VI
じつはこの一寸法師は、今年の彼岸の時期に、和歌子が雑司ヶ谷の方へ行くといって出かけた、その帰途につれて帰ったものである。
「ご参詣でございますか」
出先が雑司ヶ谷だと聞いた近所の人は、殊勝にも雑司ヶ谷の霊園へ墓参に出向くのかと思い、そう声をかけた。
「いえ、花を摘みましょうと思って」
その日の黄昏時である。月見草もまだ咲き残り、嫁菜や萩が咲きほこる時節なのに、角の酒屋の店をカッと燃やす炬火のように町内へ入ってきたのが、雁来紅や、せめて薊であればまだしも、曼珠沙華だったとは、なんとも奇異なことである。
その曼珠沙華ばかりを薪木のように束にして、あの異相醜悪な一寸法師に背負わせて帰ってきた姿は、妖しくも狸の背に火を点した山姫が来たかと思われた。
「変わったものがお好きで」
「はあ、独りっきりで暮らしてますから、心細いんですの。不意に息を引き取りましたときのお線香がわり。冥途の炬火にするんです」
持ち帰った曼珠沙華を、ヘチマのぶら下がったあの木戸に五、六本、床の間から手水鉢、小さな庭にもずらりと突き挿してみると、折からの月夜が赤く染まった。……この魔の光を灯したなかに、美しくしとやかな女が髪を解いて白衣をまとい、赤爛れの一寸法師とともに、蝋燭の灯りが揺れる夕餉の卓袱台を囲んでいる。白鳥徳利から直に注いだコップの冷や酒をあおってサラダをつつくさまは、この世の外とまではいわないまでも、とうてい日本国のものとは思えない。ここ霞町にも、女嫌いとはいえない男はずいぶんと多いが、これを垣間見た男たちは、いずれも恐れおののいた。
さて、日本にありながらロシアの錦木塚とでもいえそうな和歌子の宿に来た一寸法師は、その日、池袋から拾ってきたのだという。
雑司ヶ谷で摘んだ曼珠沙華を抱えて乗った甲武線の車中で、和歌子の隣に座った年増女がいた。秋の彼岸だというのに絞りの浴衣、唐桟柄の古びた半纏、裾端折をした白い湯具といったいでたちで、日和下駄を履き、剥身絞りの手ぬぐいを吉原被りにして、汚い風呂敷包みに片足を乗っけながら煙草をのんでいる。鼻が高く、目つきが鋭く、色白で眉毛を落としている。そして、その女の肩にちょこんと腰掛けたように見える位置で、座席に立った一寸法師が窓の方を向いていた。
一寸法師は舌の先でペロペロとガラス窓を舐めながら窓外の田畑を眺めていたが、やがて乗客の背中をちょろちょろとくぐりながら、電車が走る方向へと座席を伝い歩いていった。
その年増女が、浅草の馬場裏や新宿の追分あたりから来た女猿曳か、古女房のおわんわん、蛇使いの口上言いといったふうに見えたので、この一寸法師もまた、夜啼石伝説で生まれた子どもの見世物だとか、あるいは千住大橋で評判をとっている興業だとかに出ているバケモノではないかと思えた。
案の定、年増女は新宿で下車した。が、一寸法師のほうは和歌子が乗り換えた車中で、ひょうたんぽっくりこ、と遊ぶ子どものように姿を現した。和歌子が目黒で下車すると、一寸法師もついてくる。手ぶらのままで、バケモノらしくしっぽがあるわけでもない。当然ながら切符もない。
駅員がもてあましているのを見て、和歌子が代わりに運賃を払った。一寸法師は「うう、うう」と指を噛みながらお辞儀をして、後をついてくる。もう日も暮れて、遠出からの帰りでもあり、しかも、例の狐の蝋燭の束を抱えている。その曼珠沙華を和歌子が背負わせると、そのままひょこひょことお供をした、というのである。
「お給金も払えないし、こんなのでなくっちゃ雇いきれない……」
というわけで、丁稚とも居候とも情人ともいえないまま、その日から錦木の宿に住みつき、物置で寝ている。畳の上はもちろん、勝手口、台所、屋根の上を這うわけでもなく、虫のようだとまではいわないが、縁の下に這いこんでいることはある。
ことばは聞いて理解できるらしい。
「ううッ、ううッ」
と、何事に対してもわかったという意思は示すのだが、口がきけない。
……と、はじめのうちは思われたのだが、いきなりしわがれ声で話しだすことがある。あたかも七、八歳の子どもが、六、七十歳ほどの老人の声を前世で喉に嵌めこまれたかのような声だった。魔界の蓄音機とでもいえばいいのか。
共同水道でひなたぼっこをしながら、一寸法師が独りごちる。
「油虫がうるさいわい、ううッ、ううッ」
脈絡もなくこんなことを言ったり、また年寄りじみた声で、
「姉さんや、そろそろ水道の水は冷たかろうねえ。井戸の水はね、冬は暖かあいものだよう」
「キャッ」と言ってバケツを投げだして逃げたのは、通りの並びにある官吏の家の令嬢である。
「おばさん」
小春日和に甲羅干しがてら悠々としゃがみこんで、若い銀行員が意気筋がらみの女と新所帯なるものを構えた台所口から、女が小アジを焼いているのをのぞきながら、
「鮗は田楽にするのが旨あい」
おばさん呼ばわりされては穏やかでない。やっと二十歳になったばかりのご新造さんである。
こうなると住人たちが納まらない。いつも声がばかでかく、若い頃に高杉晋作先生を見たことがある長州萩の士族で、町内で最も古株だという、学校用具店百年堂のおばあさんを筆頭に、町内連判で河童退治を迫ることになった。
ところが、天の配剤は奇なるものである。不出来な上野の銅像も、椋鳥たちにとっては先行き判断の役には立つ。……などとも思えるが、悲観的なことをいえば、これほどの驚天動地となると、獣やら鳥やら人間やら洪水やら地震やら飢饉やら戦争やらが大挙して襲い来るという前兆なのかもしれない。なんと、この一寸法師が、退治されるどころではない、町内で祭りあげられるに至る出来事が出来したのである。
ほかでもない。
槙ヶ原子爵家では、あるときから子牛ほども大きな一頭の黒い洋犬が飼われるようになった。館の姫様、執事、御門番に至るまで、この犬をトーマスと呼ぶ。けれども面つきがひょろりと長く、図体のでかいその犬を見た子どもたちがトンマ、トンマと呼びはじめたから、近隣ではトンマと呼ばれている。
渾名のとおり間抜けな犬だが、その挙動は猛虎のごとく獰猛で、角の向こうからいきなり現れると、グワッと噛みつく。驚いた自転車はひっくり返り、人力車は溝にはまり、自動車はクラクションをけたたましく鳴らす。ヌッと立った姿は大人より背が高い。子どもなら顎の下に挟まれる。館の料理人さえ噛まれて血みどろになって玄関前に倒れたほどで、島田髷を咥えられた小間使いが仰向けになって髪を振り乱す、お使いに出た女中たちが羽織を破られ、袖を裂かれ、ひいひい悲鳴をあげるといった事態は、この近隣にいくつも発生した。それほどまでに見境がない。
苦情の電話やはがき、管轄の警察への訴えがひけをきらない。当然ながら獣医と警察が館に出向く。しかし、何度医師が検診をしても、槙ヶ原側は狂犬であることを認めない。殺処分などもってのほか。小塚原刑場の世話にもなれない。いったいどういう犬なのかと問いただすと、時の内閣、なにがし伯爵の官邸から槙ヶ原家へ遣わされたものであるという。子爵が閣下と御声を正せば、町人ごときの言い分が通るはずもなかった。
しかしありがたいことに、天には神がおられ、地には法の正義がある。なんとか夜間だけは鎖でつなぐことを承知させた。それでも槙ヶ原は、無理に縛りつけるとかえって狂犬になるおそれがある、手加減が必要だといって、午後の十時を過ぎるとこの犬を解放する。とたんに黒犬は闇にまぎれ、月夜の灰虎のごとき姿を、塀の影から、垣根の下から出没させる。
「やっ」「キャッ」と町内に、けたたましい男女の悲鳴が飛び交う。
槙ヶ原がいうように狂犬でないとすれば、なぜ人を噛むのか。それはトーマスが飢えているからだと言う人がいる。かの事情通によれば、大臣閣下から槙ヶ原家へ婿入りした当初、この雄犬は羊のごとく柔和だった。しかし飼われてみると、沢庵のしっぽと冷や飯しか与えられない。飢えたトーマスは薪屋の炭俵を噛み、やがて木切れを囓った。床屋の店に入って、散髪の毛をぺろりと舐めた。なかでも女の髪を好んであさり、ともすると長い髪の毛を横ぐわえにして、さも美味そうにしゃぶりながら徘徊した。そのさまは、あわれというより壮絶である。狂犬の病にかかっているわけではなく、空腹ゆえに人を噛むのだ、という。
子爵家がお飼いなされるお犬様がひもじい思いをしているなど馬鹿を申せと、警察は取りあわない。派出所でも取りあげてはくださらない。
夜遊びをする男たちたるや惨憺たるもので、財布に余裕のある者は人力車を使う。酒代がやっとだという連中は、花政の店がある通りの角にさしかかったあたりから、恐怖心でなにもかにもが黒犬に見えてしまうといったありさまで、背広姿で立ちすくんだまま、電報配達人でも通りかかったらいっしょに走ろうと待ちかまえている。さらに進退窮まると、盛りそばの出前を注文して、出前持ちといっしょに帰宅する。
また、気の毒というよりも笑い話ではあるが、こんなこともあった。夜に銭湯に行くとなると、女たちは向こう三軒両隣で、こんばんは、こんばんはと誘いあう。なかでも一名、陸軍中尉の令夫人がステッキを突き突き先陣を切ると、官吏の令嬢、銀行員のご新造さん、百年堂のおばあさんもまたステッキを突いてしんがりを務める。上総、房州出身の女中ふたりが両翼の備えを立て、長蛇、鶴翼、俥がかりの陣形を組みながら銭湯を目指す。と、そこへ、
「わわわんわん」
と声がするや、あれ、キャーと悲鳴があがり、戦国の陣形はあっけなく散り散りになった。おばあさんだけが「ヤッ」と、無我夢中で長刀の大上段の構えをとる。
鳴き真似をして驚かせたのは、早稲田の商科に通う長身の、百年堂のひとり息子、そのステッキの持ち主である。
冗談じゃないよと、怖い思いが笑い話になった。
そこへまた、天の配剤が差しのべられた。
四方八方のどこからと予測もつかないトーマスの長面が、胴をうねらせながら現れると、とたんに塀の陰から門の隙から、どこからともなくちょろちょろと、一寸法師が登場する。「うう」と吠えるトーマスに「うう」と応じた一寸法師は、飢えた獣の胴に抱きつくと、その背にピタリと張りつくように乗っかった。とたんにトンマはグニャグニャと力が抜けたようになり、一寸法師を載せたまま、舌を垂らしてのそのそと町を歩く。あたかも「河童太子、玄車に乗り、鉄驪に駕し、黒旂を建てゝ暗夜を駛る」と賛を入れた、妖しき書画から抜け出た妖怪の道中である。
ちょうど和歌子が、湯帰りの薄化粧などでこの奇妙な騎士に出くわすと、河童の頭の皿を雪のような手でポンと叩いて、
「お河童や」
と声をかける。近所の手前、河童と呼ぶのはあけすけすぎると、上に「お」をつけて呼んでいるのだ。
「夜遊びかい、この、浮気者」