優と白
僕の名前は笹原柚季。
中学一年生。
今の季節は春だ。
4月6日。
僕の誕生日でもある。
今日は入学式。
クラス名簿の張り出しに、小学校のクラスメイトの名前があったので、ほっと安心した。
1年1組。
教室に入って自分の席に着き、鞄を机の横にかけた。
ふとすごく魅力的な男の子がいることに気付いた。
僕の席から桂馬の右側の席についている。
振り向いて、後ろの子に話しかける姿や声の抑揚に、僕は思わずときめいた。
それから廊下に出て、式に出て僕と同じくらいの背丈で、僕の丁度後ろにいた彼の気配にドキドキしてるうちに式は終わり、また教室に戻った。
式の途中、後ろにいた彼を時折何気なく振り返ったりした。
目も合った。
愛嬌のある笑顔で、「ん?」というはにかみを僕に見せた彼。
僕は完全に恋に落ちていた。
帰りの時間、僕は抑えていた感情を解き放ち、彼に話しかけた。
「ねえ、君!スマホ持ってる?」
僕は名前も知らない彼に話しかけた。
「うん!もってるよ!ほらiPhone13!ミニだけど」
なんと僕の持ってる機種と同じだった。僕のはミニではなかったが。
「ぼ、僕もiPhoneなんだ!」
僕は急いで自分のポケットからスマホを取り出して、彼に見せた。
「へえ!お前も赤にしたんだ!あーやっぱ普通のサイズがよかったなあ!母さんがまだ手が小さいからミニがいいって言ってさあ」
お母さんの話をするなんてこの子は人懐っこい性格なのだろうか。
「ねえ、LINEやってる?」
僕は彼に尋ねた。
「やってるよ」
「こ、交換しない?」
「いいよ!」
僕が自分のQRコードを見せると彼はスマホをかざしてカメラで読み取ってくれた。
「笹原柚季くんか」
アカウントが知れたので名前が相手に伝わった。
「うん!僕柚季!君の名前は…」
明星優。僕のスマホにはそう表示されていて、友達かも?と表示されていた。
こんな自己紹介のされ方、初めてだった。
「あかほしゆう?」
「違う違う!あけほし!」
「明星優くん」
「そう!俺、明星優!」
「な、仲良くしたい」
僕はおずおずと申し出た。
「いいよ!今日から友達!」
優くんは明るくて、名前の通り優しかった。
星のように彼の命が潰えるとはこの時は知らなかった。
===
僕と優くんはそれから仲良くなっていった。
優くんは僕を柚季と呼び捨てで呼んでくれた。
ゆうくん、という響きが好きだったので僕の方はくんづけだった。
「僕、漫画描いたりするんだ」
「へえ、どんな漫画?」
「自由と因果とか」
「げげ~難しそうなテーマ!」
「小学生の時に描いたんだ!ネットじゃちょっと有名なんだよ!?」
「ちょっとってどのくらい?」
「えっと、閲覧数が2万くらい」
「へえ、なかなかだな」
でも、僕の漫画には、同性愛的な描写も多々あり、それを見せることは僕が優くんのこと好きかもしれないと示唆することに等しかった。
だから優くんに僕の漫画、カルマズを見せるのは少々ためらわれた。
「見せてくれる?」
「全部、読んでくれるならいいよ」
「全部か…何ページくらいあるの?」
「えっと、400ページくらいかな、全4話で」
「400ページか。単行本って200ページくらいだよな?」
「そうだね」
「そうだな!2巻で打ち切りになった漫画だと思えば何とか読み切れると思う!」
「打ち切りってなんだよ打ち切りって~!」
こんな調子でお互い冗談を飛ばしあえる仲にまでなっていた。
僕はLINEで自分の漫画、カルマズのリンクを欄にペーストした。。
https://www.pixiv.net/artworks/42643596
送信マークをタップする。
やがて、既読がつき、
明星優「暇なとき読んでみるわ」
と返事があった。
この経験は今まで何度もしてきた。
自分で自分の作品を紹介するのは苦痛だ。
誰かインフルエンサーみたいな影響力のある人が宣伝してくれたらいいのに。
そしたらカルマズがアニメ化したりして、きっと面白いことになるだろう。
でも、僕はプロの編集者にも2度WEB持ち込みをしたことがある。
一人目の編集者は「文字物のプロットとしては秀逸。一話から引き込まれた」
と言ってくれた。
でも、その編集者さんは時間内に全4話を読むことはできなかったらしく、誉められたけど、それで終わった。
二度目の編集者さんはちょっと辛口だったけど、「まあ、読み捨てられるよりは心に残る作品」と評を出してくれた。
二人目の編集者さんにこれをどうしたいのか?と問われた。
僕は何かオフィシャルな場所からこれを発信したいと伝えた。
二人目の編集者さんはGoogleとAmazonのコンテンツポリシー的に難しい言った。
確かに、少年の裸なんかも描いてたし、それはそうだった。
そして、今、何度も経験してきたことだが、新しい読者、優くんがカルマズを読もうとしている。
もしかして、同性愛描写を軽蔑されてそれっきりになってしまうんだろうか。
でも、冗談を飛ばし合える仲だ、本気の作品を見せることくらい、僕は怖くなかった。
===
明星優「すげえ面白かった…すごいしかでてこない…。」
優くんからLINEで返事があった。
やった!と僕は心でガッツポーズをとった。
掴んだ!掴めた!僕の集大成が優くんに認められた!
それから学校でカルマズの話をしたりした。
「あれ、何を参考にして描いたの?」
「全部僕の空想」
「お前天才だな」
僕のことを優くんは天才と呼んでくれた。
これはいいことなのかわからない、カルマズを読んだことも優くんが二重人格になるための布石だったのかもしれないから。
「なあ、俺をモデルにして漫画を描いてよ!」
「え?」
「絵になった俺、見てみたい!」
「そんな...」
好きな人に、漫画を描いてくれと頼まれている。
僕はどうしていいのかわからなかった。
いや、どんな風に描けばいいのかわからなかった。
僕と優くんが恋仲になる話。
優くんが冒険活劇を経て大団円を迎える話。
ざっと浮かんだのはその二つだった。
優くんはカルマズの同性愛描写について聞いてこなかった。
だから僕も、そこのところは聞くのが怖かった。
「じゃあ、白って子を主人公にしようかな」
「はく?俺のキャラクターか?」
「うん、優くんは、白い」
「え、それ薄いってこと?」
「ううん。真っ白ってこと」
「ふうん」
僕は家に帰ってから漫画のアイデアを練り始めた。
決まってることは、主人公が男の子で、白という名前ということ。
あとはそのまんま白紙だった。
白...と対極にあるのは黒。
囲碁の漫画は「ヒカルの碁」があるしなあ。
そうだ、オセロならどうだろう。
ルールは明快だし、それに僕はそこそこオセロが強い。
ネットで対戦してる様子を録画して、棋譜を創ればそのまま漫画に使える!
僕はパソコンを起動し、Google chromeを開きやったことのあるSDINというオンラインゲームのサイトにアクセスした。
録画の方法を調べたらWindowsキーとGキーの同時押しでマネージャーが起動する仕組みだった。
別にアップロードするためでもないし、僕は録画ボタンを押してオセロの対戦部屋に入室した。
勝てる人には勝てたが負ける人には負けた。
僕のオセロの強さは中級ということだ。
5戦ほどして録画した動画を見てみた。
自分の行為の記録が残っている。
これは漫画のネタにするためにやっていること。
白がオセロをする話にしようと思った。
ほら、真っ白。
そう、僕は白がオセロのマス目全部を白で染められて負けたところからストーリーを考えていった。
オセロでこんなことができるんだ、そう感動した白はオセロのオンライン対戦に夢中になる。
2戦くらい描けば漫画として成立するだろう。
はっと思った。
白を絵に描かなきゃいけない。
僕はいわゆるキャラ帳というのをあまりつくらない派だった。
でも、白のことは優くんをモデルとして、一度絵に描き起こしておきたかった。
工藤正廣の「チェーホフの山」に出てくるドミーチイ・オサムナイのような、あるいはジブリの「ハウルの動く城」のハウルのような。
でも、髪の色は黒かな。
僕が優くんを白いと思ったのは、心のこと。
優くんの心が白いとしたら、僕の心は玉虫色だ。
===
僕はクリスタを使っていた。
CLIP STUDIO。
絵や漫画を描く有料ソフトだ。
4年生の頃から500円ずつ払って買い切った。
僕は、なんだか白の話をクリスタで描くのが面倒くさかった。
肉筆で白紙にたたきつける鉛筆の黒鉛が描く線の迫力を優くんと共有したかった。
2Bの鉛筆で僕はネームを描いていった。
8ページで終わらせようと思ったが倍の16ページも使ってしまった。
僕は白を優くんの多面的な白さとしてえがこうとした。
優くんは優しくて、軽やかで、柔和で、おだやかで、面白い。
でも、そんな自分を相手に印象付けるためにはそうとう理性的でなきゃいけないと思うんだ。
僕は優くんが隠し持っている理性を白というキャラクターで描いていった。
ストーリーの中で2戦、僕が創った棋譜を使った。
ほとんど「ヒカルの碁」の二番煎じみたいな出来に落ち着いてしまった。
中1が描ける心理戦はこんなものか。
小6の頃描いたカルマズは何だったんだろう。
僕は学校に自分の描いたネームを鞄に入れて持って行った。
市販の漫画は学校に持っていくと怒られたりチクられたりするが、自作の漫画はおとがめなしだから面白い。
僕は昼休みに白の出てくる漫画を披露した。タイトルは決めていなかった。
いや、直前に、「白」とだけ空白にしてたタイトル用のスペースに殴り描いて優くんに見せた。
「おー!これがおれかー!」
「似てるでしょ」
「わからん!」
優くんははしゃいでいたが、8ページあたりから無言で読んでいた。
カルマズはネット越しの作品だったから、読み手が唾をのみページをめくる様子を見るのは僕も初めてだった。
優くんが目に涙を溜め始めた。
それは終わりの16ページにぽとっと落ちた。
「ごめん」
ゆうくんは学ランの袖で自分の涙を紙からぬぐった。
「いいよ」
「泣けた」
「どうして?オセロしてるだけだよ?」
「俺が心を操縦してる感じ、解ってくれてるって、解ったから」
僕もつんと鼻にきた。
涙が出そうだった。
ほら、やっぱり優くんの白さには裏があったんだ。
それを僕は暴露したかった訳じゃない。
そっと打ち明けてほしかった。
僕がいつか優くんを好きと打ち明けるのと同じように。
===
それから僕は優くんとよく昼休みにオセロをするようになった。
担任は最初渋ったが、僕の描いた「白」を読ませるとなんか黙認してくれることになった。
優くんと僕のオセロの力量は拮抗していた。
2のBと相似の個所に置かなければそこそこ粘れるもんなんだ、オセロってのは。
漫画の中でそれを描いてあったので、優くんは2のBと相似の個所に置くのは念入りだった。
「柚季は心のことを考えるのが好きなの?」
黒を置きながら、優くんは尋ねてきた。
「うん、好きだよ」
本当は君のことが、とまで言ってしまいたかった。
「どうして心のことを考えるようになったの?」
「それは…」
それは僕が同性愛者で悩んだことに起因する。
「なんでかな…」
僕ははぐらかすしかなかった。
「俺、心を考えるお前が好き」
僕は耳を疑った。
「優くんが、僕を好き?」
それは恋愛感情なのか、親愛の情なのか。
「柚季が男を好きなんだってことは、カルマズ読んだからわかる」
ギクッとした。
そりゃそうだよね、と。
「それでも、僕のことを好きなの?」
「どうだろう、柚季が俺のこと好きかまではわからないけど、もし俺のことを好きだったとして、それに釣り合う感情なのかはわからないけど、俺は柚季が好き」
涙が出そうだった。
うれし涙が。
「柚季、好きだよ」
ノンケはこういうことを普通に言う。
「僕も、優くんが好き。恋愛感情として、男して、優くんが好き、結婚したい」
それを聞いて優くんは笑った。
「結婚か…」
感慨深げな優くん。
「でも、柚季となら、大人になって、一緒に暮らせたら幸せかもな…」
これは夢なのか?頬をつねりたかった。
優くんが2のBと相似の個所に黒を置いた。
そこから形勢は僕の白に傾き、優くんは負けた。
「優くん、僕と付き合ってくれない?」
僕は告白をしていた。
「男同士で?俺秘密とかはいやだよ?」
それを聞いて、確かにそうだよね、と僕は思った。
「でも、柚季が相手なら、誰に何言われたってかまわないかも」
それって...OKってこと?
「決めた、俺柚季の彼氏になる」
僕は目を覚まさなかった、これは現実だった。
明星の優くんが明滅してることに気が付かないほどに、僕はくらくらしていた。
===
柚季の彼氏になった。
これは責任のあることなのだろうか。
俺は柚季に見抜かれていた通り、相手に印象付けたのと真逆な深層心理を有している。
ときどきふっとさみしくなったり、そんなときに無理に明るく柔和にふるまったり、でも、柚季は、あいつのキャパは深い。
俺のことも、素の俺のことも受け入れてくれるかもしれない。
カルマズは…おもしろかったなあ。視点が各話ごとに代わって行って、あれが柚季一人の頭の中でえがかれていたというのだから仰天する。
俺はこのままでいいのか?
もっと柚季にふさわしい男、いや、人間になるべきなんじゃないだろうか。
恋は自分を超えるために心にいだくもののように思う。
俺も過去に女の子を好きになったことがある。
冷たく、俺を見透かし、軽蔑していた彼女。
柚季は真逆だ。
俺を見抜いたうえで好きになってくれた。
それが柚季にとっては自分を超えることだったのだろうか。
柚季のえがいた白は、俺が俺を堂々と表現した姿だ。
あんなふうになれたらな…
演じることから始めてみようか。
そしたらいつか、それが板について、自然と本当の自分でいれるかもしれない。
白の一人称は僕だった。
そうだ、俺も僕を時々使っていこう。
===
優くんが、時々、自分のことを僕と言うようになった。
俺の方が似合うよ、と僕は言ったが、こっちが楽なときもあるんだ、と優くんは言った。
なんだか優くんが僕のえがいた白を演じてるみたいだった。
学校で噂が流れていた。
タルパという別人格を宿す人がいるらしい、と。
優くんは白のタルパを宿したのだろうか。
...それって僕のせいじゃないか?
僕が生半可な気持ちで優くんにほんとの心を打ち明けさせて、その結果、優くんは一人称として、「僕」を使うようになった。
それでも、優くんのことは大好きだ。
優くんの中に白が宿っているのだとしても、二人とも愛したい。
ある時、優くんの主観が消えて、白が現れた。
「よう、僕の生みの親」
「え?」
「僕は白さ」
「そうだとしても、君のことも愛してるよ」
「でもね、僕は君の彼氏じゃない、そこはわかっていてくれ。俺の優が受け止めきれなかったものを僕が抱えてるんだ」
「優くんは何を受け止めきれなかったの?」
「名前さ」
「名前」
「優しさを優は義務付けられた、その幼少期を想像できるか?」
「想像できない、君が受け止めて、優くんが忘れているというなら聞かせて」
「名前ってのは親が願ってつけるものだ」
「優くんの親は優しい人になりたかったのだと言える」
「その通り。つまり冷たい人間だったのさ。柚季、お前に愛されて俺の優は初めて愛を知った」
「愛されずに育ってきたというの?」
「心のことがわかってる柚季だ、その反動形勢と言ったら理解しやすいだろう?」
「僕の存在は優くんの救いになったかな?」
「ああ、少なからずな。これからも優と仲良くしてくれ、じゃあな」
そう言って白は潜った。
優くんが帰ってきた。
「柚季...」
「優くんなの?」
「なんか夢を見てるみたいだった。でも、白も本当の俺なんだってわかって、黙って観てた」
「黙ってるなんて優くんらしくないね?だから白なのかな?」
「はは、そうかも」
優くんは笑顔を見せてくれた。
中学生とは思えない笑顔だった。
===
「僕と優、どちらかしか選べないなら、柚季、君はどちらを選ぶ?」
「そんな意地悪な質問をするのは白だね?」
白は笑った。
「で、どっちなの?」
「これは盛大な鎌かけだなあ」
「鎌かけって何?」
「選ぶこと自体が間違いということ」
「確かにな」
「僕にできることは、優くんも白も、同居できる世界を保つことかな」
そう答えると優くんが帰ってきた。
「なあ、どうしてこんな俺のこと好きになってくれたの?」
優くんはしおらしくして見せた。
「初めて見たとき、とても魅力的だと思ったから」
「席替えでさ、カルマズみたいに柚季と隣の席になれたらどんな感じかな」
「きっと白がいたずらしてくるだろうね」
「柚季以外にはばれない、小さないたずらをな…」
そんなことを話していたら、その日に席替えがあってほんとに僕と優くんは隣の席になった。
どうやらクラスの連中が僕たちが付き合ってることを察して、どうなるか実験してみようということらしかった。
いかにも中学生らしいなと僕は思った。
僕は、子供のころから大人びていた。
愛の感受、優くんはそれを体験として持たないと白は言っていた。
僕は、逆に愛されすぎて、その籠のような愛に耐え切れずカルマズを描いた。
僕と優くんは絶妙な組み合わせだ。
それを最初の印象で察した僕がいる。
でも、白のような人格を秘めてることまでは想像してなかった。
白も悪い奴じゃない。ちょっと意地悪だけど。
反動形勢、白はそう言っていた。
概念的には十分理解できるが、実際のところどうして反対に動いてしまうのだろう?
優しくしてほしいから優しくする。
そうじゃない人だってたくさんいる。
愛してほしさに人を殺す人だっている。
俺を見てくれ、そういう叫びが僕には聞こえる。
優くんは、諦めていたのだろうか。
愛されるということを。
前世とかを持ち出せば、簡単につじつまが合うが、ここはリリックではなくロジックで打開したい場面だ。
仮に前世があるとしたら、優くんが娘息子を愛さなかった報いとして、今世でその因果を解消してることになる。
それなら誰も悪くない。
しかし、仮に死後の世界も輪廻転生も一切ないとしたら?
そんな残酷な世界、僕は想像したくない。
===
優くんが事故に遭い、星のように潰えた。
顕在意識はとりもどしたが、それは白の人格だった。
「柚季、優がいなくなった」
「白が残された訳か…」
「お前の彼氏が死んだんだぞ!どうしてそんな冷静でいられる!?」
「優くんも白も一人として、同一人物だ」
「その半分が消えたと言っている!」
「じゃあ、白は僕にえがかれるまでどこにいたの?」
「うっ...」
白は泣いた。
泣いて泣いて泣きぬいた。
僕はただ白の手を握っていた。
ああ、優くんの手だ。
でも、優くんはもうここにはいない。
中学に入学してから今日まで目まぐるしく過ぎていった。
桂馬の右側にいた優くん、隣の席になった優くん。
そして今、目の前にいる白。
「白、今度は君が僕の彼氏になってよ」
「ああ、いいとも」
まだ白は嗚咽交じりだった。
白は、誰よりも、誰よりも優くんのことを愛していた。
そのことに思い至った時、僕も涙が込み上げてきた。
人はどこに行くのだろう。
===
夏休みになった。
七月は白の家に泊まりっぱなしだった。
白のお父さんとお母さんは優しそうだった。
優くんのこともその優しさで包んであげたらよかったのに。
夏の夜、布団を別に敷いていたが、白が僕に迫ってきた。
「柚季、チュウしようぜ」
「いいよ」
僕と白はさんざんベロチュウをした。
舌で舌を舐め、歯を舐め、より深くを求める...。
僕らはそれ以上のことをしなかった。
それ以上をしないことが、大人になれなかった優くんへの供養だった。
優くんの生きてる間にしてあげれたこと、それが僕の全部。
8月になった。
「もうすぐお盆だね」
僕は白に話しかけた。
「優のやつが戻って来たらな...」
「そしたら僕が二またかけてることになっちゃう!」
「ははっ」
かけがえのない夏だった。
お盆のさなか、終戦記念日を迎え、夏休みも残りわずかとなっていた。
「花火を見に行こうぜ」
白が提案した。
「いいね」
僕は頷いた。
花火の1発は100万円くらいかかるそうな。
そんなことを話したら白は驚いた。
「贅沢な風物詩だなあ」
そうだね、と僕はまた頷いた。
人々がにぎわう夜の中、人目を気にせず白と手をつないで歩いた。
「白、好きだよ…」
とろけそうな気持ちになりながら僕はつぶやいた。
ふと、白の手の感触が、あの、嗚咽を上げていた時の白の、わずかに優くんの気配が残る体の感じがした。
「あれ?」
白はそこにいなかった。
「優くん?」
「うん」
優くんが泣いていた。
一筋の涙、僕の描いた漫画に落としたような涙を一筋こぼした。
「戻ってこれた」
死後の世界があったということだろうか。僕は興奮した。
「優くん!」
「花火大会が始まる」
「ねえ、優くん!」
「花火大会が終わったら天国の話を聞かせてやるよ」
ああ、君は天寿を全うした、明星優、君は紛れもなく優しい。
「あ」
「どうしたの?」
「白が拗ねてる」
僕は困った。
困ったところで花火が打ちあがったので、そちらに目を向けることにした。
100万円が次々と星のように潰えていく。
「僕は、死後の世界がなかったら、絶望するしかなかった…」
「えー!?聞こえないよー!!」
爆音が響く中で僕がつぶやくと、優くんが聞き返した。
「僕らの物語は死後の世界を証明することに成功した」
「聞こえないってばーー!!」
天国が素敵なところだとして、どうして、僕は優くんが蘇ったことをことをうれしく思うのだろう。
イエスはラザロを生き返らせたという。
天国が素敵な場所なら、死んだままでいいはずなのにね。
僕は、優くんの頬に手を当てた。
「優くんとはこれが最初」
「...」
何をするのか察して、優くんは硬直した。
僕音の残光の中、僕らの可愛すぎるキスは100万ドルの夜景にも引けを取らない美しさだった。