ある令嬢の悲劇
この作品は若干の暴力表現・残酷描写・ヘッズ向けな文章を含みます。
馬鹿なボンボンと相手の女をボコってスカッとする系だと思ってこのページを開いた方、残念だが、タグにざまぁはないんだ。
「何かの、何かの間違いですわ! こんな晴れの日に、こんな……!」
馬車に揺られながら、公爵令嬢コンスタンツ・レインフォードは泣き顔を両手で押さえていた。
大々的に行われる今夜の魔法学園の卒業記念パーティーで、彼女とこのラファイン王国の王子リシャールは正式な婚約を発表する予定になっていた。
皆から慕われる好人物である2人には、きっと輝かしい未来が約束されている。
誰もがそう信じて止まずにいた彼女らの間に、まさかあのようなことが起ころうとは、一体誰が予想できただろうか。
パーティー会場のエントランス・ホールにコンスタンツが姿を現すと、談笑していた参加者たちの視線は彼女に注がれた。
純白のドレスに身を包み、腰まであるブロンドの髪には銀のティアラ。
胸元の首飾りは彼女の碧眼と同じ青い宝石があしらわれている。
ロンググローブがその清楚さを、ふんわりとしたパフスリーブとパニエの入ったスカートがその美貌と可憐さを引き立てていた。
過度に華美にはなりすぎず、だがパーティーの主役に相応しい、美しく品のある装いだ。
学友や招待客から掛けられる祝福の言葉に胸をいっぱいにしていたコンスタンツの前に、王子リシャールが現れた。
金髪にすらりとした長身の美形で、絵に描いたような端正な容姿。
肩章のついた王族用の礼服姿は颯爽という表現そのもの。
人望も厚い人格者にして、第1王位継承権を持つ未来の国王だ。
そのすぐ後ろには、極東の国ヤパンにて、この国の神官の最上位とされる聖女に相当する、巫女の修業を修めたという学園生トウカがいた。
白磁のような白い肌。ブルネットとは違う、ヤパンで「緑の黒髪」と美称される艶やかな長髪を持つ彼女は、数ヶ月前に転入して来てから彼の従者のような立場にある。
ヤパン独特のメイクなのか、目頭から目尻にかけて赤いアイラインが引かれている。
服装はコンスタンツと対で設えたかのようなシックな黒のドレスで、装飾品は目を刺すような真紅のネックレスとブレスレット。
その胸は極めて豊満であった。
コンスタンツはスカートを摘まむと、エスコートに来たであろうリシャールに恭しく、それでいて親しみのあるカーテシーでお辞儀をする。
「リシャール様、お待ちしておりました。今日の佳き日にこうして婚約を結べることができまして、私は心から」
「コンスタンツ、悪いが」
「?」
「君との話はなかったことにさせてもらおう」
「………は?」
「婚約は破棄する。破談だと言ったのだ」
温かみのない冷徹極まるといった表情に、すう、とコンスタンツの背すじが冷えた。
彼は他人を不快にさせる類いのジョークを嫌い、間違っても喜ばしい場面で悪い冗談など言うはずがない。
ましてや、共に祝うべき日などに。
「お、お待ちください、一体どのような」
「君の父上が、大臣の立場を悪用して莫大な公金を横領し、よりにもよってそれを敵対する国に流していたという疑惑が持ち上がった」
「!? そ、そんなっ、そんなはずありませんわ! 父は大臣の職務に日頃から崇高な誇りをお持ちで、そのような疑いなど。も、もう1度お調べになって」
「黙れ! それだけではない!」
今まで聞いたことのない怒声と険のある顔付きにコンスタンツはすくんだ。
「君の母上が開くパーティーや茶会の招待客の中には度々、敵国との内通者や密偵と疑いのある人物がいたと確認されている」
「母がお呼びするのは信用の置ける方だけ。万が一、そういった疑惑を持たれた方々が招待されていたからと言って、母が何か罪を犯していたわけでは」
「黙れと言った!!」
「ヒッ!」
「国を売ろうとした疑惑のあるものに、弁解の余地などない!」
「……く、国を売るだなんて、そんなっ、レインフォード家は代々王族と共に」
「ふん、どうだかな。今思えば、君も国の転覆を狙い、僕に色目を使って近寄ってきたのではないか? そうだ、きっとそうに違いあるまい」
「! ひ、ひどい……王子と言えど、それは、あまりにも……」
コンスタンツは胸を押し潰される思いで体が震え、いくら探しても継ぐ言葉が見つからなかった。
互いに惹かれ合い、今まで健やかに育んできた愛情の全てを完全に否定されたのだから。
「公に婚約発表などする前に、騙されていると気付けて良かった」
「私が、騙す!? どうして……どうして急にそのような酷いことをおっしゃるの!? 今夜のリシャール様は、どこかおかしいわ!」
彼女の訴える目を、リシャールはせせら笑うと、
「誰がおかしいものか。コンスタンツ、君に愛想が尽きただけだ。だから僕は、君ではない、別の女性との婚約を考えている」
傍らにいた女性の肩に手を置いた。
「……え……?」
「僕は彼女、トウカを妻に選ぶ」
トウカは柔和な笑顔のまま、コンスタンツを見ていた。へりくだるでも、勝ち誇るでもなく、淡々と。
「短い間だが僕は彼女と接し、その高い魔法力だけでなく、他者への気配りや優れた知性、人を惹き付ける統率力など、非の打ち所のない素晴らしい女性だと気付いた。君とは比べ物にならないほどな」
「……あぁ、そんな……」
「いずれ僕は国王となる。国を統べるものとして、この有能なトウカを妃として迎えたほうが、王国の更なる繁栄に繋がるというもの」
言葉を失ったコンスタンツを、トウカは柔らかな笑みを絶やさずに見ている。まるで笑顔の仮面が貼り付けてあるかのような顔で。
「聞いての通りだ。今宵の宴に君の居場所はない。今すぐ屋敷に戻り、両親に正式な処分が下るのを大人しく待つがいい」
「あ、ああ……リシャール」
「僕はせめてもの情け、元婚約者のよしみで屋敷に帰してやると言ったのだ。早々に立ち去れ。それともここで売国奴の娘として縄を打たれたいか!?」
「そんな、そんな……」
コンスタンツは首を横に振りながらふらふらと後ずさる。目の前の現実を否定するように。
「まさかレインフォード公爵家にそのような疑惑が」
「あの優等生のコンスタンツさんが……嘘でしょ」
「王子がおっしゃるのだから、本当なのではないか」
「あれほどリシャール様から大切にされていたのに」
衆人の憐憫と好奇と蔑みの入り交じった目。その衆目から逃れるように彼女はエントランスを飛び出す。
(なにか、なにかの間違いよっ!)
コンスタンツは湛えた涙を堪えながら、馬車に乗り込んだのだった。
──馬車はどれくらい走っただろうか。
コンスタンツは泣き腫らした顔を上げた。
(きっと何かの間違いが偶然重なって、こんなことになったんだわ。とにかく今は父と母に先ほどの出来事をお伝えし、事実無根であると弁明の機会を得なくては)
涙を流して少しだけ冷静になれたのか、彼女は思いを巡らせる。
(両親の罪が誤解だとしても、リシャール様はなぜ急にトウカさんと婚約するなどとおっしゃったの? たしかに高い能力をお持ちで、転入してすぐに慕う人が増えていって。異例の早さで生徒会の要職に抜擢された後は、王子を通じて国王陛下との謁見まで許されて。なんだかまるで、彼女が現れてから何か不思議な力が加わったかのような──)
舗装された街道から林道へと入ったのだろう、馬車の揺れ方が変わった。
そのときである。
「グワーッ!」
外から悲鳴が聞こえ、馬が荒く嘶いた。
「な、なにごと!?」
ドアの小窓を開けて前を見ると、
「ひいっ!」
身体中に矢が刺さり、ぐったりした御者が席から転げ落ちる瞬間を彼女は目撃した。
馬も多くの矢を受けており、痛みでパニックを起こしている。
「な、なにが起こって、あ、ああっ!」
岩にでも乗り上げたのか、あえなく制御を失った馬車はごう音と共に大きく転倒し、彼女の天地が逆さまになった。
「………う、うう」
コンスタンツは逆さの車内でよろよろと体を起こした。
髪のセットは崩れ、ティアラはどこかへ行ってしまったが、厚くクッションを敷かれたシートのおかげで打撲だけで済んだようだ。
痛む体でなんとか外に這い出ると、
「ああ、火が」
馬車の照明だったカンテラの火が車体に燃え移り、大きなトーチとなって赤々とした炎をあげている。
「──っ!」
その灯りによって、深い闇の中から幾人もの輪郭が浮かび上がるのを彼女は見た。
15メートルほど離れたところに7人。
全員が全身黒づくめで目元だけ出した覆面を付けている。
肩幅や体格などからして恐らく男、手には僅かに反りのあるショートソードを持っていた。
山賊や盗賊の類いではない。
高貴な来賓が多いパーティーのため、兵士や騎士が主要な道を厳重に警備し、そういった輩はこの辺りに近寄ることさえできない。
だから彼女は護衛も付けずに馬車で移動できたのだ。
では、この者たちは一体──?
「こ、これは、あなたたちが」
怯えた彼女の問い掛けは愚問と言えた。
どこからどう切り取って見ても、彼らは汚れ仕事の請負人。
その外見はあからさまに暗殺者なのだ。
「………」
脅し文句の1つもなく、何を要求するでもなく、男たちは無言で1歩1歩距離を詰めてくる。
物騒にぎらつく剣を携えて。
(あの人たちは金品が目当てでも、誘拐目的でもない。狙っているのはきっと、この私の命)
「そ、それ以上近寄ると魔法を使いますよ!?」
コンスタンツが警告して両の掌を前に向けると、拳大の火球が作り出された。
魔法学園で優秀な成績を修めた彼女には、炎の攻撃魔法の扱いなど容易い。
しかし、男たちはそんな警告など意に介さず、近寄ってくる。
「近寄ると、ほ、本当に──!」
実戦はおろか、安全な授業以外で誰かに攻撃魔法を使ったことなどないコンスタンツは、意を決して火球を放った。
小さく爆ぜるような音を立てて飛んだ火の球は、先頭にいた男の顔に当たると覆面を焼いた。
男は慌てる様子もなく、火のついた覆面を脱ぎ捨てる。
その下から出てきたのは、カブキの隈取りめいた、紫の紋が浮かび上がった顔だった。
「そ、そんな!? あれは魔の紋!?」
魔の紋──それは魔性のものに魂を抜き取られ、代わりに闇の魔力を注ぎ込まれて完全に支配された者に浮かぶという。
肉体や能力は強化されるが、心身を蝕まれるため、元に戻すことは困難な邪悪な魔法だ。
(あのような恐ろしい禁断の邪術を、一体誰が)
恐れ戦くコンスタンツを、3人が人間離れした速度で取り囲んだ。
そして剣を構え、殺意が透けて見えるような切っ先を彼女へと向ける。
(こ、殺される!)
「ひっ! い、いや、やめて……た、助け──あぐうっ!!」
コンスタンツの命乞いは自身の悲鳴で塗り潰された。
彼女は3方向から体ごとぶつかってきた男たちに、胸と背中を同時に刺し貫かれていた。
「ああ、ぁ……う……」
剣を引き抜かれると血が溢れ出し、コンスタンツは苦悶と愕然が渾然となった表情で倒れ込んだ。
見る見るうちに純白のドレスが真っ赤に染まっていく。
(お父様、お母様……)
彼女の意識は血溜りに沈み、遠のいていった。