第十六話『生存環境次第で案外人間どこまでも獣になれる』
落下地点でそのまま座り込んでいたところ、日が暮れて来たのか、徐々に寒くなってきた。芽音がくちゅん、と妙に愛らしいくしゃみをしたあたりで、周囲の気温が想定外に低くなっていたことに気付く。季節の問題なのか元々夜は寒かったけど……これはそれ以上だ。砂漠の夜は寒いらしいし、それと理論的には同じなのかもしれない。岩肌しか見当たらないし。
こういう時は洞窟にでも身を隠せるといいのになぁ、ということで、芽音の身を気遣いながらも、ゆっくりとだが探索を開始。時折吹き付ける風がやっぱり冷たい。おおさむっ、早く休める場所を見つけないと。
俺たちが落ちた谷底は、川に削られて生み出されたと思しき巨大な亀裂がその正体だった。ちろちろと流れる細い水は、徐々に太く、大きくなっていく。それが川の姿を取ることに、ようやく、大人が数人入れそうな横穴を発見した。
「焚火とか、焚けたら良かったんだけどな」
「仕方ないですよ。枯れ木はおろか湿った小枝も見つかりませんし……動物の類もいないようですから、大丈夫、ということにしておきましょう」
芽音の深い慈悲が身に染みる。やっぱりお前最高の後輩だよ……。
でも言い訳させてほしい。俺たちが、身を寄せ合うこと以外に暖を取る方法を得られていないのは、決して俺が探索をなまけたとか、色々見落としたとかそういうわけじゃぁないのだ。本当に、いや本当にマジで、この谷底、生命の跡が一切見当たらない。
荒山ではあったが、暗黒騎士と交戦したあたりには一応森が広がっていた。だがそこから転落して見れば、右を見ても左を見ても、鋭い岩とごつごつした礫、多少水量のある川だけが広がる、不毛の大地と言っていい場所になっていた。全く、酷い落差である。住めるだけの広さもないのか、川には魚の一匹さえもいない。
こういう崖ともなれば猛獣や猛禽類でも夜には出そうなもんだけど……そういうのも全くなかった。腹が減りそうだなぁ……今日は色々あったせいか、疲れこそあれど食欲はないが。
でもこれからもずっとそうだ、というわけじゃぁ決してない。考えたくもないことだが、これから先、数日、数週間、最悪の場合数か月以上をここで過ごすことを考えたら、食欲を満たす方法はなんとかして獲得しなければ。
あるいは出口だ。上空からみたとき、亀裂はかなり深いところまで続いているように見えたが……川が流れている以上、それを伝っていけば間違いなく抜けられる。どれほどの時間がかかるのかは分からないが……脱出を諦める理由にはなり得ないだろう。
とりあえず。
「決めた。明日はもう少し、下流の方まで散策してみようぜ。なんか見つかるかもしれないし」
「……もし、何も見つからなかったら、どうしますか」
「その時は、助けを待つしかない、かなぁ……」
我ながら情けない答えだと思う。
今更ながら、物資の輸送先をよく確認せずに出てきたのは致命的だったなぁ、と反省する。よく考えれば常識以前の問題なんだろうが……多分、長距離飛行の初仕事で、舞い上がっていたんだと思う、俺も芽音も。
アイヴィーさんに出先を伝えられなかったのが痛い。彼女に夕飯を持っていく約束を果たせていないから、何かあったのだ、とは思ってもらえるかもしれないが……探そうにも俺たちの居場所に予測さえつかないんじゃぁ、流石の隊長でもどうしようもない。
そう、助けは、こないかもしれないのだ。
もし、そうなったら――
「もし、誰も助けに来なかったら、どうしますか」
「そうだなぁ……ずっとここで暮らす、とか?」
場違いなほどおどけた声が出た。
なんか芽音の問いが、妙に暗い声に聞こえちゃって……勇気づけよう、とか思ったのがその理由だ。
実際に、芽音がどういう思考の中に在ったのかは分からない。
でも彼女は、俺の答えにふふ、と軽く笑ってくれた。
「何ですか、それ」
「悪くないとは思うけどな。芽音がいるだけで、俺にとっちゃ楽園だし……なんならアダムとイヴにでもなるか? こう、カイン、アベル、セツと増やして新しい文明作ろうぜ」
「海の獣に地の獣、空の獣たちに家畜たちもいなければ、生命と知恵の木もないのに楽園とは。メルヘンなわりに随分的外れな例えですね……そもそも、こんな環境で産んでも育てられませんよ」
あ、産んではくれるんだ?
という返答は流石に呑み込んだ。セクハラも大概にしろ俺。
「先輩との赤ちゃんは、きちんと大切にしたいですから」
「お、おう……」
焦り気味の声が出る。隠したはずなのになんでバレてんのさ。
でも……そっかぁ、子供か。なんだかんだ、きちんと考えたことはなかったような気がする。芽音とこのまま関係が続いて行けば、ゆくゆくは視野に入れなくちゃいけないんだろうけど……今からちゃんと貯金とかした方がいいのかな、子育て費用、滅茶苦茶かかるっていうし……というか地球に帰れるのかな俺たち。
いや、今考えるべきは地球に帰れるか否かというよりアプラ・エディナに帰れるかどうか、という命題なんだけれども。芽音と未来をどう生きるにせよ、今を生き延びなければ元も子もない。先に続く道がなければ、『先』を考えたところで意味はなかろう。
うーん、やっぱり寒いのがダメなのかなぁ。どんどん思考が暗い方向に流れていきそうな兆候。実によろしくない。こんなことなら毛布の一つでも持って行動するんだった……いや、アイヴィーさんみたいなフル・フレームでもなければ、エンブレーマギアの中に道具箱を設けるとか難しいんですけどね。
でも暖は結構真面目に取りたい。焚火こそ焚けなかったけど、なんかこう、別の方法で……いやしかし、この洞窟の中にぬくもりを発生させるような存在なんて、芽音の他には……ん?
「……なぁ、芽音」
「なんですか」
「さっきあんな話したばっかりで悪いんだけどさ」
「なんとなく何が言いたいか察しましたが、一応聞いてあげます」
「人間が暖を取るにあたって最も効率的な方法は、裸で抱き合うことってする説があるらしいぞ」
「科学的根拠は一体何処にあるんですかそれ!?」
彼女にしては随分声を荒げたツッコミが返ってきた。やれ先輩は節操がないだの、やれちょっとは場の雰囲気を考えろだの、やれ少しは手段というものを考えろ、だの、色々と罵倒の言葉も飛んでくる。な、なんだよう、そんなに怒らなくてもいいじゃないかよう……しょぼん……。
け、けど悪くない考えだとは思うんだよ。実際、人間の肌体温って思ってる以上に高いし……ついでに肌同士の接触はなんとかいう幸福成分を増殖させて、暗い気分も吹き飛ばしてくれるらしいし!
「それにこう、運動もすれば色々とあったまるだろ!」
「とかなんとか理由を付けて、先輩がえっちなことしたいだけなんじゃないですか」
「う、それはまぁ、うん、多少は……」
いや、だって……ぼろぼろになったラバースーツの下から覗く、芽音のきめ細やかで白い肌。外気に中てられ薄っすら朱色をさしたそれが、こう……狙ってないのは分かるんだけど、酷く俺の下半身に訴えかけてくるというか。ぶっちゃけるとこんな状況だというのに色々我慢ができそうにない。い、いや、暖を取りたいのは本当だよ!? そっちは冗談でもなんでもないよ!? でもね、でもさ、方法にこんなのを提示しちゃった理由は、やっぱりそこなんだろうなぁ、って。
随分抑えが効かない性格だなぁ、俺。ちょっとした自己嫌悪に陥りそうだ。
そんな先輩に対して、はぁ、とため息をつくマイエンジェル。顔を上げた彼女は、しかたない人、と言わんばかりの苦笑いを浮かべていた。
「獣も鳥もいない、って言いましたけど……いましたね、ここに一匹」
私も含めたら二匹、なのかなぁ、なんて呟きながら、芽音は、迎え入れるようにその両腕を開いてくれる。
赤らんだ頬と、潤んだ上目遣いがいじらしくて。
俺の理性は一瞬にして崩壊した。襲い掛かるように芽音を押し倒す。あっ、という、彼女の細く淫靡な啼き声を最後に、二人の中から正常な思考はどこかへ消失。
見せてもらおうか。肌接触によって暖を取る方法の実力とやらを――!
結論。
野外でお互いの身体を貪り合うのは、言いようのない背徳感があって大変興奮しました。オチなし。
***
僅かな水の音と、肌を撫でる冷たい風で、微睡みの中からその身を起こす。
どうやらいつの間にか眠りこけていたらしい。いてて、ちょっと頭がガンガンするでござる。
ふと、隣を見れば芽音がいない。どこにいったのだろうか、と首を傾げながら、俺は洞窟の外へと足を踏み出す。
「な――」
「な――」
ほぼ同じ音が、互いの口から同時に出た。
白い背中を流れる、無色透明な水の粒。
着やせするのかはだけなければ分からない、年と体格に似合わないほど量感のある胸元から、細くくびれた腰、柔らかそうなお尻。程よく肉のついた太腿の間から、昨夜愛し合った白い跡が、僅かに溢れ、流れ出ている――細い朝日に、ぽたぽた垂れる雫を煌かせながら、真っ裸の芽音が立っていた。どうやら、水浴びの現場に遭遇してしまったらしい。
取り戻したばかりの理性が、さっそく翼を広げてどこぞへ飛んでいった。はっきりと知覚できる。あ、駄目だこれ、我慢できねぇ、と。
「うおぉぉおおお!!」
「きゃぁぁぁぁっ!!」
気が付けば芽音の細い肢体に向けて、全力で踊りかかっていた。
明朝一発目の行為が終了した直後、先輩の馬鹿!! と罵られたことは最早語るまでもない。
というわけで現在、洞窟の外、ちょっと大きめの岩の上で正座させられている。ごつごつした岩肌が痛いのもさることながら、形が悪いのか妙にバランスがとりにくい。気を抜くとずるりと姿勢を崩し、そのまま川原に頭をぶつけそう。流石にこの石礫に覆われた地表と激突したら、いかに俺が石頭であっても無事では済みそうにない。絶対痛い。
世の中不思議なもので、一点集中でダメージを受けるよりも、軽くても面積が広いダメージを受けた方が痛いことが多い。例えば顔面を地面にこすりつけるのと、銃弾で心臓を貫かれるのとだと、多分前者の方が痛いはずだ。いや、こう、イメージかもしれないけど。どっちにしろ経験ないし……したくないし……。
そんなことを思っていたせいだろうか。すこんっ、さくっ……という快い音を耳にとらえた……気がした。なーんだ今の。お祭りの屋台でたまに見るアーチェリーの音か? こう、柔らかい肉に弓でも撃ったような……いや待て。ちょっと待て。何で俺の左胸から、いかにもって感じの矢が突き出てるのん?
「どわぁぁぁぁっ!?」
変な声が上がった。同時に足を滑らせ岩から落下。いってぇ!
えっナニコレどういうこと!? なんで!? なんで刺さってるの!? そもそもどうして痛みがないの!? なんで血が出てこないの!? 地面にぶつけた頭は痛いし、おでこから薄っすら血が流れてるのに!?
取りあえずおそるおそる、しかし無理矢理矢を引っこ抜いてみる。ずるり、という嫌な感触はするものの、相変わらず痛みや流血はない。それどころか、数秒も経たないうちに淡い燐光と共に傷は塞がってしまった。ど、どうなってんだ……。
あ、いや待てよ。もしかしてこれあれか、昨日覚醒したスキル……なんだっけ、『御身よ、どうかとこしえに』の効果だ。死亡せず、そして受けたダメージは超回復を以て再生する――実際に目の当たりにすると、相当とんでもない能力に目覚めたな俺。
っと、そんなことでわたわたしている場合じゃない。今の攻撃、どこから来た? そもそもどうやって攻撃してきた? 誰が? 何のために?
くそ、こんなときにバイザーが生きてれば、索敵機能が使えたってのに……取りあえず目視できる範囲に敵を探す。
「先輩!? どうしたんですか、先輩!」
「来るな芽音、狙われてる!」
叫び声をききつけたのか。洞窟から、着替え終わった芽音が姿を見せる。相変わらずスーツはところどころが破け、煤けたまま。エンブレーマギア、どうして使い手の身体は再生してくれるのにラバースーツは直してくれないんだろうな……ってそうじゃなくて。
俺はあの変なスキルのお蔭で狙撃されても無傷で済むが、彼女はそうじゃない。毒なんかが塗ってあったら最悪だ。俺の場合、単にスキルの効果で無効化してるだけの可能性がある。くそ、自分の能力についての情報が少なすぎる! どう扱えばいいのかまるでわからんものを、どんなふうに戦略に組み込めってんだ。
困惑の中で目線を走らす。すると目算で一キロメートル程先。入り組んだ岸壁の一か所に、ぎらり、と輝く光を見た。直後、先ほどと同じ鋼鉄の矢じりが飛んでくる。あそこか!
「くっ……このぉっ!」
俺は咄嗟にエンブレーマギアを呼び出す。右腕に展開したピアノブラックのギア・フレームが、がきん、という鈍い音と共に矢じりを弾き返した。あっぶね……って、なんかギアの形変わってない? ちょっとガントレット部分のサイズ、大きくなったような……そもそものパーツ面積が増えてる気もする。もしかして展開率が上がったりしたんだろうか?
場違いにも若干喜んでしまうが、そんなことを考えている場合ではない。すぐに戦況に変化が訪れたからだ。
いつの間にか俺と芽音を囲むように、エンブレーマギアを装備した集団が陣を張っていた。多い。その数、一口で数えられるだけでも十三人。岸壁から突き出た岩の影に、その身を隠していたらしい。い、いつから俺らのことを見てたんだ……? もしかしてモーニングえっち見られた……?
「その戦闘服……王国、いや共和国軍の兵士か? チッ、いよいよ俺らを処分しに来たってことかよ」
どうやらその心配はなさそうだった。
集団の内の一人、明らかにリーダー格と思しき男の表情は、かなり深刻そうなものだったからだ。大柄で筋肉質。一瞬鬼族かと見まがうほどのごつい体型は、所謂ガチムチというやつだ。太い眉毛と刈り込んだ黒髪が良く目立つ。
纏うギアはまさかのフル・フレーム――しかも見たこともない装甲付きだ。なんだあれ……『シール・ディ』の共通装甲に似てる気もするけど、そもそもの設計思想が違う……?
「まぁ何でもいいか。俺たちを消そうってなら、先に消えてもらうだけだ」
彼はそう吐き捨てると、右腕に装備した魔導砲と思しき装備を向けてくる。いかん、どう考えても殺意満点対応だ!
「待て、待ってくれ! 処分って何のことだよ。俺らは魔族軍との戦闘で遭難しただけだ!」
「何……?」
男は不機嫌そうに片眉を上げる。
一瞬、しまった敬語を使うべきだったか、とも思ってしまった自分を殴りたい。そういう問題じゃないだろどう考えても。
というか俺、これまで考えたことも無かったけど結構図太いな?
「隊長、嘘じゃなさそうっすよ」
「ふむ……」
耳打ちをする別のギア使いの言葉に、彼はごつい顎を撫でながら考え込む。いやいやいや、納得してくださいよ。俺ら妖しい者じゃ決してないYo……我ながらめっちゃ怪しいなこの喋り方。
「テメェ、名前は?」
「え……」
不意に、大男が俺に向かって問うてくる。
「名前は、と聞いている。それともねぇのか? 最近の軍は生涯奴隷も戦場に突っ込んでるってのかよ」
「い、いやある。ちゃんとあるぞ」
「なんだよ。じゃぁさっさと名乗れ」
「……逢間。春風逢間だ」
なんだっけな、誰かと『出逢う』時『間』を、一つでも多く得られる人『間』になってほしい、だったかな……詳しい由来はよく覚えてない。
「……ハルカゼ……? 聞かねぇ名前だな……」
首を捻る大男。同時に、俺も内心で首を捻っていた。
妙だ。隊長、と言われていたことや、王国/共和国軍、という言葉、そして正規軍の正式採用ギア・スケイルである『シール・ディ』とよく似た装備は、彼がバルアダン共和国軍の一員である、ということを示しているに等しい。掘りの深い顔立ちはどう見ても日本人のものではないので、恐らく共和国に元々住んでいた住人で間違いないだろう。
しかし正規軍の隊長格は皆、常に俺たちからデータを取る立場でもある都合上、地球人のほぼ全員の名前を憶えている、とアイヴィーさんが言っていた。つまり『聞かねぇ名前』であることはあり得ないわけだ。
第一彼は今、俺の名前を聞いて『春風』の方が名前だと勘違いしなかったか? 逢間、と先に言ったにもかかわらず、そっちを苗字だと判断したのだ。恐らく、ファミリーネームが前に来る、という名前順に対して、知識そのものを持っていないのだろう。
それはつまり……地球人と、邂逅したことが、ない……?
大男はしばし頭を悩ませていたようだが、暫くすると「ええい分からん」と思考を放棄。そのまま、野性的なしかめっ面で、俺たちに向けて名乗りを上げた。
「俺はセト。セト・グレイブズ。一応バルアダン共和国軍、第一魔導機械部隊の隊長……ということになっていた」
その出会いは多分。
俺たちがこの先、この世界に様々な変化を齎すことになるのなら――その第一歩になるのだろう、出会いだった。




