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首に財布をひっさげて、禿げ頭で突っこんできた花政だから、そんな話を聞いて黙っていられるはずもない。
「越長さん、言いたいことはわかったがね。話にあった盲人だが、鳥目と盲人とは違うよ。そもそも瞽女だとしても、そんな理由で立ち退きを迫るとは何事ですかい。しかも自分の所有する借家じゃねえ。いわば隣人同士、背中合わせの松飾りならぬ薪雑棒と錦木の間柄だ」
と言って唇をペロンと舐めると、
「目が見えないからと立ち退きを食らうようじゃ、口がきけなきゃ島流しだ。耳が聞こえなきゃ百叩きで江戸市外追放、手足が不自由なら死罪だね。冗談じゃねえ。ミミズク、フクロウは昼間磔、トンビとカラスは夜中獄門だ。とんでもねえ。人形が祟るってのは筋違いだ。あの美人のせいじゃありません。私が思うにゃ、あの屋敷の食い物がひどいせいだ。白菊と、なんだっけ、その霧之助人形を飼っておくのに、稗や粟ばっかり食わせてるんだろう」
若者たちのひとりがヒャヒャッと漏らすと、またどっと笑いが起こった。
加勢を得た花政老は、勢いに乗じてまくしたてる。
「回りくどいったらないね。その人形殿も、祟るんなら遠回しに自分の屋敷を祟らないで、いきなり美人の寝床へでも、風呂の中へでも踏みこめってもんだ。直接祟れば祟るがよし。槙ヶ原のほうでも無礼千万になんの関わりあいもねえ裏隣家を引っ越させようなどと血迷わずに、さっさと自分のほうで引っ越していけってもんでがしょう。ねえ、それが道理っていうもんです。それでなにかい、うちのミミズク小僧に聞いたんだが、お前さん、その立ち退きを申し渡す御上使に、いけしゃあしゃあとお出向きなさったとか」
「ええ、いけしゃあしゃあと出向きますと、へへへ……」
使用人たちの裏切りと、いまの「いけしゃあしゃあ」で、さすがに人のいい長助も、いささか業を煮やしたらしい。しかし、気の弱い親仁だから、食ってかかるにも下手から攻めていく。
「驚いたことには、床の間正面の壁の棚に、花籠ならぬミミズクの籠が据えてあります。おまけにいつからそんな細工をしているのやら、そのミミズクに、ところどころに化粧染みのある緋縮緬の外套のようなものを羽織らせております。そのうえ頭にも、耳を出して頭巾をかぶせてるんですから、とんでもない」
これは、花政の与四郎のことをあてこすったのである。近ごろの与四郎は、和歌子が着せてくれた、ミミズクと揃いの真っ赤な布をマントのように翻しながら、町から辻を自転車で駆けまわり、萌黄色の制服を着た三越あたりの使いの小僧が驚いて目を剥くと、すれ違いざまに舌を出したりなどと暴れ放題である。鳥だか獣だかわからない奇怪きわまりない姿で、風の強い日などは、物騒にも炎が飛行するかのようだ。そんな与四郎の乱行を、花政老はあえて見逃している。
うろたえるどころか、花政はけろりとして、
「チクリときたね。うちの与四郎もミミズクと同じだと言いたいんでしょう。あれは広告でさあ。花屋政右衛門、元手いらずで美人のマントを使う。戦国大名の赤揃え軍団って作戦でね。
とはいえ、悪いほうに考えりゃ……」
と花政は、いささか声をひそめて、
「あの美人の、穏やかならぬ振る舞いを広めていることにもなるがね。花に遊女草があれば、草にも三味線草がある。海は広いや。鯨も棲めば人魚もいるっていうもんだ。腰から下は人間じゃなくても、時雨が降れば裸じゃ寒かろう、と、これが人情ってもんじゃありませんかい。そのうえ鳥目だといったらなおさら不憫だ。盲人の杖を突くなら杖の先に菊でも飾ってやりてえや」
そう言うと花政は、店の若者たちを見回して、
「なんでも河童が酒を買いに来るそうだが、ほんとかい?」
「ええ、今しがたも来ましたよ」
また別のひとりが、
「ご隠居さんとすれ違いで帰ったくらいでした」
「ははあ、なるほど郵便ポストのすぐ手前で、おかしな犬がちんちんをして歩いてるなとは思ったが、あいつかね。私は目が悪いよ」
と瞼をこすって、
「いずれも親がねえせいだ。河童を飼っても、ミミズクに赤い外套を着せても、いいじゃねえかね。わがまま不埒だといえばいえるが、身の悲しさはお互いさまだ。おのおのの心のなかには般若めいたものもあれば、狸の掛け物がかかってないとも限らない。そう悟れば得心できる。海は広いや。般若も棲めば狸もいるっていうもんだ」
「ご隠居、海に狸はいませんよ」と、小僧が黄色い声をあげた。
「ほう、違ったか。いや、歳には勝てねえ。ずいぶん喋っちまった」
花政は口もとを撫でて、
「ところで肝心な相談だ。とりあえず大事なのは、立ち退き勧告の使いとして、お前さんが出向いたってことだ」
「けっして、その、管理人だからといって、頭ごなしにどうこう言ったわけではございませんので。御屋敷の近藤友秀殿、ええ、昔なら千石扶持の御家老、今でいうお執事様でございますな、その方がお出向きになりまして、手前などは管理人だから顔をお貸し申したというだけで。子爵様のお名札をお乗せした白木の台の御進物を、うやうやしくお持ちしたのでございますよ」
それを聞いた花政老は、シャキッと肩を張って、膝に手をかけ、
「紅白の水引をかけた大奉書で、中身は半紙九枚でがすね」
「いいえ、近藤様が角の荒物屋でお求めになりましたので、手前は存じております。上の方々ではこういうときの儀礼だと見えまして、鹿角菜が七枚です」
「鹿角菜が七枚?」と、忘れもしない、槙ヶ原夫人が牡丹の値に驚いたときのような素っ頓狂な声をあげて、
「ああ、天の道理はあるのかねえ」
店の若者たちが三たびどっと笑って、今度は拍手した者までいた。
「九は病、五七は雨に、四つ旱なんていうもんだが、七が鹿角菜だけにお天気だとでもいうのかね」
「左様でございますかな」
と長助は真顔で応じる。町内に華族があれば、自分はお膝元の町人だと心得ている。なるほどそういう了簡であればこそ、得意先の空き樽回収の小僧からここまで叩きあげた。商人の手本たる男である。
花政はカラカラと笑って、
「まあ、話を進めようじゃねえか。それで美人はなんて答えたんだね」
和歌子は内心では引っ越したくはない、しかし意固地になって、他に受けてくれる場所がないように思われても悔しいから、あるいはこの家を明け渡してもいい。ただし気に入った転居先が見つかるまでは待ってもらいたいと、意外にも穏やかではあるが、曖昧な返事をしたのだという。
「理屈はともかくだ、ねえ越長さん。あの御屋敷の地所内で生まれたとはいえ、もうかれこれ十数年、お祭りの御神酒所じゃ顔を並べる間柄だ。あっちに白菊、霧之助がついてりゃ、こっちには祭神の神功皇后様、武内宿禰の山車がついて、後ろには獅子がにらみを利かせてる。いいかね、寄り合いで将棋を指せば、悔しいけど香車一枚お前さんのほうが強いや、敵わねえ」
「へへへ」と、若者たちが顔を見合わせて、嬉しそうににっこりする。
「そこだよ、越長さん。ね、その強い男が大名華族の味方をして、わがままで品行は悪いが、やせ細ってしかも鳥目の哀れな女一人を路頭に迷わせるという、成り角で歩を取って頂くようなことをしていいものか。屋敷は屋敷のこととして、とにかく、管理人としてはキッパリと手を引きねえ。
店の者や嫁、娘の手前、表向きにとはいかねえだろうが、家賃なんざ内々で話をつけちまおう。この財布のなかに、無尽のクジで当たった内緒の金が包金五つ。年の暮れも近いというのに、この景気、見せてやりてえようだ」
そうまで言われ、そこまでされては承知するしかない。越中屋の長助は、かしこまってお辞儀する。わだかまりも棄てて、花政に酒をあつらえた。
「ありがとう存じます」
「お気をつけてお帰りを」などと、口々に声がかかる。
「はい、おやかましゅう。どっこいな」
と、花政は店を出た。
帰りしな、錦木の宿がある露地をのぞいてみる。
「ああ、突きあたりの家にいるあの女が鳥目だと思えば、夜も余計に真っ暗に思えるな。……若けえころ、金に困って、品川の花街に長女を身売りさせたことを思い出しちまう。あの子が苦労の末に死んでしまったとき、墓には曼珠沙華ばかり手向けてくれと遺言したっけ。もしかすると目蓮信者の恋人でもあって、いい気になっただけかもしれねえが、仏に不満をぶつけるような、不吉な花を見たいと言われて、親は骨身にこたえるわい。山の手一の花屋花政でも、曼珠沙華は扱っちゃいない。そればかりに、好きな花だと娘が遺言した花を、思うように見せられねえ。これも因果応報というものだな」
老人は独り、涙を催した。
「そういやあの家の美人も、秋の彼岸に曼珠沙華を活けたそうだ。……暗がりのなか、狐火のようにちらちらと、ああ、目の前にちらつく。そのなかに白い衣服でいたんだというその姿は……まるで娘の幽霊のようだ」
そして、前掛けのどんぶりから数珠を出し、手首に掛けると、
「南無大師遍照金剛……若死にするなよ、鶴亀鶴亀」
と、念仏を唱えると、二度ほど胸を叩いて、
「長生きをしておくれよ。やれやれ。さながら俺は、道の闇路に迷わねど、子ゆえの闇夜に迷う五段目の与市兵衛だな。懐に無尽の金まで用意したとは。いかん、美人のいる露地で鼻水をすするとは何事だい。南無大師遍照金剛」
禿げ頭にすっぽりと頬被りをした花政は、寒そうにひょこひょこと、わが家に向かって歩きながら、四つ角にさしかかった。腰を伸ばすとお屋敷の磨いた甍が星に冴えて、遠い夜目には城のように見える。
「槙ヶ原の屋敷だぜ。土地をケチって庭は狭いし、植樹の囲いもたいしたもんじゃねえ。根岸の旧邸のことは知らねえが、新築だという見せかけ普請が、だのになぜだか今夜は奥深く、棟もそびえて見える。高いぶん、霜が早く降りるのか、鎧のように棟瓦が闇に光ってる。……大地主の威光かな。
奥といえば、冬牡丹にのけぞった奥方……なんだか引っかかるぜ。別殿に秘めた雲井、白菊様だとか、霧之助殿だとか、そう言ったな。代々総領の姫様が、緋縮緬の下襲、白無垢姿の下ろし髪で……
わかったぞ、それのせいだ!」
そのときである。シュッと地を裂く音がした。黒いやつが道を切る。
「わっ」と叫んで、追われて逃げてきたのは、与四郎小僧だった。進退窮まるかと思いきや、赤いポストの上にひょいと乗った。はずみで緋鹿子のマントがパッとひるがえる。そんな、インドのお地蔵様といった恰好で、日焼けした手を叩きながら、与四郎は追っ手を挑発する。
「ここまでおいで。ここまでおいで」
のしかかったポストに腹をくっつけて、鼻息も荒く、前足でもがもがと闇をひっ掻いている追っ手とは、もちろんトーマスである。そこに、寝静まった万年堂のどぶ板をひたひたと踏み、壁に張りつくような横歩きをしながら、赤面の一寸法師が現れた。




