第五話 休むのも仕事の内
「病気とか怖いからよーっく火を通したつもりなんだけど、なんだこれ……焼けてるはずなのに生に見える」
ジュウジュウと脂が焚き火に落ちて音を上げているが、肉にこれっぽっちも焼色がつかない。どうなっとるんだこれは。食っても良いものなんだろうか。
「匂いはちゃんと焼けてる肉っぽいんだけど……見た目生ってのがなぁ」
グリフォンの奴は、すでにたらふく食った後なので、こっちのすることをたまに目を開けて見るだけだ。毒、ではないんだろうな、コイツピンピンしてるし。いやだがしかし、人間が食って大丈夫かどうかは別だよな。でもまあ、匂いはちゃんと焼き肉っぽいしなぁ。
「まあとりあえず、少し齧って様子見てみるか……他に食えるもんなんて無いんだから……」
木の実とかはあっても、どっちにしても安全かどうかわからないわけだし、食ってダメでもさっきグリフォンに飲ませた回復薬代わりになる栄養ドリンクでなんとかなる、かな? ええい、男は度胸、何でもやってみるもんさ!
「……うめえ」
--トカゲの肉なんて食ったことなんてなかったから比較もできないけれど、ドラゴンの肉を食った正直な感想を言わせてもらうと。
「なんだこのミディアムレアに焼いた極上牛ヒレ肉の真ん中のまだ赤い部分だけ切り出した感」
野生動物の肉は生焼けだと寄生虫とか腹壊す可能性が高いのだから、無論しっかり火は通している、つもり。ジビエなのは間違いないんだしな。
それにしてもやたら美味い。切り出した肉があっという間に無くなった。持っててよかった、でかいカッターナイフ。
「それにしても、まさかカバンにドラゴンがまるっと入るとはなぁ……」
ネット小説ではよくある話なので試してみたのだ、持ってるカバンにでかいものが入るかどうかを。無論、一度手を突っ込んで見てからの話だが。
案の定、と言うかドラゴンの死体はすんなりと入ってくれた。事前にカバンに手を突っ込んで、奥行きがとんでもなく広がってるのを確認したあと。中を覗き込んだ際に、真っ黒な空間になってるのかと思いきや、鞄の中の形状自体は変わってなかった。が、中に仕舞っていたはずの物がミニチュアサイズになって鞄の隅に転がっていたのはちょっと予想外だった。鞄の中の空間が広がった為に、外から見ると中に入れた品が縮んで見えたのだ。おかげでカッターナイフを取り出すのに難儀したが。あとで、中を見ないで手だけ突っ込んで念じたら思った品が手に取れる事を発見したときは、そこは未来の世界のたぬき型ロボットのポケットと同じ仕様かよ!と思わず突っ込んでしまった。
なので現状カバンを開けて上から覗くと、ドラゴンの死体が小さくなって横たわっているというシュールな光景が見えるのだ。まあ、容量的にはもう二~三十匹入りそうだが。
それはさておき。
「近場でどこか、人のいるところは無いのかなぁ」
新しい肉を火にかけながら、俺は溜息を吐いた。今いるのはさっきの草原からしばらく進んだ森の中だ。その森の中にぽつんと存在している小さな泉の畔で、俺は焚き火を熾して絶賛BBQ中なわけだが。
なおここまで来るのにはグリフォンに乗せてもらった。やけに懐いてきて逆に怖い。
今だって泉の畔であくびしながら居眠りしている。
流石にこんなところで生活するのは無理だし、出来たとしても御免こうむる。さっき空を飛ぶグリフォンの背中から見回した周囲の光景の中には、人の住んでいるような建物は見えなかった。もしかしたらここは、人跡未踏の地なのかもしれない。
「とりあえず、もう日も傾いてるし、一眠りしたら移動するか……グリフォンと話が出来りゃなぁ」
頭が良いやつで、こっちの意図もくんでくれるんだが、流石に細かい意思疎通は無理だ。
野生動物に人の居るところまで運んでくれないかだなんて、そもそもお願い自体が間違ってる気もするしな。
「ともあれ、今日はもう疲れたよパトラッシュ……」
そう呟いて、俺は丸くなっているグリフォンの傍らで、横になって意識を手放した。
☆
そこまで思い返して、俺は湯船からざぶりと湯を巻き上げて身体を起こし、洗い場へと上がる。
いい湯だった。ちょっと長湯してしまったが、まあ許容範囲だ。風呂の露天部分から空を見上げれば、いくつか星が見え始めている。
「飯食って寝るか……明日は仕事も休みだ」
自主休業である。仕事道具の点検整備の仕上がり待ちとも言う。自分で全てのスケジュールを決められるのは実に良いことだ。
得意先の呼び出しで休み返上なんてことはもう無いのだ。
「アキラはん、お食事できましたえ?」
「おう、ありがとう。すぐに行くよ」
用意してくれていた作務衣風の服を着込んでいると、脱衣所の引き戸越しに女将から声をかけられた。やはり少し長湯だった。いつもなら、部屋についたと同時にタイミングよく料理が運び込まれるからな。
手ぬぐいをパンッと鳴らして肩に掛け、俺はのんびりとした気分で自分にあてがわれている部屋へと向かったのだ。
†
翌日の目覚めは爽快だった。
朝日が差し込む部屋で、自然に目が覚める。二度寝しようという気持ちにもならずにぱっちりとだ。
「さて、と。飯食ったら出かけるか」
晩飯は自分の部屋まで持ってきてもらえるが、朝飯は食堂まで行かねばならない。まんま日本のお宿といった感じである。
寝間着代わりの作務衣もどきを脱ぎ、部屋の隅に据え付けられた鍵付きの戸棚を開ける。
そこには、着替えの服と共に、俺がこの世界に来たときに持っていたカバン類と着ていたスーツが仕舞われていた。
「この服も、もう袖を通す機会なんて無いんだろうなぁ……」
安物だが愛着のある元の世界の背広は、もう俺の体型に合わなくなっている。
腕も足も太くなり、背中や胸の筋肉もマシマシの今、かなり無理をしなければ着込むことも出来ない。ちょっと気合を入れたら超人ハ◯クかケン◯ロウ状態になるだろう。
カバンの方は、実のところ今の仕事に使えれば便利なんだが、こんなの持ってるのを知られたら間違いなく狙われる。国にカバンだけ召し上げられる可能性もあるし、それこそ命を狙われて奪われかねない。
この街に辿り着き初めて入る時に、荷馬車が過積載なんて知るかという感じで山盛りに積み上げているのを見て、少し危惧した。
あれ? このカバン的な代物って、もしかして超レアどころの騒ぎじゃない? と。
冒険者ギルド的なところででかいドラゴンをカバンから取り出して驚いてもらう、というシチュエーションをちょこっと夢見ていた俺だが、それが危険極まりないのではと考えたのだ。
不思議なことに言葉は通じ、文字も理解できた。街に入る際にも門番だか衛兵だかにジロジロと見られはしたが、止められることはなかった。
そして道すがら聞いてたどり着いたのが、冒険者ギルド的な存在である日雇い労働者向けの公共職業斡旋施設だった。
そこには『荒くれ者』を絵に書いて額縁で装飾したような、焼けた肌に革や金属の装備がコレほど似合う人種もいないだろうという風貌の男女が、でかい荷物を抱えて屯していた。
それを見て、やはりここでは、便利なマジックアイテム的なものの存在は希少か若しくは無いのだと確信した。
しかし路銀は稼がねばならない。そこで俺は、受付らしきカウンターに向かい、こう尋ねたのだ。
「ドラゴンっぽい奴の鱗を拾ったんだが、買取りってして貰える?」
と。
ドラゴンのウロコを数十枚、拾ったことにして売り飛ばした。それだけで結構な品質の装備を買ってまだ余りあるだけの資金を手に入れることができたのだ。
殺されかけはしたが、今を生きる俺の糧になってくれたのだ、安らかに眠れ。死体はまだカバンの中だが。
そんな事を思いながら朝飯を食う。米に味噌汁、焼き魚にノリと漬物という純和風なメニューに舌鼓をうち、完食。惜しむらくは生卵がないところか。鶏はいるが、やはり現代日本のような衛生環境ではないのかして、尋ねたところ生食は不許可だった。
「アキラはん、おはようさんどす。今日はどないしはるん?」
「ああ、仕事道具をメンテ……点検に出してるからな、今日は近場を散策しようかなと」
女将が俺の食った膳を片付けに来て、そう問いかけてきた。なので俺は、前日から考えていた事を彼女に告げた。
しばらく仕事詰めだったからな、主に家賃ならぬ宿代を稼ぐために。プール資金は潤沢だが、ソレはあくまで動けなくなった時用の金として置いておくつもりだ。
いざとなればドラゴンの死体の残りも売ればいい。何故か不思議とカバンの中では腐らないのだ。
「散策ぅ? なんやえらいのんびりしたこと言わはるんやねぇ。うちはてっきり春でも買いに行かはるんやとばっかり」
「げっほ! 変なとこに茶が入ったわ。何いきなり下世話な事を」
膳を手にし、俺の前に両膝ついてしゃがんだまま、うっすら笑みを浮かべてそう言ってくる女将に、俺は思わず突っ込んでしまった。
「せやけどええ歳した元気な殿方やのに、ウチが粉かけてもちいとも靡かへんし? どこぞに心中立てでもした娘ぉがいたはるんかなて」
「ないない。色々あってそんな気分じゃないんだよ。下手に情が移るといざ戻れるとなったときになぁ……」
「戻る?」
「いやなんでもない。ごちそうさま、ちょっとでかけてくるよ」
なんとなく気まずくなった俺は、茶を飲み干すと一旦部屋に戻り、再度着替えをして外に行くことにした。