第54話 奇跡の光
ベッドの上で横たわるハーネルドの周囲には、クリストファーの施した簡易聖域があり光のベールに包まれていた。
「ハーネルド様……!」
傍に近付き呪物に取り憑かれた手を見ると、指輪の周囲の皮膚が血走り赤黒い何かが蠢いていた。
「今はこの簡易聖域で呪いの侵食が広がらないよう抑えているけど、それも時間の問題なんだ」
「クリス様。あの指輪を取り外すことが出来れば、ハーネルド様は助かりますか?」
「そうだね。取り外した呪物の指輪をこの聖銃で撃てば、呪いは封印できるよ」
クリストファーはそう言って、金の装飾で縁取られた白い聖銃を胸の内ポケットから取り出して見せてくれた。
(なんて神々しい銃なのかしら。これが王家に伝わるクリス様の聖物なのね)
「あの指輪に、触れてもかまいませんか?」
再び視線をハーネルドに移しそう尋ねると、クリストファーは「危険だ」と首を横に振った。
「囚われた空間で、私はあの指輪を作った方、カルロ・チェンタさんとお会いしました」
「カルロ……あの指輪は、悲劇の天才金細工師が作ったものだったの!?」
「ご存じなのですか?」
「約百年前、王都で起きた凶悪事件の犯人だからね。彼の起こした事件が契機となって、王都の警備体制が大きく見直されたんだ」
聖域に封印してあるはずの指輪が、何故こんなところに……と、クリストファーがこぼしていた。
「もしまた怪異に囚われても、私はあの空間から出ることが出来ました。どうか、お願いします」
真っ直ぐにクリストファーを見つめ、彼の言葉を待った。不安そうに瞳を揺らした後、クリストファーは観念したかのように頷いてくれた。
「……わかった。ただし、危険だと判断したらすぐにやめさせるからね」
「はい、ありがとうございます!」
ベッド脇に腰を下ろし、フォルティアナはそっとハーネルドの指に嵌められた指輪に触れた。指輪を掴み何とか外そうと試みる。しかしハーネルドの指で赤黒く蠢くものに引っ掛かり、中々抜くことが出来ない。
(カルロさんを元のあるべき場所へ帰してあげないと、抜けないわね……)
『やめろ。触れるな。この身体は俺のものだ!』
ゾクリと全身に悪寒が走り、恐ろしい声が頭に響いてくる。顔を上げると全身を真っ黒に塗りつぶされてしまったかのような黒い人が佇み、こちらを睨んでいた。
どうすれば、彼をフレアさんの元へ帰してあげることが出来るか考え、フォルティアナは口を開いた。
「カルロさん。記憶を失なっても、フレアさんは貴方が作った金冠の傍らで、ずっと誰かを待っていました」
『……フレアには、記憶がないのか?』
「はい。だから早く迎えに行ってあげてください」
『そうだな。早くこの身体を手に入れて、向かうとしよう!』
カルロが両手を天に掲げ力を解放すると、濃い邪気が簡易聖域を吹き飛ばした。一気に部屋に充満する禍々しい光景を見て、逆効果だったと悟った時には既に手遅れだった。
「ティア、危ない!」
クリストファーに後ろから引き寄せられ、目の前で大量の邪気がハーネルドの指に嵌められた呪物に吸い込まれていく。カルロの黒い身体がハーネルドに取り込まれ、スッと消えた。
「……っ、ハーネルド様!」
「近付いてはだめだ。君まで飲み込まれてしまう」
「ですが、私のせいでハーネルド様が……っ!」
振り返ると、クリストファーは震える手で聖銃に銃弾を装填していた。
「ラルフ、プランCだ。麻酔は僕がかける。切断して、止血の用意を……」
「かしこまりました」
命令を受けたラルフは部屋の隅にあったトランクケースを開け、応急処置の準備をし始める。
「ごめん、ネル……今ならまだ、片腕ですむ。命を助けるためには……」
悲しそうに眉根を寄せたクリストファーと視線が合って、視界を遮るように彼の胸に抱き寄せられた。
(私はなんてことを、クリス様にさせようとしているの……っ!)
音を遮るように彼の左手が耳を覆うと、頭にキィーンと一際大きな不協和音が響く。
スッと頭が研ぎ澄まされていく感覚がして、【このままではいけない】と心が強く警鐘を鳴らした。
「お待ちください、クリス様!」
クリストファーの胸を押して叫ぶと、フォルティアナの強い思いに呼応して身体から神々しい光があふれ出す。部屋に充満していた邪気が、聖なる光に照らされ消えた。
「ティア!? この光は……」
こちらを見て驚くクリストファーに、フォルティアナは目に涙を浮かべながら微笑みかける。
「私はクリス様に、そのようなことをさせたくありません」
聖銃を握るクリストファーの右手を両手で包み込みながら、そっとおろす。
(あの時、この光で呪物を壊すことが出来た。それならば……)
「今度こそ必ず、ハーネルド様を助けてみせます。どうか私を、信じていただけませんか?」
強い意思を込めた眼差しで、クリストファーを見上げる。フォルティアナの身体からあふれた聖なる光は、彼の後悔に苛まれる弱った心を照らし、希望をもたらした。
長い睫毛の奥で悲しみに満ちていた彼の瞳に、少しずつ生気が宿る。顔をくしゃりと歪め、クリストファーは頷いた。
「ティア……どうかネルを、救ってほしい……!」
「はい、お任せください!」
禍々しい邪気の根元に近付き、フォルティアナは呪物ごとハーネルドの手を両手で握りしめて祈る。
「カルロさん、どうかハーネルド様を返してください。私達には、彼が必要なんです」
聖なる光がハーネルドの身体を包み込み、邪気を少しずつ浄化していく。
『いやだ、いやだいやだいやだ!』
堪えきれなくなったのか、ハーネルドの身体に取り込まれていたカルロの黒い身体が再び分離した。
必死にハーネルドの身体を乗っ取ろうと手を伸ばすカルロに、フォルティアナは諭すように声をかける。
「誰かの身体を借りたって、フレアさんには届きません。どうか貴方ご自身で、ありのままの姿で、迎えに行ってあげてください」
『こんなに醜い姿で、行けるわけないだろう……!』
自身の真っ黒に染まった両手を見つめ、カルロが悲痛な叫びを上げた。
「それでも、フレアさんが待っているのは貴方自身だと、私は思います」
『…………っ!』
真っ黒に塗りつぶされていたカルロの身体が、フォルティアナの放つ聖なる光に照らされ、本当の姿を現した。
『俺は、なんてバカなことを……っ!』
「犯した罪は消えません。それでも、償うことは出来るはずです」
不安そうにこちらを見るカルロに、フォルティアナは「大丈夫です」と頷き、優しく微笑みかける。
「カルロさんの進んだ先に、どうか光あらんことを願っております」
フォルティアナの言葉に呼応して、聖なる光がカルロに降り注ぐ。カルロは憑き物が落ちたかのように、穏やかな顔をしていた。
『……ありがとう。これから、頑張ってみるよ』
白い人となったカルロの身体が、パラパラと砂塵のように消えた。それと同時に、ハーネルドの小指に嵌まっていたルビーの指輪が、真っ二つに割れて壊れた。
(よかった、何とかハーネルド様の手を守ることが出来たわ)
人々がまだ見たこともない、革新的なものを作り出す魔法のような大きな手。ほっと胸を撫で下ろしながら、ハーネルドの手を見つめていると、指先がピクリと動いた。くぐもった声を漏らしてハーネルドが目を覚ます。
「ん…………ティア!? それにクリスまで、二人とも……辛気臭い顔してどうしたんだ?」
「ハーネルド様、ご無事で本当によかったです」
目の端に滲む涙を拭うフォルティアナと、涙を堪えて佇むクリストファーを見て、ハーネルドは戸惑いを隠せない様子だった。
「ネル、君の身体に呪物が取り憑いて、色々大変だったんだよ」
「呪物……はっ、そうだ! 怪異、怪異はどうなったんだ!?」
ハーネルドが慌てて上体を起こすと、掛け布団がはらりと落ち、鍛えられた上半身が露になる。
フォルティアナは赤面してさっと目を逸らし、クリストファーはソファにかけてあった洋服一式を差し出した。
「ごめん、呪いの状態を確認するのに服、着せてなかったんだ。外に出てるから先に着替えを済ませて」
「ああ、わかった」
ハーネルドを残し、フォルティアナはクリストファーやラルフと共に一旦部屋を退室した。
「ありがとう、ティア。君が居なければ、ネルを救うことは出来なかった」
「私一人の力ではありません。クリス様が傍に居てくださったから、この力を発揮出来たんです」
「僕が……?」
目を丸くするクリストファーに、フォルティアナはこくりと頷いた。
「怪異に囚われて自分が誰かも分からなくなった時、キーンという音がして、クリス様の呼び掛けてくださる声が聞こえて、私は自分を取り戻すことが出来ました。それにさっきも……」
思い出したら恥ずかしくなって、フォルティアナは赤面した顔を隠すべく俯いた。その時、クリストファーの左手にあるブルーサファイアの腕輪が目にとまる。
(クリス様の左手が私の耳を塞ぐように頭を抱いた時、一際大きな音が頭に響いた……)
思い返せばこれまであの不協和音が聞こえたのも全部、クリストファーの左手が身体を支えてくれた時だったのではないか?
(もう一度、触れてみれば分かるかもしれない)
「あの、クリス様! その、左手を……」
フォルティアナが意を決してお願いしようとした時、ガチャリと扉が開いて「着替え終わったぞ」とハーネルドが顔を出した。










