XIV
「他人に話せば惚気ばなしだけど、あなたに話せば懺悔になりそうね……」
「僕は仏様というわけですか」
「いいじゃありませんか。そのかわり、ご馳走がたっぷりあるわ」と和歌子が言った。
しかし、それほどたくさんというわけでもない。一閑張りの剥げた卓袱台の上には、例のハムサラダの大皿と、白鳥徳利の一升酒。そして真ん中には、塗り盆の上に黄葉した銀杏の落ち葉の敷物をしつらえ、嘴を落し、翼を萎え、赤いマントに包まれたミミズクの死骸が、血を黒々とさせて横たわっていた。
この日、ミミズクのために追悼を兼ねた謝恩会を開くというので、和歌子自らが通りの花屋に出向いて、与四郎を床の間の上客として迎えた。もう一人は、境木敏夫という、以前に登場した髪の長い美術生で、溜池あたりの下宿にいたのを、和歌子が公衆電話で呼び出したのである。
ご馳走はほかにもある。与四郎には鹿の子餅と饅頭が与えられ、他にはゆで卵もあった。一寸法師はハムを一枚とゆで卵を五個与えられると、それを持って木戸の脇にある例の物置に引っこんだ。おそれながら天にましますキリストが、かくなさしめたもうたのであろう。この河童は敏夫の顔を見ると、夜中でも物置に入って出てこないのが常であった。
いつもならそこにあるはずの、菊と水仙柄の掻巻が見あたらない。今日の入費のために消えたのである。
和歌子は落ち葉をかぶったミミズクよりも寒そうに肩をすぼめている。だが、その微笑む目もとはほんのりと、小春日和の光を盆に注いでいるかのようだ。
「聞いてくださいよ、敏夫さん。このミミズクにはね、私の恋人の血が通っているのよ」
「驚いた」
「驚かなくってもいいことよ。恋人の話をするんだから、それだから、他人に話せば惚気ばなしでも、敏さんに話せば懺悔にもなる」
「そんなことはどうでもいいが、ミミズクの血とは、いったいどういうことです」
「あのね、このミミズクはね、与四公も知ってるだろ、川越の町から秩父寄りの伊草村というところからやってきたんです。……私がね、こんな境遇になる以前のことだわ。そのころはお嬢さんで……といっても今でもお嬢さんだよね」
と、きゃしゃな手でよく持てるものだと思う一升徳利から、片手つぎでコップに注いで、
「名前は伏せておきますけどね、あのころ私は、それはそれは親たちや仲人に祝福されて、洋行帰りの医学博士と、天下晴れて結婚をしたのよ。博士夫人十七歳。そのころは花櫛、花笄と、気取って飾ったもんでした。博士はね、ヨーロッパの大学に勤めていたんですが、久しぶり、三年ぶりに東京に戻ってきました。一度故郷に帰って、ついでに私もいっしょに親戚回りをすることになって、行った先が川崎なの。博士の実家は、川崎の町で製紙工場を経営してるのよ。ですがね、生まれは伊草村なの。事業を興すために、農家が町へ出た家なの。
あの、白山は秩父の山だけれど、伊草にも白山のお宮があります。比咩神社、産神様ね、生まれた土地の鎮守だから、そこへ参詣することになりました。新妻が博士の旦那様にご一緒して、高髷かなにかで気取ってさ。時節もちょうど紅葉のころ。わりと暖かい年でね、でも十一月末でした。
田舎道は、三里といっても長いのね。人力車でガタガタと行く途中、いやだったのは、材木やら瓦やら炭俵、薪なんか、いろんなもの、柿の籠なんかまで積んだ牛車が、何台も、何台も、二間、三間ずつ間をあけて、ひっきりなしにすれ違ったこと。大きな牛の角なんかが、乗ってる俥の泥よけを越えて迫ってくるの。なかには濡れた鼻を仰向けて、ンモォなんて人の顔をのぞいたり。額におしろいを塗ったようにぶちが入ったのもいる。早朝だったのよ。町を離れて、四、五町も進むと、もう牛車の列に行き当たってね。しかも狭い畝道をうねりうねり、でしょう。遠くの山の霧のなかから、雲に乗って湧いてくるように続いて、牛の数が果てしない。若奥様は弱っちゃった。もう、泣きたくなって……あらいやだ、もう、と言っただけで、そのときの牛の声を思い出すわ。
『帰りましょうよ』
『つまらんことを言うな』
と、博士とやりあっても俥の上でしょう。じれったいと癇癪をおこして飛び降りたとしても、牛の背中に乗ることになるし。
いやでいやで、死んでしまいたい気でいたその道中で、やっと生き返ったと思うようになった、不思議なことがありました。道の脇が土手になっていて、ずっとどこまでも道沿いにうねったり曲がったりしている、田んぼの用水路かと思う小さな流れがあったんだけど、その小川のところどころ、流れが淀む木の下だとか、流れの堰があるところになると、きまって菊の花と水仙の花が、そこに浮いているんです。菊は黄菊と白菊のみだれ咲きで、紅いのも、なかには小菊、野菊もあってね。活けてあるというふうでもありません。流れにまかせて浮かしてあるんだから、どこかの家の裏口から生け花を投げ捨てたんだろう、それにしてもきれいだ、きれいだって、最初の二、三ヶ所で見かけたときは、ただそう思うだけだったんですけどね。だんだんと心を惹かれ、もっと見ていたいと思うようにさえなりました。それが何ヶ所になったのか、数え切れないほどだった。たいていは流れの様子と土手の勾配で見当がついて、そこに、あれあそこにと、思うところにはきっとある。道ばたには、ときどき小さな社やお堂があったし、塚や石地蔵もあったんですけどね。それにはひとつも手向けていない。それとも土地の風習で、なにか、あの、花の供養とでもいうのかしら。けれども車夫に聞いても知らないって言うの。なんだか嬉しい、優しい、可愛らしいって気持ちになって。それに気を取られて三里あまり、道の片側ばかり見ながらいると、牛車もそんなに気にならなくなったんです。
白山のお宮の森に着くと、その川は鳥居の前で、道とすれすれなほどに浅くなっていました。土橋がかかっていて、そのたもとのあたりの流れに、また水仙と菊が挿してあったんです。
お聞きなさいよ。境内へ入って手水鉢を見るとね、そこには冬牡丹が一輪」
和歌子はふと、床の間の柱にかけた花入れを見た。まだ開ききっていなかったあのころの面影はとうに失せている。その花びらの面影かと思う酔いの色を浮かべつつ、みだれた襟もとを合わせて、
「森々とした暗いなかにその紅が燃えて、魂がひとつ落ちているようで、怖いくらいに美しかった。お宮は静かで、それはそれは神々しい鎮守様でね。お堂のなかに、雪のような神馬が一頭。それはいいんだけど、屋根裏には大きな白蛇が棲んでいるっていうじゃないの。私でなくっちゃ、女は入れはしないわね。
そのときよ。不思議なことに、大きいのやら小さいのやらが、十五も二十も、たくさんの絵馬が納めてあってね。その絵馬にみんな……」
和歌子と目を合わせた敏夫は、早くもその意味を悟って、ふたりして銀杏の落ち葉を見た。
「どれにもミミズクが描いてあるのよ。見まい聞くまい言うまいのような三羽を描いたものもあるし、飛んでるのもあれば、止まっているのももちろんね。みんな、ほっぺたをこうやって……」
「やめろよ」と、ほっぺたをふくらます和歌子を、敏夫が制す。
「あら、与四公もやってるよ」
「へへへ」
「お堂のなかがまるで、目になって、嘴になって、翼になったみたいで。何十羽だかわからないけど、みんな生きてるようじゃありませんか。昼もまだ早い時間だったからいいけど、月夜に見てでもごらんなさい。バサバサって飛びだしかねないわ。森で本物のミミズクがひと声号令をかけたら、そろって鳴きだすかもしれない。そこらに倒れかかっている絵馬まで見てると、なかでもふざけてたのが白馬の鞍に乗っている洒落たミミズクちゃんの絵馬で、と思えば、落ちて仰向けに転がっているミミズクのもあるの。巧いなあ、巧いなあって、絵の好きな博士が感心していたわ。どういう謂れでそんな絵馬があるのか、博士も知らないってさ。子どものころにお宮で遊んだ博士は、こんな絵馬なんて見なかったって。……自分の亭主を博士、博士って。今は他人なんだから、勘弁してね」
と、冷や酒をあおった。
「僕も飲むぞ」と敏夫がコップを手に取る。
「乾杯をしましょうよ」
「なぜ?」
「博士の健康を祝して」
「いやなこった」
「あら、可愛いわね」
「うんざりだ」
「どうして? このあとが肝心なミミズクの話なのよ」
「いや、そのミミズクにうんざりなんだ」
「あら、罰あたり」
と、目もとをすっきりとさせて、
「私と敏さんがおつきあいするようになったのも、ミミズクが取りもってくれたからでしょ。ホホホッ、結びの神に対して失礼な」
金と力のないこの青年は、こう言われてもしかたがないだろう。
今年の秋のはじめ、学校の教室の前の桜の枝に、迷って止まった一羽のミミズクがいた。俊敏な生徒が窓からヒラリと飛んで生け捕ると、クジャクの標本を籠から出して、代わりにそこに安置した。ただでさえ世の不満分子たるを自称し、秋風に体力気力をみなぎらせ、自由と不羈を生命とする芸術家が、われらのシンボルを見つけたと、総勢二百五名がたちまち鬨の声をあげて同盟を組み、おのおのが紙袋で製作したミミズクのお面を頭からすっぽりとかぶった。そして長蛇の列を作ると、某展覧会開催初日に合わせて公園を練り歩く。
先陣が先払いをする。
ホッホー、先のけろ、ホッホー、先のけろ
後陣が制止の声を放つ。
下にー下にー、下にー下にー
袋のなかから声をそろえて、
ミミズク殿のお通りだ、ミミズク殿のお通りだ
ホッホー、先のけろ、ホッホー、先のけろ
下にー下にー、下にー下にー
ミミズク殿のお通りだ、ミミズク殿のお通りだ
不思議なことには、山じゅうのカラスが雲を覆うほどに真っ黒に群れて、啼きわめいたのである。
そのなかに、クジに当たってただひとりお面をかぶらず、長髪を逆立てる気勢をこめてミミズクの籠をかかげ、列の真んなかで校内一の長身をそばだてながら集団を盛り上げていたのが境木であった。この役は楽ではなかったが、いいこともあった。人混みのなかからひとり、ふるいつきたくなるような色っぽい貴婦人ふうの女がすれ違いざま、ポケットにメモを滑りこませてくれたのだ。
和歌子が鉛筆で走り書きをしたそれは、簡潔にして要領を得たものであるから、その全文を挙げておこう。
「モデルになってあげましょう。雇ってくれというわけじゃありません。私の家へいらっしゃい」




