11話「今を生きよう」
初日の挨拶はすぐに終わった。
それから案内されたのは私のために用意されていた一室で。
そこはシンプルな構造ながらきちんと清掃されていて爽やかな美しさのある部屋だった。
部屋に入って、荷物を置いて、出してもらったお茶を控えめに飲む。
そのお茶は先ほどのものとは違う種類だった。そもそも紅茶でない。ただ、異国を連想させるような独特の甘さのある匂いはとても魅惑的なもので、湯気と共に立ちのぼる香りが鼻の奥を刺激する。すると自然と身体に加わっていた変な力が抜けて身も心もリラックスできた。
「とても素敵な香りのお茶ですね」
「えっ……あ、は、はいっ、ありがとうございます。そちらのハーブティーはこの国では採取できない種類のハーブをベースとして使っているハーブティーになりますので……」
「確かに、この香りはどこか異国を想わせてくれるようなものですね」
傍にいた若い女性に話しかけてみると、彼女は一瞬驚きと戸惑いが重なったような顔をしたけれど、それでもすぐに落ち着きを取り戻して優しげな表情でお茶について簡単に教えてくれた。
「お好みに合いましたか……?」
「はい。とても素敵だと思います。美味しいです」
「それは良かったです。上司にもそのように伝えておきます。またご用意できるようにいたします」
怖い人でなくて良かった、と、密かに安堵する。
初めて会う相手。それも他国でずっと生きてきている人。となると、差別意識なんてないけれど、やはりどうしても最初は上手く接することができるか心配が生まれるものだ。
けれどもこうして実際に話してみると段々心配は薄れてゆくものだ。
それからは、前もって用意されていた本を借りて読んだり持ってきた荷物の中身に問題が発生していないかを確認したり、そういったことをしながら時間を潰した。
新しい空間に慣れるにはまだ少し時間がかかるだろう。
取り敢えず今を生きよう。
一分一秒を着実に。
そんな風にしているうちにきっと段々ここでの生活にも慣れてくるはずだ。
◆
ローズ・フィーオンは現国家が誕生して以来の悪女として名を広めた。
城で働く者はもちろんだが、その知人などから噂は広まり、今ではその悪しき名は民らまでが知るものとなっている。
長い間王家に仕えてきている者は誰もがとうにローズのあくどさに気づいている。王城で働く者たちも、そのわがままに付き合わされた者が増えてきたために、今では完全に彼女のことを嫌っている。
……だが誰もローズを排除しようとは言えない。
なぜなら王子エーリオが常に彼女の味方でいるからだ。
エーリオはローズが少しでも不快であると主張すればその対象をすぐにクビにしたり処刑したりする。なのでローズに敵対するような態度を取れば誰もが切り捨てられかねないのだ。ゆえに表立ってローズ批判ができる人間はいないのである。
そんな感じなので、わがままなローズは、今や城内で頂点に君臨している。
「ローズは今日も可愛い」
「ありがとうございますぅ」
「最高の女性だ」
「やったぁ~ん! 認めていただけて嬉しいですぅ~!」
ローズに従い過ぎているがためにすっかり孤立しているエーリオだが、彼自身はそのことに気づいていない。
「君は俺の妻に相応しい。この世界で、誰よりも、俺に相応しい女性だ」
「そうですかぁ……?」
「ああもちろん。だからこれからも堂々と胸を張っているといい。君は偉大な女性なのだから」
「エーリオ様にそう言っていただけると嬉しくなっちゃいますぅ」
「君はいずれ俺の妻としてこの国の頂に立つこととなる。ゆえに誰にも折れる必要はない。俺が王になれば君は王妃、国において最も高貴な女性、だろう? それは決まった未来なのだから、周りに何か言われても無視していればいい」
ふふっ、と口角を持ち上げたローズは、可愛らしい声で「はぁい」と呟くように小さく返事をした。
「ところでエーリオ様ぁ、ちょっとぉ、買ってほしいものがあるんですけどぉ」
「何だい?」
「この時計ですぅ」
「時計?」
「この宝石が埋め込まれた時計なんですけどぉ、大国の王族しか持っていないような高級品らしくってぇ~」
「それは凄いな」
「欲しいんですけどぉ……買ってくださいませんかぁ?」
ローズは相変わらず物欲の塊である。
「今日はそれが欲しいのか?」
「そうなんですぅ」
「だが昨日は別の物を言っていただろう」
「それはもう買ってもらいましたからぁ。次に欲しい物を探してたんです。そしたらこれを見つけちゃってぇ……」
彼女の物欲には終わりがない。
「……駄目、ですかぁ?」
ただ上目遣いでお願いすることがとても得意なので。
「も、もちろん! 買おう! 素晴らしく高貴な時計のようだからな!」
エーリオはいつもすぐに流されてしまう。
頼まれれば買ってあげてしまう、その悪循環には終わりがない。