第二十一話『主人公というのは他の人物の願いをある意味で裏切る必要がある』
今回の話を作成するにあたって、前回の話(第二十話)を大幅に変えています。
中空に、深紅の陣を形成する。大気魔力変換、出力凝縮、属性付与:炎、サーキット安定、シェイプシフト・レールガン。マスターが確か、『大魔導砲』と呼んでいた術式を起動する。
瞬間、私が操作できる全ての仮定魔術回路が励起、設置されたプラーナ・サーキットを魔力が奔り去り、極太の光として射出された。何と言っていただろうか……そう、『レーザービーム』。バスターライフル、とも、あの人は呼称していたっけ。
――世界の全てを焼き尽くせ。
最初に私たちが命じられたのはソレであった。何を目的にしていたのか、マスターは私たちに語ることはなかった。だが、関係なかった。少なくとも私には関係のない話であった。私にとってマスターの願いに応えることこそが理想、夢、存在意義であり、それ以外のあらゆる『意味』を持たなかった。持つ必要がなかった。
私は姉妹たちと共に、マスターから与えられた銀色の翼を広げ、与えられた魔法を繰り返し、繰り返し、毎日のように撃ち続けた。
私たちはこの世界を須らく焼き尽くす。そう造られたのだ。その使命を達成するための毎日に、私は喜びを感じていた。他の姉妹たちがどう思っていたかは知らない。でも少なくとも私は、自分の編み上げた術式が、マスターの役に立っている、という実感を得るのが、何よりも幸せで、大切に想える思考回路を有していた。
けれどあの幸せの日々は、知らない間に終わっていた。私たちに焼き尽くされるがままのはずだった世界が、黒と紫の鎧を纏って、反逆を開始したのだ。私は多分、それが始まった最初の頃に、一度命を失ったのだと思う。何せすみれ色の一太刀がこの白い装甲を切り裂く瞬間こそが、私の、今見ている景色を除けばもっとも新しい記憶だから。
大気魔力と干渉して、この世界の情報をつぶさに伝えてくれる観測エンジン。それは魔力濃度の低下や魔法使用の痕跡が致命的に見られない世界情勢、そしてなにより、私が機動を停止してから三百年近い月日が経ったことを伝えてくれた。
おまけに魔力通信は使えない。誰も私の呼びかけに答えない。誰も、誰も、私が呼んでも声を返してくれない。
――だれも、いない。
それを認識した瞬間に、マスターの手によって編み上げられた私の思考は、「嘘だ」と叫び出しそうになる。だって信じられない。今、私と共に空を駆けた姉妹たちが、一体たりとも、どこにもいないだなんて。
ああ嘘、嘘です、そんなはずはありません。応えてくださいお姉様。応えてください私の妹たち。こっちに来て、私を認めて、私が誰であったのか、この『個』を確立する私の名前をどうか呼んで!
それが無意味な懇願だと、きっと回路のどこかでは既に理解していた。三百年。お父様たるマスターに生み出された私たちは皆、強力な再生能力を有しているけれど……受けた傷が大きすぎれば、あるいは既に、解体されてしまったのであれば――
……いえ、待ってほしい。
何か、聞こえる。私の声に、誰か答えている。お姉様? それとも妹たち?
『……? ……、……!』
いいや違う。
聞こえる……これは、声? 姉妹たちの声とは違う。マスターが私に与えてくれた音声出力機構が紡ぐそれとよく似た、アウィールムの使う『言葉』だ。マスターが使い、私に与えてくれた言葉と、少々種別は異なるが……でも、間違いなく私を『呼んでいる』。
カメラを回す。解析――燃え尽きた鋼の残骸と、力のない人間ばかり。私を呼んだ人の姿は見えない。今のは幻聴だったのだろうか? まさか。マスターがお造りになったこの体に、そのような不調などあるはずが……いや、待ってほしい。
見つけた。
私を呼ぶ、声の主。
私の術式から逃れた人間たち。身を屈めた姿勢は、砂を落としながら崩れていく、この妙な洞窟都市の残骸から身を守るためのものか。あるいは、私自身の力から、かもしれない。正直、そちらの方は信じがたい事だけれど……でも、あの戦争のときのことを思えば、マスター以外の人間が、私たちに良い感情を持っていないことくらいは理解できる。
そんな、己を守護せんとする人間たち、そのうちの一人。
それが、私に声を届けている人物だった。
本人は何もしゃべっているようには見えない。厳密には、腕の中にかくまった、黒い髪のメスと会話をしているようだが――それが私を呼ぶ内容ではないことだけは確かに思えた。
となれば、もっと別の要素? 身体そのもの、あるいはこの人物の存在自体が、私を呼ぶファクターとなっている……?
思考回路が生み出す疑問の感情に押されるがまま、私はカメラ・アイに仕込まれた解析眼を使用する。ステータス鑑定の魔法を応用したこれは、マスターにとっても自信作だったはず。
そしてその力を行使したとき。
私はこれまで、感じたことのないほどの衝撃に襲われた。それは私を呼ぶのが人間だったからではない。そもそもマスターはそれが可能だったのだから、機巧によって動く私たちとの会話が、人間にできてもおかしくはない。
問題は、その人間を構成する、データにあった。
これは――マスターと、殆ど一緒の個人情報……?
目の前にいるのは、人間種族の身体的性別判定に基づけばオス。マスターもオスだった。私たち全員に対して、己の事を『父親』と呼称していたから間違いない。
驚くほどそっくりだ。黒色の髪、いつでも誰かのことを深く愛しているような、とても優しくて、機械の心でも思いやりを感じられる、黒い瞳。
私の構造解析エンジンは視界前方のアウィールムのオス、その顔立ちやそこから判定できる遺伝子構造が98%近くマスターと合致していることを告げてきた。
人為的に編み上げられた、マスターにとっては偽りの、しかし私にとっては私だけの、真実の思考回路が、あふれ出す言葉を止められない。この問いを口にしても無意味だと分かっているのに、彼なのか、と、目の前の人間に聞いてしまう。
『Mas……ter……?』
軋んだ言語回路が、ざらざらな音色を立てるのが分かる。違う、これは私の出す本来の声ではない。私の声はもっと綺麗だったはずだ。だってマスターは私の声を「まるでガラスのようだ。透き通っていてとても綺麗だと思う」と言ってくれた。彼の感性、認識、知見は完璧だ。ゆえに私の声は彼がそういった通りの美麗さであるはずだ。
ああ最悪だ。彼に褒めてもらったただ一つのアイデンティティである声さえも喪ってしまった。私という個を構成していた概念はもうどこにも存在しない。私は一機一機に名前の振られているわけではない、『ヒカリ』の姉妹たちのうちの一機。ただそれだけの存在になり下がってしまった。
バッ、と、マスターとよく似た人間がこちらを見る。
その、真っ黒で優しい、私の主とそっくりの瞳には、今、間違いなく困惑と、それから少しの恐怖の色が浮かんでいた。
直後。
思考回路が、スパークするのを感じる。拒絶された、という事実を、マスターが授けてくれた私の心が、全力で否定しにかかる。
――嫌だ。
嫌だ
嫌だ 嫌だ
嫌だ
嫌だ嫌だ
嫌だ!!!
滅茶苦茶だ。分かっている。
私たちはこの忌まわしき世界に、マスターの世界の言葉で終焉の黄昏を意味するという『ラグナロク』を引き起こす――その為に生み出された存在だ。私たちは機械。私たちは兵器。私たちには心などなく、私たちは誰かを愛したりはしない。誰かがいなくても、使命を果たすために動き続ける。
私たちは、『個』である必要性を持たない。マスターに、ましてやそれとよく似ただけの見た目を持った人間に、認められなかったところで。私だと認識されなかったところで。私という個を、受け入れてもらえなかったところで、本来なら関係ない。姉妹たちならそうするだろう。何の問題もなく、使命の実行を続けるだろう。
けれど、ああ、私は駄目だ。
やっぱり、駄目だ。
愛してほしい。認めてほしい。使命を果たして、マスターに、「お前が最高だ」と笑って欲しい。
手を伸ばす。厳密にはそういう錯覚ではあるけれど。実際には私の身体が、マスターとよく似たその人間に向けて、全力で疾駆しているだけだ。
けれどその疾走は阻まれた。彼へと到達する直前、その隣に立っていた、黒い髪のメスが、間に割って入ってしまったのだ。マスターとよく似た少年は突き飛ばされ、私の生体ユニット用のコア・スペースは、少女の方を取り込んでしまった。
仕方ない。人間のメスを、この機体の動力としよう。困惑の声と、何らかの感情……多分『恐怖』を帯びた悲鳴が聞こえるが、無視する。内部機関制御の各種魔法を起動。干渉開始――接続。認識変換、完了。丁度良い、あの頃の紫の騎士たちのように、私の構造に干渉できるおかしな鎧を持っている。これを応用すれば――よし、できた。このメスを、私の新たな『心臓』として、疑似的にあつかうことができた。
ああ、ようやく、思考と視界が明瞭になってきた。やはり記録が正しければ三百という年数、私のコアに使用されていた生体ユニットが朽ち果てるには十分すぎる時間であったらしい。だが今は違う。マスターとよく似た人間を取り込んだことで、私はあの頃と同じ『個』を得て、この空を炎に染め上げることができる。
眼下に見える景色は、あの頃とはまるで違っていて。
そのどこにも、愛すべきお父様の姿を見つけることはできない。
マスター、マスター、どこにいるのですか?
私はここです。私は役目を果たせます。
だからどうか――姿を見せて、褒めてください。
私の頭を、撫でてください。
私の名前を、呼んでください――。
***
「――今、なんつった」
本当に自分の声なのか疑いたくなるほど、酷くひび割れた声が喉から漏れた。両手が震えるのが分かる。ともすれば全身から力が抜けてしまいそうだ。
銀の翼をもつ怪鳥が、禁じられたはずの力、魔法を以て、膨大な規模の破壊を引き起こしてから数分。慌ただしく岩石の撤去作業を進める、地下都市の住人達。彼らを背景に、セト・グレイブズは俺に向かって冷たく言い放った。
「聞こえなかったのか? ならばもう一回言ってやる。第三鉱山から第一鉱山までを破棄する。荷物を纏めたら第二鉱山=第四鉱山間の移動経路に集合。この場所は爆破し、誰にも捜査されないように存在を抹消する」
「ちょっと待てよ……待ってくれ! 魔物は? 攫われた芽音はどうするんだ! 追わないっていうのか? 放置するっていうのか!?」
「そうだ」
「なんでだよ!!!」
ありえねぇだろ、普通!
詳細不明、目的不明、何故起動したのか、そもそもどうしてこんな場所に埋まっていたのかもわからない機械の『魔物』。危険性はこれまで出会ったどんな存在よりも圧倒的に上だ。天井知らず、と言っても良い。地下都市を一瞬にして崩壊させたあの魔法。冗談みたいな威力だった。共和国正規軍が使う魔導砲の中で一番強力なのは0.4キュビト魔導砲だが、それが引き起こす大量破壊よりもなお酷い。さっきから周囲の大気魔力が狂乱してるのか、変な頭痛さえするレベルだ。魔導核――そんな言葉が浮かぶほど。俺たちが無事でいられることが、いっそ奇跡なくらいの力。
あれを野放しにしていたら、どれだけの範囲に、どれほど酷い、破壊の爪痕が残ることか……止めるチャンスがあるタイミングで動かずどうするっていうんだよ。
しかも。しかもだ。そんなものの体内に封じ込められ……ああくそ、言いたくなかったからずっと避けてた表現だけどこの際使う、『食われた』芽音が、まさかずっと無事である、などということはあり得まい。外部に放出されることがなければ、飯を食うことも、水分を摂ることもできないはずだし……第一、彼女の健康状態を抜きにしても、ずっとあのままにしていたら俺たちは二度と会えないままだ。絶対嫌だぞ俺はそんなの。
「共和国軍にでも任せておけ。奴が起動する前に行った検査によれば、武装の類は見当たらなかった。あの魔法が唯一の兵装だ。で、あるならば、ある程度の規模の連隊を組めば撃退できる。アイヴィーの部隊の他に、あと一つ、二つでも中隊を並べれば倒せるだろう」
「あんたそれでも共和国軍のエースかよ……戦略眼疑うぜ……!」
「考察の上で話してんだよ、こっちも。テメェこそ思考が安直だ。心配性、とでも言った方がいいのか? 共和国軍は未知の兵器に油断するほどやわじゃない。心配するだけ無駄だ。そんなことよりさっさと撤退の準備をしろ。各国から調査用のギア部隊が派遣されてくる前にずらかるぞ……何の荷物もないなら瓦礫の撤去、及び魔導ダイナマイトの設置を手伝え」
この通りセトは取り付く島もなし。徹底して地下空洞の住人達を、表世界に悟られないようにすることだけを重視している。
「……万が一共和国軍がルキフグスと戦闘したらどうなる? そこに温情はあるのか?」
「軍はあいつを容赦なく破壊するだろうな。国にとっては見たこともない兵器。デイヴィッドにとっては、何としてでも隠蔽しなくてはならない過去の遺産だ」
「なら……芽音は……!」
はっきりとイメージができる。
0.4キュビト魔導砲の連打によって、粉々に破壊される白銀の怪鳥。内部に囚われた芽音もろとも、その体は爆発四散する。流れる大河に落ち行く残骸。命の鼓動を喪った、正真正銘の機械の骸と共に、冷たくなった芽音もまた、何処へと流れていき――
背筋がゾクッ、とざわめいた。嫌だ。そんな光景、絶対に見たくない。何としてでも芽音を取り戻さなくては。
けど……どうすればいい? 正直、この歴戦のギア使いが言いたいことも分からんでもないのだ。俺がここで、芽音を救うためにルキフグスを追いかけても、ぶっちゃけ犬死にになる可能性が極めて高い。飛行能力も低く、展開率も大したことない俺のギア・フレームでは、そもそも複数人数で叩くことを前提にしてるっぽいあの魔物を墜とすことはどう考えても無理だ。むしろ落とされる側である。カモというやつだな。
だからこそ、俺以外の強力なギア使いの助けが欲しかったのだが……第一部隊のメンバーたちは皆、セトについて行くようだし……どうしようもない、という言葉が実によく似合う。
くそっ、まさかセトがここまで多くの為に少なきを切るタイプの人間だとは思わなかった。考えればなんとなく想像はついたはずだ。荒山、俺たちが一夜を明かしたあの場所に、動物はおろか小枝の一つもなかった理由。この男はそれらを根こそぎ、自分たちの生活の糧として喰らい尽くしたのだ。次代のことなど考えず、ただ、今仲間たちを生存させるために全て消費したのだ。
他の全てを滅ぼしてでも、仲間たちを守る。それがセト・グレイブズの思考回路。
そんな奴に、祖国が犠牲になるかもしれない、なんて説いても意味はないだろう。ましてやそれが、こいつにとっては一週間程度のつきあいでしかない、よそ者の女であるならば。
そこにこいつが、何か目を向けることはないのだ。何一つ。絶対に。
「諦めろ。今は一人でも、確実な生存者を増やした方がいい」
「諦めてるのはあんたの方だろう!? 救えるかもしれねぇ命を、救わなくちゃいけねぇ命を、どうしてそう簡単に――」
「うるせぇ黙れ!!!」
ガッ、と視界がブレる。胸倉を掴まれたのだ、と理解したのは、セトの厳つい顔が、俺の顔の目の前に来てからだった。
黒い瞳には、どうしようもないほどの諦観と、絶望と、途轍もなく重い贖罪の色が見て取れた。
ああ――このおっさんは、そういう、思考で……。
「テメェに分かるのか、ハルカゼ……凶弾に倒れ、命を散らし、それでも息を引き取る間際に俺が託された『一人でも多く生き永らえてくれ』という言葉の重さが……俺たち全員が、この地下空洞で生き残らなければならないことの意味が!!」
セトはそれだけ言うと、踵を返して去って行った。フル・フレームのエンブレーマギアを展開すると、ガラッゾさんやグラックスさんと協力して、崩れた坑道を、しばしの間、立て直していく。
その様子を、俺はぽつん、と立ち尽くしたまま眺めていた。言われたばかりの言葉を、反芻する。
多分セトは言外に、「頭を冷やせ」「イテツキがテメェを突き飛ばした理由を考えろ」と言っているのだと思う。セト自身が、失われていった仲間の命に報いるための行動をするように。俺にも、芽音の犠牲、それが持つ意味をきちんと理解してから物事を考えろ、と言いたいのだろう。
……芽音が、俺を突き飛ばした理由、か。
そんなもん、言われなくても分かってる。あいつはまた、あの夜の約束を守ろうとしただけだ。今度は自分が、俺の事を助ける、守る、救ってみせる、という誓い。自分はどんなふうに犠牲になってもいいから、愛する人だけには、傷一つつけまい、という想い。
「馬鹿だ……お前は馬鹿だよ芽音……俺よりも酷い大馬鹿だ……」
そんなの、あいつ自身が否定した、俺の安い自己犠牲精神とどっこいどっこいじゃねぇか。
なぁ芽音、こういうことだったんだな、お前が言いたかったこと。確かに体は傷ついてない。お前が咄嗟に突き飛ばしてくれたおかげで、俺は無事だよ。スキルもあるし、全然怪我なんてない。
でもお前がいないだけで、こんなにも心が苦しい。ずたずたに引き裂かれたみたいだ。体はバラバラになってなくても、安息とか、平穏とか、そういう感情がバラバラになっちまった。
それなら俺の答え、俺が取るべき行動なんて決まってる。芽音が俺の自己犠牲を否定したように、俺は芽音の自己犠牲を否定する。
洞窟の天井に開いた、青い大穴をキッ、と見据える。恥ずかしいくらい、意志の固まった顔をしている自覚があった。ああ今多分、滅茶苦茶似合わない表情を取ってるんだろうな、俺。きっと芽音なら、「先輩がヒーローみたいな表情しても、全然英雄っぽくありませんよ。せめてごっこあそびのレベルには到達してください」とか言うんだろうな。
ああ。
その言葉が、聞きたい。合ってても良い。外れてても良い。芽音がこの顔を見て、どう思うのか聞いてみたい。
だから。俺は――




