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VIII

「天ぷら四杯の腹中(ふくちゅう)」と、自らのことを言った与四郎だから、今夜ばかりはお膳にならんだ刺身もちり鍋も眼中にない顔つきで話を続ける。

「ミミズクだって、ですよ。ミミズクでさえそこで牛肉を食べてるんだ、四人そろってなにも飲み食いしてないってのは、水を吸ってる牡丹の花にだってきまりが悪いって、奥さんがそんなことを言って。ですけれども、酒屋、煙草屋、仕出屋、蕎麦屋、八方塞がりで、もうどこも貸してくれそうもない。

『あなたは空っぽだし』って奥さんが言うんです。

 髪の長い男の人は弱りましてね。ポリポリ掻きながら頭を下げてました。

 それから奥さんは、火の起こりかけた七輪を卓袱台(ちゃぶだい)の上に乗っけて、掻巻(ふとん)(へり)から白い手を出してあたっていたんですけど。いきなり掻巻(ふとん)を叩くとにっこりして、

『いいことがある。河童の見世物を考えて、ちょっとばかり小遣いをこしらえよう。ちょうど雨降りだし、雨に降られてしょぼしょぼと酒を買いに行く河童の図、ってのはどう?』

『河童の雨具が、借りてきたその傘というのも不釣り合いだね。杉の葉っぱでいいんじゃないか』と男の人が言ったんですけどね。その杉の葉っぱがダメなんですって。

 錦木さんの家の竹垣の外が、すぐに裏町の槙ヶ原っていうお屋敷で、境に杉の生け垣がある。いつだったか、あんまり鼠が騒ぐので、奥さんが杉の葉で穴を塞ごうと思ったことがあったんだそうです。それでも黙って取るのはよくなかろうと、小間使いがふたりして洗濯物を取りこんでいるのが見えたから、念のため垣根越しに『杉の葉を二、三枚いただきます』と断ったら、その、あれなんですよ。『お待ち遊ばせ、お(うえ)へ伺いを立てますから』と言ってひとりが屋敷に戻ると、もうひとりが残って見張ってたんですってさ。

 すると、少ししてから、被布(うわぎ)の肩で風を切って、顎と眉間が重なって見えるくらいにふんぞりかえって、お屋敷の奥様がお立ちいで遊ばされたのだそうで。そうして垣根のところで、袖から出した眼鏡をかけると、キラキラと光らせながら上下左右を見回して、『そこのな、枯れた葉、枯れ葉』とおっしゃると、鋏を持ってついてきていた小間使いが枯れ葉をチョキ、チョキ、それを垣根の上からポトン、ポトン、バサリ、バサリ」

「葉っぱの声色(こわいろ)は余計だよ」と花政老はむず(がゆ)そうに眉毛をなでる。

「へい。で、こっちじゃ、ばかにされたって奥さんが黙って内へ引っこんでしまったから、窓の外にゴミが溜まったのがオチだというんです。そんなお断りの仕打ちでケチがついたから、杉の葉はいけない、どうせ引きむしるんだから、今度は断りなしに枇杷の葉を取ってやろう、と。

 それをむしるのが私の役目ってわけです、はい。錦木の屋根にも覆い被さって、古井戸をひとつ抱きこんで、お屋敷の物置にまで届く大きな樹だから、実のなる時分には通りからでも屋根越しに見えるんです。いつも取りてえな、もぎてえなと、魂魄(こころ)奪われてたこともあって、葉だって構わねえといきなり飛びあがって、一束引きちぎってしまいました」

「ばかやろう、で、どうしたんだ、それを」

「河童の頭にかぶせたんです」

「河童の皿にか……枇杷ならともかく(たこ)だったら即死ものだな。ふん、それで?」

「河童は裸足になりました。(すそ)ばしょりでニンジンみたいな(すね)をむきだしにして、貧乏徳利をぶら下げて。河童も可笑(おか)しいんだか、ニヤニヤしています。露地を出ると、あの黒板塀のところで、水仙と菊の花を彩色したやわらかい掻巻(ふとん)を素肌にまとっただけの錦木さんが『舞台飾りだ』と言うと、例の牡丹の花を手にして、掻巻(ふとん)の裾を持ちあげながら、河童のあとから露地口へ向かったんです」

「やれやれ、天の道理はあるのかねえ」とあきれ声を出して、はだけかかった襟もとを合わせながらも、花政老は身を乗りだした。

「河童が、前の通りの横っちょにある、あの酒屋の越長(えっちょう)のほうに行こうとする。すると奥さんが牡丹の枝を握った手の指をスッとのばして、『ずらりと一回りしてから……』なんて言ったもんですから、河童は後戻りをして、ビショ、ビショ、ビショ、ビショとポストのところまで、そこからまた、ビチョ、ビチョ、ビショ、ビショと歩いていく。人間だってわかってても、犬より小さくて、ネズミのバケモノが立って歩いてるようにしか見えないんです。

『口上を頼むわ、上手なんだろう。ありったけの声をお出しな』って、錦木さんが私に言いました。じっさい上手(うま)いもんですぜ、私は。東西(とざい)東西(とーざい)東西(とーざい)!」

「金切り声を出すな、ばかやろう。店の者は俺が小言の最中だと思ってらい」

「ええ、ごらんなさい箸、火吹き竹っ、晩のお支度お忙しゅうはござりましょうなれども、ご町内はみなお客様、ごらんなさい箸、火吹き竹っ、河童川渡り欄干(らんかん)づたい、酒屋へ三里豆腐屋へ二里、(あね)さん、お若い、小僧は七つだ――って、なんでもかんでもでたらめにわめいたんで、町じゅうの人が出てきました。軒下や格子戸前から三つも顔がのぞいていたり、通行人が立ち止まったり。

『お代はこちら、お代はこちら』って、錦木さんが牡丹の花をかざして美しい呪文をとなえたものだから、見物人は魔法にかかって。

 ええ、集め歩いた私のところにザクザクと集まって。なかには五十銭銀貨も交じってたんです」

奮発(はず)んだやつもいたもんだな」

「私だって奮発(はず)みたかった。河童じゃなくて錦木さんに、へい」

「黙ってしゃべんなよ。ふん、それでどうなった?」

巡査(おまわり)が来ました。ちょうど交番の巡回で通りかかったんですね」

「そうなるのがオチだ、天の道理だな。いづれか鬼のすみかなるべき、天罰覿面(てんばつてきめん)ってところだ。……大目玉を食らっただろう」

「いえいえ、畠山(はたけやま)さんでした」

「お前、その巡査を知ってるのか?」

阿古屋(あこや)琴責(ことぜ)めの段ですよ。あそこで太夫の尋問を手加減するのが、畠山重忠(はたけやましげただ)じゃないですか」

「おどかすなよ、この野郎」

「で、その巡査が外套の下から、雨に濡れたサーベルを光らせながら、近寄りもせずにこう言ったんです。

『あまりお転婆がすぎやしませんですかあ――』」

「なんだそれは」

「錦木さんが、うちのお光さんみたいなやさしい声で、『はい』って言って、にっこりして顔を横に向けますとね、なんにも言わずに靴音をコツン、コツンとさせて、ポストの角を曲がって行ってしまいました」

「こけおどかしめ。権十郎を名乗ってたころの九代目ってとこだ」

「そんなこんなで、こっちよりも近所の人たちのほうが恥ずかしくなったみたいで、みんな立ち去っていきました。

 そういったわけで、巡査の小言には、にっこりを返しただけで済んだんですけどね。集めたおひねりで私が、酒屋のツケを返しに行って、戻ってくると、錦木さんはどうしたことか、掻巻(ふとん)につけたビロードの襟から白いうなじを見せて、うなだれて、牡丹を見ながら泣いていました」

「なにっ?」

「並びの(ひさし)から落ちた雨だれが集まって、雨水がちょろちょろと流れている通りに、牡丹の色が、空に浮かんだ白いちぎれ雲といっしょに、薄赤い雲のように映ると、そればっかりが明るく見えて、もう日も暮れかかってるのに、やっぱりショボショボと降ってくるんです。なんだか露地が小川の流れに思えて、帰りしなに河童が、袖の下にくっついて錦木さんの顔をじろりと見上げているのは、河童が美しい奥さんを流れのなかへ引っ張っていくようでしたよ。見ている私も、心細くて、寂しくて、おかしな気持ちになったんです。その日の餌を食べ終わった雀の親子が、糸のような声でチチッ、チチッと鳴いていて、それがまるで、父さん雀と母さん雀が、おやすみ、おやすみって言ってるみたいに、夢見るように聞こえたんです」

「そこだけはしおらしいや。与四公、てめえも片親のねえやつだ」

 花政老は、潤んだ目を隠すように横を向いて、

「で、どうしたよ」

「そんなふうに雀が鳴いてたとき、河童をつれた奥さんは顔を暗くしてたんですが、すると家のなかから男の人がずかずかと出てくると、いきなりビロードの襟に手をかけて、錦木さんを抱くようにして、それから手を握って……」

「こまった野郎だな」

「いえいえ、そうではなくて、その人も泣いていたんです」

「さて、どういうことだ」

「そのうち奥さんは男の手を払いのけて、よろよろとして壁に手をついたんですが、急に威勢のいい声で『お河童ご苦労』。そう言って、牡丹の枝で河童の皿をトンと叩いて、今度は『与四公』って、私の名前を呼んだんです。もう、ちゃんと私の名前を覚えてくれてたんですよ」

「そこが魔物よ。なっ、狐、狸、天狗をはじめ魔性のものは、すぐに人間の名を覚えるっていうだろう」

「ええっ……」と与四郎は怯え顔になった。

「いや、驚かそうってんじゃない。手前は魔物なんぞに驚くやつじゃねえだろ」

「おじいさん」

「なんだよ」

「野暮とバケモノは箱根からこっちにはいない、っていいますよね?」と真顔で尋ねる。

「そうだな。でもその代わり、どうかするとその美人のようなのがいるんだよ。で、与四公どうしろって言ったんだ?」

「奥さんがね、『与四公、さっきの「わァかァ」って言って、もう一度私の名を呼んでみてよ』って言ったんです。えへへ、改まってそう言われても、できませんや。『ねえ』って催促されると、なおさらです。その代わり、ほッほぅって鳴いてやりましたぜ。そうするとミミズクが、家の奥で鳴いたんです。木戸のところで目玉がピカピカって光って……」

「そりゃ大袈裟じゃないか」

「ですが、灯りもつけていない家ですから、そう思えるほど、格子も木戸も暗いんで。ミミズクが鳴くと奥さんが、『あら、お嬢さん独りぼっち』って言って、元気をだして壁伝いに様子を見に行くんですが、それが、どうも手探りで。

 男の人が手を引こうとするのを、いいからいいからって断ってましたっけ。掻巻(ふとん)にくるまったまましょんぼりと、気が滅入っている様子で。……おじいさん」

「え?」

「錦木さんは目が見えませんぜ」と、目を丸くしながら言ったのだった。

「ばかを言うんじゃない」

「いえ、昼間はなんともないんです。日が暮れると……」と言い終える前に、花政老は胸を打って、

「なんてこった。鳥目かい。……あの人がなあ」

 と深くため息をつく。そこから急にブルブルと頭を振って、

「ああ、鳥目は治るよ。鳥目は治るよ」

「治るんですってね。男の人も、お酒を飲みながらそう言ってました。ちゃんと医者に診てもらわなきゃいけないって。それを聞いた奥さんがね、

『そんなことすると、あれをしちゃいけない、こうしてはよくないって、長いあいだ医者の言うことをきくことになって、自分勝手にわがままな暮らしができなくなるから嫌よ。どうせ言うことを守らないんだから診てもらっても役にたたないし、病気を治すためだって他人の言うことはききたくないわ。医者へ行くくらいなら、暗くなったら寝てるんだと思ってたほうがいいわよ』

 なんて言うんです。そして、お酒は自分で飲んでましたけど、天ぷらそばなんかは男の膝に寄りかかって、あーんと口に入れてもらって、ああ、美味しいって……」

 と、話しながら与四郎は、おもわず口の端のよだれをぬぐった。

「ああ、言うことなすこと魔物の所業だ。やい、与四公、けっして真人間のすることだと思うな。で、だれにもしゃべるんじゃねえぜ。しかし気の毒なもんだ。どうせ親もいねえんだろう。な、与四公、人間としてつきあっちゃよくねえが、手前は半分ミミズクが乗り移ってる身体(からだ)だ。当分の間、ミミズクの代わりに飛んで、夜間の使いやら用足しやらをしてやんねえ。……海は広いや。鯨も棲めば人魚もいるっていうもんだ。半分人間の美人だけに、裸でいちゃあ寒いだろう」

 と花政老は、手酌の銚釐酒(ちろりざけ)を傾けて、時雨の音を聞きながら、ねんねこの襟を合わせた。

 台所からは、漬物(かくや)を刻む音がする。

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