その前日の出来事。
20xx年2月13日 午後3時、肱川嵐発生の前日。
「おねえちゃん!」
肱川高校に通うその他大勢の女生徒の一人、『まるあ』は友人の『まるい』と共に、生鮮マグロが有名なスーパー『十条』に来ていた。クンッ!スカートの裾を後から引っ張られた。
「まちこ!ええ!ひとりで来たの?」
振り返り、まるあは驚いた。年の離れた妹がそこにいたからだ。
「うん、ひとりできたの」
得意げに胸を張る妹の『まちこ』
「すごぉい!まちこちゃん、何買いに来たの?」
まるいがしゃがみ込むとそう聞く。
「えと、えと、ちょこれいとぉ」
あれ!と指差す特設チョコレート売り場。そこには、まちこが今、ハマりにハマっているアニメのポスターが貼られているコーナーがある。
『魔法少女マンゴ☆スチン A's』
マンゴスチン、ドリアなど、アニメに出てくる『果物型変身装置』を模したケースに入ったチョコレートが山積みにされている。
「へえ……、自分で食べるの?」
まるいが聞くと。
「ううん、えへへ」
下げているマンゴスチンの形をしたポシェットを、キュッと握るまちこ。
「あ!男の子にあげるんだ!」
まちこちゃんも一緒だねー。私らも買いに来たんだよ。床においたレジカゴを見せる、まるい。
「えへへ、うん!ふおお、かわいいはこ、いっぱい!すごいの!おねえちゃんはどんなの?」
数撃ちゃ当たる作戦のまるいは、レジカゴ一杯にチョコレートを仕入れていた。そしてまちこの姉、まるあといえば……、妹に見せるか見せまいか少しばかり考えていると、グイッと肩越しに中身を覗かれた。
「……、アルファベットチョコ山盛り……、媚薬でも仕込むのかね?」
「え!あ、梅先生。こんにちわ……、び!媚薬ぅぅ!そんなのじゃないです、てか……その、先生。その格好は?」
「?チョコレートはその昔、媚薬として使ったのだ。特にホワイトチョコがその効能が高いとされている。ん?スーパーに来る時の格好だが……」
二人が通う高校の教師が頭頂にお団子を3つ並べて結い上げ、思いっきりありふれたブラウスにカーディガン、タイトスカートにハイソックス、サンダル履き、手にはレジカゴと買い物かご……、
その姿はどう見ても休日6時半開始のアニメ『海鮮家の奥様の、ドタバタ日常生活全部見せちゃうぞ』の主人公の姿。
「せ!先生!そのホワイトチョコってのは!マジですか!」
まるいが真剣にそう聞く。ああ、有名な話だ。その答えを聞くと、交換してくる!とカゴを抱えチョコ売り場へと取って返す。
「先生も……、チョコレートですか?」
友を見送るまるあ。
「ん?私はちょいと材料の買い出しだ」
レジカゴを見せる梅先生。興味がわき覗き込む、まるあ。
……、『十条印のマグロの髄液』、『駄目だ!駄目だ!駄目なよ♪』植木鉢から顔を出し歌っているマンドレイク、『hoooooo!池の底の溜水』とラベルの貼ってある、苔色の液体に満ちたボトル、後は『万下痢に効く、リコーダー印の整腸剤』の瓶がひとつ。
「わたしもみたい!」
ねぇねぇ、おねえちゃん!スカートを引くまちこ。
「妹か?かわいい。そうだ!さっき拾ったのだが、これをやろう」
カーディガンのポケットを弄り、まちこに何やら手渡した梅先生。
「わあ!かわいい!さくらんぼ」
つるりん!とした丸がふたつ、緑の軸がつないでいる。葉っぱが一枚、子供の手に収まる、造り物のさくらんぼがひとつ。
「わあ!可愛い。梅先生、拾ったって……、まぁいいか、まちこ。ありがとうは?」
まるあが姉らしくそう言う。ありがとうございます。素直にお礼を言うまちこ。その時!
シュン!何処からか入り込んだ猫が一匹横切る。
「うぁぁぁぁ!お魚咥えた!」
スーパーの店員の声!即座に反応する梅先生。
「ドラ猫!待ってろ!捕まえてやる!」
履いてたサンダルを抜ぎ、ついでにハイソックスも脱ぎ去ると、裸足になりドラ猫を追いかけるべく走って行った梅先生。
他愛のない肱川の日常。まるいはホワイトチョコを特設売り場で漁っている。まちこは、マンゴスチンハート型の箱をレジカゴにころんと入れている。
まるあは、ハート型の箱とリボンに紙袋、そして特売品のアルファベットチョコを予算の限り手に入れた。
明日はバレンタインデー。
決戦の日なのである。まだ平和な午後のひととき。
間咲正樹様の作品ワード色々使用してます。太っ腹な紳士の許可を得ました!ありがとうございます。