真夜中の葛藤
ゴブリンを撃退したのち、レイは宣言通り本当に姿を消してしまった。
夜になっても帰って来る様子がない所、明日の防衛の指揮はやはり自分がしないといけないのかと、次第にリコは不安がつのっていっていた。
「まったく、どこに行ったんだろう……?」
宿屋のベットの上。リコは1人小さくつぶやいた。
レイが昼間からいなくなってしまったことで、村の住民からはちらほらと、どこに行ったのか?という声が聞こえだしていたが、その都度曖昧な答えを返すリコ。
このまま明日になっても帰ってこないようなら、腹を割って村人に言わなければならず、心が痛かった。
「私なんかが指揮をすることが出来るのかな?」
何度も寝返りを打ち、意味も無く立ち上がっては部屋中をうろうろとするリコ。どう考えても今の状況は、気持ちよく寝られるはずがなかった。
「なんで、よりにもよって私なんだろう……?」
仰向けで、天井を見上げながら、リコはつぶやいた。
――レイの弟子になってもう2年になる。そう思えば、月日が経つのは早いものだった。
最初の印象が最悪だった彼も、今となってはどこか誇らしく、尊敬に似た感情が自分の中に確かにあるのを感じる。
好きとか嫌いとかの話ではない。
これはきっと家族として彼のことを大切にしたいという思いと、弟子として師匠の役に少しでも立ちたいという思いだ。
だけど、つい最近傭兵になったばかりに自分が、指揮を執るなんてどうしても想像することが出来なかった。
「やっぱり、師匠の考えていることは、私には分からないな……」
結局、そう結論つけてしまう自分が情けなかった。
――明日、本当にこの村を守ることが出来るのかな?村の人たちは、私に従ってくれるかな?
「私のせいで村が壊滅……」
リコは、自分が言った言葉をつい考えてしまい、急に顔が青ざめて行くのを感じた。
「いや、いやいやいや。絶対師匠のことだから、最後の最後には何とかしてくれるはず!第一オークなんて希少な魔物、そうそう人前に現れる事なんてない訳だし、昨日と今日の戦いで、ゴブリンの数も相当減ってるだろうし、頑張れば私でも何とか丸かもしれないし。
うん!だから大丈夫!頑張れ、私!」
ごにょごにょと自分にそう言い聞かせるリコ。
「そうだよ!所詮相手は最下位の魔物のゴブリン。そんなのにいちいち怖がってられないよ!私が明日、見事に村を守り切ったら、師匠私のことを褒めてくれるかな?」
そう言いながら、顔をにやけさせるリコだが、
「でも、もし本当にオークが現れて、村が壊滅しちゃったら……」
うぁぁぁぁと最終的には、声をかみ殺してその場で悶えるのだった。
そして、さらに夜が更けた頃。結局寝ることが出来ずにいたリコは、初めの日のように1人宿屋を抜け出して村の広場のベンチに、腰を掛けていた。
今日の夜空は、雲が一面にかかっており、もうすぐしたら雨でも降りそうな天気だった。
少しばかりの肌寒さを感じながら、星空や、月が見えないことに寂しさを感じつつも、気持ちが落ち着いてくるのをリコは待っていた。
「寝れないんですか?」
すると、そんなリコに声をかけて来たのは、広場を通りかかったカンジだ。
明かりを片手に持って話しかけられたリコは、突然のことに「ひゃぁ!」と驚いた声をあげでしまう。
「あ、脅かしてしまいましたか?」
カンジは、丁寧な口調でリコにそう聞いた。
「少しだけ……」
大きく深呼吸したリコは、小さく答える。
「すみません。脅かすつもりはなかったのですが、こんな真夜中に1人いるリコさんが気になってしまって……」
頭を下げるカンジに「大丈夫ですよ……」とリコは答えた。
「ところでカンジさんはこんな夜更けに、いったいどうしたんですか?」
「私は村の見回りです。またいつ奴らが襲撃してくるか分からないので……」
「あぁ、そうなんですか……」
どうやらカンジは、見た目と違って随分と責任感の持ち主なんだなと、リコはその時思った。ただ、やっぱり目つきが悪いせいか、どこか怒っているようにも見えるので、不思議なものだ。
「あの、リコさん……」
するとカンジの表情が、先ほどと違って少しだけ神妙な面持ちになったのに、リコは気が付いた。
リコは「なんですか?」と聞き返すと、カンジは真剣なまなざしで
「あなたにぜひ伝えておかなければいけないことがあります……。少しだけ、お時間いただけませんか?」
カンジのその言葉に、リコはきょとんと首を傾げた。
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伝えておかなければいけないことがあります、と言われカンジの後を付いて行った先は、ソルベ村の西の防壁に建つ高い櫓だった。
木片を組み合わせた階段を登り、物見台までたどり着くと、そこから見えたのは、昼間のゴブリンの襲撃で見事に返り討ちされた跡だった。
穴の中には、真っ黒になったゴブリンの死体が転がり、地面の草は焼け焦げている。
ゴブリンの死体は、この戦いが終わるまでは、そこで放置されるだろう。
そう考えると、少しだけ吐き気がした。
――でも、なんで私をこんな所に連れて来たんだろう?
森の郷額を真剣に見るカンジの横顔を、リコは眺めながらそう思った。
すると、カンジは櫓の柱に備え付けられた松明を、森の方角に何食わぬ表情で投げる。
カンジの投げた松明は、暗い夜の中、弧を描いて落ちていった。
落ちた先には黒い影がうごめき、まるで蜘蛛の子を散らすように、林の方へ逃げて行くのが見えた。
リコはその影が、ゴブリンの斥候だという事を、カンジに言われなくても理解した。
「奴ら、まだ、この村をあきらめていない様子です……」
カンジは軽く舌打ちすると、冷ややかな笑みをリコに見せる。
「リコさん、一昨日や昨日の戦いは見事な者でした。さすがは有名な傭兵だけのことは暑と、村の皆も感心していました……」
「いや、私はただ、囮をやらされていただけですから」
苦笑いしながらリコは答えると、それを謙虚と受けたのか、カンジはにこりと笑う。
「傭兵殿は、弟子であるあなたなら、立派に囮と言う仕事を務めてくれると考えたから、任せたのでは?」
「そんなことないですよ。たぶん、ただの偶然が重なっただけですよ」
言葉ではそう言うが、リコは明らかに照れ隠ししながら答えた。
「ところで、私に伝えないといけないことって、いったい何ですか?」
ここに来た一番の目的を訪ねると、カンジは話を始めた。
「このことは、本来なら依頼をお願いする時点で伝えなければいかなかったことですが、ここ一帯のゴブリンの活動が活発になってきたのは、今から1ヶ月前のことです。
もともと防衛の指揮は、傭兵ギルドに依頼するのではなく、祖国に救援を求めていました。
もちろん、ソルベ村は国境周辺にある小さな村です。初めは誰もが頼んだところで望み薄だと考えていました。ですが、私の祖父がとある伝手を辿って要請したところ、どういう理由か、数十人のクリフトラの兵士と、数十人の工夫が、この村にやってきました。
この村の頑丈な防備や、男衆が武器をまともに扱えるようにしてくれたのも、彼らのおかげです」
そこで、カンジは一旦話をやめると、森の方角を見た。
「ですが、それからしばらくして、近くの森から1人の男の死体が発見されました。その死体には首は無く、身体には無数の切り傷と短剣が突き刺さっていたのです」
その話を聞いた瞬間、リコは全身の血の気が引いのを感じた。
「死体が身に着けていた服装から察するに、森の中で死んでいたのは、派遣された軍隊の隊長でした。彼は、紛れもなくゴブリンによって殺されてしまったのです……。
なぜ、どうやってゴブリンは彼を森までおびき寄せて、殺害したのかは分かりませんでした。ですが、この事態を重く見た祖国の上層部は、速やかに派遣した兵士に撤退命令を出しました。
そのため、村長は止むを得ず、傭兵ギルドに仕事を依頼して、あなた達がやって来たという訳です……」
なんというか、虫のいい話だとリコは思ってしまった。
傭兵と言うのは、確かに国が軍事的な理由から、守るのを放棄した地方の村の代用として派遣されることが多い。
それでも、リコはどこか納得がいかないという様子だった。
しかも、そんな理由をたぶんレイは、知っていたと思うのだが、それでも尚この仕事を受けようと思ったのか、やっぱり不思議である。
「カンジさんにとって……」
ふと疑問に思った事をリコはついつい口にして出していた。
「カンジさんにとって、この村はいったいどういうものなんですか?」
この質問をすることによって、何かが変わるわけではなかった。でも、リコは自分には、何か仕事をやらないといけないと納得させるような、理由が必要だと思った。
「私にとって、この村は故郷です。大切な仲間や、守らないといけない家族がいます。だから、例えこの命に代えても、私はこの村を守る覚悟はとうにできています……!」
まっすぐに向き直った彼の言葉を、リコは信じてもいいのか分からなかった。
「明日、オークが現れるかもしれないと、村の者が噂をしていました。もし、そうなら我々だけでは、この村を守ることは不可能です。リコさん、あなた方に無理を言っているのは十分承知です。ですが、我々にどうか力を貸してください……!」
そう言うカンジの言葉に、リコは何も返すことは出来なかった。
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宿屋に帰る道のり、リコは明かりを頼り歩いていると、何度も頭の中ではさっき言われたカンジの言葉が、脳裏でよみがえる。
期待と責任感に、何度も頭を抱えながら、自分が今までレイに全部頼りっぱなしだったのだと思い知らされた。
リコは足取りを重くしながら宿屋に戻っていると、「遅かったな……」と聞き覚えのある声で話しかけられた。
その方を見ると、そこに立っていたのは宿屋の壁にもたれかかりながら立つのはレイだ。
「し、師匠ぅぅぅ!」
今にも泣きだしそうな声で叫ぶリコに、めんどくさそうな顔をレイはする。
「なんだよ?急に……。気持ち悪いな……」
「師匠、ようやくもどって来てくれたんですか?」
「いや、まだ用事は半分もおわっちゃいねえよ……。今は村の様子を見るために一度戻って来ただけだ。これから夜通しでまた行かなければいけない……」
一瞬安堵したリコだったが、やはり明日の指揮をすることになりそうだと察してしまった。
「なんだリコ?そんな浮かない顔して……」
「私……。やっぱり明日の防衛の指揮取るのは無理です……!」
リコはとうとう耐えきれなくなっしまい、レイに打ち明かした。
「師匠がやってくださいよ、明日の防衛の指揮は……。私、こんな責任あることは……」
そう言うリコに対して、レイは嘆息する。
「お前な……。俺はリコなら明日の指揮を任せられると思って頼んだんだぞ?別に俺が指揮をやってもいい。だが、オークが現れるとなれば、例え俺が指揮を執ったとしても、ここの戦力じゃ、勝ち目なんかないのは分かり切っている。だから、必死こいて対オーク用に準備をしてんだよ……」
レイの口調は少しだけ不満そうだ。
「というか、お前も一任さらたんだから、ぐだぐた文句言わずにやり遂げる覚悟を決めろよ」
その言葉に、リコは心の中をぐっとえぐられる思いがした。
そして、リコははっと気が付いた。
――自分は誰かを守る力がほしくってこの人の弟子になったという事を。確かにこの人はいつもへらへらとして、何を考えているのか全く分からないが、傭兵の中では誰よりも強く、誰よりも先のことを見通す力があることを、一番近くにいた私は良く知っていた。
「でも……」
――だけど、私にはまだ彼の様にはなれない……。
「リコ。安心しろ。別にお前がオークが倒せるなんて鼻っから期待していない。俺が、お前に頼みたいことは、完全勝利じゃない。また俺が、この村に戻って来るまでの時間稼ぎをしてもらいたいだけだ……」
「……時間、稼ぎですか?」
リコが聞き返すと、レイは「あぁ」と言って頷いた。
「正直、俺が今、考えている対策も本当にオークに対して有効なのかも分からんし、そもそも襲撃時に間に合うかどうか怪しい所だ。だから、この仕事を完了させるためには、このかけに俺は全力を注がなくっちゃいけない。そのためには、時間が必要なんだよ……」
「師匠は……、どうしてそこまでするんですか……?ここは私達にとっては、何のゆかりもない村なのに、どうして師匠は命を張ることが出来るんですか……?」
「お前は、傭兵と言うものが、全然分かってねーな……」
「え……?」
どういうことか分からず、困惑しているとレイはふっと笑った。
「俺がいつ、この村のために命を張った?」
「はぁ……?」
意味が分からないという表情をしながら、リコは言葉を振り絞る。
「だって、今日だって昨日だって、一歩間違えればゴブリンがこの村を襲って、私達は命を落とすも知れなかったんですよ?こんなの、命を張ると言わずになんだって言うんですか?」
それに対して、レイは深くため息を漏らした。
「お前は、そんなだからいつまで経っても俺に、使いっ走りにされるんだよ……」
――使い走りにしているって自覚はあるんだ……。と思うリコ。
だが、そんなリコに向かってレイは話を続けた。
「傭兵って言うのは、所詮金で雇われるただけの、なんの信念も忠義のかけらもない連中だ。自分の身が危ないと分かれば、一目散に逃げるし、大金が入ると分かれば喜んで仕事をする。そんな傭兵が、そもそも命なんてかけるメリットは全くと言ってないだろ?」
「むぅ……。じゃあ、師匠はどうして、こんな危険な仕事を受けようと思ったんですか?」
そのリコの問いに、「それは……」と前置きするレイ。
「面白そうだったからだよ……」
やはり意味が分からない、という顔をするリコに対して、ふんっと笑いながらレイは答える。
「リコ、名誉よりも金よりも人に大事なものは何か分かるか……?」
そう言われて少しだけ考える。
「愛、とかですか……?」
「お前ってやっぱし馬鹿なの……?」
馬鹿と言われて「むぅ……」と言いながら、リコは頬を膨らませた。
「それはな。面白いと思うことをとことんつきつめる探求心だよ…」
「はぁ……?それと、この仕事を受けようと思ったことと、どう関係があるんですか?」
リコの疑問に、またレイは溜息をついた。
「あのな、この村は本来ならヴァージリアとの国交がなくなった時点で滅んでもおかしくなかった。だけど、ソルベ村は今もこうやって存在している。しかも、何の取り柄も無いこの村に、国は軍隊まで派遣して、ゴブリンの襲撃から守ろうとした。いったいなぜだ?」
レイの問いかけにリコは、首を傾げる。
「国が、困っている人達を助けようとすることが、そんなにおかしなことですか?」
「お前は、人の善意をどこまで信じることが出来るんだ?」
「どこまでって……」
「普通、人っていう生き物は、自分以外のことなんて、大して興味がない。だから、大概は、損得がないかぎり、表立って行動することはまずありえない。それが集団や国になればなおさらだ……」
そして、人差し指を自分の頭に指をさした。
「よく考えてみろ。こんな村助けた所で、誰に何の得があるんだ?むしろ、この村が滅んでほしくない理由を考えた方が、無難だと思うがな?」
「そ、それは…」
「俺はこの話を聞いた瞬間、なぜ国はこの村をそこまで保護しているのか気になった。だから、俺は、わざわざお前に依頼を取って来させてまで、この仕事をしているんだよ……」
「そんな理由のために……?」
――この人は……。と少しだけリコは、あきれそうになった。
「俺はな、人の指図を受けずに、自分が面白いと思うことだけをひたすらやって来た。それは、今も明日も変わらないし、それは俺の信念だ。だいたい人の言動力なんてぞれだけで十分だろ?」
――その言葉を聞いて、私は他の人には無い師匠の強さの秘密を、また一つ分かったような気がした。自分のやりたいことだけを追求する。一見自分勝手のようにも見えるその自分の考えに、忠実に従う事の出来る人を、他に私は知らない。
だから、この人はこんなにも、他の人と違って強いのか……。と思った。
「まぁ、それに。この仕事を成功させないと、2人揃って牢屋にぶち込まれるって言うのもあるな……」
レイの言ったことに対し、笑いが込み上げてくる。
「ぷっ、それもそうですね……」
場を和ませようとしてくれたのか、それとも思った事をただ言っただけなのかは分らない。でも、リコはこの人が私の師匠で本当に良かったと感じた瞬間だった。
「師匠、私、やれることはやってみます……」
さっきまで不安な表情をしていたのとは違って、どこか落ちつきを取り戻すリコ。
それは見てレイは、「そうか……」と小さくつぶやき
「まぁ、死なない程度に頑張ってくれ……」
レイはそう言って立ち去ろうとする。
「師匠、どこに行くんですか?」
「あぁ……。まだ準備が終わってないんだわ……。今日はこれから徹夜だな……」
片手を上げながら去るレイを見ながら、
「あの人はいったい、何しにここに来たんだろう……?」
とリコはレイに聞こえないように小さく言った。
――もしかしたら、私のことを心配して戻って来てくれたのかな?とも思ったが、彼の真意は分からなかった。