第七話『スタート地点に立てていないことの悲哀を感じる』
正直な話をすると。
俺は異世界転移というものを、少々なめくさっていたかもしれない。
まさか……まさか……
「なんのスキル的補助もない運動がこれほどの苦痛とは……!」
悲鳴めいた呻き声と共に、俺はその場に膝をつく。体の節々が痛い。全身がこれまでに経験がないほど大量の汗を噴き出している。喉はカラカラ、全身が水分と塩分を求めて緊急警報を発令しているのが手に取る様に分かった。すげぇな、人間って死期が近づくと、自分の限界が分かるっていうのマジなんだ……。
「先輩、大丈夫ですか……?」
ああクソ、本格的に意識が朦朧としてきた……芽音が俺を心配そうに見下ろす幻影が見えるだなんて……しかも体のラインが克明に浮き出る、ぴっちぴちのラバースーツ姿とかいう俺の性的嗜好の塊みたいな恰好で。やっぱりこうやって直に曲線を拝むと、想定以上に『ある』ことが良く分かるな……八十……数え十五で八十か……ギャルゲのヒロインもびっくりな二次元体形だなぁこいつ。
俺は明滅する意識の中、幻の芽音へ右手を伸ばす。
直後。
もにゅん、という、筆舌に尽くしがたい感触。想定外に柔らかく、そして想定外に重い。何度か指を押し込めば、戻されるような快い弾力。うっわなんだこれ、めっちゃ癒される……ずっと触ってたい……。
ぼう、っとしたままその動作を繰り返していると、すぱぁんッ! と酷い音がして、頬に焼けるような痛み。俺の全身を強烈な浮遊感が襲った。ぴぎゅっ!?
「な、ななななにするんですか先輩の馬鹿最低助平逢間!」
「それ最後の罵倒じゃないっていうお約束のネタぐあぁぁぁあああッ!!」
数メートルほど余裕で吹っ飛んだ俺は、多分鏡でも見れば楓だかもみじだかが紅葉しているだろう頬をさすさす、上体を起こす。
視線の先には胸元を押さえ、顔を真っ赤にした芽音の姿が。こちらを睨む瞳、その目じりにはうっすら涙が浮かんでいた。
幻影じゃない……だと……!? じ、じゃぁさっきの感触は……つまり……あの……あれ……アーッ、ジンセイオワッタ!
い、いやまだだ。芽音は、きちんと心を込めて謝れば不可抗力だと分かってくれる子。ちょっとは罪が軽くなるはずだ。
「わ、悪い、なんか寝ぼけてたらしい」
馬鹿ぁぁッ! なんでそう、言訳の方向に逃げるかな俺の口! ぎろり、と芽音の瞳が怒気の色を強める。ああこれはもう駄目ですね。地球に戻り次第独房行きは明らか。皆さんどうかお元気で、俺は豚箱で悲しく余生を過ごします……。
と、思っていたのだが。
芽音はというと、頬を染めたままそっぽを向き、小さな声で何事かを告げてくるだけ。
「もう……こういうのは、もっと……その、ちゃんと順序を踏んでからお願いします」
えっ、それは順序を踏めばこういうことしても良い、っていう……?
い、いや落ち着け俺。そんなわけがない。芽音は一般論を口にしただけだ。一般論。ああ、一般論だ……一般論だよね?
ああくそ、ただでさえ疲れてるのに、余計に疲れちまった気がする。
謎の地震に巻き込まれた俺たちが、中等部の校舎ごと異世界に吹き飛ばされてから、すでに数日が経過していた。
転移初日はあのまま晩餐会の後解散だったのだが、二日目以降は結構慌ただしく過ぎ去った。現在の世界情勢とか、バルアダン共和国の状況、それから俺たちがこの世界に呼ばれた理由そのもの――エンブレーマギアについての説明。芽音が熱心に聞いていたのが印象に残っている。俺? すまん、難しすぎて半分くらい寝てた。
ただまぁ、要点だけは一応把握できているから安心してほしい。
果実の感触冷めやらぬ右手、その甲から肘辺りを、ビルの骨組みのような細い装甲が覆っていた。似たような形状のパーツは左腕と、それから腰回りにも装着されていた。どっちかっていうと人工骨格とかの方が近い見た目かもしれない。
この骨格めいた装甲こそがエンブレーマギア、その基軸にして骨子となる最重要パーツ、『フレーム』だ。エンブレーマギアとはこのフレームの上に、追加で様々な層甲を装備することで他局面に対応できる魔導マルチウェアなのである。アイヴィーさんが使ってた飛行能力とか、魔力を弾丸に変換して攻撃する『魔導砲』とか、そういう超人の技を使うために、フレームは無くてはならない基底要素なのだ。
んで、このフレームっつーのがまた随分と曲者でな……こいつの機能を知った時、俺はこの世界が強力なスキルの持ち主を欲する、その理由を大方理解した。
先程、俺のギア・フレームは両腕と腰に装備されている、という話をした。
だが芽音の場合はそれだけではない。両腕と腰に加えて、両足や首の後ろ辺りにも装甲が追加されているのだ。もっとパワードスーツっぽい見た目と立場になってる、って言った方が分かりやすいかも。
そのくらい、雰囲気から性能までがらっと違う。今の俺じゃぁ、ちょっと浮くとか、重いものを持てるようになる程度だが、芽音の場合はそこに高速移動であったり、視覚の強化、そしてわずかではあるが飛行能力なんかが追加されているのだ。
つまり、ギア・フレームの装備可能箇所の多さ……『展開率』というらしいパラメーターの高さは、そのまま性能に直結し、かつその数字には明確な個人差がある、っていうわけだ。当然だが展開率が高ければ高いほど強い。
そしてその展開率の高さというのは、使い手の操作できる大気中の魔力の量と、それからスキルの質に大きく左右される。
簡単に言ってしまえば、強いスキルを持っていればいるほど、エンブレーマギアはより強力な性能を発揮できるようになるわけだな。しかも上位のスキルはギアそのものにまで影響を及ぼすというのだからなおさらだ。
ああ、上位スキル、っていうのは、まぁ読んで字の如く『等級が上のスキル』だ。異世界もののお約束で、スキルにもランクが付けられている。地球人にとってはそれが一番想像しやすい、と考えたのか、内約は鉄級、銅級、銀級、金級、白金級、そして理論上存在するけれど、人族では発現した者のいない瑠璃級という形で翻訳されていた。スキルは原則として誰でも所持しているが、この世界で一般的なのは鉄~銀までだという。その一方、地球人はほぼ確実に銀以上、殆どが金と来るのだから凄い格差だ。ノインローカで白金級スキルを持っている人間は、それだけで英雄街道まっしぐらと言われるほどらしいし。
軍部にとっちゃ、国内から新しいギア使いを発掘するのと、異世界から素質ありそうなやつ呼んでくるのはソシャゲのフレポガチャと課金ガチャくらいの違いがあるだろう。勿論低レアキャラにも使い道というのは沢山あるが、とにかく強烈な戦力が欲しいなら課金ガチャの方がうってつけ、っていうのと同じ原理。
実際なぁ……ああいうの見ちゃうとな。異世界人攫ってでもチートスキルが欲しくなる、その気持ちが良く分かるぜ。
視線を動かせば、ほぼ全身鎧に近い形状のエンブレーマギアを装備し、すでに演習に入った中学生たちの姿が見える。彼らは特に高い魔力操作センスと強力なスキルを保有していたらしく、デイヴィッドを始めとした共和国軍の軍人たちも期待を寄せているようだ。
その中の一人、いかにも、って感じの優男風の少年が、ギアの腕から巨大な光の剣を出していた。厳つい顔で、こちらは俺たちのギアにはない白銀のガントレットを所持する少年と、模擬戦というのを忘れそうになるほどの激闘を繰り広げている。
その衝撃は、俺と芽音が座っている、模擬戦場の端っこまで響いてきた。ひえっ、火花まで飛んできやがった。あの二人と戦ったら、かすり傷でもとんでもないインパクトダメージをくらいそうで怖い。
二人とも、確か白金級スキルの持ち主だったはずだ。
英雄の素質が大量に手に入るとなりゃ、そりゃ無理矢理でも戦線に立たせたくなる。
「すげぇよなぁ……魔族だかなんだか知らないけど、あっという間に倒せそうだわ」
「先輩では一生かかっても無理そうですね」
「くっ、何も言い返せねぇ」
「まぁ……それは私も同じなんですけど」
苦笑する芽音。あー、えっと……。
どう返したらいいのか、急に分からなくなる。いつもの軽口が出てこない。
俺たちの異世界における個人情報を記した、いわば『ステータス・ウィンドウ』、もとい『ステータス・クリスタル』とでも言うべきプレート状の結晶。あそこのスキル欄に、俺の場合は何のスキルの名前も書いていないという超ド級のイレギュラーが待っていたのだが、芽音の場合はある意味ではそれよりも酷い異常があった。
端的に言えば、スキルのランクが銅級だったのである。内容は確か『瞬間強化』。数秒間だけ身体能力を大幅に上げるスキルだ。正直スキル無しの故に訓練が大変キツい俺からすれば、身体強化系のスキルはそれはもう羨ましくて仕方がないサムシングなのだが……銅級スキルでは、エンブレーマギアの展開率は(未所持の俺ほどではないが)高いとは言えない。ギアそのものに能力を反映させる使い方も不可能だ。
おまけにどうしたことだろうか。運動神経が高いはずの芽音が、何故かエンブレーマギアは全く使いこなせないのだ。高速移動や、スラスターおよび魔力フィールドを活用した三次元戦闘を、驚くほど『こなせない』のである。まぁ多分、これに関しては高所恐怖症の気と無関係ではないと思うのだが……どちらにせよ、周囲が彼女に期待していたであろうほどの力は出せていなかった。
そのせいか、芽音はここ最近、ちょっと元気がない。なんつーか、自分を卑下するような発言が目立つというか……俺と自分を同列に扱うというか……なんか俺、遠回しに馬鹿にされてない?
まぁ、それで彼女の気分が紛れるなら甘んじて罵倒されるのではあるが……憧れの女の子がテンション駄々下がりになってるところを放っておけるほど、図太い神経は持ててない。
「俺からすりゃ、芽音も充分凄いけどな。色々失敗するのは、自分の力をしっかり把握できるチャンスになるわけだし……それを失敗として受け止められるのがまず普通の人間にはできん。主に俺とか」
「……そうでしょうか」
「そうなんですよ」
偽らざる本心だ。ちょっと抱え込み過ぎなんだよな、芽音は。俺なんか見てみろ、唯一の無能だけど全くさっぱり危機感が持てないぞ。いや、焦りとか不安はあるんだけど……なんだろう、芽音ほど深刻に物事を捉えられていないというか……。
あーもう、なんか上手い言葉が見つからん。おっと、あそこに見えるは銀級~金級ギア使いの飛行訓練会じゃないですか。俺には無縁だが、芽音にとっては有益になるはずだ。
「ほら、ギアの飛行訓練、始まるらしいぞ。行って来いよ」
俺は半分くらい照れ隠しも込めて、芽音をそっちへけしかける。
「あ……」
それで気付いたのか、芽音はちょっと焦ったようにスラスターを噴かした。
直後、彼女はくるり、と俺の方を振り返る。
何事か、と思っていると、その可憐な顔で、小さく、けれど確かにはにかんだ。
「……いってきます」
「お、おう……いってらっしゃい」
なんだろう、何故か無性にドキドキする。
しっかし、俺にも一応スラスターは付いてるっつーのに、どうしてこう、仕事をしてくれないんだろうか。二秒くらい浮けるくらいじゃそれほぼジャンプと一緒だろう。
ぴょいん、と飛んでみる。聞くところによると、魔力というのは人間のイメージ力である程度操作できるらしい。つまり起こしたい現象を明確に描ければ描けるほど、その行動は魔力によって実現しやすくなる、ということだ。
スラスターから噴き出した青い光が、そのまま浮力となって俺を滞空させてくれる……そんな光景を空想してみる。模型部の嗜みとして人並みくらいには絵が描けるから、ちょっとくらい反映されればなぁ、と思ったのだが。
全然さっぱり効果が出ることはなく、俺は盛大に地面に落下。ド派手に頭を打ってしまった。
「いてて……」
「大丈夫? すごい音したけど」
「あ、アイヴィーさん……」
いつの間にか、金髪碧眼の部隊長が傍に舞い降りていた。今日は初対面の時と同じラバースーツ+エンブレーマギアの戦闘スタイルだ。とはいえ、装甲はメンテナンス中なのか、俺のそれよりも立派で頑丈そうな、全身を覆う鎧めいた外骨格だけを装備している状態だったが。
ちなみにアイヴィーさんのそれは、フル・フレームと呼ばれる、ギア・フレームの完成形に当たる段階なんだそうだ。彼女のスキルランクは金らしいが、鍛え上げれば誰でもフル・フレームまで到達できるとかなんだとか。俺も頑張ればできるのかなぁ。
「いやぁ、ぶっちゃけ全然大丈夫じゃないっすね。難し過ぎですわ、空飛ぶの」
「でしょうね」
鼻で笑われた。酷い。
ショックを受ける俺の様子は無視して、アイヴィーさんはそっと腰を下ろす。丁度俺の顔のすぐ横に、むちむちした白い太腿が。ちょっ、近い、近いですよ中尉!
だがその動揺も、同様に無視されてしまう。『どうよう』だけに。えっ面白くない? ああそう。
「懐かしいわぁ、アタシも二年前はあんたたちみたいにボロボロになってたのよねぇ」
「へぇ」
「何よその顔」
くすっ、と笑って、また遠くを見るアイヴィーさん。
そのぼんやりとした目をされると、この人の年齢がいよいよ分からなくなるんだよなぁ。ニ十歳くらいに見えるんだけど、笑った顔とか、接してる時の感覚は一つか二つ先輩程度にしか思えん。反面、今みたいな表情をしているときには、もっとずっと年上の女性に見える。
くそー、何か無性にむしゃくしゃする。八つ当たりしてやらぁ。
「いえ、アイヴィーさんにもそんな時代があったんだなぁ、って」
「ひどっ! アタシが最初っからオーガの類だと思ってたってワケ!?」
「そんなこと一回も言ってないですけど!?」
「まぁ実際、訓練生時代からオーガ呼ばわりはされてたけどね」
「いやされてたんですかい」
「これでもか弱い乙女ですから、いじめの対象になったこともあるわ。最も、全員叩き返してやったけど」
それ全くか弱くないと思うんですけど。
というか地球で言うところの『ゴリラ』がこっちでは『鬼族』なのね。ノインローカの九大人間種には属さない、所謂『亜人』と呼ばれるタイプの種族だと聞く。どっかで会えたりするのかなぁ。
そんなどうでもいいことで上の空になる俺とは対極的に、アイヴィーさんの方は深刻そうな表情。
その視線の先にいるのは、限界ぎりぎりのパワーでぶつかり合う、白金級の少年たちだった。その表情には鬼気迫るものがある。うへ、中学生であの顔ができるのって結構怖いな。
「……でも、昔はここまで酷くはなかった。こういうこと、すぐに止める上官がいたから」
「……それは」
その先を聞くことは、できなかった。
アイヴィーさんの上官、ということは、必然的にエンブレーマギア使い、ということになる。そして『いた』と過去形で称されるギア使いは、総じて、既に戦場で……。くそ、なんか嫌な気分になってきた。
「今の上層部は、新人ギア使いを使い物にすることで精いっぱい。それが成されるなら、どんな工程を辿らせるかなんて関係ないのよ。仲間内で争いあい、命を削りあい、成長するならそれでいい。脱落するなら処分する……そういう方針なんだわ」
「使い物になるなら人間性とかどうでもいい、ってことか……」
処分、っていう言葉もなんか嫌だな。
デイヴィッドのいけ好かない顔が脳裏に浮かぶ。異世界人道具扱い勢のトップは、ここ数日での態度も鑑みて間違いなくあのおっさんだろうからなぁ。ちくしょー、いつか絶対見返してやる。
「レアレント中尉ー、『ドラゴニック・クロウ』の動作試験、準備できましたー!」
「はーい、今行く!」
と、演習場と反対側、エンブレーマギアの兵装格納庫がある方角から、技術屋のお兄さんが声を張り上げていた。快く応じるアイヴィーさん。あれ、デジャヴ。
なんでも彼女のギア用に、新装備を作ってるとかなんだとか。模型製作を趣味とする身的には、そういうクラフト方面の話題は結構興味を惹かれる。あーあ、俺も技術側で参加できれば、芽音の役に立てたのかもしれないのになぁ……本職じゃないから、それでも無理だったかな。
そういやアイヴィーさんが戦ってるところ、現時点じゃぁ見たことがないわ。争いが無くて幸い、っていう感じではあるけど……ちょっと気になる。『魔砲少女』とか呼ばれてたし、以前の会話から考えても、やっぱり遠距離系なんだろうか?
「んじゃ、頑張ってね、少年。アタシたちの未来、あんたらの肩にかかってるんだから」
「まぁ……やることになっちゃった以上、全力は尽くすつもりですが」
「ありがと。そういう子、おねーさんは嫌いじゃないわよ」
ウインクを一つ置き土産に、アイヴィーさんは飛んで行ってしまう。
ああ、情けねぇなぁ……あんなに軽々やってる飛行も、俺にはさっぱりできやしねぇ。芽音のためにも、頑張らないといけないのにな。どうして俺にはスキルがないのか……この世界においてほぼ百パーセントの確率で発現するスキルには、当然だが後天的に覚醒させる方法なんぞありはしない。結果、俺には取れる手段が何もない、というのが現状だ。
俺は嫌になるくらい真っ青な空を見上げると、はぁ、と大きくため息をついた。
無論、それで何かが変わるわけではさっぱりない。
それでも、そうでもしないと、なんというか……やっていられなかった。




