第五譚
俳句のコツを調べてみても、思うようにいかない。
コツを体内に入れようとしても、自我が邪魔してしまうタイプかもしれない。
アドバイスなどを聞き入れてしまうと、逆効果になる人間なのかもしれない。
どうしたらいいか、よく分からなくなってしまった。
自己流で行った方が、自分でも楽で、傑作が生まれそうな気がする。
『音はBGMのみで、テロップもなくて、商品を食べている映像と、人が着ている【商品名とパッケージの写真がプリントされたTシャツ】が写るだけのCM』
があってもいいと思っていて、最低限のルールは守りつつ、自由にのびのびと、俳句を楽しんで作っていこうと、決めた。
★桃を剥く 右腕のヒジ したたれり
という作品が生まれてくれた
ありきたり界の王様かもしれない
桃の汁がしたたるのは、ありきたりすぎるかもしれない
だから、評価は、あまり高くない気がする
でも、イメージを膨らませやすいといったら、やすいだろう
そして、したたった映像がすぐ思い浮かんできて、いいだろう
★マフラーの知恵の輪を解く鏡前
という作品を作ることができた
これは、家に帰ってきて、玄関の鏡の前で、キツく縛っていたマフラーを、ほどいたことを書いた作品だ
家に帰ってきたとは言ってなくて、それが、どれだけ受け手に伝わるかが、評価のポイントだろう
キツく複雑に首に巻いたことを、知恵の輪に例えたことにも、賛否があるだろう
自分にとっては、まあまあ上出来だと思っている
これは、高評価を得たい作品だ
★菜箸の第二関節黒き冬
という俳句を作り上げた
この句は、冬になり、煮物などの温かい手の込んだ料理に、ハマった際の句だ
菜箸を高温の鍋の縁に、橋を架けるように置いて、長時間煮込んでしまった
それで、菜箸が黒く焦げたということを書いた句だ
菜箸に、第二関節という言葉を使ってしまったことに対する是非が、どうかによって、作品の価値が決まる
さて、どうだろうか
漢字が少し多すぎることも、気になる部分ではある
★一年で冷房の温度忘れけり
という俳句が浮かんだ
一年経つと、去年何度で冷房をつけていたのかを忘れてしまう
そして、誰かに何度でつければいいか聞いてしまう
そんな状況を読んだ、句である。
ただのあるあるだと、言われてしまえばそれまでだ
それに、少し説明的なところも減点対象だろうか
けり、の使い方を、あまりよく知らないのに、使ってしまったことに対する是非がポイントだろう
この句が良いのか悪いのか、全くわからない
★助手席の ドアごと冬の嵐へと
という俳句が浮かんだ
車内というのは、かなり静かだ
雨や風を、それほど感じないほどに
目的地に着いて、ドアを開けた
普通の少し風が強い日という感覚で
でも、開けたドアは勢いよく開いた
引っ張られるように、ドアごと冬の嵐へと導かれた
そんなことを詠んだ俳句だ
シンプルだが、言いたいことは書けているから、評価して頂けるだろう
★乱れ髪 首に張りつく 溽暑かな
という句が出来た
オリジナリティーはないと思う
溽暑という、使い慣れていない言葉を使ってしまって、違和感はある
でも、体験を読んだということで、とてもしっくり来ている
それなりの評価は、戴けるのではないだろうか。
★年忘れ いつも通りに 季語を引く
という作品が浮かんできた
もうすぐその年が、終わろうとしているのに、普段通りに季語を調べていた
それをただ、俳句にしただけだ
何の捻りもなく、ただ並べたように見えなくもない
ただリズム的には、いい感じに出来ていると思う
俳句の中に、季語という言葉を入れる、ということをした
これが作品に、どんな影響を与えているのか気になる
俳句にハマりすぎて怖い。
なんでもかんでも、発する言葉の全てを、俳句のリズムで言ってしまいそうだ。
これはたぶん、あるあるだろう。
これで、一段階は俳句に近づけたのでは、ないだろうか。