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IV

 話を進めよう。

 埼玉の入間郡伊草村で生まれ育った、まるで百姓一揆の斥候(せっこう)のような姿の不思議な鳥は、この日、和歌子の錦木の宿へ、花政の店から鳥籠ごと引き取られることになった。栗やどんぐり、そば殻といっしょに、藁苞(わらづと)に包まれて東京にやってきたわけだが、なにもご隠居に木菟引(ずくひき)の趣味があって、猟のために取り寄せたわけでもない。そもそも木菟引猟でおとりに使うコノハズクのような大人しい鳥ではなく、札つきの怪禽(かいきん)、二つ名をもつ無宿者である。餌は生き餌で、豚肉を嫌い、牛肉も細切れでは満足せず、バケモノの好物だと相場の決まった鼠の天麩羅にしても、ごま油で揚げたものを欲しがる。その贅沢好みは、まるでお稲荷様のお使いだといわんばかり。そのうえ娘のお光が、怖がってきゃーきゃーと騒ぐ始末だ。

「ええ、ええ、お引き取りをいただきましょう。こちらとしては願ったり叶ったり。晩の餌に買い込んでいた竹皮包みの生肉と金網の鳥籠は、引き出物として差し上げます」

 なんの冗談だか、独り者だからお婿さんがほしいわ、譲ってちょうだい、と和歌子が言ったとき、花政老は即座に、こう言って承知した。お光が怖がったという理由もあるから、老人が快くミミズクを手放したことになんの不思議もない。

 しかし、やがてこの魔鳥が、同じく素性の知れない美女の――着古したとはいえ土佐絵に描いた篝火(かがりび)ほどには燃え残った緋縮緬(ひぢりめん)の――長襦袢(ながじゅばん)の袖でこしらえて着せた、手縫いの一重(ひとえ)外套(がいとう)を翼にかけ、共地の赤頭巾を頭に巻いて頬被(ほおかぶ)りにした姿で、明け方の月の光が枇杷(びわ)の花に落ちるとき、水銀のような霜の降りた高甍(たかいらか)の棟を伝って、子爵槙ヶ原家の破風口(はふぐち)から侵入して館を襲うことになる。かりにも近隣の土地を領し、世が世なら御目見屋敷(おめみえやしき)たる大家(たいけ)の要害を砕くのである。このミミズクを(つか)った和歌子は、その夜、ほどいた黒髪を艶やかに背に垂らして、氷のような絹糸で織った白衣(びゃくえ)をまとい、星より高く屋敷の塀に立つことになる。――ただしそれは、のちの話である。

 ついでならば、その白衣の由来を語っておこう。

 和歌子みずからが、隣人に語ったことである。かつて彼女は、ロシア、シベリアのハバロフスクに渡って住んだことがあった。そこは政府が陸軍歩兵第十一連隊を駐屯させた土地で、軍隊相手に東西各国の商人が入り乱れていた。天草で生まれてこの地に流れ、生きていくためならばと、赤い蹴出しに長靴を履くこともいとわない。南京(ナンキン)の宝石商、北京のみかん、りんご売り、朝鮮の土方、インドの水売り、ポルトガルの屠殺人、アメリカの銀行家、フランスの仕立屋や宣教師、ロンドンの土木請負人、トルコの(そり)引きや馬車屋などなど。さまざまな人の暮らしがあり、雪や風の日々があった。

 一戸ごと、それぞれの明暗がある横町で、和歌子が暮らした家の隣には、ユダヤ人の薬屋があった。主人は陰気な、人は良さそうだが不満げな表情の絶えない男で、美人で目つきの鋭い、五つほど年上の妻がいた。その女は星占いや(まじな)い、祈祷(きとう)を行ったので、人は巫女(みこ)だ、魔法使いだと噂した。夫婦には十八、九になる一人娘がいて、その色の白さといったらなかった。二つに分けた黒髪を肩に流して、純白の寝間着姿で蒼い蝋燭を灯して寝室への階段を上る姿が、女の目から見てもぞっとするほど美しい。その娘は中国人から買った、日本の長崎伝来だという、乙女椿や白玉椿がとりどりに植えられた鉢植えを、吹雪の晩も暖炉の燃える火のかたわらに置き、真珠のように、紅玉(ルビー)のように寵愛した。

 ――そんな過去を和歌子は懐かしむのだろう。蝋燭の火を灯し、白衣を着て黒髪を垂らした姿で縁側の雨戸にもたれながら、雨を眺め、虫の声を聞く彼女を見かけた隣人もいた。それはそれで、話中の美少女の姿も偲ばれて、それに勝ろうともいう美しい姿を見せたことになる。だがなにも真似をするのに、わざわざ巫女、魔法使いの娘だと疎んじられる、哀しみを抱えたユダヤ少女にわが身を重ねるとは、いったいどういう了見なのか。それだけでも、本性の計り知れない女だとわかるというものだろう。いうまでもなく彼女は、この町に独りで住んでいる。

 錦木和歌子と優しい女文字で書かれた表札が掛けられた家は、霞町――花政の店がある大通りから横に曲がって七、八軒をへだて、商家がまじった屋敷町の外れから、さらに路地を入った突き当たりにある。隣町からぐるりと塀をめぐらせた槙ヶ原子爵邸に隣接する錦木の宿は、まるでその邸宅の裏庭に建つかのような位置にあり、窓から見える杉垣ひとつを隔てただけである。

 夏の初め、和歌子がその流浪の生活から、町内に小さな虹を立てるようにこの地に居を定めて以来、彼女の生い立ちも素性もだれひとり知ることはなかった。その名と容姿から、はじめは女優ではないかと噂になった。やがてその家に「琴曲教授」という札が貼られると、人々は、ああ、生田流のお師匠さんだったのかと合点した。けれども家には琴はおろか、風鈴の音さえ響かない。季節が移つろい綴刺蟋蟀(つづれさせこおろぎ)の鳴くころになると「(よろず)(おん)仕立物(したてもの)(どころ)」と札が変わった。しめた、と男たちが衣服をほころばせながら待ちかまえていると、今度は「女髪結」に変わった。

 最も人々を驚かせたのは、それが「露西亜(ロシア)語研究所」となったときである。しかし、そのどれに対しても、註文や弟子入りがあったという話は聞かない。もちろん、札といっても看板というほどのものではなく、「衛生組合」だの「大掃除済み」だのといった札ほどの大きさで、紙切れに書いて貼られるだけである。

「豆腐屋さん、油揚げはある? 焼いたのが欲しいんだけど。ちょうど天ぷらみたいにしたやつ。油揚げは生だと美味しくないじゃないの。……そんなものはないって? うまいこといかないものね。焼き豆腐をこしらえるついでに、今度焼いてきてちょうだいよ。お願いだから」

 そんな、行商人に調理を頼むような暮らしぶりだから、女中も婆やも必要なさそうだ。炊飯などもめったにしないという。

 メニューはたいてい、パンとハムサラダ。ハムがなければサラダのみ。三日分ほどの洗った野菜を積んでおいて、(かんざし)の先で裂けばいい。独りで頬杖をついて食卓に寄りかかって、手ぎれいにパンを裂く。あとは紅茶かコーヒーがあればといったところだが、面倒なのでコップを持って路地裏の共同水道まで行くと、武蔵野多摩川の名水を味わう。もっと手軽に済ませたいときは、巻きタバコを横ぐわえに懐手(ふところで)でスッと表に出ると、

「お隣の奥さん、コップでも茶碗でもいいから水を一杯飲ませてよ。うっかり割ってしまったんで」

 ただし、懐が潤っているときは、朝から店屋(てんや)ものを取って酒を飲んでいる。そんな彼女の生活は、空を飛ぶ鳥よりも自由である。だが、地上に巣くう人間には自由人たる鳥ばかりではなく、魚もいれば獣もいる。それとは別に男とかいう、頭も肢体も不出来な者たちの区分けもある。なぜかはわからないが、そういうことになっている。それらのうち、いかなる種類の男が錦木の宿に出入りすることになるのかは、いましばらく読者の想像に任せておくことにする。

 が、とりあえずその一例として、その日、和歌子が表通りにある花政から戻ろうとした時刻に、露地を入った共同水道の前にある和歌子の家の、今は「囲碁指南」という札が貼られた、格子戸前に立った男を紹介しよう。

 質素な千筋縞(せんすじじま)の綿入り半纏(はんてん)に紺の小倉織の帯を締め、髪は角刈り、片手に番傘をもち、中古の萌黄(もえぎ)色の風呂敷をぐにゃりと肩に掛けた、ひょろりと背が高いニキビ面の若者で、顔だけは若々しいが、身なりはしなびきっている。薬売りのようにも見える風体からして、もしかしてこの家の妖艶な主は、なんらかの婦人病でもわずらって、ヤツメウナギの干物を持薬にしているのではと思うかもしれない。だが、彼は薬売りではなかった。飯倉片町にある老舗の質屋、孫田屋六兵衛、孫六の中手代(ちゅうてだい)佐兵衛(さへえ)という男である。その名からして思わせる、義侠の小林佐兵衛に(なら)ったか、かの質屋で年季勤めをする若者たちのなかでも、正直と勤勉で知られた、後輩どもの手本となるべき二十二、三の男。敬うべきかな、二宮尊徳の崇拝者である。

 肩の風呂敷が空っぽなのは、嘘をつかないというシンボルでもなければ、質草の風呂敷を持参したわけでもない。じつは、ふんだくりに来たのだ。

 この機会に、もし質屋の利息などというものに縁がない方がいらしたとしたら、幸せ者だと言ってさしあげたい。金貸しでもない質屋が利息を取るとはどういうことか。それは、質入れした自分の着物を借りて着続けている和歌子から、借り賃が滞っているからといって、着たままそっくり剥ぎ取りにやって来たのである。

 同じころ、花政の店では、雨がまだ降りやまないうえに荷物もあることだからと、与四郎が和歌子を家まで送ることになった。

「兄弟分のミミズクだ。与四郎、お前が背負っていけ」

 言うに及ばす、与四郎がなんでも背負いたがるのは、悪戯をする両手をあけていたいからだ。ミミズクの籠の金網に通した紐を喉元にかけて、ゆらりと背負うと、花政と書かれた番傘を和歌子に差しかけた。

「おじいさん、さようなら。私たち、まるで黒子を引きつれた軽業師の一行ね。今度、招魂社(しょうこんしゃ)の境内で興業でも打ちましょうか。喜代さん、ごひいきに、よ」

 と(なま)めかしく声をかけると、赤い実が映える南天を束ねた、花屋の軒下のどぶ板を飛びこえて、ひらりと表に出る。裾のあたりに、手に提げた牡丹の花が揺れて、濡れた路面に淡い光が差す。

「ほッほう」小僧も負けずに勢いをつけて一本足で飛ぶと、ぷっと膨れあがったミミズクは、目をピカピカと丸い稲妻のように光らせる。まるでここが森の(ほこら)であるかのように、並木の落ち葉が二つ、三つ舞った。

 時雨の降りしきる路面が、油を敷いたかのように鈍く輝く。白木の駒下駄を鳴らすなで肩の後ろ姿を、店の若者たちも手を止めて、花政老も軒下から腰を伸ばして見送った。路地への曲がり角の、やや坂になったあたりにある何とかいう質屋の黒塀には、斜め下に向けた忍び返しが打ちつけられている。そこに、悪戯小僧が高々と掲げてクルリと回した番傘が引っかかって、したたかに雫を垂らした。袖をすぼめた和歌子の、裾に()ったように映った牡丹の色が、そのとき青く寂しく見えた。

 降りかかる雨は暗さを増し、屋台の声も(わび)しげである。

「茹で出しうどん――」

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