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第二話 鬼のお宿

 事務所(ギルド)を出て、定宿に向かう。

 途中、幾つもの酒場や食事処から客引きの声が掛かるが、視線も合わせずに通り過ぎる。

 いつものことだ。

 向こうもわかっちゃいるだろうが、それも仕事と割り切っているのか毎度のごとく声をかけてくる。

 何の反応も見せずに通り過ぎる俺に、それでも愛想の良い声で「またよろしく~」と言ってくる。

 舌打ちなどしたら二度とその客は近寄らないだろう。正しい商売人である。

 途中、艶めかしい扇情的な格好をした女性が2階の窓に腰掛けている店などもあったが、それにすら反応せずに、俺はまっすぐ宿へと足を進めた。

鬼留庵(きりゅうあん)

 そう書かれた、手のひら程度の小さな看板を掲げた宿にたどり着いた俺は、ゆっくりと扉を開くと、静かに足を踏み入れた。


「おや、おかえりやす。予定通り、三日目の夕方やねぇ」

「特に手間取ることもなかったからな。いつものことだ」


 宿に入ってすぐ、女将がこちらに気が付き、出迎えてくれた。

 妙齢の、鬼人族と呼ばれる額に角の生えている種族の女性だ。

 左右のこめかみあたりに親指程度の角が伸びているが、それ以外は普通の人間にしか見えない。この街の一般女性と比較して少々背が高い程度か。

 180センチほどある俺の背丈と比較して、だいたい170センチほどだろう。

 スラリとした体型に、肉付きの良い胸をはだけるようにして着ている和服っぽい装束がよく似合う。目の毒なほどに。

 その女将――クレハと言う名だ――は、俺が装備を外し始めると、三和土に降りてきて手伝いをし始めた。背嚢を下ろした俺は、手始めに金属製のナックルが付いた革の手甲を外す。これを外すだけでもホッとした気分になる。

 続けて外したのは各種武器防具類だ。腰に巻いているベルトの左右に下げている、刃渡り五十センチほどのふた振りの剣。結構な重さのそれを、女将がご丁寧にサラシか何かの布でくるんで式台に置いていく。他にも分厚い革のジャケットには左右の肩にナイフが一本ずつ、左の前腕部には小ぶりの円盾がベルトで取り付けられているがそれも外し、ジャケットを脱ぐ。

 分厚い革で誂えたパンツの太もも部分に設けられたスリットには、投げナイフが収められている。それらすべてを外し、一纏めにして女将に預ける。と、彼女はそれと合わせて武器類全てを宿の一室へと一旦運び込んだ。後ほど手入れを任せている職人に渡してくれるのだ。

 武器を外し終えたあとは先に脱いだ革のジャケットと共に革のパンツ、そして金属で補強が入っているごついブーツも合わせて女将に任せる。

 身につけている装備はどれも希少な素材が何重にも重ねて使われており、そんじょそこらの刃物程度では傷もつかない。武器だってかなりの上物だ。

 これらを身に着けて、既に外して背嚢に突っ込んでいた兜と面貌をつければ、全身くまなく覆うことが出来る。完全防水な上に、蒸れない汗も溜まらないという現代科学もびっくりの全身スーツだ。当然すべて特注品である。

 簡単には脱げないように、しかしイザとなればすぐに脱げるように、色々と工夫がされている。主にお手洗いのためだが。そんな便利であるが高価な留め金を外し、俺はようやく一息ついた。

 装備を外し終えると、下からはごく普通の布製の薄手の下着が姿を現すが、少々臭う。三日間も着たきり雀では致し方がないが。


「まあ一旦そこにお座りよし。足濯いだるからなぁ」


 そう言って三和土から一段上がった式台を指し示した女将は、外した装備を纏めて先に武器類を収めた部屋へと運び込むと、一旦外へと出ていった。しばらくすると、木桶に水を張ったものを手に、戻ってきた。


「【弱火(ひぃ)】」


 俺の足元に木桶を置き女将がそう呟くと、彼女の指先から青白い炎が生まれる。

 魔法ではなく、鬼の一族が使う炎――鬼火――であって全くの別物らしいが、俺には魔法が使えないので違いがよくわからない。

 その指先の炎を木桶に張られた水に向けて落とすと、じゅうともなんとも音を立てずにあっさりと消え失せる。

 しかしながら目的は達成されたようだ。温かな湯気が木桶から立ち上り始めたからだ。


「ほれ、あんさん足こっちぃ」

「あ、ああ。すまない」


 ココに長逗留し始めてからこっち、戻るたびに女将が手ずから俺の足を濯いでくれる。

 ただ洗うだけじゃなく、足首から先を念入りにマッサージしてくれているのだ。非常に心地よい。


「はい、よろしおすぇ」

「ありがとう」


 濡れた足の水気を丹念にきれいな布で拭き取って貰った俺は、そう感謝の言葉を告げて立ち上がり、女将から手ぬぐいを一本受取ると、装備全てを任せて宿の奥へと向かう。風呂があるのだ、この宿には。

 結構な重さである俺の装備を軽々と持つ女将を横目に見ながら、廊下を素足で進みつつ、思い返す。初めてココを訪れたときのことだ。

 少々趣は異なるが、日本家屋に似た佇まいのこの建物が気になって覗き込んだ俺を出迎えたのは、でかい瓶を持った女将だった。

 ほっそりした身体つきであるのに、その膂力はかなりのものだった。彼女が鬼人族だというのを知ったのは、逗留することに決めた後の事だった。

 なにしろ一抱えほどある中身の入った瓶を抱え持って運べるのだから、それだけでその身体能力は窺い知れるというものだ。

 ただそれ以外は何ら普通の人と変わりなく、西洋人的な人種が殆どを締めているこの街、この世界に於いて、日本的な黒髪と鬼の文化らしいが和服に近い装いをしているのを気にいった俺は、ココを定宿として活動しているのだ。だが――


「ああ女将、宿代だ」

「おや、毎度どうもぉ」


 ふと思い出した俺は、外した俺の装備を片手にもつ紅葉の元に戻り、そう言って、ぢゃらりと金貨が詰まった袋を手渡した。

 彼女は困惑したような、それでいて妖艶な笑みを浮かべると、数を数えもせず懐へと収めた。

 今日の稼ぎに、貯めてある分からも金貨を足し、来月分の宿代を渡したのである。

 ――ちょっと宿代がお高いのが玉に瑕である。

 ともあれこれで丸一ヶ月の間は寝食の心配をせずに済む。

 一泊二食付きで大銀貨三枚と、この街の宿としては普通だが、俺のような日雇い労働者が定宿とするには少々値が張る。

 ちなみに大銀貨は五枚で小金貨一枚分である。大銀貨を使うたびに2千円札を思い出すのは仕方あるまい。

 普通の日雇い達が泊まる宿など、素泊まりであれば小銀貨一枚だせば釣りが出る。

 貨幣に関しては、一万円≒小金貨一枚=大銀貨五枚=小銀貨十枚=銅貨百枚といった具合だ。

 日本的に考えれば大銀貨三枚×30日=大銀貨90枚=金貨18枚=月18万円だ。確かに日雇い稼業の俺のような者が定宿とするには高いのだが、アパート的なところに住むには身元が怪しいと門前払いなのだ。これはもう異邦人の俺にとってはどうしようもない。

 なので宿に泊まる。

 しかしココは高い。

 だが、飯がうまい。

 風呂がある。

 ベッドではなく畳の上に布団で寝られる。

 何より清潔だ。

 これだけ揃っていて他に泊まるなど、ありえん。

 高いと言っても払えないほどではないため、趣味と実益を兼ねてココに腰を据えているのだ。

 それにもしも小さい家を借りるなり買えたとしても、俺は家事がめっぽう苦手である。

 出来ないのではない、苦手なのだ。

 それなりに食えるものは作れる。

 身の回りの物を洗濯したり掃除したり、も出来る。

 だが時間がかかる。

 現代日本のような便利な電化製品など無いこの世界である。

 とてつもなく時間がかかる。

 それならば金を払って誰かにやってもらう、その間に自分は他のことをして稼ぐ、その方がよっぽど気楽だし実際結果を出せている。順調な生活ができているし、貯蓄も可能なのだ。


「さて、ひと風呂浴びてくるわ」

「あんじょうつかっといでぇ。すぐ夕飯も出来るよってなぁ」


 のんびりとした心地よい響きの声色を背に、俺は一日の汗を流しに湯殿に向かうのだった。


 4メートル四方の、あまり広くはない脱衣所で服を脱ぎ、俺の名前が書かれた籠に放り込む。ココに入れておけば、宿で洗濯してもらえるのだ。

 風呂上がりには宿から貸し出される浴衣、と言うよりも作務衣のようなものを羽織るので問題はない。

 明かり取りの小窓からは、もう星明りが見える頃合いになっている空が見える。が、宿のアチラコチラに灯る『鬼火』に照らされ、目に優しい明るさが保たれている。

 今日も一日良く働いた、そう思いながら風呂場への扉を開くと、情緒あふれる風呂場が姿を表した。

 岩風呂。そう表現するのが一番しっくり来るだろう、この宿の風呂である。

 平たい大きな石板を敷き詰めた足元は予想に反して暖かく、心地よい硬さを足の裏に伝えてくる。

 その奥の、丸く研がれたような石で囲われた湯船からは、もうもうと白い湯気が立ち上っていた。

 温泉。しかも、洗い場と湯船の半分に屋根がかかっているだけの、露天風呂だ

 ただの風呂ではないのである。

 これだけでもこの宿に泊まる甲斐があるというものだ。

 手桶を湯に着け、下半身から上半身へと順番にかけ湯をして身を清めていく。

 湯の熱が身にしみる。

 身体を流し終えると、湯に浸かる前に手ぬぐいで軽く身体を擦る。汗塗れで一日動き回った身体をそのまま湯につける気は毛頭ない。

 流石に石鹸はない。が、石鹸の役目を果たす木の実があって、それを潰して手ぬぐいにその汁を染み込ませて身体を擦る。

 すると面白いように泡が立つ。

 腕を洗い胸周りから腹、下半身へと洗い進めていると、背後から声がかけられた。

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