コンスタンツ出撃
「………やります。できる、とは申せませんが。このコンスタンツ……国を救うという大役、全力で努めます」
入浴を終え、普段着のワンピースで現れたコンスタンツは3人に決意を告げた。
「我が娘よ、よくぞ言った。レインフォード公爵家はもともと、王族と共に国の危機に幾度となく立ち向かってきた歴史ある魔法戦士の血筋。さあ、私たちも身を隠す準備に取りかかるぞ」
彼女の入浴中、両親とサイゾウは今後について協議した。
領地視察という名目で領地内を転々として追っ手から逃げ回り、その間にコンスタンツが決着をつける、という算段だ。
親だけ逃げるというとイメージが悪いが、対抗手段が少なく、捕まれば人質になると考えれば、これが最も有効な方法だろう。
娘を直接助けられない分、金品はもちろん、公爵家が経営・所有している施設や建物は自由に使用して構わないとする直筆の手紙を渡すという。
コンスタンツはサイゾウと共に、ドレスルームで身支度を始めた。
「服装は着なれた物を。色は赤が良い」
「サイゾウ様は赤がお好みですか?」
「好みの話ではない。返り血が目立たないからだ」
愚問だったと彼女は思った。この着替えは着飾るためではなく戦いのため。戦闘服選びなのだ。
コンスタンツは小さなパフスリーブと控え目なフリルのついた、赤いドレスをチョイスした。
ピクニックなどにも着ていけるもので、動きを阻害しない。
腰のベルトには父の手紙や必需品を入れた小型バッグが付けられている。
足元は、彼女が持っている中ではしっかりした作りの革製のブーツ。
赤いマフラーを巻き、その上からフードのついた黒いクロークを羽織る。
武器防具は屋敷にいくらでもあったが、あえてそれは持たない。
「余計なものを身に付けないほうが強い」
とは、その昔、ダンジョンを主な戦場とした一部のニンジャ界隈に伝わる有名な伝統であり、熟練者ほどその意味を理解していた。
「これだけは持って行きたいのですが」
束に花の装飾が施されたアンティークなダガーを、コンスタンツはサイゾウに見せた。
攻撃力はほぼなく、魔術の儀式に用いるマジックアイテム的な要素が強い。
「それは?」
「リシャール様からの贈り物です。王家に伝わるもので魔除けになると」
「持っていくが良い。おぬしには気持ちの拠りどころとなるものが必要であろう」
強靭な精神力の持ち主であろうと、支えを失えば心は折れてしまう。
強かとは言い難い、コンスタンツの柔らかな根本を支えている想いがなんであるか、サイゾウは見抜いていた。
その小さな刃物が彼女の何よりの御守りになるなら、と。
ポーチにはすでに、武装した護衛たちを引き連れた数台の馬車が付けられていた。
使用人に明確な説明ですぐに準備させた、公爵と夫人の決断力の早さだ。
「サイゾウ殿に伝えたが、まずは宮廷魔術師のアドレーに会ってみてはどうかと思う。アドレーと彼の師である賢者インゲボルグ様は陛下の病状に不審な点があり、それが呪いの一種ではないかと調べていたらしい。だが逆に、2人が呪いをかけたと噂され、アドレーは捕まり、賢者様はからくも逃亡したのだ」
「トウカの実力や正体が分からぬ以上、そこから手掛かりを掴めぬかと思ってな」
「アドレーという方は今どちらに?」
「ウェードの砦に囚われているらしい。ここから24、5キロほどか。お前も見たことはあるだろう。内装は分かる限り、サイゾウ殿に記憶してもらった」
ウェードの砦は古い砦で、管理はされているものの今は兵士の演習などにしか使われていない。
街道から離れているため、人を幽閉するのには最適だろう。
「では名残惜しいが、私たちはもう出発する。コンスタンツ、サイゾウ殿によく従って行動するのだ。こちらのことは心配しなくていい、私とて若い頃はワイバーンくらいなら魔術で捻ってやったものだ。追っ手などなんとかなる」
「コンスタンツ、宮廷魔術師の方にお会いするときはくれぐれも失礼のないように。では、母は行きます。体に気をつけるのですよ」
2人を乗せた馬車は門をくぐり、走り去った。
「翼竜を倒すとは、おぬしの御父上はなかなかの使い手ではないか」
「あれは父がよくお吹きになるホラ話です。大きめなリザードを倒した自慢話に尾ビレ背ビレどころか、翼をつけてしまって」
「……まあ、豪胆なお方ではあるな。あの様子なら心配なかろう」
「ところでサイゾウ様。陛下に呪いをかけた疑いで捕らわれた方に、面会などできるのですか?」
「この国の法はよく知らぬが、恐らく無理であろう」
「ではどうやって、その方とお話を?」
「なに、牢を破れば良いのだ」
「ろ、牢を破る!?」
公爵とサイゾウは最初からそのつもりだったのだ。
そして絶対、夫人にはこのことを告げていない。
「人殺しの次は牢破りをせねばならないと」
「ニンジャとはそういうものだ」
「……はあ。これもリシャール様のため」
「そう、王子のためでもある」
もはや殺し文句だ。
「砦までニンジャの足ならすぐだ。ヤパンでは善は急げという。急ぐのだ、コンスタンツ」
「分かりましたわ」
地を蹴って駆け出すと、コンスタンツの姿は影さえ残さず、あっという間に夜の闇へと溶け込んで消えた。
一方、その頃──。
魔法学園の卒業パーティーでは、リシャールがトウカを正式な婚約者として発表し終えたところだった。
あのような騒ぎがあったため会場は微妙な雰囲気だったが、一応は盛り上がった。
妄信的なトウカ支持派と空気を読んで目上のものに迎合する社交界の通念が、組み合わさった結果だ。
「トウカ、愛しているよ」
リシャールは語りかけるが、彼の瞳は曇天のように曇っていた。
トウカは、胸いっぱい、とでもアピールするように胸元に両手を添えて、柔和な笑顔で彼を見ていた。
だがその瞳の奥には、もういらない玩具を見るような、冷めきった濁りがあった。
周囲からの声に、菩薩めいた柔らかなスマイルで応えていたトウカのそばに初老の紳士が歩み寄り、何やら耳打ちした。
「……皆さん、少し失礼いたしますね」
彼女は紳士を連れ立ってフロアを出ると、リシャール専用のはずの控え室に入った。
「殺り損ねたの?」
腕組みをしたトウカは、さっきまでの笑みがどこへ行ったのかという、不機嫌極まりない表情で紳士に聞いた。
紳士は高圧な視線に押さえ付けられるように片膝をつき、頭を垂れている。
「……逃げられました」
「チッ」
トウカは舌打ちすると、聞こえよがしに大きなため息を吐いた。
男の体が強張る。
「まったく、困るのよねえ、計画通りにちゃんと死んでもらわないと。まあ婚約発表は済ませたから、また後であいつらを送り込んで始末すればいい話だけど」
「そ、それが」
「なに、まだ何か報告があるの?」
「差し向けた暗殺部隊は……壊滅しました」
「壊滅? あの女にあいつらを倒せるほどの力なんて」
「そのはずでした、コンスタンツは大した抵抗もできず、滅多刺しにされてあっけなく死んだんです! そ、それなのに!」
「?」
「突然起き上がると、まるで何かに取り憑かれたかのように人が変わり、襲いくる男の首を、す、素手で跳ね飛ばして」
「……素手で、首を?」
「はい、見たこともない凄まじい体術でした。一撃一撃の威力が殺人拳のそれで、他のものたちもその技の前に成す術もなく。……あの腕利きの集団をたった1人でいともたやすく、み、皆殺しに」
男は脂汗を流し、震えていた。
コンスタンツの豹変にか、それとも主の反応を恐れてか。
「………それで?」
「へ? ……はっ、状況を確認しようと近付こうとしましたが、恐ろしい速さ、それこそ疾風のように走り去っていきました。灯りも持たずに……あの姿はあたかも夜の森を翔ぶフクロウ……。とても追える速度ではなく、わ、私は追跡より、ほ、報告を優先、し、しようと」
トウカは怯える男をよそにしばらく宙に視線を投げていたが、
「空の手で相手を屠り、闇の中では夜鳥のごとき身のこなし──」
ややあってから彼女は何かに合点し、細く整えられた眉を寄せた。
そして、
「奇縁、とでも呼べば良いのか」
低く響く、年齢不相応の貫禄に満ちた声で呟いた。
「再び立ち塞がるか──ニンジャめ」