ソルベ村にて
ソルベ村。それはクリフトラ国と、ヴァージリア国を繋ぐ、道沿いにある村だった。
山脈の麓にあり、大自然の森林地帯をぽっくりと切り開いたところに建つこの村は、2国間がまだ交易をしていた頃に、旅人や行商人の立ち寄り所として重要性を秘めていた。
村の産業は主に、寝泊りをするための宿屋や、消耗品の補充と言った雑貨屋が大半を占め、交易の激しかった全盛期には、毎日多くの旅人に商売を行っていた。
しかし、国交が断絶してしまった現在、この村に立ち寄る者はおろか、ソルベ村に続く道は荒れ果てる一方である。
そんなソルベ村にたどり着いたのは、陽の沈みかかった夕暮れ時のことだ。
ソルベ村は、丸太を組み合わせた高い壁に囲まれていた。そのためか、一見したらまるで軍隊が駐留するような砦ではないだろうかとも思ったのだが、頑丈そうな門から中に入ると、そこには普通に、人が住める住居があり、村民が普通に生活していた。
「この村に訪問者とは珍しいな。あんたらこの村に何のようだい?」
村に入るなり、最初に声をかけて来たのは、門に立っていた40代の無精ひげを生やした中年の男性だった。地方の村民にありがちなみすぼらしい服を着ており、彼の両手には矢の装填済みなクロスボウがあった。
高圧的な態度に、今にも撃ち殺されそうな疑いの眼差しは、気に障るものがあった。
「えっと、私達はこの村の依頼を受けた傭兵の者です……」
リコがそう説明をすると、目の前の男は「ほほう……」と口を挟みながら近づいて来た。
「あんたらが依頼を受けた傭兵だと?随分と若そうだな……」
無精ひげを何度も触るしぐさを見せ、物見でもするようにじろじろ見て来たため、リコは自然と緊張をしてしまった。
「おい、ジル。若旦那を呼んできてくれ。お客さんだ!」
そして、男は村の中に居たジルと呼ばれた20代の若い男の名前を呼ぶと「あいよー!」というような気前のいい返事が返って来た。
「へへへっ。傭兵殿ここでしばらく待っていてくだせい……」
今度は下手に出て笑い出す男に、少しばかり不快を感じながらも、言われて様にその場で待っていると、村の奥からクロスボウで武装した若い男2人と、それを従えるようにして赤い髪の長身の男が現れた。
赤毛の男は、レイとリコの目の前に立つと丁寧に頭を下げ、
「傭兵殿。ソルベ村によくおいでくださいました……」
と愛想のよい口調で言った。
村の小悪党に見えなくはない、目つきの悪い彼に、来て早々絡まれるのではないかと思った2人だったが、どうやら杞憂だった。
「あんたがここの代表なのか?」
「いえ、私はここの村長の孫で、カンジと申します。今は、この村の臨時の防衛を任されています」
がさつでどう見ても武闘派そうな見た目の、カンジと名乗った青少年は、涼しい笑いを浮かべながら答えた。
「傭兵殿。わざわざこんな村にようこそおいでくださいました。奥で村長がお待ちです。どうぞ……」
そう言われてカンジに付いて行く2人。だが、村人たちがレイとリコを見る視線は、鋭く警戒した様子だった。それはまるで何か見つかってはいけないものを隠すような感じがした。
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ソルベ村の基本的な建物はすべて石造で出来ており、どの家も赤味を帯びた紅色の鮮やかな屋根が取り付けられていた。地方の村と言えば茅葺き屋根の質素な建物が主流なのに対して、これは非常に珍しいものだった。
ソルベ村は、小さな村というよりは、壁に囲まれた町という雰囲気を感じた。
「中で座ってお待ちください」
カンジによってそう連れてこられたのは、ソルベ村の北側に位置する村長宅だ。
他の建物と違った立派な造りから、屋敷と言っても言い過ぎではなく、カンジに通された部屋の中は、まるで貴族か豪商の部屋かと勘違いするくらいに高価そうな様々な装飾品が置かれていた。
壁に飾られた動物の剥製や絵画。棚の上に置かれた御着物なんかを見た瞬間、すごいと、リコは目を丸くする。
しかし、レイはそんな部屋の様子なんか、特に興味が無さそうに中心にあった椅子に、ふてぶてしく座ると、退屈というよりかはどこか眠そうな表情をししながらあくびをした。
「あの、師匠……?」
「なんだよリコ……?」
しんまりとした空気の中、最初に話を振ったのはリコだった。
「なんか、変じゃなかったですか?」
「はぁ?変って何が?」
「えっと、私達が来た瞬間から、村の人たちが明らかにぴりついていたというか、明らかに警戒していましたよね。歓迎されてないんですかね?私達……」
「そうか?俺は逆だと思ったが……」
「逆って……?」
「あれはいわゆる俺達への照れ隠しなのかと思ってた」
「……どんな神経していたら、そんな風に見えるんですか?普通に厄介者が来たみたいな反応していましたよ、皆……」
リコの反応を面白がるように、レイは鼻で笑った。
「まぁ、冗談はさておき、こんな偏狭な場所だ。俺らみたいな傭兵がこんな時間にのこのこやってきたら、普通は警戒するもんじゃないのか?」
「はぁ……。そういうものですか?」
「人って言うのは、基本的に過去の経験から先のことを考えようとするから、ここの連中は傭兵というものを見たことがないのか、それとも余所者が珍しいのかのどちらかだろ?」
「うーん……」
リコが小さくつぶやくのに対し、レイはさらに話を続ける。
「というか、俺が一番気になっているのは、そんなことじゃなく、ここに置かれたインテリアだがな。なんで田舎の村が、こんなにも財産を蓄えてんだか……」
レイに言われたリコは、改めて部屋中を見渡した。
「うーん……。確かにここに置いてある物はどれも高そうですね。触ったりしたら怒られちゃいそう……。まさか、師匠、盗むつもりじゃないですよね……?」
「はぁ!?そんなことするわけねーだろ?お前は俺のことを何だと思ってるんだ?」
「無銭飲食犯で馬泥棒の悪漢……。違いますか?」
「まだ昼間のことを根に持ってんな?ねちねち言う奴は他人から嫌われるんだぞ?知らねぇの?」
「それ、師匠だけには言われたくないですね……」
ぐぬぬぬとにらみ合う2人。すると
「ほほほ。なんだか楽しそうな声が聞こえますな……」
その声のした方を向くと、客間の扉が開かれ部屋の中に入って来たのは、70代の腰の曲がった老人だった。
顔中に長く白い毛を生やし、ほとんど肌が見えないため、目の前が見えているのかすら怪しい老人は、杖を地面に突きながらやって来て、簡単に会釈をした。
「失礼。盗み聞きするつもりはなかったんじゃが、扉の向こう側で、お2人の楽しそうな声が聞こえたものでな……。ほほほ」
高笑いする老人は、そう言いながら近くの棚にあった置物を手に取る。
「ちなみにここのある物すべては、前に交易が盛んだった頃に、集めたがらくたじゃ。別に他人から盗んだ訳もないから、安心しておくれ……」
少しだけ気まずくなる2人。こんなことならぐだぐだと言い争わなければよかったと、多少後悔することになった。
「村長、自己紹介を……」
老人の横に立っていたカンジは小さくつぶやいた。
「おぉ、そうじゃった。このたびは我が村までよくおいでくださいました。心からお礼申し上げます。わしがこの村の代表のギイヴと言う者です……」
それは気品のあるずっしりとした声だった。
温厚な話し方とずっしりとした佇まいから、――これが村長の威厳なのか……。とリコは1人、関心してしまっていた。
「ほほう、あんたが俺らの依頼主ってことでいいんだな?」
レイがいつもの高圧的な調子で話を振るが、ギイヴと名乗った老人は何も動じることなく高笑いする。
「その通りでございます。この村の男衆は、武器を扱う事は多少できますが、何分ゴブリンの数が数だけに、防衛の指揮を任せられる者がおりません。そのため、指揮を任せられる手練れを探していた次第でございます」
ギイヴはそう言うと、隠れた眉をあげてレイの顔を見た。
「つい先刻、ギルドの方から仕事が受理されたという知らせが届きましたが、彼らの話では、依頼を受けたのは若い少女と聞いておりますが……」
「あぁー、その少女って言うのは、こいつのことだな。こいつの名前はリコで、俺の弟子だ。で、俺の名前はレイ・ベンバー。あんたも聞いたことないか?『青い目の死神』という名前の傭兵を……」
その『青い目の死神』という名前を聞いた瞬間、ギイヴの明らかに驚いた表情をした。
「これはこれは、大変失礼いたしました。あなたが、あの有名な死神殿だったとはつい知らず……。あなたが我々の味方になってくださるなら、もうゴブリンなど怖くありませんな……」
「ふはは、分かればいいんだよ……」
鼻を高くして図に乗っているレイの姿を横目に見ながら、リコは――あぁまたこの人は調子に乗り出すな……。とあきれてしまった。
確かに、彼の『青い目の死神』という異名は大陸に住む者なら、一度は耳にしたことがある名前だろう。だが、この名前は決して良い意味だけの有名だという事ではないこともリコも知っていた。
「では、挨拶もすんだところで、早速仕事の話に入りますがよろしいですかな?」
そう言って、ギイヴは「あれを取り出してくれ……」と言うと、それを聞いたカンジは部屋の棚からスクロール紙を取り出し、テーブルの上に広げた。
スクロールに書かれてあったのは、この村全体の見取り図だった。
これを指差しながらカンジは説明を始めた。
「御覧の通り、この村は道沿いに作られた小さな集落です。村の外周には丸太を組み合わせて出来た、2階分に相当する高い防壁で囲まれており、両端には物見用の櫓が設置されています。村の戦えることの出来る男衆は13人程度で、皆剣とクロスボウは多少使えるという程度です」
「なるほど……。でゴブリンの数はいったい、どのくらいになってるんだ?」
レイが言うと、少しばかり尻込みした表情を感じは浮かべ、「それが……」と前置きした。
「何度かこの村から斥候を送っているのですが、集まったゴブリンの数は100を超え、まだ増え続けるとのことです……」
「ひゃ、ひゃく……!?」
その場で、声を張り上げたのはリコだった。
リコは。ゴブリンの数を聞いて、変な汗が全身から込み上げてきたのを感じたが、レイは表情一つ変えない。
「ほほう。こちらの戦力の約10倍か……これは少し、工夫が必要だな……」
腕を組みながら椅子にもたれかかるレイの姿は、まるでこの状況を面白がっているようにも見えなくはなかった。
――なんでこの人は、こんなにも平然としていられるのだろう?
レイを見ながら疑問に思っていると、目の前にいたギイヴは口を開いた。
「どうやら死神殿は、すでに何か策をお考えで?」
ギイヴの質問に対して、レイは首を振る。
「いんや。まだ何も考えていないが、まぁ、何とかなるだろう……」
呑気にそう言うレイに対して、カンジは頭を深く下げた。
「傭兵殿。この村はゴブリン共の脅威に常にさらされ、いつ壊滅するかも分からない状況です。このままでは村を築き上げて来た先祖に申し訳が立たない。何卒よろしくお願いいたします」
そんな感じの様子を見たレイは、「ふはは」と調子に乗って笑い、
「この『青い目の死神』に任せておけ」
と言った。
――あぁ、煽てられて図に乗ったな……。
リコはそう思いながら、本当にコノ仕事を成し遂げることが出来るのだろうかと、心配になるのだった。
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日が完全に暮れてしまった真夜中だ。
リコは、村のあちこちに掲げられた松明の明かりを頼りに、酒で酔いつぶれたレイを背負ってせっせ運びながらと宿屋まで移動していた。
ソルベ村の現状を聞いた2人は、そのあと模様されるという歓迎会に参加することになり、村の食堂で若い女の子に酒を注がれるがままに飲んでいたら、案の定、レイは酔いつぶれてしまったのだ。
――少しは自重してほしいな……。
リコはそう思いながらも、宿屋に着くと、案内された部屋のベットの上に、酒臭いレイを放り投げて部屋を出た。
そして、このまま自分の部屋に戻って寝てしまおうかと思った。だが、一向に寝付ける気配もなかったためか、真夜中の風にでも当たろうかと、ふと宿屋を飛び出してみた。
ソルベ村の中心の広場。もう夜も更けっていたためか、もう誰もいなかった。
明かりは消され、住人は寝静まり、静かな夜だ。
空は快晴で、真っ暗な宙には丸い月と、無数に輝く星が浮かんでいた。
リコは近くにあったベンチに向かって、それを見ることにした。
「月を見ると、あのことを思い出しちゃうな……」
小さな声で、そう言うリコ。それは、自分が住んでいた村で、大切な人を守れなかった淡い記憶だった。
――あの日から、心の中はいっぱいなはずなのに、だけど、どうしても涙は出ない。
だけど、1つだけ分かっていたのは、あの日、自分には圧倒的に誰かを守るだけの力がなかったという事だけだった。
リコはそう思いながら、そっと月に向かって手を伸ばしてみた。
そうして手の平の中に、すべてを包み込んでしまった瞬間、ふっと手の平を閉じてみた。
こんなことをしたところで、何の意味もないことは、リコは分かっていた。
でも、このやりきれない気持ちを、あれから2年も月日が経った今でも、自分ではどうすることも出来ないでいる。
「あぁ、大切な人を、守るだけの力がほしい……」
夜空の下で、リコはそう願うのだった。