第四譚
俳句というものは、分かりそうで分からない、絶妙な位置にいるものだ。
奥の深さでは、他に勝てるものはいないだろう。
17音しかないのに、個性を爆発させることが出来る。
短さのなかに、趣が溢れかえっている。
なんて素晴らしい、日本の文化なのだろう。
『リンゴとかけまして、夏休みの朝のラジオ体操ととく、そのこころはどちらも、サンカしやすいでしょう』
みたいな、●酸化しやすいということと、●参加しやすいということの、二つの意味を表す謎かけが、僕にも簡単に作れてしまったということは、たぶん、もっといい俳句がこの先、生まれるかもしれないということだろう。
★触れそうで触れない風鈴の揺らぎ
という俳句が誕生した
それは夏に体験したある光景を読んだものだ
真夏の部屋で、くつろいでいるときに、ふとやや左側にある風鈴を見た
すると、揺れてはいるが微動で、ギリギリ音は鳴らず、涼しさはほとんど感じられなかった
あと少しで鳴るのに、風が少ししかなければ、涼しさには辿り着けないのかと、ガッカリした
この句は、暑さを表した、良い句だと思う
★扇風機 見返り美人のごと 首振り
という俳句も誕生した
弱にしても、かなりの強風を送ってくる、そんな扇風機を今は使っている
だから、色々工夫して扇風機を使っている
その時は、ひとりだが、首振りの設定にして、扇風機の風に当たっていた
扇風機が首を振って、後頭部を見せて、少し止まってから、ゆっくりとこちらに向きを変えていた
その姿が、とても美しかった
なので、それを俳句にしてみた
ごと、という言葉の使い方に不安は残るが、まあまあだろう
★黒い傘さすクーラーの室外機
という句が生まれた
真夏なので、クーラーをつけたけれど、全然涼しくならなかった
だから、テレビでやっていた、室外機を直射日光から守る方法を実行した
それを、そのまま句に書いただけだ
いい作品だと思うが、情景は少々、浮かびにくいかもしれない
それに、擬人化が上手くいっているか、よく分からない
★蝉時雨追い越す余所の家の咳
という作品も出来上がった
住宅が、近くに何軒もある地域ではない
でも、まあまあ、それなりにある地域に住んでいる
他の家の人が発する音なんて、全然聞こえないと思っていた
でも、何度も何度も、朝も昼も夜も、くしゃみだけは、どこかの家からハッキリと聞こえてきた
しかも、夏になってセミが何匹も鳴き、合唱を繰り広げるようになっても、同じだった
セミの合唱を突き抜けて、くしゃみはしっかり聞こえてきた
この句は、とても在り来たりだよ、と言われたら終わり
でも、いい作品にはなっていると思う
★天井から トムクルーズのように蜘蛛
といった作品が頭に浮かんだ
普通に見たまんまを書いた句だ
あの有名な映画のワンシーンのように、目の前に蜘蛛が現れた
それをただ、書いただけだ
普通すぎるから、たぶん、不評だろう
★湯冷めの吾 映る闇夜のバラエティー
とかいう俳句がここに生まれた
ずっと見たいバラエティー番組が続くので、急いでお風呂に入った
電気も付けずに、身体もあまり拭かずに、バラエティー番組にかじりついた
暗闇のテレビ画面には、少し濡れた寒そうな自分が映っていた
それを見て、少し冷静になった
そういった句だ
吾という言葉を、生意気にも使ってしまった
カッコよくて、一文字だから使ってしまった
カッコつけるために、安易に使ってしまったことへの是非で、この句の評価は分かれるだろう
★椎茸も中華人民共和国
というものが出来た
俳句であって、俳句ではないような
椎茸というキノコと、国名をただ書いただけのものだ
だから、高評価は望めないだろう
この句は、野菜や食品などのシールに書かれている表示を見たときに
原産地が中国ばかりだったことから、思い浮かんだ句だ
食品に中国のものが多いな
そう思った
ただそれだけだ
何度も思うが、俳句というものは、記憶を呼び起こしてくれる。
それに、新たな発見もある、素晴らしいものだ。
そして、俳句は短い中に、ギュッと、色んなものが詰め込まれている、美しいものだ。