第55話 守るための偽装工作
クリストファーはラルフに「部屋には誰も近付けさせないよう、見張りを頼んだよ。それから……」といくつか指示を出していた。
先に入室したフォルティアナは前を歩くハーネルドに声をかけた。
「ハーネルド様、お加減はいかがですか?」
「ああ、何の問題もない」
手を握ったり閉じたりしながら答えるハーネルドを見て、「よかったです」とフォルティアナはほっと安堵のため息を漏らす。
(瞳の色もきちんと戻っているし、呪物の影響はもう大丈夫そうね)
じっとハーネルドの目を眺めていると、困惑した様子で「俺の顔に、何かついてるのか?」と尋ねられた。
「い、いえ! 怪異に操られている間のハーネルド様は、瞳の色が赤かったもので……」
「記憶が飛んでて分からないんだが、お前は大丈夫だったのか?」
「はい。ハーネルド様が守ってくださったので、ありがとうございました」
「そうか。それなら……よかった」
照れたよう視線を逸らし口元を手で隠したハーネルドを見て、フォルティアナはいつもの彼がそこにいると実感して嬉しくなった。
(本当に無事でよかった……)
「待たせたね。奥で座って話そうか」
クリストファーが部屋に入室してきたところで、客間の奥にある応接用スペースに移動する。ハーネルドとクリストファーが一人用のソファに向き合うように座り、フォルティアナは真ん中の広いソファへ腰掛けるよう促された。
「クリス、お前がこれを外してくれたのか?」
テーブルの上にあるパキリと割れた呪物の残骸を見ながらハーネルドが問いかけた。
「君を救ってくれたのはティアだよ」
「ティアが、これを壊したのか!? どこにそんな怪力が……」
そうこぼしながら、ハーネルドが目をぱちくりしてこちらを見ている。
(金属で出来た指輪を、物理的に壊したと思われてるの!?)
「ネル、とりあえず筋肉から離れようか……」と、クリストファーが苦笑いしながら呟いた。
「ではどうやって!?」
「えっと……光で照らしたら、割れまして……」
「光で割れた……」
そんなに融点の低い特殊な金属で作られたものだったのか? と呟きながら、ハーネルドは壊れた呪物の指輪に再び視線を戻した。
事情の分からない二人の会話で答えが出るわけもなく、クリストファーが重い口を開き、不毛な会話に終止符を打った。
「ティア、ネル……これから話すことはどうか、まだ君達の胸の中だけに留めておいてほしい」
神妙な面持ちでクリストファーにそうお願いされ、フォルティアナとハーネルドにも緊張が走る。二人が頷き了承したのを確認して、クリストファーは口を開いた。
「浄化の聖女オルレンシア。約八百年前、混沌の世を平和に導いた伝承の聖女と同じ力が、どうやらティアにはあるみたいなんだ」
「…………はい!?」
「救国の聖女と同じ力が!?」
あまりにも予想外なことを言い出すクリストファーを前に、フォルティアナとハーネルドは驚きを隠せない。
「クリス、いくら王族のお前でも軽々しく聖女の存在を口にするのは……!」
聖女の名を語り人々を謀る女性は、【魔女】として断罪される。
五百年前のおぞましい魔女狩り事件は周知の事実であり、フォルティアナにあらぬ容疑をかけるなと、ハーネルドは避難するような眼差しをクリストファーに向けていた。
「だから秘密裏に話してるんだよ。ネル、声抑えて」
「す、すまない!」
ハッとした様子で、ハーネルドは口元を手で押さえた。
「元々王族がイシュメリダ神の加護を得られるのは、神の愛し子であった聖女の忠臣だったからだっていうのは、建国の歴史で習ったよね?」
「ああ。だからこれまで王家は偽物の聖女に関して、厳しい断罪をしてきたんだろう」
ハーネルドの言葉に、クリストファーは悲しそうに目を伏せた。
「確かに五百年前、オルレンシア王国では凶悪な魔女狩り事件が起こった。でも君達が知っているのは、偽りの史実なんだ」
「どういうことだ?」
「残された聖女の末裔を守るために、魔女と汚名を着せたまま、王家はその存在を歴史上滅ぼした。二度とおぞましい事件が起きないように……それが王家に伝わる正しい史実なんだ」
「魔女の汚名を着せたままって、まさか本物の聖女が魔女だと迫害されていたのか!?」
ルーブレイク美術館でハーネルドに呪われた宝石のことを聞いて初めて、フォルティアナは魔女狩り事件のことを知った。
グランデ領はオルレンシア王国の最西端にある辺境の地だ。田舎の領地であるため、情報が伝わっていなくても別段おかしくは思っていなかった。
けれどあえて目を背けていた現実が、不自然だと気付いてしまった。まるでこの地だけ、わざと情報を遮断されていたかのように感じた違和感がより浮き彫りになって、動悸が激しくなる。
(だったらどうしてお父様は、ブルーサファイアの首飾りを持っていたの……?)
本来そこにあってはいけないもの。所持してはいけないもの。父がそれを持っていた理由が、クリストファーの言葉でやっと分かった。
「ティア、君は魔女と汚名を着せられたまま滅ぼされた、聖女の末裔なんだ」
それが、先祖の形見の品だったのだと。
思い返せば五歳の時、父の書斎でブルーサファイアの首飾りに触れた後から、光る人が見えるようになった。
フォルティアナの視線は自然と、クリストファーの左手首に付けられた、ブルーサファイアの腕輪に注がれる。
「それでは、クリス様が身に付けられているその宝石は……」
「呪われた宝石なんかじゃない。おそらくこれは、聖女の力を高める効果があるんじゃないかと僕は思ってる」
(普段温厚なお父様が声を荒げて首飾りを取り上げたのも、お母様が力のことを絶対に隠すように言っていたのも、全てはこのためだったのね……)
もし外で露見してしまえば、魔女として断罪されてしまうかもしれない。自身の身を案じてのことだったのだと分かった。
「私は魔女として、処刑されるのでしょうか……」
膝の上に置いた両手が、無意識のうちにぎゅっとスカートを掴んでいた。
やったことに後悔はない。この力があったからこそ、クリストファーやハーネルドを救うことが出来た。
それでも魔女として処刑されるかもしれない現実を前に、残された家族がどうなってしまうのか不安でたまらなかった。
「そんなこと、僕が絶対にさせない……! 不安にさせてしまってごめんね、ティア」
俯いた視界の先に、クリストファーの姿がある。まるで忠誠を誓う騎士のように床に跪いている彼は、胸に手を当て、真っ直ぐにこちらを見つめて言った。
「君は必ず僕が守る。過去の汚名をそそぎ、本当の自由を与えると約束するよ。何の柵にも囚われず、ティアには幸せになってほしいから」
(どうしてクリス様は、いつも私がほしい言葉をくれるのだろう)
「ありがとう、ございます」
胸の奥が熱くなり、目の端に涙が滲む。あの時のようにもう泣いている姿なんて見せたくなくて、フォルティアナは必死に笑顔を作って微笑んだ。
自分を助けたせいで、フォルティアナを危険にさらすことになってしまった現実を前に、ハーネルドの伸ばした手は空を掴み、彼は肩を落としてその場に立ち尽くすことしか出来ないでいた。
フォルティアナに優しく寄り添うクリストファーの姿を目の当たりにし、ハーネルドは悔しさを滲ませるように下唇を噛んだ。
「ティアは、俺の婚約者だ……だから、俺が守る!」
ハーネルドの呟いた言葉は次第に大きくなり、部屋中に響いた。フォルティアナはハッとして視線を彼に向ける。
(そうよね。私はハーネルド様の婚約者……)
「その言葉待ってたよ、ネル。早速君にやってもらいたいことがあるんだ」
立ち上がったクリストファーが、にっこりと笑みを浮かべてハーネルドに声をかけた。
「…………は?」
「ティアを守るためだ。協力、してくれるよね?」
「まさかお前、俺を煽るためにわざと……!?」
「そんなわけないでしょ」
その笑顔が胡散臭えと、喉元まで出かかった言葉をハーネルドは飲み込んだ。
「ティア、よかったら君が一番やりたいことを教えてほしい」
「私は……領地を立て直したいです。不便を強いることなく、領民達が幸せに暮らせるように」
迫害された魔女の一族の末裔。伯爵家が抱えてきた問題のせいで、近代化を拒み領民に不便を強いていたのだとしたらと考えて胸が痛くなった。
優しく頷き、「全力で協力するよ」とクリストファーは笑顔で返してくれた。
「それなら浄化の力のことは、今はまだ伏せておこう。ティアの安全のためにも、きちんと下準備をした上で公表した方がいいからね」
「わかりました」
「それにもし父に知られてしまえば、登城するよう王令がくだって領地改革どころではなくなってしまうだろうし……」
「お、おい、クリス。陛下は聖女至上主義のお方だろ? 最悪王令で、次期王であるライオネル殿下に嫁がされる可能性も……」
「ありえるからたちが悪いんだよね」
そう苦笑いを漏らすクリストファーを見て、フォルティアナは慌てて否定した。
「そ、それは困ります!」
王族は側室を持つことが認められているとはいえ、ミレーユを傷付けるようなことはしたくない。
「それならティア、今すぐ俺と籍を入れよう。そうすればいくら陛下と言えど……!」
「今すぐですか!?」
思わぬ提案をされ、フォルティアナは目を見開いた。
「伯爵の許可、降りてないでしょ」
「そこは説得すれば……」
「それよりも今は、先にすべきことがある。ネル、接着剤持ってきてない?」
「それなら蒸気自動車の中。備え付けの工具箱にあるが、突然何を……」
意味が分からないようで、ハーネルドはぽかんとした顔でクリストファーを見ている。
「偽装工作さ。神官が来る前に、呪物は封印したことにしておく必要がある。それから……」
応急処置用のトランクケースを開いて包帯を取り出したクリストファーは、ハーネルドに右手を差し出すよう促した。そしてぐるぐると小指に包帯を巻いていく。
「無理をして指輪を抜いた小指は、しばらく怪我してるフリをして。シナリオはこうだ。ティアの呼びかけで呪物に抗い奇跡的に目を覚ました君が、自分で引き抜いたことにしよう」
「お、おう……わかった」
「怪力で指輪を二つに割ったって言うのは流石に無理あるし、とりえずくっついてれば誤魔化せる。誰もまじまじと呪物なんて、見たがらないからね」
「お前……相変わらず悪知恵がよく働くな」
「ネル、君には迫真の演技力を発揮してもらう必要があるから、頑張ってね」
フォルティアナに見えないように、クリストファーは悪戯っぽくニィと口の端を持ち上げた。そんな彼を見て、ハーネルドの背中がゾワッと粟立つ。
そうして突然自身と対極にある能力を発揮しろと無理難題を押し付けられたハーネルドは、再びベッドへ横になるよう促された。
「指輪を修理したら、作戦スタートね。これも全て、ティアを守るためだよ」
「ご無理を強いて申し訳ありません、ハーネルド様……」
天使と悪魔を前に苦々しく頬を引きつらせ、「……善処しよう」とハーネルドは呟いた。
◇
全ての準備が整ったところで、フォルティアナは叔父ライルの居るスタッフ専用の管理室へと向かった。
「叔父様!」
大変なことになったとがっくりと肩を落としていたライルは、こちらを見て目を見張る。
「ティア! 大丈夫か? 怪我はないか?」
「はい、私は大丈夫です。ご心配をおかけしました」
「お前に何かあったら姉上に顔向け出来ない。本当に無事でよかった……っ!」
目頭を押さえるライルに、フォルティアナは優しく微笑みかけた。
「どうかご安心ください。呪物に囚われていたハーネルド様も、目を覚まされました」
「それは本当か!?」
はいと力強く頷き、フォルティアナはライルを連れて急ぎハーネルドの元へと向かった。
偽装工作した部屋は少し荒れており、寝台には血に見えるようたらした赤い染みが付いている。
「ハーネルド様、お目覚めになられて本当によかったです! すぐに医者を……」
「そ、その必要はない!」
「ですが血が……念のため診察を受けられた方が……」
「た、単なる引っ掻き傷のようなものだ。処置は……済んでおるし、大事にする必要は、ない」
棒読み感半端ないハーネルドの台詞に、ライルは困惑した様子だ。
「ご安心ください、フィグ卿。応急処置は多少心得のある部下にさせております」
すかさずクリストファーが助けに入る。ハンカチにくるまっていた呪物の指輪を見せ、彼はハーネルドから注意を逸らすよう言葉を続ける。
「この通り呪物も無事に封印しました。もう怪異現象に悩まされることもないでしょう」
そう言って優しく微笑むクリストファーに、ライルはその場で腰を落とし、お礼をのべた。
「あぁ……殿下、ハーネルド様、誠にありがとうございます……!」
何とか誤魔化せたようだと皆が安心していた時、ライルがふと疑問を口にした。
「それにしてもよく呪いに抗うことが出来ましたね。大神官様を呼んでも憑依を解呪出来るか分からない、強力な呪いが……」
「と、囚われた空間で、ハーネルド様が必死に抗ってくださったんです! それで私は目覚めることが出来て!」
「お、俺はその後、ティアが呼び掛けてくれたから、意識を取り戻せたのだ」
「なんと、二人の愛の力だったのですね! 婚約が破談になった時は大変心配しましたが、どうぞ姪のことをよろしくお頼み申し上げます!」
一部変な誤解を招いたものの、ここで否定しては怪しまれる。フォルティアナは引きつりそうになる頬を叱咤して、にこにこと無理やり笑顔を作った。
「ああ、勿論だ」
そう頷いたハーネルドの顔は満更でもなさそうに得意げで、口角が上がっていた。
こうして無事に温泉宿での怪異騒動も収まり、二日後に急ぎ駆けつけてきた大神官に封印したていを装った呪物を預け、一連の騒動は幕を閉じた。










