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防衛 1日目


 次の日の昼下がり。


 ソルベ村の周辺の森の中。そこには山脈の溶けた雪が流れてきて出来た湖があった。


 ここは地元の人間しか知らないという、いわゆる秘境というやつなため、美しく神秘的な空間だった。


 水辺の林で息をひそめれば、どこからともなく動物たちが水を求めてやって来て、耳を澄ませば小鳥のさえずりさえ聞くことが出来る。


 リコはそんなこの場所にやってきた瞬間、衝動的に自分の身に着けていた服を、水辺に脱ぎ捨てると、身体を水中へと浸した。


 初めのうちはぶるぶると全身が震えたものだが、今は何ともなく気持ちの良いものだ。


 そして、自分以外誰もいないことが分かると、無邪気にはしゃいで湖の中を少しだけ泳いでみることにした。


「師匠の言った通り、すっごく良い所……」


 満足した様子でリコは独り言のようにつぶやいた。

 だが、その内心は少しばかり複雑ではあった。



 なぜ仕事中に、リコだけが湖で水浴びをしているのかというと、今朝のことになる。


 リコより先に朝食を終えていたレイは、食堂の席に座ると目の前に向かい合って突拍子にこんな提案を持ち掛けて来た。


「この村の近場に、きれいな湖があるらしいんだけどさ。お前行く気はないか?」


 湖というレイの言葉に、リコの耳はピクリと反応した。なぜなら最近、旅から仕事やらで忙しく、体を洗うことが出来ていなかったからだ。しかも、この村にもお風呂というのもなかった。


「湖!?そんなのが、この近くにあるんですか?」


 リコの話の食いつきっぷりに、いつものように面白そうににやにやと笑うレイ。

「最近お前、身体を洗えてないって言ってたから、行ってくれば?」

「…………」


 しかし、我に返ったリコは、レイのその提案に微妙な顔をした。


「師匠が私のことを気遣うなんて、初めてですよね?」

「おっ、そうか?気のせいだろ?」


 しどろもどろで答えるレイだが、確かに湖で体を洗うというのは、魅力的ではあった。

 リコは食事を食べ終え、「うーん……」と考えると、


「師匠、覗きませんよね……?」と聞いてみると

「お前の裸なんて見たって面白くもなんともないから……」と一括されてしまった。



 そして、今に至るという訳だった。


 ちなみにリコは、十分に納得した訳ではなかったのだが、その後はまるで村から追い出されるように、レイにそそのかされたので、湖に1人来てしまった。




 湖の中、でふんわりと全身を任せて浮かんでいた。


 水中で仰向けになりながら、もやもやした自分の心臓の簿分を、手で押さえるリコ。


――ほんと、あの人は何も分かっていない……。


 水の中は冷たいはずなのに、レイが先ほど言った「お前の裸なんて見たって何も面白くないから……」その言葉を思い出したせいか、頬は赤くなり熱を帯びたようだった。


「ふぅ……」


 リコは、溜息をつきながらそろそろ村の方に戻ろうと地面に放り投げた自分の服に手を伸ばすと、森の茂みの方に何やら物陰が動くような気配に気が付いた。



 ――まさか、本当に覗きに……?


 リコは、そう考え急いで服を着ると、物陰が動いた茂みをかきわける。


 だが、そこにいたのは入浴を覗きに来た人、ではなくソルベ村を襲うために移動中のゴブリンの群れだった。



 ゴブリンとは、大陸に生息する魔物の一種だ。


 彼らの身長はだいたい人間の子供程度で、知能もそこまで高いという訳ではないが、仲間意識が非常に高く、主に森の中に人と同じように小さな集落を築いて暮らしている。


 彼らは、夏場は狩りや採取を行い、動物や植物の活動が弱まる冬場は、人間の集落に降りて来て略奪を行うこともある。ゴブリンの繁殖能力は非常に高いため、子供は1年を待たずに大人へと成長していく。


 ゴブリンの装備は主に手製の槍と、刃こぼれの多い短剣くらいで、彼らの腰には覆い隠す程度の布がまかれていた。


 リコはゴブリンの群れの移動を目の当りした瞬間、とっさに息を殺し身をひそめた。


 幸い彼らは、まだリコのことに気が付いている様子はないためか、一安心と言った所だろう。


 ――なんでこんな所にゴブリンが!?


 リコはこの自分が置かれた状況に、一瞬頭の中が真っ白になりかけたが、そして気が付いた。これは初めからレイの罠だったという事に。


 ――結局むしの良いこと言っておいて、私のことを最初から囮に使うつもりだったのか……。


 何はともあれ、ゴブリンの集団から逃れようと、その場で後ずさりをするのだが、


 バキッ!


 運悪く地面に転がっていた小枝を踏んでしまい、そんな音がした。


「ギャルル?」


 その瞬間、目の前で移動していたゴブリン達は足を止めて、リコの方を一斉に振り向いた。


 そして、リコを見つけたゴブリン達は、獲物を見つけたと言わんばかりの雄叫びを上げると持っていた武器を振り上げ、リコに襲い掛かる。


 まさ、に絶対絶命というやつだろうか。


 リコは半泣きになりながらも、必死にそれを避けて


「師匠のばかぁぁぁぁ!」

と叫びながらソルベ村の方角へと走った。



________________________________________


 ソルベ村に続く森の中で、リコは辺りに目もくれることなく必死になって走っていた。


 背後に迫って来ているのは、殺気に満ち、雄叫びを上げるゴブリンの集団だった。


 短剣や槍を振りかざして追ってきている彼らは、辺りの騒ぎを聞きつけた仲間と合流し、今では10匹以上の大群になっていた。


「ギャルルル!」

「グルルル!」

「ハギュルル!」


 ゴブリン独特な身の毛もよだつような気持の悪い叫びを、辺りに吐き散らしながらいつか、リコを仕留めてやると、虎視眈々と狙いを定めながら追いかけてきている。


 ――あれ?こんなこと、前にもあったような……。


 ふとそんなことを考えながらも、今朝のレイが言っていた「湖に行く気はないか?」の真意に気が付いてしまったリコの思考は、止まることなくエスカレートしていくのだった。



 ――分かっていた。私は本当は、分かっていたのだ。あの人が、私のことを気遣うはずなんてないことに。いつも面倒なことは私に丸投げで、しかも、ありがとうの感謝の一言も無い。というより、あの時一瞬でも私のことを考えてくれている?と思った自分に言ってやりたいものだ。奴に騙されてはいけないと……。


「ほんっと、最低!クズ!女ったらし、ド変態!」


 思いつくだけの罵詈雑言を言い放ったところで、リコは長かった森を抜けると、そこにはソルベ村西側の防壁が緩い傾斜を上がった所に見えた。


 防壁は、下から見上げると随分と高く見えるが、すぐ後ろをゴブリンが迫って来ているため、悠長なことを言っている暇はなかった。


 リコは背後から迫るゴブリンに気押されて壁まで走り、麓までたどり着くと、


「おぉ、リコ。生きていたかー!」

 と聞きなれた声が、壁の上から聞こえて来た。


「そこで待ってろよ。今、縄を下ろしてやる……。あれ、縄どこにやったっけ?」


 呑気にそう言うレイに、リコは苛立ちと焦りが込み上げて来た。なぜなら、ゴブリンの集団がリコを追いかけて来た勢いのまま、すぐそこまで迫って来ていたからである。


「師匠、早く。早くしてくださいよ!もうすぐ私、本当に死んじゃいそうなんですけど!」

「まあまあ。そう焦るなって……」


 あははと笑い声をあげるレイ、――この人、絶対に私のことを見て楽しがってるな……。と表情を引きつらせるリコ。


「あ、焦らないわけ無いでしょうが!」


 リコが壁の下から大声で突っ込みを入れたその時、「ほいっ」というレイの掛け声と共に、長い1本のロープが壁の上から垂れ下げられた。


 もしかしたら、これで登って来いというのだろうか、とも考えていたら予想取り


「リコ。早く上がってこないと、ゴブリン共に食われちまうぞ?」

 とレイが言ってきたため、――やっぱりか……と思いながら、リコはロープに必死にしがみつくと、ゆっくりと昇り始めた。


 リコが縄を半分ほど登ったところで、壁の真下に集まって来たゴブリン達は「フギャァ!」「グギャァ!」と鳴き声を上げた。


 壁の下にいるゴブリン達は、リコを追った勢いのまま、ここまで来てしまったためか、壁を登るという手段をよく考えていない様子だったが、彼らの士気は高く、その数は地面を覆いつくすほど多く集まっていた。


 そして、その中でも異彩を放っていたのが、三角の鋼鉄の兜を被っているゴブリンだった。


 彼は、手を宙に上げると気が立っていたその他のゴブリンを静止させると、壁の上を指さして「フギャ、フギャギャギャ!」と怒り狂ったように声を張り上げる。


 それに対して、他のゴブリンも三角兜のゴブリンに賛同するかのように、「フギャギャ!」と一斉に声を上げた。その様子はまるで野蛮な蛮族の様にも思えた。


「全く、ゴブリン共が何言ってんだか分かんねーつーの……」


 壁の上で、ゴブリンの声を聞いていたレイは、呆れたような表情でいうと、ふと後ろを振り返り、こう言い放った。


「じゃぁ、皆さん。よろしくお願いしまーす!」


 レイの素っ頓狂な合図と共に、壁の上に現れたのは、男衆とふつふつと沸騰した熱湯が一杯まで入った巨大な鉄鍋だった。


 男達は鍋の横に立つと、片手の握っていた木の柄杓で、熱湯を掬うと壁の上から次々とばらまく。


「フギャァァァァ!」

「グギャァァぁぁ!」


 防壁の下では、巻かれた熱湯をもろに喰らってしまったゴブリン達の悶え苦しむ声が、聞こえて来る。


 彼らの緑色の皮膚は変色を見せ、赤く腫れあがると共に、戦意すら徐々に奪われ始めていた。



「グ、フッギャァァァ!」


 さらに三角兜を被ったゴブリンの運はなかった。


 彼の場合、壁の上からの熱湯が顔面に直撃し、頬全体の皮膚が溶けるような痛みと一緒に膝から崩れ落ちた。視界はすでに失われ、三角ゴブリンには、仲間の苦しみ悲鳴を上げる声しか聞こえないという有様だ。


 ――あぁ、さすが師匠。魔物に対して容赦ないな……。


 どうにか壁を登り切ったリコは、防衛の指揮を執るレイに対して、そんなことを思ったが、口には決して出すことしない。あとが怖いからである。


 このレイが考案した、単純かつ効果覿面の防衛で、ゴブリンに致命傷までは負わせることは出来ないかもしれないが、初戦の戦意をくじくなら十分と言った所だろう。



 しばらくすると、森の方から低いラッパの音色が響き渡り、それを合図にソルベ村の防壁の下に集まっていたゴブリン達は、火傷を押さえながらしぶしぶ退却を始めた。


 足を引きずりながら森の方へ向かう者や、仲間の肩を借りながら退却を始める者と様々だったが、それは人間側がゴブリンとの戦いの初戦を乗り越えたという事を意味していた。


 完全にゴブリン達が森の方まで戻って行くと、村から歓声が上がる。


「ざまぁ見やがれ、ゴブリン野郎!」

「人間様をなめるんじゃねぇ!」

「一昨日来やがれってんだ!」


 ゴブリンの数に、不安になっていた若衆は今回の戦いで、自分達でも何とか村を守るという自信を得て、村人は安堵を漏らした様子だった。


「しーしょーおー!」


 そんな中、レイを見つけたリコは、ほっぺを膨らませて睨みつけながら声をかけた。


「ん?おぉ、リコ。生きてたのか?」

「おぉ、リコ。生きてたのか?じゃないですよ!やっぱり最初から私を囮に使うつもりだったんですね?ばーか!ばーか!師匠のばーか!」


 拗ねた子供の様に文句を言うリコに、レイは耀様にめんどくさそうな顔をする。


「なんだよ?そんなことをいちいち気にしてんのか?いつものことだろ?」

「む、それはそうですけど……、でも囮を任されるなら、一言いってほしかったです……」

「あのな……、囮しろって言った所で、素直に引き受けたのか?」

「いや、行かなかったです。たぶん……」

「だから、無理やりにでも行かせたんだよ……。まぁ、お前のおかげでゴブリンをうまく誘導することが出来たから、今日の成果は全部リコのおかげだよ……」


 ――私のおかげ……?

 リコはそう言われて少しだけ嬉しくなった。が、


「じゃあ、その調子で明日の囮も任せたから!」

「えぇ!?」


 去り際にレイが言い放った言葉を聞いて、一気に疲れが増すリコであった。




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