第六話『そんなところまでお約束にしてほしかったわけじゃない』
飛行船を降りると、それに続くようにぞろぞろ生徒達も降りてきた。うわ結構数いるな。成績開示オンリーの日だったから、流石に中等部丸ごと、四百五十人全員、っていうわけじゃなさそうだけど、最低でも七十から百は転移したようだ。無論、俺みたいな紛れ込んだ高等部も含めてだが。
ようやく地面に足がついたからだろうか。芽音がほっ、と肩の力を抜く。恋人と一緒に観覧車、とか結構憧れがあったんだが、こいつと一緒に乗るのは無理そう……って何を考えてるんだ俺は。俺と芽音はただの先輩と後輩。それ以上でもそれ以下でもないっつーの……それ以下ではないよね? え、急に不安になって来たんですけど。
そんな先輩の内心など露知らず。妖精めいた可憐さをもつ後輩は、ずっと抱いたままだった俺の左腕から、その体をそっと離――しかけてしばらく逡巡、直後、もう一回ぎゅっと抱き着いてきた。いやいやいや何やってるんですかね芽音さん!?
「お、おい」
「良いじゃないですか、このくらい」
つんとそっぽを向く芽音。良くないんだよなぁこれが。
さっきから俺の背中にぐさぐさ刺さる視線の数が尋常ではない。忘れちゃ駄目だ。芽音はもうなんか魔術的作用でもあるんじゃないかと疑うレベルでモテるんだということを。
視線に込められた感情は、おどろおどろしいまでの嫉妬のそれ。察しの悪い俺でも悟れてしまうくらいには、「なんだあいつ」「あんなやつがどうして凍月さんと……」みたいな言葉が読み取れてしまう。え? 自意識過剰? 嘘じゃないって、ほんとなんだって。
そんな俺に追い打ちをかけるように、芽音はまたあの上目遣いで問うてくるのだ。
「それとも先輩は、見知らぬ世界で心細い後輩を、一人にするような薄情な人なんですか? だとしたら最低ですね。今ここで教育し直してあげましょう」
こ、こいつ、言わせておけばいけしゃぁしゃぁと……つーかさっきまでと打って変わって結構余裕あるじゃねぇか。さては俺の反応見て楽しんでるだけだな!?
……まぁ、楽しそうにしている芽音を見るのは嫌いではない。むしろ好きな方だ。可愛い女の子の笑顔というのは、たとえ悪戯っぽい微笑であったとしても心の潤いであることに変わりはない。特に俺みたいな癒しに飢えてるタイプのオタクにとっては。畜生……これはこれで役得とか思ってしまう己の未熟な心が憎い……。
芽音の顔を見ていられなくて、明後日の方向に顔を逸らす。
すると丁度、何やら仰々しい面構えをした二人組が、向こうの方から歩いて来るのが見えた。確か空から見た街の全体像だと……えっと、今いるのが西側の発着所? みたいなところだから……王城風首相官邸からか? 後ろの方にはエンブレーマギアを纏った人々が十数人。アイヴィーさんたちのとはちょっと形や色が違う。もっと騎士鎧っぽくて、澄んだ銀色だ。近衛兵、っていうことだろうか。
片方は、軍服をマントみたいに羽織った厳ついおっさん。騎士と現代の軍人とを足して二で割ったような感じ、というか……グリーヴやガントレット、腰に下げたサーベルなんかはいかにも騎士だが、その立ち振る舞いはもっと別の何かに思える。
もう片方は、薄く透き通るような白いドレスに身を包んだ女の子だった。異常に色素の薄い、長い金髪を揺らしている。なんじゃありゃ……太陽光で焼け死ぬんじゃねぇかってくらい薄いぞ。背が高いからか、年齢はつかみにくいが……意外と俺たちと同じくらいか? 確かに大人びた雰囲気はあるけど、明確な大人、っていうほどではない。
「ふむ……」
二人組の片割れ、おっさんの方が、整った髭に覆われた顎に手を当てる。表情の読めない瞳が、つい、と俺たちの頭上を通過する。何だ……? 人数を、数えている……のか? あ、止まった。数え終わったらしい。
薄くその口が開き、低く、物々しい声が漏れる。
「少ないな」
え、これで!? ちょっとびっくりだ。
呟き、と言っていいほど小さな声だったから、聞き間違えた可能性は捨てきれないけど……耳は良い方っていう自信はあるんだけど、流石に距離があるとなぁ。
個人的な考えだが、七十人っていうのは凄い人数だ。確か電車の乗車率百パーセントが百二十人だかそこら。多く見積もって百四十としても、その半分を埋め尽くす数なのだ。それを以てして少ない、とは……余程の人数を期待していたと思える。
それほどの人数を求める、ということは。
固有能力とか、エンブレーマギアの応用とか、そういうのを聞いた時点で何となく察してたけど……やっぱり、俺たちを召喚した目的っていうのは、異世界転移のお約束ってことなんだよな。
「レアレント中尉、本当に全員連れてきたのだろうな?」
「あったり前でしょ。流石に右も左も分からない異世界人、見捨ててくるほどアタシも冷酷じゃないわよ」
「ふん、『魔砲少女』が今更何を言うか」
なんかまた物騒な言葉が聞こえたな。二つ名だろうか? 随分と心の中の中学二年生を呼び覚ます響きな反面、アイヴィーさんは酷いしかめっ面になった。察するに、あんまりいい意味や経緯で付けられたものじゃないんだと思う。
それをわざわざ口にする、ってことは、二人は多分、あまり仲が良くない。まぁ、見るからに嫌なやつっぽいからな、このおっさん。あっけらかんとして人付き合いの良いアイヴィーさんとは、相性最悪なタイプの人間だろう。
「まあいい」
おっさんはにやり、と笑うと、隣の少女の背中を押す。うわぁ、嫌な笑顔。俺でも分かる、ありゃ腹に逸物抱えた奴の顔だ。俗にいうタヌキジジイってやつだろうか。いや、年齢的には四十代前半に見えるけど。タヌキオヤジというべきか。見た目も腹の突き出た中間管理職、っていうよりは、どっちかっていうと前線で指揮を執る武人、って感じだ。
対する女の子の方は、随分儚いというか……なんだろう、存在感がない、と言うべきか。芽音が氷細工の儚さなら、彼女は和紙で組んだ紙細工の儚さだ。粉々に砕けたりはしないだろうけど、それよりもっと無惨な未来を予見させる、ちょっと異質……いや、いっそ『異常』と言ってもいい雰囲気を感じる。
「皆様、よくぞ私どもの呼びかけにお応えくださいました」
少女が、その驚くほど色素の薄い、青い瞳で俺たちを見据えた。綺麗な目だ。透き通るような……いや、違う。綺麗すぎる。
あの目は、何も考えていないやつの目だ。俺たちの存在を、ただ映像として処理しているやつの目だ。俺たちを、一個の人格として認識していないやつの目だ。
人形のような目――言葉としては知っているけど、実際に見たのは間違いなく初めてだろう。想像していた以上に気持ち悪いぞ、これ。ただでさえ不気味な儚さがあるのに、そんな目までされたらまともな人間じゃないと証明しているようなもんだ。それも、できればお近づきになりたくないタイプの。
こいつはどうやら、大分マズいやつらに呼ばれたと見える。ちょっと気を引き締めなくちゃならんかもしれん。俺は良いけど……いや良くないよ? 痛かったり辛かったりするのは嫌だよ? そりゃ平和ボケ極まる一般男子高校生だもの。でもそれ以上に、芽音に危害が及ぶのは防がなくちゃいけない。
ただの先輩後輩、と言ったばかりだけれど、やっぱり芽音は俺にとって特別な存在なのだ。俺なんぞに優しくしてくれて、なおかつ特別親しくしてくれる女の子。感謝してもしきれないし、なんというか、まぁ、好きか嫌いかで問われれば大好きだ。そういう建前やら勘違いやらを抜きにしても彼女は友達だし、友達の身であれば率先して守っていきたい。
こらそこ、似合わねー、とか言わない。これでも恥ずかしいのは分かってんだよ。全くもう。
「私はバルアダン共和国大統領、シビュラ・バルアダナ。かつてバルアダン王国の女王となるはずだった人間です」
異世界人の小さな決意をよそに、薄金色の少女は続ける。
亡国の王女、という言葉が脳裏で踊る。そういえばアイヴィーさんが言ってたっけ。バルアダン共和国は、元々王国だった、って。
最初は何で体制が変わったのか分からなかった。エンブレーマギアみたいな高度な技術がある反面、社会体制は中世のそれに見えたからだ。民主主義革命が起こるにしては、ちょっと早いような気がせんでもない。いや、俺も芽音も内政スキルは持ってないからその辺詳しいことは分からないんだけども。俺にできるのはせいぜい色分け金型のすばらしさを伝道することくらい、ってそんなことを言っている場合ではなくてだな。
シビュラと名乗った元王女兼現大統領の語り口を見るに、どうやら統治体制の変更は、ファンタジーお約束の経過をたどって成されたと推測された。ついさっき抱いた予感というか推測が、どんどん現実として質量を持っていくのが分かる。おいおい冗談だろ、そりゃ学園転移もののお約束だろうけどよ……流石に中学生呼ぶのは駄目だろ。
王国が共和国になるときは、どのような形であれ、王家が滅び、その役割を果たせなくなるときだ。そして革命の可能性が薄く、かつ王女だった人物が生き残っている今、選択肢は一つしかない。
つまり――
「私の母国は、まだ我が身が幼かったころ、焔の内に滅びました――この九つの種の栄える世界における異分子。十番目の種族たる、『魔族』との戦争に巻き込まれて」
畜生、やっぱりそうだった。
お前はいつもそうだ、良い予感は全然当たらない癖に悪い予感ばっかり的中する!
異世界ものにおいて、主人公たちが地球から別世界へと呼び出される理由。その内容は千差万別、といって差し支えないが、大抵の場合は一つのテンプレートがある。
即ち、『現地の人々では対応しきれない、外敵の排除』――国民的RPGを始めとしたさまざまなファンタジーで見られる、『魔王を倒して世界を救う』構図だ。異世界転移ものの登場人物たちも、その多くが魔王や、それに率いられた敵対種族、『魔族』との戦争を有利に導くために召喚される。
全体的に機械要素が豊富だからもしかしたら違うかも、と期待していたが、この世界もまた、例外ではなかったということだ。
「魔族に対抗するためには、人類にも超常の力が必要でした。そのために開発された機械の鎧――それこそが『エンブレーマギア』。既にレアレント中尉からお聞きしているかもしれませんが、エンブレーマギアはその力を最大限まで発揮させるために、使い手の固有能力が必要となります」
くそう、次々と予想通りの台詞が飛び出してきやがる。ちょっとくらい外してくれてもいいじゃねぇか。
「当然ですが、強力なスキルの使い手ならば、必然的に強大なエンブレーマギア使いとなることが可能です。私たちはその戦力を求めて、我らの神に祈りを捧げました。その結果、神は皆様を、この世界に遣わしてくださったのです」
淡々と続けるシビュラ。その口調に反して告げられた事実は極めて苛烈、過激。
それは少年たちを激昂させるのに十分な内容だった。
「ふ……ふざけんな! 俺たちに戦争しろっていうのか!?」
「俺、痛いのは嫌だよ! 大体あんたらの問題なんだろ!? あんたらで解決しろよ! なんで俺たちが巻き込まれなくちゃいけないんだよ!」
「そうよ、そうだわ!」
ざわめきが広がっていく。七十人近くが一斉にどよめくと結構うるさいよな。全校集会とかで体育館に集まると滅茶苦茶騒々しいのと同じで……いやそうじゃなくて。
要するにシビュラはこう言っているのだ。
自分たちの代わりに魔族と戦争をしろ。
自分たちが生き残るため、戦争の道具になれ、と。
もうばっちり予想通りの召喚理由でしたね、ええ。ふざけんなよって感じ。
「私たちには!」
そのとき。
シビュラは、初めて俺たちを見た。
青い瞳には、この世の過酷を垣間見てきた、確かな激情が宿っていた。先程までの、ガラス玉めいた印象とは全く異なる色。
「私たちには……バルアダン共和国には、もうこれしか方法が残っていないのです。エンブレーマギアを装備し、最前線で戦っていた騎士たちの多くは負傷、あるいは、皆さんの畏れているように、戦の最中に帰らぬ人となりました。その数はとても数えきれるものではありません」
人間の国は、バルアダン共和国だけではないらしい。
けれど彼らからの援助を受けることは難しいのだ、とシビュラは続ける。対魔族戦争の戦況は芳しくなく、諸外国も、とてもではないが一度滅びかけたこの国に、援軍を送る様な余裕などないのだ、と。
ありがちな展開だが、だからこそその重みと絶望的な状況が良く分かる。要するにこの国は、もう魔族に歯向かう力が、その手段ごと殆ど残っていないのだ。跳び箱で十段飛ぶ課題が出てるのに、そもそも十段の跳び箱が存在しないようなもんである。挑戦権すらない、というべきか。
「結果として、戦いに適するほど強力な固有能力を持つ人は、もうこの国にはレアレント中尉を初め、数十人しか残っていないのです。彼女たちとて人。無限に戦い続けることなどできません。加えて相手は個ではなく『軍』――一人一人の性能で大きく劣っている我々が、どうして魔族を撃退することができましょうか」
だが、俺たちは違う。
異世界の民は得てして、この世界の住人では持ち得ない、強力なスキルを宿している。それは異世界転移もののテンプレートであり、そしてこの世界にも例外なく適用される要素らしい。
先に説明した通り、エンブレーマギアはスキルによって大きく出力を変える武装。
俺たちであれば、この世界の戦士たちが束になっても敵わぬ魔族を、たった一人で薙ぎ払うことが可能なはずなのだという。
例え彼らが、万の軍勢を組織していたとしても。
「お願いします、異世界からいらした救世主の皆様! 身勝手な願いだとは分かっています。ですがどうか、どうかお願いします」
女王になるはずだった少女は、異世界人に謝りはしなかった。
代わりに、毅然とした表情で、涙をためながらも、俺たちに対して『依頼』するのだ。
「私たちを、お救い下さい……!」
ああ、畜生、やられた。
俺はこの瞬間、どうしてこの、すぐにでもぐしゃぐしゃになってしまいそうな女の子が、大統領として君臨しているのか、あるいは『させられているのか』を理解した。
彼女は『悲劇のヒロイン』として、余りにも完成させられ過ぎているのだ。儚げな容姿、亡国の姫君という肩書き、それでいて民衆を束ねる大統領という今の立場、人類を想い、批判を浴びてでも彼らを救おうという精神、そして、それを異世界人に納得させられるだけの高い話術。
どれもこれもを素で備えていたのだとすれば、これ以上の化け物はないかもしれない。その存在そのものが、俺たち地球人の良心を動かし、反論の矛を納めさせてしまう。
人形めいた瞳のせいで、隣のおっさんの傀儡かなんかなのかと思っていたが……もしそうなんだとしても、このシビュラという少女が異世界人を懐柔するのに、うってつけの人物であるという事実は変わらない。
「お……俺はやるぜ! この世界を救って、英雄になってやる!」
「俺も! どうせ元の世界じゃつまんねぇ人生だったんだ。せめて華々しく散って異世界に名を残してやらぁ!」
「散ってどうすんのよ。でもあたしも、なんか挑戦してみたくなってきたかも……!」
その証拠に生徒達の間には、なんというか、『やってもいいかな』という雰囲気が漂い始めていた。シビュラの、あるいはその隣に立つおっさんの、言葉選びが上手いのも最悪だ。『一人で万軍を薙ぎ倒せる』だとか、『救世主』とか、おまけに美少女の涙付きと来た。中高生にそれはキツイ。一気に戦争に対する、心理的ハードルを下げられているだろう。
大統領シビュラ――ありゃ魔性だぜ。見ているだけで、その言葉を聴いているだけで、何とかしてやりたい、と思ってしまう、奇妙な魅力が彼女にはある。芽音という美少女の窮極みたいなのが隣に居なければ、ある程度メタ的な視点を持ててる俺でも危なかったかもしれん……ってこの話、前にもした気がするな。まぁそれだけ芽音が可愛いってことで。
しっかし本当にマズいな。今から俺だけ「嫌です!」とか言えそうにない雰囲気になって来てる。さっきまで反対してたやつらも、もう殆ど賛成側に回ってしまった。
「神殿より、皆様の固有能力を測定する装置を預かっています。デイヴィッド」
「は」
極めつけがこれだ。
固有能力。異世界転移ファンタジーにつきものの、最大のお約束要素だ。
魔法や技術とは異なり、『その人間が最初から備えている力』。特殊能力とか、超能力といっていいかもしれない。この言葉が、余計に少年少女から戦への忌避感を奪い取る。
異世界転移ものにおいて舞台に選ばれる世界は、一般的なハイファンタジー……主人公が最初から異世界の住人であるタイプのファンタジーのことだ……のそれと比べて、軽快で分かりやすく、要所要所にまるでVRMMOもののような用語がちりばめられている。
悪く言ってしまえば、非常にゲーム的なのだ。
丁度俺たちぐらいの年齢の青少年から心理障壁を取り払い、リアルの肉体を、日常的にプレイしているアバターか何かのように認識させてしまう、悪魔の言葉。
転移先の異世界が何らかの方法によって選別されているのであれば、意図的に『そういう世界』が選ばれてる、っていうことなんだと思う。呼び出された少年少女が、自らの命を進んで投げ出せるように仕組まれた世界。
そこに先程のシビュラの演説にもあった、後に引けない状況と、悲痛な顔で訴える『お姫様』の存在。ここまで揃えてしまえば、誰も嫌だ、とは言い切れない。ここで断ってしまえば、一生罪悪感に苦しめられることになるかも、という不安感。
それを餌として、偽りの『やる気』が転移者たちの中には芽生えだす。やがてその芽は花開き、種を飛ばし、他の少年たちにも『やる気』を感染させていく。
そうして生み出された大きなうねりに、俺たちは逆らうことが出来ない。協調性だなんだと言っている日本人ならなおさらだ。
ああ畜生、わざわざ日本人ばっかり呼ばれてるのも、そういう意図があったりするのか? 実際に呼ばれてみると、今まで物語をさくさく進めるための設定だと思ってた要素に随分理由がある気がしてくるな……こんなところで気が付きたくなかった話だ。
そんな俺の混乱は、当然だが状況になんの影響も与えない。
デイヴィッドと呼ばれた件のおっさんが、片手を上げる。すると付き従っていた近衛兵っぽいギア使いたちが、一斉に散開して俺たちの前に立ちはだかった。なんだなんだ、と思う暇もなく、右手に何やら冷たい、石板のようなモノを握らされる。
よくデパートの宝石コーナーに展示されてる、クリスタルの結晶を、薄くスライスしたような見た目だ。淡く水色がかったそれは、前述したようにやたらと冷たい。それでいて、ぼんやりとではあるが、温かく発光しているように見えた。なんだこれ……?
困惑冷めやらぬうちに、プレート状の表面に変化があった。じ、じ、じ、という小さな音と共に、何やら文字が刻まれ始めたのだ。すげぇ、何だこれ!?
「神殿によれば、それがあなた方の『ステータス・ウィンドウ』になる、とのことです。絶対に無くさないよう、ご注意ください」
シビュラが静かに警告する。
刻まれたのは何故か日本語の文章だったが、だからこそ彼女の言葉も理解できた。ああうん、これは無くしちゃ駄目だわ。おもっきし個人情報が書いてある。春風逢間、十六歳、誕生日は六月十八日、性別は男で血液型はA……全然関係ないけど、こっちの世界で輸血とか必要になったらどうなるんだろう? エンブレーマギア関連の技術だけ異常に発達してるだけで、文明レベルは一般ファンタジーとそう変わらないのかしら。だとしたら唐突に困ることはあるかも……気を付けよ。
とはいえ、この情報が書いてあるのは俺だけ、という可能性もある。そっと視線を落としながら、隣に立った芽音のそれを盗み見る。
凍月芽音、十四歳、誕生日は十二月二十八日、性別は女で血液型はA、スリーサイズは上から八十・五十八・六十五……八十!?
「先輩……?」
「あ、ああすまん、なんでもない!」
慌てて視線を逸らす。いけねぇいけねぇ、覗きは公序良俗に反しますよ俺。たった今個人情報だろこれ、って思ったばっかりでしょ。最悪犯罪だぞ。
しかし衝撃はなかなか薄れてくれない。想定外の数字だ。八十……八十か……八十の質量と弾力が、今俺の左腕には押し付けられている、と……うっマズい、そう考えたら急激に雄の本能的サムシングがアップを始めやがった。落ち着け……静まれ俺のリビドー!
「大統領官邸にて歓迎の宴を用意している。見知らぬ世界の食べ物で不安かもしれないが、神官団によれば、貴卿らの世界とこちらの世界の食生活はあまり大きくは変わらぬそうだ。安心してほしい」
デイヴィッドの宴、という言葉で、主に食べ盛りの少年たちが色めきだった。既によだれを何度も呑み込んでいる奴までいる。おいおい、そんな風に喜んでる場合じゃないだろうに……いや、後輩のスリーサイズに喜んでる俺が何を言ってるんだっていう話ではあるんだけど。
「また、明日以降の活動も、我々共和国政府、及び共和国軍が全力でバックアップさせていただく。衣・食・住、全てにおいての十全を約束しよう。遠くから……文字通りの遠くから来訪し、そして我らの為に剣を取ってくれる貴卿らへの、我々からのせめてもの礼だ」
我らの為に剣を取る、か……嫌な言葉だ。
別に俺たちが道具のように扱われているから、っていうことじゃない。いやもちろんそれも気分の悪くなる話だけども、そもそも向こうは俺らを、読んで字の如く『戦争の道具』として呼び寄せたのだ。どう見てもお偉いさんであるところのあのおっさんが、俺たちのことを自分たちの同族として見ていないことは想像に難くない。最悪、使い捨ての兵器か何かだと思っているのだろう。だからこそ、あの時彼は「少ないな」と口にしたのだ。言い方は悪いが、残弾の数が、ということだ。
問題は……いや、だからこそ出てくる問題、とも言えるか。俺たちの扱いが、結局のところ『高性能な道具』でしかないならば。
果たして高性能ではない道具は、どうなってしまうのだろうか?
「先輩、本当に大丈夫ですか?」
芽音が心配そうに見上げてくる。うへ、後輩に気を使わせてしまった。どうやら相当変な顔をしていたらしいな、俺。いろんな感情がないまぜになった結果なんだろうけど、切っ掛けのところが下ネタなだけに罪悪感が酷い。
「ま、まぁ……なるようにしかならないことを祈ろう、うん」
「もう、いつも変なところで楽天家なんですから……」
努めて明るい声を出してみる。ちょっと語尾の辺りが震えていた。俺の馬鹿! そんなことしたら芽音が余計に心配するでしょうが!
でもごめん、実際のところ、結構余裕がない。提示された事実を受け入れるのに、少々時間がかかりそうなのだ。
俺は手渡されたプレート、その半透明の表面に、魔力が削り上げた『ステータス』をちらりと再確認。ああクソ、見間違いでもなんでもねぇ。この世界にカミサマとやらがいるのなら、そいつは絶対とんでもないお約束好きで、主人公の選出は半分くらいランダムで決めるような、とんでもない気分屋に違いない。
スキル覚醒イベントには一つ、大きなお約束がある。
即ち、スキル欄に何の記載もない奴は、その世界にとっての『主人公候補』であり、この先様々な困難や冒険が待ち構えることとなるのだ。
プレートの表面、『スキル』と刻まれた欄、その隣には。
何も書かれていない、正真正銘の空白が続いていた。