第三話『嵐というよりは突風とか竜巻とかそういう』
通路を十五秒も歩いていれば、第三美術資料室改め、模型部の部室に到着する。我が校は五階建てと縦に長いため、必然的に教室間の横幅は狭いのであるな。
がらり、とちょっと痛み気味のドアを開ければ、燦然と輝く我が作品たち。登校直後にここに置いてきた新作キットは、特に窃盗されることもなく無事だった。いやまぁ、わざわざ盗みに来るようなやつはこの学校にはいないと思うけど。いるならもっと部員増えてるだろ。
しっかし流石は世界に名高き玩具メーカー。箱を見るだけで制作意欲が湧いて来る。むしろ向こうから「早く自分を完成させてくれ」と催促されているような気さえした。待たせたな、今組み上げてやるぞ……!
「もう、先輩ったら。カバンはちゃんと綺麗に置いてください」
「お、おう。すまん」
逸る気持ちに導かれ、どさっと学生鞄を下ろしたら、その無造作さを怒られてしまった。こいついつも変な所細かくこだわるよな……まぁその几帳面さが、彼女らしい良い作品を生み出す要因にもなるわけだけども。
いそいそ綺麗に鞄を立てて、それから新作建造の開始だ。早速、向かい合う様に座ると、各々自分に与えられたキットを組み立てにかかった。本格的な塗装や改造を施すこともあるけど、我が部の活動は基本的に素組である。俺も所詮趣味レベルだし、楽しく、テンポよく作るのが一番だと思っているからな。
ぱちん、ぱちん、と、ランナーからパーツを切り離す音が部屋に木霊する。最近は成形色だけで劇中のカラーが再現できるっていうんだから、ホントとんでもない技術だよな……などと思っていると、ふいに芽音が口を開いた。
「夏休み、今年はどうします? 展示会、観に行きますか?」
「ああー、そういやもうそんな季節か……」
期末試験の結果発表が終われば、一週間もしないうちに夏休みだ。そしてその時期には大抵、都心の方で大きな模型展示のイベントがいくつかある。
模型部が設立してからは毎年、開催日になると足を運んでいるのだが……。
「三年連続、っていうのも、ちょっと味気ない気はするわな」
「先輩に至っては四年目ですもんね……」
芽音が苦笑する。別にモデラーなら大体誰でも毎年行くとは思うんだが、合宿扱いというか、部費がおりる遠征がそればっかり、というのは少々勿体ないなぁ、と思わんでもなかったのだ。実際、そろそろ何かしらの新しいことにトライしてもよさそうだなぁ、とは思うのだな。残念ながらその『何かしら』の内容はさっぱり思いつかないのだけれど。
「私は、先輩と二人で出かけられるなら、どこでもいいですけど」
「芽音お前最高の後輩かよー。選択肢の幅が狭い先輩でごめんな」
ほんと優しいなこいつ。普段の態度も優しければもっと良いんだけど。
というかしっかり呑み込むと結構すごい台詞だな今の。なんか変な勘違いでもしそうだ。
俺はピンク色の方向へ走り始めた思考を振り払うと、半ば無理矢理、話の穂先を移し替えた。
「結局新入部員は増えなかったなぁ」
「まぁ、内容が内容ですしね」
「お前がいりゃどさどさ人が来るかと思ってたんだが」
「客寄せ目的で私を入れたんですか? 最低です」
「えっ? い、いや、そういうわけじゃぁねぇけどよ」
まさかそこまで罵られるとは思わなかった。
しかし芽音はすぐにそっぽを向けた顔を俺の方へと戻すと、またあの愛らしい笑顔を見せる。うっ動悸が。この笑顔、圧倒的に心臓に悪い。
「冗談ですよ」
「畜生騙された。この演技派女優め」
さっきもそうだが、芽音の台詞は彼女の生真面目さもあいまって、どこまでが冗談でどこからが本当なのか判断しにくいのだ。これでも三年間、学校がある日はほぼ毎日一緒にいるが、それでも時々何考えてるのか良く分からない。
そんなものだから、キット製作は存外静かに続く。足のパーツが完成したら、次はスタビライザーを含めたバックパックから。あっやべ手が滑った。ポリキャップがぁぁぁっ!
彼方へと転がっていった軟性の部品を拾ってもらったり、逆に拾ったりしていたら、製作中の雑談が再会されていた。いくつか別の話題を経由しつつも、いつの間にか模型部の現状に関するものへと戻っていた。
「なんだっけ、中等部の部員の増加がないまま構成員が全員高等部にあがったら、中等部部活連からは除名されて、教室も高等部の校舎に移さなくちゃいけないんだっけ?」
「そうですね。確か生徒会規則第十三条『部活動について』の五番だったはずです」
「めんどくせぇ規則があるもんだなぁ……っていうかお前あれ全部覚えてんの? すげぇな」
「当然です。何か校内で問題があったとき、全部覚えていなかったら咄嗟に先輩を守れないかもしれないじゃないですか」
「きゃー格好いい! 抱いて!」
「それ私が言う台詞じゃないですか……?」
「いやなんでそうなるんだよ。否定しろよまずは」
最近の子は自分を大切にしなさすぎだと思う。
「しっかし、そうなるとこの教室ともおさらばかぁ……何だかんだ愛着あるんだけどな、俺」
「まぁ、規則は規則ですから……」
「悪法も法とはこのことだなぁ……いや用法合ってるのかは知らないけど」
苦笑する芽音に吊られて、俺もちょっとシニカルな笑みを浮かべてみたりする。うへぇ、ビックリするくらい気持ち悪いな俺……鏡があればこの、なんというか所謂『不幸面』が不気味に笑っているのが確認できるはずだ。そのイメージを取り消すように慌てて思考を切り換える。
「いやでも、気に入ってたのは本当だぞ。位置取り的に窓開けて塗装スプレー噴かしても誰も文句言わねぇし。人来ねぇから完成品飾っても良いし。周りを運動部が通過しないから、大きく揺れて模型が棚から落ちることも――うぉうっ!?」
言い切らないうちに、強烈な縦揺れが、部室全体を襲った。
棚に飾ってあった一年前の傑作がガシャンと音を立てて落下する。あ゛あ゛ーッ!! 俺の渾身の力作が! 角がっツインブレードが折れている……ッ!
「お・の・れぇぇええどこの部活だ今地震紛いのランニングしたのは! 器物破損で訴えてやる、ってうぉおぉぉぉおおおっ!?」
「きゃぁっ!?」
直後、もう一度似たような揺れ。今度はさっきよりも規模が大きい。芽音の座っていた椅子が倒れて、彼女の身体がこっちに投げ出されてくる。
反射的にその軽い体を受け止めると、衝撃を逃がすように体勢を入れ替える。結果的に押し倒すような格好になってしまう。顔がっ、顔が近い! しかもなんかこう、シャンプーの匂いと女の子の甘い香りの混ざった、男の本能を刺激するフレグランスがですね……!
でもなんでか知らないけれど、二人ともしばらく、そのまんまの姿勢でフリーズしていた。
「わ、わりぃ……」
「い、いえ……」
揺れが収まったころになってようやく、俺たちは弾かれたように体を離した。心臓がバクバクいっている。耳まで真っ赤なのが自分でも分かった。
「な、なんだったんだ今の。人間の出せる振動じゃぁないぞ」
誤魔化すようにまくしたてる。実際不思議なのは確かだ。いかな地震大国日本とはいえ、あんなに規模のでかい地震は初体験だ。そもそもなんというか、自然現象ではなかったような……。
「先輩、見てください!」
「おん?」
その予感は、芽音の悲鳴に近い叫びで裏付けられた。
驚きに見開かれた彼女の目を追う。窓の外。一体何が――
「……は?」
随分と、間抜けな声が出たもんだと思う。
でも仕方ないと弁明したい。人間誰しも、極度の驚きの中ではその言葉は陳腐になるものだ。
「どうなってんだ……」
振動の出所はきっと、『それらの出来事』だったのだろう。
一つ目は、中等部の校舎が高等部のそれと断絶したこと。模型部の部室は両校舎の接続部に近い。そのため、金属とコンクリートが砕け散るときの衝撃をもろに受けてしまったに違いない。
二つ目のものは――切り離された中等部の校舎そのものが、文字通りの新天地に到達、その地面へとアンバランスにめり込んだときの、衝撃。
なんせ明らかに、我が部室を擁する本校舎は、本来あるべき場所とは別の場所に佇んでいるのだから。
外に見える景色は、つい数秒前まで見えていた、校舎裏のテニスコートではなく、鬱蒼と茂る、深い緑色の羅列――有体に言ってしまえば、『大森林』へと変貌。がらりと窓を開けて身を乗り出すと、まるで出迎えるかのように、その巨木たちはざわ、ざわ、と、昔懐かしい自然の声を奏でていた。
「なんだ、あれ」
「飛行機、でしょうか……? いえ、人間……?」
その上を、何やら鎧らしきものを着込んだ人影が、いかにも警戒しています、といった様子で飛翔していた。こちらを観察しているらしい。彼らが窓から身を乗り出した俺と芽音に注ぐ視線、その意味しかし、この距離からでは測ることができない。
「な、なんだよこれ、どうなってんだよ!」
「どこよここ……これから部活だったのに!」
一回目の地震の段階で、中等部の校舎に居た生徒達だろう。何人かが俺と芽音のように窓から身を乗り出し、あまりにも唐突過ぎる環境の変化に当惑の声を上げていた。ちらほらと高等部の生徒も見かける。俺のように何らかの用事でこちらに居た人間も、丸ごと引っ張られてきてしまった様だ。
どよめきと共に混乱の渦を形成した、細長い校舎。
その直上、詳細を視認できる距離まで、飛空していた人影の内の一人が降下してきた。
女性だ。映画で見るような、純正のブロンドヘア。すっと通った目鼻立ちは、とんでもなく整っていて、芽音のお蔭で人間のたどり着ける容姿の限界を知っていなければ、この世のものとは思えなかったかもしれない。
年のころはニ十歳ほどに見えるが、それよりももっと若いようにも思えた。視線を下ろせば、見惚れているのか、呆けて口を開けた少年たちが散見される。無理もない。ありゃすごいわ。
でも正直な話、俺は彼女の顔立ちではなく、もっと別の場所に視線を奪われていた。ぶっちゃけ可愛さなら芽音の方が三倍は上である。問題はその服装、全身を覆った『兵装』だった。
機械鎧だ。直感的にそう感じた。
女性が纏っていたのは、銃砲や刀剣と言った兵器を想起させる、エッジの利いたクロムシルバーの装甲だったのだ。トップモデルも真っ青な体のラインを強調するように、ぴっちりはり付くレザースーツ。その上から、身体の要所要所を守る様に、その機械鎧が装着されている。腰の辺りに構えられた、スラスターと思しき設備が、炎とも電気ともつかない、不思議な青い光を大空に向けて放出していた。
そんな彼女が、腰の装備ラックと思しき場所から、なんぞ筒形のオブジェクトを取り外した。咄嗟に身構えてしまうが、直後、ががっ、ぴー、という特徴的な起動音と、「あー、あー、テステス」と女性が発声する様子から、それが拡声器なのだと理解した。
「えーっと、どっから『呼ばれた』のか知らないけど、間抜けな面したガキンチョどもー。アタシはバルアダン共和国軍、第三魔導機械化中隊隊長のアイヴィー・レアレント。共和国政府の命令により、あんたらを首都まで連行するわ」
夢でも見ているのか。それとも、悪質なドッキリかなにかか。さもなければ、映画の撮影にでも知らないうちに巻き込まれていたのだろうか? 機械鎧の女性が叫んだ言葉、そこに含まれた内容は、国名も、人名も、なにもかも聞いた事のない内容だった。そのくせ何故かネイティブな日本語。
そんな時になって、俺はようやく、大気の質がつい先ほどまでとはまるで異なるモノになっていることに気が付いた。何か致命的な変化があった、というわけではない。多分酸素濃度とか、主な構成物質とかは何も変わっていない。変わっていないんだが……なんかこう、文字通りの『別次元』の場所で、何かが増えた、というか。その分、空気が重くなっているように感じるのだ。俺たちの肉体が潰れたり圧迫されたりはしていないため、単に重くなったと感じるだけで、実際の質量は変わっていないらしい、というところがミソな気がするが……理系ならざる俺には解明できん。最早意味が分からない。
――いいや。それは嘘だ。
こういう事態を知っている。俺のような流行りのコンテンツに便乗するタイプのオタクは、こういう状況をよく知っているはずだ。
要するに。
「先輩、これって……」
「ああ、うん、まぁ……間違いなく『飛んだ』んだろうなぁ……」
――『異世界転移』したのである。中等部の校舎と、そこに居合わせた生徒達を同行者として。
理解と想像の数倍上を行く展開に、思わず頭を抱えてしまう。芽音も芽音で目を回していたから、別に俺の精神が弱っちいわけではないと弁明したい。
いやでもさぁ……流石にこりゃぁ、想像しねぇよ。
だって唐突だぜ? 何の前触れも、下準備も、伏線もなく異世界転移。そんな状況、そう簡単に受け入れられるかってんだ。
「なんじゃそりゃぁ……」
思っていたものの五十倍情けない声が、俺の喉から零れていく。当惑と困惑で並々と満たされた、そりゃぁもう酷い声色で。
かくして俺と芽音は、生まれ育った地球とオサラバしたのだった。