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第二話『多分それは嵐の前の静けさで』

 俺こと春風はるかぜ逢間おうまを一言で表すならば、『絵に描いたような一般通過オタク』である。適度に流行りのコンテンツを渡り歩き、適度に中二病を引きずり、お世辞にも多いとはいえない古い付き合いの友人や、ネットで出会ったオタク仲間と時たまつるむ。そういう日々を送っている、至極普通の高校一年生。強いて言うなら趣味が模型製作、ということぐらいしか、特筆すべきことが見当たらない。

 鏡を見ればぱっとしない癖毛気味の顔。生まれてこのかた鍛えたためしもない身体はひょろりと細く、調子の悪いときにはちょっと病的。そういう、わりと探せばどこにでもいるようなタイプの人種に属する。


 当然だが、その十六年とちょっとの半生も大分一般的である。強いて上げるなら通う高校が中高一貫、ということくらいだが、それも地域によっては珍しい事でもあるまい。俺の住んでるところではちょっと珍しい立場ではあるが、それも少し人より頭が良いか、親が若干金持ちなことの証左程度の個人情報(ステイタス)。おまけに俺はその括りともまたずれたところにあって、単純に家が近いだけという場違い極まる存在だ。ああうん、中学受験はちょっと頑張った。学区が一番近い中学校、矛盾するようだけど遠くてな……登下校辛いの目に見えてて……。


 だから成績も良い方ではない。廊下にでかでかと張り出された、期末テストの順位表に曰く、同学年150人中、総合順位はぴったり90位。うーん、滅茶苦茶低い順位っていうわけじゃないのが凄いぱっとしないというか、俺自身の無個性さを際立たせている気がする。まぁ補修ラインであるところの100位以下ではないので良しとする。うん。


 そんなことを思っていると、どかっ、と背後から衝撃。振り返ればクラスメイトの十時と藤井が、不満たらたら、あるいはからかうような、もしくはその両方の中間みたいな表情で俺をどついたところだった。というか半分くらいぶん殴る勢いだった。


「この野郎、何も殴らなくてもいいじゃねぇかよ殴らなくても」

「だってよぉ、逢間、またギリギリ合格ラインじゃんかよ!」

「ずりーぞ、いっつもお前ばっかり回避しやがって! 俺たちゃもうそれが憎くて憎くて」

「うるせー、ギリギリラインを通過できるくらいの勉強量を見極められなかったお前らが悪いんだい」


 背中をさすりながら反論する。いや、実際の所はヤマなんか張らずに全部頭に叩き込むのが正道なんだろうけどさ。


「あんたたちねぇ、そういうのを『どんぐりのせいくらべ』っていうのよ。たまには真面目に机に向かったらどうなの?」

「うへ、イインチョからのお叱りだ」

「あれで性格キツくなければ才色兼備の優良物件なんだけどなぁ……」


 俺たちの会話を聞いていたと思しき別の、今度は女子のクラスメイトが声を荒げる。

 自他共に厳しい性格で有名な学級委員長を前に、悪童二人組はそろってすくみ上がった。優良物件とはまた失礼な言い回しだと思うのだが、常日頃から口を開けばやれ彼女が欲しいやれ青春を謳歌したいと不満を漏らす二人のことだ。そういう方向に思考が染まっていても可笑しくはない。

 俺もその例外とは言えないかもしれねぇんだよなぁ。可愛い女の子との甘い恋愛にはやっぱり憧れがあるし。


 ……特に、『可愛い女の子』の究極例が近くに居ると、余計にそういう感情をいだいてしまう。


「それに比べて……」


 クラスメイトたちの視線が、すぐ隣、中等部の成績掲示板の方へと向けられる。

 俺たちのいる高等部側と同じくらいの人だかりのできたそこ。その先頭、あるいは『中心』と言ってもいい場所に、彼女は一人、立っていた。

 何を食べ、どんなお手入れをすればそんなにつやつやになるのか分からないほどに綺麗な黒髪。烏の濡れ羽色とは多分ああいうもののことを言う。

 肌の方もきめ細やか。シルクのようなとよく小説で見かけるが、まさにそんな表現が良く似合う。誰にも踏まれていない雪のように、なめらかで、シミひとつない細い腕が、夏服の袖から伸びていた。

 中等部指定のサマーニットを纏った身体はいたく細い。背は同年齢の少女たちと比べれば、小柄な方だ。細さも相まって、抱き締めれば壊れてしまう、氷細工めいた雰囲気さえ感じさせる。

 そっと視線を順位表に向けるその横顔は、驚くほどにパーツの一つ一つ、そしてその並びが整っていた。『美しい』と『可愛い』が絶妙なバランスで同居したその容姿は、多分『可憐』と表現するのが最適解。


 凍月いてつき芽音かのん。中等部三年の美少女は、ただそこにいるだけで、周囲の空気さえ華やかにしているように思えた。


「ああ~、今日もお美しくていらっしゃるなぁ、『中等部の雪姫』……」

「すげぇよなぁ、凍月さん。さっきちらっと中等部(むこう)のも見たけど、今回もトップファイブ入ってたぜ。何回連続だっけ?」

「可愛くて頭も良くて優しくて、おまけに運動までできると来た。完璧超人とはあのことだね」


 藤井たちが鼻の下を伸ばす。委員長が後ろの方で「ちょっと、下品よそこの二人!」と叫んだ。うんまぁ、今の二人の表情を見ればそんなことも言わざるを得ない、と思う。


 そんなときだった。

 彼女が、ふいに俺たちの方を見たのは。

 視線がかち合う。直後、無表情だったそのおもてが、ふわり、と花の咲く様な笑顔へと変化した。そのまま小さく、その手を振る。悪童コンビはおろか、高等部の男子生徒が一斉に色めきだった。やれ今のは自分に向けてだの、やれお前のそれは勘違いだの。


 その騒ぎに押し出されるように、俺は掲示板前から転がり出た。そのまま、ひとの気配の一つもない、中等部の美術棟通路へと足を踏み入れる。何度通っても慣れない。なんでここ、こんなに人が来ねぇんだろうな……別に美術棟が無人だったり、誰も使っていないとかそういうことはないっつーのに。

 七月終わりの灼熱日光を浴びながら、いそいそとその道を進んでいく。目指すは最奥、第三美術資料室である。高等部所属であるところの俺が、どうして中等部の教室を目的地に設定しているのかと言えば、まぁ端的に言えばそこが俺の所属している、というか主宰している部活の部室だからなのだが――


「先輩」

「いてっ、いてててっ」


 にゅっと伸びてきた小さな手に、思いっきり耳を引っ張られた。痛い! 千切れるッ! 千切れるって!

 涙目になりながら振り返ると、超至近距離に驚くほど綺麗な顔。うおっ、と思わず声を上げてしまう。こいつ、一体いつの間に俺の後ろに追いついたのだ。成績掲示板を離れたときには、まだ中等部側の掲示板の前に居たはずなのに。

 俺はひりひりと痛む耳たぶをさすりながら、彼女に向かって文句を言った。 


「芽音……せめて声をかけてからにしてくれよ」

「かけたじゃないですか。数秒も記憶が持たないんですか? 鳥だってもうちょっと記憶力ありますよ、先輩」

「あれはかけた内に入らねぇよ!! ほぼ同時だったじゃねぇか!」


 件の話題の中枢人物。この学校で一番知名度があると言っても過言ではない生徒、凍月芽音が、ひと気のない廊下に現れていた。時々テレポートか縮地の才能でもあるんじゃねぇかと疑ってしまう。こいついつも知らないうちに俺の後ろにいるんだもんなぁ。

 妖精か何かのように可憐な顔は、僅かではあるが、「こっちこそ文句を言いたい」と主張してきていた。ああ、これはご立腹だ。それも結構どうでもいいことで怒ってるときの顔。


「我が姫君におかれましては、本日はなにがご不満でいらっしゃったのでしょうか」


 言ってからうっわ似合わねぇなと反省。自分で自分をぶん殴りたくなる。助走付きならなお良い。距離は長ければ長いほど最適だ。だがそんな責め苦を自ら課すまでもなく、芽音がもう一度その細い手を伸ばし、今度は正面から俺の耳を引っ張ってきた。いてててて!


「手、振ったの見てましたよね?」

「見てた、見てたよ! 見てたけど……だからなんだっての!」

「挨拶には挨拶を返すものです。習いませんでしたか? でしたら、小学校からやり直しですね」

「習ったけどさ!!」


 彼女は先ほどの優しい笑みとは正反対の、つんと澄ました表情で、一つ二つと俺に詰め寄る。苗字の通り氷のようだ。ぐさぐさ心を刺してくる。ようやく耳から手を離してはくれたものの、もっと別の場所が痛くなりそう。

 ちょっと青みを帯びた黒い瞳が、俺の顔をじっと見つめる。いっそ人形めいたレベルにまで顔が整ってるせいで、もう何か色々と迫力があって怖い。


「けど、なんです?」

「あの場で手ぇ振り返すのは明らかに恥ずかしいだろうが」

「そうですか?」

「そうなんです。大体あそこで俺が反応したら、今後どういう目で見られることやら……」

「……先輩は嫌ですか? 私と特別な関係に見られるの」

「えっ、いや、そういうわけでは……っていうかそういうつもりだったの?」

「まさか。冗談です」


 くすくすくす、と可愛らしく笑う芽音。こ、こいつ……。

 恐ろしく整った笑顔のせいで、不覚にもどきどきしてしまう自分が恨めしい。だってよう、もうなんというか、色々と全部どうでもよくなってくるくらいには可愛いんだもんこいつ……一種の造形美みたいなものすら感じさせる笑顔は、三次元より二次元主義を掲げる俺をして、『甘い恋』を願ってしまうくらいには魅力的だ。女の子ってのはどうしてこう、表情一つでこんなにも豊かに雰囲気を変貌させてくるのだろうか。

 こいつクラスメイト相手には絶対に猫被ってるだろ、と確信できるほどによろしくない性格。それを常日頃から見せてくる反面、こういう天使かなにかみたいに愛らしい姿も見せてくるからタチが悪い。どっちが本当の彼女なのか分からなくなる。


 まあでも、十時や藤井の言葉に嘘が無いことは、俺も十分知っている。頭脳明晰、容姿端麗、誰にでも優しい優等生。


 入学してから今日に至るまで、定期試験では常に成績上位。運動の方もトップクラスで、なんでも入学当初はそこいらじゅうの運動部から勧誘を受けたとかなんだとか。実際たまに助っ人でバスケやってるの見る。まぁ動きの速いのなんのって。こーんな細くてちっこい体のどこにそのパワーが秘められてんのかってくらい飛ぶし。体育の成績は五段階評定中『二』がお決まりの俺とくらべりゃ酷い格差社会が見えてくる。

 人付き合いも良く、友達も多い。おまけにこの見た目だ。そりゃぁもうびっくりするくらいモテる。今でこそそう頻繁でもないが、初めて会ったころは廊下を歩けばラブレターを渡される芽音の姿を見たものだ。因みにその中には当時の高等部三年の先輩も混ざっていた。いいんすか先輩、そいつまだ十二歳っすよとか思った記憶がある。

 聞くところによれば、御父上はどこぞの会社の重役だとかなんだとか。まさに『完璧』を絵にかいたようなスーパーJC。


 そして、とてつもなく優しい。多分こいつは、筋金入りのお人よしか何かだ。なんせそんな引く手あまたの状況でありながら、それを全部蹴っ飛ばして、『学校生活で初めて、普通に話しかけてくれたひとだから』とかいうあまりにもドシンプルな理由から、俺なんぞと交友関係を結んでくれているのだから。それも、分類上最優先の交友関係を、だ。

 基本的に極めて普通の高校生であるところの俺に、なにか普通ではないことがあるとしたらそこだろう。芽音とのつながりだけが、一種俺を『特別な存在』にしている。


 先ほど、芽音は入学当初に数多の運動部から勧誘を受けていた、という話をしたと思う。では彼女がそのどれかの誘いに乗ったのかと言えば、答えは否だ。彼女は運動部には所属していない。助っ人に行くのはどうしても人数が足りないとか、そういうときだけ。一か月の回数も制限を設けてるとか聞いた。人気者はすげぇな。

 すると、それだけのポテンシャルを秘めていながら部には無所属なのか、という疑問を多くの人間が次に抱く。部活動に乗り気では無くて、誘いを全て断ったのかと。ところがそういうわけでもないのだ。彼女が沢山の声掛けにノーを突き付けた理由は、『もう入る部活を決めているから』、だったらしい。

 ではその、彼女が入学当初から入るつもりだった部活がなにかというと。


「今日は新しいキットが入荷した、と聞きましたが」

「おうとうも。週末にわざわざお台場まで行って買ってきた限定品だ」


 模型部である。構成人数二人。内約は、部長である俺と副部長である芽音だけ。

 この学校に存在する部活の中では、最も人数が少なく、そしてその活動も地味な部活だ。

 まぁその名の通り、プラモデルであったりとか、ジオラマであったりとか、そういうのの製作を始めとして、趣味工作の全般を楽しむことが目的――と言えば聞こえはいいのだが、要するに某大手玩具メーカーからの回し者(自称)であるところの俺が、同志を取りそろえたいがために設立した零細部活動なのである。

 活動目的は上述した通りだが、その実態というか、実際の内容はほとんどただの雑談だ。今日はたまたま新しいプラモを買えたのでそれを組むつもりではいるが、普段は作ったモノの原作の話から、それとは全然関係ない話まで、そういうことを延々としゃべり続けて放課後を消費しているだけである。


 芽音が、何でこんな変な場所に入ろうなどと決意したのかは、三年が経つ今となっても定かではない。彼女は別に俺みたいにロボアニメ好き、というわけでもなかったし、最初に模型部の扉を叩いたとき、彼女には某リアルロボットアニメのプラモデルを指す略語さえ通用しなかったのだ。天ぷらの仲間ですか? とか首を捻っていたのが懐かしい。そんなお約束みたいな……。


「あ、一応お前の分もあるぞ。プレゼントだ」

「本当ですか? ありがとうございます」


 そんな彼女も今では立派なモデラーである。自分の分があると知って、きらきら顔を輝かせる様子は初対面の頃の彼女からは想像もつかない。


「……いつもこうやって気が利けば、もっと素敵なんですけどね……」

「うん、何か言ったか?」

「いいえ。先輩の耳が悪いだけじゃないですか」


 うっ、それは否定できないかもしれない。なんせ英語のリスニング試験は常に赤点ギリギリだ。満点近い点数はおろか、平均ラインすら取ったためしがない。

 でも言い訳させてほしい。聴力はともかく、耳から入ってきた情報を自分の知識と照らし合わせて意味を読み取る力……言うなれば『聞き取る力』っていうのは誰も彼もが高いわけじゃないはずだ。

 えっ? 聞き苦しい? 耳の話だけに? はいすみません。


 そんな風に醜態をさらす俺と、思わず、といった調子で噴き出す芽音。


 これが俺たちの日常。芽音が極端に美少女であることを除けば、探せば見つかる普通の平穏。俺たちが二人ともこの学校を卒業するまで、静かに、だけどしっかりと、続いて行くのだと思っていた大切な毎日。


 でも多分、その認識は正解であって、正解ではなかったのだろう。

 普通な毎日というのはきっと、バラバラに崩され、普通ではなくなるためにあるのだから。


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