにすればさらに魅力的になるだろうなって思うんだ」
瞳を輝かせるベリッツォを見ていたら何だか笑えてきてしまって、気づけばくすっと笑い声をこぼしてしまっていた。
それに気づいた彼はそれまでとは打って変わっておろおろしながら「何か変なこと言っちゃった……!?」と発する。
でもそれがまた面白くて。
さらに笑みがこぼれた。
「何だか可愛くって」
「え……ぼ、僕が? 可愛い? そうかな」
「張りきってるみたいだったから」
「ご、ごめん。確かに張りきってる、かも……ちょっと浮かれ過ぎてたかな」
「ううん気にしないで。結婚式を楽しみにしてもらえているというのはとても嬉しいことよ」
こうして、私たちは結婚したのだった。
◆
ローズの暴走は悪化するばかり。
「ちょっとぉ! アンタ! お茶くらいちゃーんと淹れなさいよ!」
「も、申し訳ありませんっ」
「不味いじゃない!」
「ぇ……ぇ、あ、あのっ……」
「何? その目。もしかして不満でもあるってこと? ならはっきり言えばいいじゃないの! ま、言えるものならね」
彼女は四六時中威張り散らしている。
相手が誰であっても構わずに。
「ちょっと!」
「は、はい」
「侍女長呼んできて」
「……何かありましたでしょうか?」
「いいから呼んできて!」
「承知しました。それで、用件は――」
「うるさい! そういうのは要らないから! さっさと呼んできて!」
まるで女王のごとき振る舞いを続けているローズである。
しかし偉大な良き女王ではない。
例えるならただ迷惑なだけの悪しき女王だろう。
「お待たせしました、参りました」
「遅いわ。このローズが呼んだのよ。どうして三十秒以内に来なかったのよ」
「申し訳ありません……」
「一分半もかかっているじゃないの! 舐めてるの?」
「申し訳ございませんでした……」
大きな花を咲かせるが臭い、さらには葉の色も汚く、大量の棘が生えている――もしこの世界のどこかにそんな植物があったとしたらきっとそれはローズによく似合う。
「それで、お話は」
「あのわっか~い女についてよ」
ローズは部屋の隅で小さくなって震えている十代くらいの女性を指さす。
「本日の担当の者ですか」
「そう。彼女、お茶を淹れるのが下手過ぎるわ。美味しくない」
せっかく豪華なドレスを着ているというのに、足を組んで椅子に座っているものだから、ローズの姿からは良い意味での品性があまり感じられない。
「それは……申し訳ありません」
「若さに甘えてんのよアイツ! だらしない!」
「ご迷惑をおかけしまして申し訳ございませんでした」
「しっかり注意しておいてちょうだい」
「はい。ところで、お茶を淹れるのが、とのことですが。どのような点に問題がありましたでしょうか」
侍女長が尋ねた瞬間。
「ふざけないで!!」
ローズは叫んだ。
「そのくらい自分たちで考えなさいよ!!」
激怒するところではないはずなのに彼女は激怒していた。
「他人の脳を勝手に使おうとしてないで!!」
……と、彼女はいつもこんな感じである。




