第三譚
俳句は奥が深いので、まだまだ浅い部分にいるだろう。
俳句の番組を見ていても、どれがいい句で、どれがよくない句なのか、区別ができない。
いつか、もっと評価のポイントが分かる人に、僕はなりたい。
『ゲストと同じ生年月日の人を探す番組とか、ドラマの詳しい内容を早口で大量に喋る<前話早分かり番組>とか、一般人に相性が良さそうな芸能人の友達を紹介する番組』
みたいな、今までにないような、少し特殊な番組が産み出されることを、いつも求めてしまっている僕だから、シンプルな句は一生、産み出せないのだと思う。
★半袖の未来を据える蝉時雨
という俳句が出来た
出来た直後は、良くできたなと思っていた
でも、考えれば考えるほど、不安になっていった
据えるという言葉が、未来という言葉に合っているだろうか
それに、半袖も蝉時雨も、夏の季語になると思うので、二重の季語でも、許されるような俳句になっているだろうか
まあまあだと思うので、満足はしている
★ドーベルの影も恋しい炎天下
という句が浮かんでしまった
恋しいという言葉を使っちゃったり
ドーベルマンをドーベルと言ってみたり
あまり自分らしくはない句だと思う
ドーベルマンを見たとき、大きいなと感じた
暑い日で、他に何も遮るものがなかったとき、少しは和らげてくれそうに見えた。
それを、句にした作品だ。
いい感じの句だと思う。
★腓骨地に付けて 歩くプールサイド
という文字の連なりが生まれた
腓骨は「ひこつ」と読んで、足の小指側の側面のことを言うらしい
プールサイドが熱すぎて、足の裏も付けたくない、という気持ちを書いた句である
腓骨という言葉を調べたが、調べれば調べるほど、本当に小指の側面のことなのか、よく分からなくなった
でも、情景はまあまあ感じられる句だと思っている
★すいか色 すいかの形 冬夕焼け
という句が降りてきた
夕焼けを見て、すいかの赤色とすいかの丸みだな、と感じたから
それをただ書いただけの句だ
真冬の夕焼けを、真夏の代名詞である、すいかに例えるというチャレンジが、良いか悪いか分からない
そこの是非で、この句の価値が決まるだろう
個人的には好きな方ではあるが
★チャリ通の 集団の中 息白し
みたいな俳句が出来た
この句は学生時代に、体験したことをそのまま書いただけだ
信号待ちをしているときに、寒くてみんなが、白い息を大量に放っている状況を、読んだ句だ
他の学校の人も、そこが通学路になっていて、朝はかなりの集団になる
そこで、大量の白い息が生まれた
信号待ちということが分かりづらいので、そこは評価のポイントになることだろう
★担任の 遅き年賀状 裏は白
とかいう俳句が作り出せた
これは、小学生のときの先生から届いた年賀状のことを、書いた句だ
それまでの先生は、年賀状が早めに来ていたが、その先生は遅かった
ある日、やっとその先生から年賀状が届いて、喜んだ
喜びながら、裏に返すと、そこは真っ白な世界だった
ひとつの黒もない、真っ白な世界だった
その衝撃を書いた俳句だ
字余りだったり、説明的になっているので、そこはどうだろうか
★田んぼの柵 三羽烏の 案内人
という俳句がパッと出来た
これは、少し遠くのスーパーに向かっているときの話である
一面田んぼ道、みたいな見晴らしのいい場所を、車で走っているとき
田んぼと車道の間にある、真っ白な柵のようなものの上に、カラスがいた
しかも三羽いて、キッチリ横一列にならんで、こっちを向いて何か言っているみたいだった
それが、スーパーの案内人に見えたのだ
そのままそれを、俳句にしてみた
あの光景は、いつまでも忘れないだろう
昔のことを思い出したり、新たな発見があったり。
何度も思っているのだが、俳句というものは、非常に奥が深いものだ。