転ずる。
明るく簡素な言葉で綴られる魔境での戦況は、凄惨さを増していく一方だった。
戦いの中で勇者は左手首を失い、右目の視力を失い、右膝から下を失い、今度は左腕すべてをもぎ取られた。
しかしそんなことは意に介さず『ルルカ』は今日も無邪気に勇者を鼓舞する。
『かならず魔族を倒して帰ってきてね。』
悪魔のようなその言葉を、もう何回書いただろうか。
私はペンを置き、目を閉じた。
「お疲れのようですね……」
すぐ背後に立っていたギルバートの労りの言葉に、私は独り言のように呟く。
「…………気が狂いそうだわ……」
「アルベールは自分が信じたいものを信じて行動しているのです。ルルカの応援を心の支えにしているのです。これでいいんですよ。真実を伝えることになんの意味も無い」
「………………………………」
それも一理あると思ってしまう私は、引き返せないところまで来てしまったのだろうか?
……いいえ。
もうとっくにそうなっていたのだわ。
この仕事を引き受けてからの3年間。
脅されるままに言いなりになって、世界平和という身勝手な大義名分に縋りついて。
私は……
私は…………
「さ、次の日常報告を書いたら今回の仕事は終わりです。もうひと頑張りしたら都行きの最終馬車に間に合うことでしょう。3日ぶりにご自宅のベッドで寝れますよ!」
ギルバートがかけてくる薄気味悪い明るい励ましを、私は右から左へ聞き流す。
そうして私は、再びペンを手に取った。
+++++++
「アルベールのやつ、まだ戦ってんのか?」
「討伐に出てもう4年でしょ?いいかげんそろそろ終わらせてほしいわ」
「魔族なんてもうほとんどいないのにね」
「ずいぶん長いよな。アイツ、実は弱かったんじゃね?」
精巧な細工が施された真新しい噴水の前で、村の若者たちが新聞片手に語らっている。
若者たちの話題はすぐに都に新しくできた大型商店の話へと移り変わり、すっかり平和を取り戻したかのような顔をして夜を謳歌していた。
牧歌的な村広場から『都会風』に生まれ変わった派手な広場は、賑わうまでとはいえなくとも以前よりは人が多く見受けられる。
けれど、そのすぐ傍に立つ『勇者アルベール』の石像に気をとめる者などもう誰もいない。
「平和で何よりですね」
私の後ろを歩くギルバートが広場の様子を見て微笑む。
私は何も応えず、ただ前を見て駅馬車の乗り場へ足を進めた。
都行きの馬車を見送るギルバートの影が小さくなると、私はホッと一息吐いた。
『あの日』から、村にいる間はギルバートに見張られている。
都にいる時も、村の手の者に見張られているようだった。
唯一解放されるのは閑散とした夜の乗合馬車の中だけ。
「……私、そんな大それたことしようとしたワケじゃないんだけどな……」
私は真っ暗な窓の外を眺めながら言う。
「ただ、ルルカを見つけ出したかっただけなんです。ルルカからアルベールに『お疲れさま』『ありがとう』って言って欲しかっただけなんですよ」
そう。それだけのことなのに。
戦いの最中にいるアルベールに真実を告げようなんて思ってもないのに。
戦いから帰ってきたアルベールに「がんばって良かった」って、少しでも思って欲しかっただけのに。
それなのに、ギルバートはそれすらも阻止しようとしている。
だったらギルバートは、実際にアルベールが帰ってきた時になんて言うつもりなのだろう?
なんと言って誤魔化すつもりなの?
ルルカのことを隠し通すなんてぜったいに無理だ。
「…………知られたら不都合な真実があるからさ」
私の言葉に応えたのは、はす向かいに座る若い男性だ。
都にある大手新聞社の腕章をつけたその人は、手元のメモを見るふりをしながら私へ語りかける。
「ようやくわかったよ……”彼女”の行方が……」
待ちに待ったその報告に、私は静かに驚いて暗い窓越しに彼を見遣る。
「………ありがとうございます」
「あらかじめ言っておくが、良い報告はできそうにないぞ?」
「それでも…それでも、ありがとうございます」
「お礼はいらないよ。アンタのために動いてるわけじゃないんでね」
「ええ。わかっています」
「俺はただ…『偉大な勇者』を欺こうとする奴が許せないだけだ」
彼はそう言うと鞄から取り出した『勇者パン』にむしゃりと齧り付き、忌々しげに眉を顰めた。
読んでくださってありがとうございます!
残り2話か3話くらいで終わりです。
ここまでがストックで、あとはがんばって書きます。